2007年から糸島に移り住み、思いを同じくする人たちと「としょかんのたね・二丈」を始め、志摩地区の「みんなの図書館つくろう会」、二丈深江地区の「糸島くらしと図書館」の人たちと共に、糸島のより良い図書館づくりを目指して活動してきた。「糸島の図書館は今、どうなっているのか」、糸島図書館事情を発信し、市民と共に育つ糸島市の図書館を考えていきたい。糸島市の図書館のあり方と深く関わる、隣接する福岡市や県内外の図書館についても共に考えていきます。
2025年5月17日土曜日
カンタ!ティモール(うたえ!ティモール)をみる No.138
5月18日(日)、糸島市前原でドキュメンタリー映画「Canta!Timor カンタ!ティモール うたえ!ティモール」をみる
ことができた。私は東ティモールについても、またこの映画についてもまったく何も知らない状態でこのドキュメンタリー
と対面した。この映画会は5月17,18日と2日間にわたって、しかも監督の広田奈津子さんを愛知県から迎え、110分間の上
映後には広田監督のお話会(60分)、引き続き参加者との自由な対話の時間(50分)も組まれていて、主催者のこの上映の
場にかける思いが、チラシのプログラムからもうかがえるように思えた。縦21センチ、横14.8センチの小さなチラシには
大きな文字で「糸島上映会 + 広田奈津子監督お話会」と記されている。
上映会を主催した川本さんは、1年前、東京でこの映画をみたとのこと、そのあと移り住んだ糸島で2日間にわたって、しか
も監督の広田さんを呼んでという上映会の場をつくられたのだ。その企画の内容というか、思いの深さに驚かされる。
ここでは、この小さなチラシのコトバを順不同で紹介したい。
"人類はひとつの兄弟なのさ
父もひとり、母もひとり
大地の子ども
憎んじゃだめさ、叩いちゃだめ
戦争は過ちだ、大地が怒るよ。”
「舞台は南海に浮かぶ神々の島、ティモール。
ひとつの歌から始まった運命の旅が、音楽あふれるドキュメンタリー映画となった。
この島を襲った悲劇と、それを生き抜いた奇跡の人びと、その姿が、世界に希望の光をなげかける。
当時23歳だった日本人女性監督は、人びとの暮らしの中で現地語を学び、彼らの唄に隠された
本当の意味に触れてゆく。そして出会う。光をたたえるまなざし。詩のようにつむがれる言葉の数々。
それは見る者の胸をそっと貫き、決して消えない余韻となる。
日本が深く関わりながら、ほとんど報道されなかった東ティモールの闘いをとりあげた、国内初の長編。
自主映画ながらも感動は国境を越え、5カ国100カ所以上の上映会で会場が心を震わせた、愛すべきエチュード。」
”3.11以降の日本人の生き方のヒントが、この映画にはつまっている。”
監督:広田奈津子
助監督/音楽監督:小向(こむかい)サダム
監修:中川 敬 ソウル・フラワー・ユニオン
南風島(はえじま)渉 フォトジャーナリスト”いつかロロサエの森でー
東ティモール・ゼロからの出発(たびだち)”他
ドッキュメンタリー/カラー/DV/110分/4:3/ステレオ
2012年東ティモール日本/日・英・テトゥン語
字幕:日・英・仏・テトゥン語/自主制作・初監督作品
公式サイトwww.canta-timor.com
STORY 東ティモールで耳にした、ある青年の歌。日本帰国後もメロディが耳に残って離れない。
監督たちは青年を探すため島へ戻る。そして一つの旅が始まった― ̄ ̄
「ねぇ仲間たち ねぇ大人たち 僕らのあやまちを 大地は知っているよ」
歌はこう始まっていた。
直接的な言葉を歌え命に危険が及ぶ、インドネシア軍事統制下にひっそりと謳われた歌だった。
青年に連れられて、監督たちは島の奥へと入っていく。
そこに広がるのは、精霊たちと共にある暮らし。青い海、たわわに実るマンゴー、はじけるような笑顔の人々。
常夏のおおきな太陽に照らされ、深い影を落とすのは、人々の命を奪った軍事侵略。
報道にのらない地下資源ビジネス、日本の驚くべき行動。
3人に1人が命を落としながら、彼らが守り抜いたもの―
「悲しい。いつまでも悲しみは消えない。でもそれは怒りじゃない。怒りじゃないんだ。」
「人は空の星々と同じ 消えては 空をめぐり また必ず 君に会える」
弾丸が飛び交う中、人々は命をわけるように助け合い、そして笑い、歌った。
大地に生かされ、輪になって踊る、遠く懐かしい風景。
いつのまにかティモールの旅はそっと監督たちに問いかける。
愛すべきふるさと、日本の島々の姿を―
彼らのことばが、
うたが、
いつまでも
心をはなれないのは、
それがほんとうの
物語だから。
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