2019年3月30日土曜日

犬も歩けば 2月の初めのうれしい出来事    No.21

田畑に隣り合った、標高50メートルの地にある現在の家に移り住んだ2011年2月から、
(それは東北大震災、福島第一原発の`事故`があった年だ。)早8年がたつ。住み始めて間もなく玄関先に絵本などをおいて、とくに文庫の名前をつけることなく文庫を始めた。40年近く前、太宰府の四王寺山の登り口に格好の借家を見つけ、その離れで文庫(四王寺文庫)を始めて以来、私にとって2度目の文庫だ。

長野ヒデ子さんとの再会で

四王寺文庫を始めるにあたり、近所の電信柱などに文庫を始めますと描いた看板をとりつけていたが、それを見てやってきた子どもたちの母親のお一人に、当時、絵本作家としてデビュウされる前の長野ヒデ子さんがおられ、近くにお住まいだった。ある日のこと、来宅された長野さんから丸木俊さんへの深い思いのこもったお話をお聞きしたことが心に刻まれている。時を経て能登川町立図書館に講演会の講師として来てくださった時、20数年振りにお会いした長野さんが鎌倉の自宅から持ってこられたのが、かつて四王寺文庫で子どもたちが作った多面体の折紙であったのには驚かされた。

自宅の文庫に`風信子(ヒアシンス)文庫`という名前をつけて、あらためて文庫開きをしたのは2013年8月6日、庭の一角に半年がかりで建てた小屋の中に文庫の本をおいた。埼玉から福岡市の図書館に紙芝居の講座の講師として来られていた中平順子(なかひら よりこ)さんに草花あそびの場を設けていただいての文庫開きだった。(毎週土曜日13時半~16時半;二丈長石412-1)

文庫の名前の由来は

いつのことだったか、新潮社が出しているPR紙『波』のある号をたまたま手にした時、加藤周一さんの短いエッセイのタイトルが目にとびこんできた。花 信 という文字に続けて、ひらがなで「はなだより」と記されていた。そのひらがなの「はなだより」という文字を目にした時、`かぜ だより`ということばが、`風 信`という文字とともに頭にうかんでいた。そして、私の場合は「風 信 かぜだより」だなという思いがやってきた。時をおいて折々きこえてくる、風立ちぬ いざ生きめやも、と言う声が、その時、どこか遠くから聞こえていたのかもしれない。

それからしばらくしてからのこと、能登川の図書館を退職する数年前、2005年頃のことだったと思われるが、私の周りで携帯電話を持つ人が加速度的に増えるなか、私が携帯を使い始めたのはずいぶん遅かった。できるだけ近づかないようにという意識しない思いがあったのかもしれない。何がきっかけであったか、いよいよ携帯を手にすることにした。その時、まず聞かれたのがメールアドレスで、考えるまでもなく口をついてでたのは、「かぜだより」であった。(kazedayori・・・) アルファベットの表記であるため、ひらがなも漢字もないものの、私の中では、「かぜだより 風 信」、@・・・であった。こうして私のメールアドレスが決まった。

それからまた時を経て、1939年、24歳でなくなった立原道造が自分のための小屋(別荘)として構想し、生前には建てられることのなかった「ヒアシンスハウス(風信子荘)」について書かれた本に出会った。ヒアシンス(風信子)という文字が目に入った時、文庫に名前をつけること、その名は風信子(ヒアシンス)文庫だと瞬時に決まっていたように思う。私が名前を考えて決めたと言うより、天から降ってきたもののように思える。後日、いそいそと近くのホームセンター行き、ヒアシンスの球根を両手でこぼれ落ちるほど買い求めた。3月半ばの今、文庫の前の庭先で白、青、ピンク、紫の花が春のまだ冷たい風に揺れている。

産の森学舎と さんのもり文庫のこと

ヒアシンス(風信子)文庫に本の出前の注文があったのは2015年の10月頃だっただろうか。文庫に本の出前の注文が舞いこむとは思いもよらないことだった。最初に出前の注文をしてくれたのは、文庫から車で10数分で、海と山が間近な佐波という集落の中にある`産の森学舎`というフリースクールだ。かつては牛舎として使われ、その後は納屋だったスペースの2階をスタッフが自ら改修して、2015年4月に開校、3名(小学1年生2人、4年生1人)で始まった小さな学校に4年後の今は22名が通っている。昨年4月からは児童2名の中学部も始まった。

スタッフは開校時の3人の子どもたちの両親である大松康、くみこ夫妻と西尾博之、昌子夫妻、それに隔週だが「おんがく」と「しぜん」の外部講師として河合拓司さん(ピアニスト/作曲家/即興演奏家)と野島智司さん(ネイチャーライター、興味深い「マイマイ計画」という活動を主宰)のお2人だ。《「くらし」と「あそび」と「まなび」をひとつながりで見つめ直す》ことから、体験・表現・対話などを大切にした、こどもも大人も成長する場作りを目指されている。

「しぜん」の授業を担当する野島智司さんの著書
「小学部では《5つの基本コンセプト》をもとに、授業や一日の流れを組み立てていきます」と、まずこの小さな学校の目指すものが掲げられている。

 1.からだ全体で学ぶ
 2.じっくり丁寧に学ぶ
 3.湧きあがってくるものを大切にする
 4.あそび、くらす中で学ぶ
 5.お互いに学び合う

小学部の1日の流れをみると、8時半から朝の会(「輪になって座り、話し合いや歌あそびをしながら大きな家族のような一日の始まり」)
9時から異年齢学級による2時間1コマの授業。『大人が自分の大好きな分野について、その面白さと「好き」を伝える時間。五感や身体性をともなうワークショップ形式の授業を主』とする。『子どもたちは、他者の「好き」の窓 を通じて世界と出会い、やがて自分自身の「好き」と出会います。』
(かつて吉田秀和さんが朝日新聞の「音楽展望」でだったか、「書くというのは自分(私)の好みを普遍化?すること」という言葉を思いだす。)

「授業の種類」を聞いて、驚いた。(こんなやり方があるのか)
・もじとかず
・美術
・音楽
・しぜん
・自学(「手づくり教材を使った自習時間」)

そうしてさらに驚いたのが、
11時から始まる、「食事の準備・食事」の時間。
ホームページの言葉をそのまま紹介したい。
食事の準備は学びの宝庫。地元の無農薬農家から直接届く旬の野菜と伝統的な製法でつくられた調味料を使って、当番の子どもたちが昼食の支度をします。その日ある食材を見て献立を考えるところからスタート」
(子どもたちが決める当番の決め方にも驚かされた。)

13時頃から始まる「自由活動」の時間の過ごし方にも目を見張った。
食後は、自分がどのように過ごすかを決められる時間。本を読む子、授業の続きをする子、ごっこ遊びをする子、お裁縫をする子、田んぼでボール遊びをする子・・・それぞれの時間を思い思いに過ごします。」
15時 「日記・帰りの時間」のあり方にも!!
「片付けを済ませたら、一日を振り返る日記をつけます。年度末などに読み返し、子どもたちが自分の成長を自分で見出す記録となります。」
15時30分 下校

《『好き』を通して 自分と向き合う  『好き』を使って 世界とつながる》を目指す
中学部についは、そのほんの一端の紹介にとどめる。
(興味をもたれた方は、下記の学舎のホームページをご覧ください。)

「中学部では《5つの基本コンセプト》に加えて、学びのサイクルをインプット(知識を得ること)ではなく、アウトプット(知識を使うこと)から始めるための《6つのアウトプット》を意識して、興味・関心のある事柄を自ら探求できる「自立した学び手」を目指します。」

よく考えられた《6つのアウトプット》の内容、それが単なるお題目ではなく、スタッフの一人ひとりが、自然体でしなやかに日々実践されていることに驚かされる。

1.問いを立てる
2.対話をする
3.デザインをする
4.探求する
5.協同する
6.表現する

食事の当番をふくめ、私自身子どもたちにまじって参加したいと思う時空がそこに広がっている。わたしが子どもだったら、なんとしても通いたい学校だ。

産の森学舎  http://www.sannomori.org/


さんのもり文庫のこと 風信子(ヒアシンス)文庫への本の出前の注文

産の森学舎では開校した年の11月、`さんのもり文庫`を開設、「ひとはこ本棚」(本棚10箱はスタッフの手製)に出展を呼びかけ、出展者のお気に入りの本を展示している。(現在では土、日を各2回の9日間)子どもたちの出展もある。風信子文庫にも声がかかり、1回目から毎回、本の出前をしている。

それぞれの「ひとはこ本棚」の上には、さんのもり文庫で用意されたA4の大きさの用紙がはってあり、そこには、

・・・・・・・・・・・・・さんのほんだな
・おしごと・じこしょうかい

・このほんをえらんだりゆう(テーマ、おきにいりのりゆう、どんなひとによんでほし
 いか、など)

・いつもほんをよむのは・・・(じかん、ばしょ、きぶん、りょうなど)

の欄があり、出展者それぞれの言葉が書かれていて、私にとっては出前先で、こんな本があるんだ!!と出展された本を見る楽しさだけでなく、本と人との出会いの生き生きとしたあり方が伝わってくる手書きの文字と対面するうれしい時間でもある。とりわけ子どもたちが一生懸命に書いたと思われる言葉に幾度となく惹き込まれている。風信子文庫が(その出前で)私に授けてくれた思いもしなかった贈り物だ。
また、`さんのもり文庫`の本がおかれている場所は、私が何度も頭をぶつける太い梁が低く部屋の中央に走っている小さなスペースで、子どもたちが本と出会う場としてこの上ない空間になっている。その場に身をおくだけで懐かしい時間が紬だされているように思われる。

さんのもり文庫への出前の本

さんのもり文庫に出前 2018.2.2
出前の本
本の出前 2つ目の注文は・・・`ノドカフェ`

さんのもり文庫への本の出前が始まってから2年が経った2017年の10月だったか、本の出前をできないだろうかということで自宅に訪ねて来られた方があった。坂本敏幸、強美(きよみ)さん夫妻と生後7ヶ月の、のどかちゃんだった。お話によると糸島市内では初めてのブックカフェをJR 筑前前原(まえばる)駅から、歩いて10分くらいの所で始めるとのこと、`さんのもり文庫`で風信子(ヒアシンス)文庫を知ってやって来られた。ブックカフェの名前は`ノドカフェ`

       ノドカフェ www.facebook.com/nodocafe313/

『上野英信 闇の声を刻む』展に協賛して

11月の開店の初回から出前をすることになった。ちょうどその時期に福岡市文学館で福岡市総合図書館と市の赤煉瓦文化館を会場にして、実によく準備され充実した内容の展示や講演会等が企画されている時だった。『上野英信 闇の声を刻む』展(11/10 ~12/17)がそれで、風信子(ヒアシンス)文庫からは、勝手に協賛『上野英信 闇の声を刻む』展として、英信さんや、上野晴子さん、上野朱さん、雑誌『サークル村』や山本作兵衛さん、森崎和江さん、谷川雁さん、葦書房の久本三多さん、現在は石風社の福元満治さんなどの本を出前した。


上野英信・上野晴子・上野朱さんの本
『王国と闇 山本作兵衛炭坑画集』葦書房 1981(昭和56)、『筑豊炭坑繪巻 山本作兵衛畫文』1973
『追悼 上野英信』上野英信追悼録刊行会 制作・裏山書房 印刷・山福印刷 製本・ゴトー紙工 1989
上記の2冊と同じ(うち『筑豊炭坑繪巻 山本作兵衛画畫文』も葦書房 1973(昭和48)


『サークル村』
『闘いとエロス』三一書房 1970 / 『ははのくにとの幻想婚 森崎和江評論集』現代思潮社 1970
『まっくら』三一書房 1977 【初版『まっくら 女坑夫からの聞き書き』は理論社刊 1961 】
 


新聞に「ノドカフェの開店」を知らせる紹介記事。

毎日新聞【2017年(平成29年)12月10日(日)】の地域欄に、本棚の前で敏幸さんがのどかちゃんを抱え、強美さんが、本の表紙に上野英信、晴子夫妻の写真が載っている『蕨の家 上野英信と晴子』(上野朱著 海鳥社)の本を、表紙を見せて両手で持ちカメラに向かっているカラー版の大きな写真が掲載されている。「上野英信さんの関連本を集めたコーナーを開設した「ノドカフェ」の坂本さん夫妻」と写真の紹介文を掲載している。

3段の記事の右側に2行の大文字の縦文字の見出し。

いとしま先月オープンのブックカフェ
「ゆっくり良い本楽しんで」

また上段にも横書きの見出し。さらに大きな活字で。

炭鉱記録作家 上野英信さん特別展

(本文は以下の通り)
【糸島市前原中央3で11月にオープンしたブックカフェ「ノドカフェ」で、筑豊地域の炭鉱の暮らしを伝えた記録作家、上野英信さん(1923~87年)の著作など約30冊を集めた特別展が開かれている。17日まで。【青木絵美】 17日まで
カフェは坂本敏幸さん(56)と強美(清美)さん(42)夫妻が「良い本をゆっくり楽しめる空間を」と始めた。愛読書を中心とした約400冊を自由に読める。また、同市で自宅を開放して文庫活動をする元公立図書館長、才津原哲弘さんの協力で、テーマに沿って本を紹介する特別コーナーも設けた。

上野さんの関連本の展示は、没後30年に合わせて福岡市総合図書館などで開催中の企画展にちなんだ。妻晴子さんや長男朱(あかし)さんの書籍、炭鉱を撮った写真集、ユネスコ「世界の記憶」に登録された炭鉱記録画家、山本作兵衛の画集などを並べた。強美さんは「本を通じ、炭鉱労働者の懸命な仕事の上に成り立つ今の豊かな暮らしを改めて知ることができる」。午前11時~午後5時で木曜は休み。ワンドリンクの注文を。
ノドカフェ 090・1852・1102。】

『詩集小さなユリと』復刻版 黒田三郎 夏葉社(武蔵野市吉祥寺北町1-5-10-106)2015.5
【白猫のちらし・・・『アルテリ七号 ほんのり発売』】 
坂本さんご夫妻によると、この記事を見て来店された方が何人もあったとのこと。

驚いたのは、それから1年を過ぎて、自宅の近くの龍国寺というお寺での集まり
にでかけていた時、休憩の時間に私に声をかけてこられた女性がいて、ノドカフェで文庫書き手の本を見たことを話され、かつて上野英信さんの告別式に参加され、その際に入手されていた配布資料(「惜別 上野英信さん:告別式1987.11.29・上野英信告別式実行委員会)  、その方にとってとても大切なものと思われるものを、わざわざ私に(実際は風信子文庫にだとおもう。)持ってきてくださったことだ。40数年前にも、同じような経験をしたことが思い返される。それは私にというよりは、何か託されたもののように思われて授かることにした。



内容:①表紙の裏側に英信さんの「写真」を掲載(毎日新聞社刊『江成常夫写真集・百肖像』より、【この写真の撮影時のことについては、上野朱著『蕨わらびの家』に「百肖像」と題する一節があり、撮影を巡って心に刻まれるエピソードが記されている。またその前のページには「風の歌」と題する上野朱さんの母晴子さんの「心に吹いていた風」をめぐっての、心しんとする文章がおさめられている。】
②「著作目録」著書の表紙の写真・16タイトル

③『私の緑化闘争』上野英信(月刊グリーン・パワー 1987年8月号掲載;「この一文は一九八七年五月、九州大学病院入院中に執筆されたものである。

この小さな冊子には、1枚の新聞の「切り抜き」記事がはさみこまれていた。【『わらびのともしび』上野朱】の一文だった。(西日本新聞2018.9.9)「筑豊文庫」とは何か、それはどのような場であったのか。「わらびのともしび」とは何かが、心深く伝わる文章だ。

上野英信さんのこと 「上野英信展 ━ 闇の声をきざむ」

上野英信さんが亡くなられて 32年、上記の新聞記事で、あるいは福岡市文学館が主催した没後30年の企画展で初めて上野さんの名前とその足跡を知った人も少なくないと思われる。上野英信とはどんな人か、どのように生き、その`闇の声をきざむ`仕事を通して、いまを生きる私たちの前に何をおいているのか、何を問いかけているのか。なぜ今、上野英信なのか、この度の福岡市文学館で上野英信展を企画した学芸員が書いたと思われるチラシの裏面の文章から、上野英信さんの姿がたち現れてくるように思う。

チラシ(その裏面)から

「記録文学者、上野英信。大日本帝国陸軍兵士であったひとりの男が原爆にあい、地獄と化した心身を抱えてたどり着いたのは筑豊の炭鉱だった。一筋の光もささない坑内に、男は、赤い旗を立てる。闇を拠点として男は、坑夫となり、作家となった。近代以来炭鉱は、日本資本主義の原罪を一身に引き受けた場所であった。どこまでも奪いつくされて坑夫は、しかし英信に、人間とは何か、労働とは何か、人が人を信じるとは、愛するとは、連帯するとはどういうことなのかを教えた。言葉を奪われ続けた彼らは、誰より豊かな言葉の持主だった。闇に潜む言葉を我が手に手繰り寄せようとして英信は、一歩またいっぽと、闇深く、魂不覚へと、ペンの力で掘り進んゆく。「下罪人」として生きて、毛sれてゆく坑夫たちの地底の声を、自らもまた帝国主義の「業」を担ぐモノとして、一心に記し続けた。そこに火床があると信じ、闇を砦に「日本を根底から変革する」のだと願いきざまれた「地獄そのものとしての人間」の言葉をいま、私たちの場所に聞きたいと
思う・・・・・・・・・・・・・・・・・」

チラシ(裏面)






一枚のチラシ(そのデザイン、文章)からも伺がわれることだが、このたびの上野英信展は「闇にきざむ」という直截な展示名に始まり、展示,講演、読書講座等とじつに濃密な内容であり、改めて上野英信展を企画された学芸員の渾身の力をつくしての取組みが偲ばれる。なかでも学芸員の田代ゆきさんが企画した深々とした思いこもる図録「2017福岡市文学館企画展 上野英信 闇の声をきざむ」別冊「上野英信 編著者一覧」には、その内容の多彩さ密度の高さに驚かされた。

図録「上野英信 闇の声をきざむ」福岡市文学館編集・発行 2017.11 .10 (1000円/税込み)
「別冊 図録」

第1章下放する・第2章記録文学者・第3章地底からの通信・第4章追われゆく坑夫と共に・第5章弔旗をかかげて・(別冊/編著者一覧)の本文の構成と文章の力はもとより、図録に収録されている英信さんの手書きの原稿の写真や英信さんと晴子さんの足跡を示す、思わず見入ってしまう貴重な写真の数々、その一枚一枚の写真が語りかける声の力に驚く。筑豊文庫の項の19枚の写真からは、そこにどのような人たちが行きかい、どのような時空があったかが伝わってくるかのようだ。文庫に集う子どもたちの表情、黒髪の、そして白髪まじりの英信、晴子ご夫妻の眼差し、丹前?を着た岡村昭彦さんの笑顔、笑顔で語りかける英信さんをまっすぐ見つめている石牟礼道子さんの姿、そして笑みを浮かべて語っている森崎和江さんにも出会える。

図録制作にあたった井上洋子、坂口博、田代ゆき、前田年昭。図録組版の前田年昭、デザインの長谷川義幸さんたちスタッフのみなさん、図録印刷をした城島印刷株式会社に感謝の思いを伝えたくなる1冊だ。

また、図録の裏表紙に記載されている協力者の文章も紹介したい。

【企画展示および図録制作につきましては多くの方々から貴重な資料、情報のご提供をいただきました。厚く感謝申し上げます。

資料提供・協力(五十音順・敬称略)
上野朱
池田益美、伊藤和人、緒方絵美、岡友幸、花だ理枝、 裴昭、松尾孝司、宮田昭、本橋成一、山福緑
田川市石炭・歴史博物館
葦書房、岩波書店、潮出版者、大月書店、海鳥社、影書房、講談社、径書房、社会新報、筑摩書房、ニライ社、未来社、大和書房、理論社、山福印刷、琉球新報 】

裴 昭、ペ・ソさんについての注記:図録76頁の山本作兵衛さんと(『画文集 炭坑に生きる』講談社、1967年10月の著者)上野英信さんの写真を撮影(1984年9月)。フォットジャーナリスト。著書に『となりの神さま:ニッポンにやって来た異国の神々の宗教現場』影書房 1988.10。】 

影書房と松本昌次さんのこと。影書房からは『上野英信集』(戦後文学エッセイ選全13巻中の12巻)が2006年2月15日に出版されている。影書房は松本昌次さん(前影書房代表)が1983年に、それまで編集者として1953年4月から30年近くいた未来社を辞め、同社にいた米田卓、秋山順子氏と始めた。その松本昌次さんが今年の1月15日、狭山市の自宅で亡くなられた。(1927~2019.1.15  91歳)振り返ってみると私は読者の一人として、未来社以来の松本さんの編集者としての仕事から、深い元気を授かり続けてきた。哀悼と感謝の思いを胸に、『上野英信集』の末尾に記された【編集の言葉  松本昌次】を引用しておきたい。

編集のことば   松本 昌次
「戦後文学エッセイ選」は、わたしがかつて未来社の編集者として在籍(一九五三年四月~八三年五月)しました三十年間で、またつづく小社でその著書の刊行にあたって直接出会い、その謦咳に接し、編集にかかわらせていただいた戦後文学者十三氏の方々のみのエッセイを選び、十三巻として刊行するものです。出版の一般的常識からすれば、いささか 異例というべきですが、わたしの編集者としてのこだわりとしてご理解ください。

ところでエッセイについてですが、『広辞苑』(岩波書店)によれば、「①随筆。自由な形式で書かれた個性的色彩の濃い文章。②試論。小論。」とあります。日本では、随筆・随想とも大方では呼ばれていますが、それは、形式にこだわらない、自由で個性的な試みに満ちた、中国の魯迅を範とする”雑文”(雑記・雑感)といってもいいかと思います。

つまり、この選集は、小説・戯曲・記録文学・評論等、幅広いジャンルで仕事をされた戦後文学者の方々が書かれた多くのエッセイ=”雑文”の中から二十数編を選ばせていただき、各一巻に収録するものです。さまざまな形式でそれぞれに膨大な文学的・思想的仕事を残された方がたばかりですので、各巻は各著者の小さな”個展”といってもいいかも知れません。しかしそこに実は、わたしたちが継承・発展させなければならない文学精神の貴重な遺産が散りばめられているであろうことを疑わないものです。

本選集刊行の動機が、同時代で出会い、その著書を手がけることができた各著者へのわたしの個人的な敬愛の年であることはいうまでもありません。戦後文学の全体像からすればほんの一端に過ぎませんが、本選集の刊行をきっかけに、わたしが直接お会いしたり著書を刊行する機会を得なかった方々をお含めての、運動としての戦後文学の新たな”ルネサンス”が到来することを願ってやみません。
読者諸兄姉のご理解とご支援を切望します。     二〇〇五年六月

「編集のことば」に続く「付記」も『上野英信集』がどのようなものか、どのように生まれたかを簡潔に述べている。あわせてその全文を引用する。

『付記』
本巻収録のエッセイのほとんどは、『上野英信集』全5巻(径こみち書房 一九八五年二月~八六年五月刊)を底本としつつ、各初出単行本にもあたりました。
本巻には特に、著者が晩年、趙根在氏と全力を投入して監修した『写真万葉録・筑豊』全10巻(葦書房 一九八四年四月~八六年一二月刊の『1 人間の山』の「あとがき」、『10 黒十字』の「終わりに」の二篇と、『廃鉱譜』(筑摩書房 一九七八年六月刊)の「あとがきに代えて」、および『上野英信集』全五巻の各巻「あとがき」五篇を収録しました。それぞれが上野英信氏の生涯とその仕事を語るにふさわしいエッセイと考えたからです。収録をご快諾下さった葦書房、径書房にお礼申し上げます。なお、「ボタ拾い」は、連載された五〇篇のエッセイから三〇篇を抄出させていただきました。

本巻の編集・校正にあたっては、上野英信・晴子ご夫妻のご子息である上野朱あかし、ひとかたならぬお力添えをいただきました。また、カバーに使用しました版画「昇抗」は、著者が生前制作されたわずか二枚の版画のうちの一枚で、本書のために新たに摺って上野朱氏がご提供下さったものです。末尾ながら記して深い謝意を表します。
(以上)

この度の福岡市総合図書館一階ギャラリーで開催された『上野英信展 闇の声を刻む』において、『上野英信集』の表紙に使われた版画の作品が、『上野英信の絵画』として、たたの貴重な絵とともに展示されていた。これらが「図録」に収録されている。また、「図録」には、この「版画」について書かれた上野晴子さんの「最初の夏」と、「ぼくは本当は絵描きになりたかった」と言っていた父」について上野朱さんが書いた「絵描きになりたかった物書き」もあわせて収録されている。

先の松本昌次さんの『付記』の文章の中で、上野朱さんの名前がそこだけ、上野朱と太い活字で刻印されていたが、文字通り、松本さんが上野朱さんから「ひとかたならぬお力添えを」授かったことを表されたものだと思われた。『図録』の作成者が、『図録』の末尾の「資料提供・協力(五十音順・敬称略)」の項の初めに、お一人だけ上野朱さんの名前を記載し、行を改めて他の協力者の名前を連ねて記載しているのも、上野朱さんの「ひとかたならぬ」力添えに対しての同じ思いからのことだはないかと思えた。

上野朱さんのことでは、最初の著書『蕨わらびの家 上野英信と晴子』(海鳥社2000.6)
を読んだ時、わたしは同じ時代を生きる書き手の中で、その人の文章を読むことがわたしにとって、楽しみであり、喜びである書き手が新たに現れた!と感じた。そして2冊目の著書『父を焼く 上野英信と筑豊』(岩波書店 2010.8)でその思いをいっそう深くした。
『蕨に家』の「はじめに」の





福岡市文学館発行 2017.10.15 連絡先/福岡市総合図書館文学・文書課
「文学館倶楽部」No.25(2017.10.15) 2頁
この図録が各地の図書館で誰もが手にし、見られるようであってほしい。(通常の出版流通ルートにのっていないこのような一冊を見逃すことなく発注し購入して自らの図書館の蔵書としていくことが、司書の仕事であると思う。)また、福岡市文学館が作成したパネル等を借り受けて、それぞれの図書館で工夫をこらした形で展示する図書館がでてきて、そのバトンが次々に手渡されていったらと思う。

2月の初め、ノドカフェでのうれしい出来事

ノドカフェには、当初は月に1度、現在は2ヶ月に1回の周期で本の出前をしている。持っていく本はテーマのある時も、無いときもある。その時節折々の本、またブックカフェの坂本さんの希望がある時は、できるだけそれに応えてと考えている。

2月1日、本の入れ替えで訪ねた時、坂本さんから「こんど、本(新刊本)の販売を始めました。今は思潮社、ナナロク社、夏葉社、雷鳥社の本です。まだこれからも、直接出版社と交渉して増やしていきます。」とお聞きし驚いてしまった。この小さなスペースのブックカフェで新刊本を販売される(ソンナコトガ出来ルンダ!!)とは。しかも出版社の名前を聞いてびっくり、いずれも私にとって興味深い本を出版していて、図書館で働いていた時にも、各社の本には確実にその出版を待ち受けていたと思える読者がいて、図書館の蔵書を豊かにしてくれる出版社であったからだ。

夏葉社のこと        

4つの出版社のうち、夏葉社だけは、私が図書館を退職してから始められた出版社で、私は夏葉社と言う出版社が新しく始められたことを全く知らずにいた。2014、5年(㍻26、7年)頃、東京に出かける機会があり、たまたま入った吉祥寺の古本屋で、子どもが描いたと思われる表紙の絵(父親を描いたのだろうか)の力、思わず手にとりたくなる本の装丁に惹かれて手にした本が黒田三郎の『小さなユリと』(1960 昭森社版 復刻)であることに驚き、早速買い求めた。本の代金を支払っていた時、若い店主と思われる女性から、「その本を出版した夏葉社さんは近くにありますよ」と聞いたものの、他日、夏葉社を訪ねることになろうとはその時、思ってもみないことだった。ましてや後日、夏葉社が復刊した前川恒雄さんの『移動図書館ひまわり号』(1988年筑摩書房から出版されていたが絶版になっていた。)の復刊を記念し、滋賀の図書館を考える会が主催した集まり(【志のバトンをつなぐ~前川恒雄【移動図書館ひまわり号」復刊記念の集い】、前川さんと夏葉社の島田潤一郎さんの対談、草津市、2016.9.2)に博多から夜行バスでかけつけることになるとは。夏葉社、そして夏葉社の本との本との出会いについては他日、稿をあらためて。

 夏葉社 natsuhasya.com

一冊の本との出会いから、次々に広がっていく新たな人や本との出会い、犬も歩けばと言う次第です。

追記

後日、ノドカフェの坂本強美さんから電話があり、「こんど、『アルテリ』を取り扱うことになりました。」とのこと。出前の本で、石牟礼道子さんの一周忌のときに、『花を奉る 石牟礼道子と渡辺京二の本』と題して、関連する本を持って行ったことがある。その本の中に、『アルテリ』の何号かも入っていた。

人口10万人をこえる糸島市だが、本屋さんはわずかに2店しかなく、そのいずれの本屋さんも『アルテリ』をおいていない。これまで、市外のあちこちの本屋さんで買い求めてきたが、これからは市内で、しかもこの小さなブックカフェで購入できる。今日、3月29日、早速購入してきた。2ヶ月ぶりの『ノドカフェ』の本棚は面白そうな本が一気にふえているように思えた。明日は出前の本の入れ換えをするため、今日に続いてでかけるが、その本棚をみるのが楽しみだ。

坂本敏幸さんは自然農をしていて、自然農の野菜の販売、強美(きよみ)さんはリラクゼーションの施術も。

販売している本、新たな出版社の本も見られる。

風信子文庫(2月~3月) 森崎和江さんの本など

子どもの本も。
『アルテリ』
『アルテリ』について
創刊号 2016年2月22日発行〈年二回発行予定〉
「アルテリ」七号 2019年2月22日〈年二回発行予定〉

発 行  アルテリ編集室 熊本市中央区新市街6ー22 橙書店内
表紙写真 磯さくら
デザイン 大畑広告準備室
協 力  清正(猫)、タロー(猫)

雑誌は編集後記から読む。創刊号の「編集後記」が面白い。無断引用は禁じられているため、引用はできない。興味ある方はぜひ手にしていただきたい。

渡辺京二さんのある一言から始まったとある。「アルテリ」はどんな意味か。熊本ゆかりの人たちの、どんな思いがそこにこめられているか。何を目指しての場であるか。

創刊号の表紙には波板のトタンを屋根と壁に打ちつけている古い建物の写真
表紙を開くと、同じ建物だが、より不透明で輪郭がおぼろな写真

その写真のページをめくると
目にとびこんでくるのは

雑誌「アルテリ」刊行に寄せて   石牟礼道子さんの言葉だ

最初の言葉に うたれる
それにつづく言葉に うたれる
そして ゆらめく場からも なお  
若い人たちに ことばをおくる
石牟礼さんの いのちの声に おどろく

次のページはめくらないでも、書き手はその人にちがいない 
どんなタイトルか  興味深い

「激励」 ソウなんだ

その次はなんだろう わからない

そうか 目次 がくるのか

目次には十二人の名前

名前を聞いたことがあるひと ないひと
そのいのちのこえに 耳をすませたい
























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