2024年2月29日木曜日

「空白の天気図」・・・広島へ No.124

2月19日と20日、広島市に出かけた。叔母から被爆時前からの話を聞くことと、 平和祈念館の企画展を見るためだった。国立広島原爆死没者追悼平和祈念館では、 企画展「空白の天気図―気象台員たちのヒロシマ―」を2023年3月15日から2024年 2月29日まで1年間にわたって行っていた。私がこの企画展を知ったのは今年の1月 半ばを過ぎてからのことだった。 「空白の天気図」は柳田邦男さんの著作のタイトルだ。49年前の1975(昭和50年)に新潮社 から出版されている。1936(昭和10)年、栃木生まれの柳田氏は1960(昭和35)年春NHKの取材 記者として広島赴任を命ぜられ、それから3年3カ月広島に勤務し、主に原爆報道を中心に報道の 仕事に携わっている。東京では気象や災害問題を主要なテーマとし、そのため気象庁に出入りす る機会が多かった。そして1967(昭和42)年7月、西日本各地を襲い、佐世保、呉、神戸などに 300人以上の犠牲者をだした「西日本豪雨」に出会う。とりわけ呉では600か所以上で山崩れや崖 崩れが発生し、死者は88人に上った。 「この災害を調べるうちに、呉では昭和二十年の枕崎台風で死者行方不明千人を越える大災害が 起こっていることを知った。しかも枕崎台風は、呉のみならず広島県下に未曽有の惨禍をもたら したこと、災害の規模が大きくなったのは、県の中枢である広島市が原爆で壊滅した直後で、 防災機関の機能が麻痺していたためであること、などの事実も知ることが出来た。私の広島時代 の取材は、あまりにも「八月六日」のことにばかり目を向けていたため、「九月十七日」のこと など思いも及ばなかったのであった。気象庁に保存されている中央気象台の「枕崎・阿久根颱風 調査報告」を読んだのは、この「西日本豪雨」がきっかけだったのだが、それを読んではじめて、 「戦争が終わったと思ったら今度は台風じゃった。あの台風はすごかった。石は飛ぶし、宮島の 厳島神社の回廊が高潮で浮き上がったのじゃからのぉ。」 と、かつて広島の老記者から聞いるかのsらた話が、私にとってもようやく現実感をもってよみ がえってきたのだった。このとき私の胸の中に、漠とした形ではあったが、広島について書くべ きものの構想が生まれた。」    それから取材と調査が始まる。1974(昭和49)年夏には、「私は本書を含めて書きたいものがあ まりにもたまり過ぎたため、NHKを辞めて執筆に専念することに」し、翌年の1975(昭和50) 年9月に刊行されている。枕崎台風のことを知るきっかけとなった1967年の「西日本豪雨」から7 年後のことだ。 本書の紹介については、稿をあらためてと考えているが、原爆投下の前後の広島の時空に、活字 をおう私自身が立ち会っているとも感じられる描写、その克明な記述に驚かされた。原爆で壊滅 した街の中でどのような一人ひとりの生と死があり、またその惨禍の地を襲った枕崎台風がどの ようなものであり、そこにまたどのような生と死があったか、その一人ひとりが眼前に立ち現れ てくるように思われた。 原爆死没者追悼平和祈念館では、今回の企画展にあたって、A4サイズのチラシ作っている。 「空白の天気図―気象台員たちのヒロシマ―」と太文字で記された表がわには 麦わら帽子をかぶり、立って櫓を両手にもつ男性(船頭)の横顔が紙面の右下に写っており、 左下には、茶色の戦闘帽をかぶり同色の作業服の上着を着た青年の後姿が映っている。 柳田著の「空白の天気図」では、その青年が渡し船の上で閃光にさらされ、濡れ鼠とも幽霊と もつかぬすさまじい形相で6人火傷を負いながらも、歩いて気象台のある江波山を上り、辿り着 いた本科生として、その後のあり様とともに詳細に描かれている。なお写真上に、副タイトル として「観測し続けた者たちの記録」と記されている。 チラシの裏側には、チラシの右側の上段には「元広島地方気象台の関係者たち」として6人の写 真が載っている。うち3人は職員であり、2人は気象技官養成所本科生(うち1人は気象台に定時 に出勤していて、閃光のあと、顔から足先まで身体の右側一面に無数のガラス片が刺さりひど い出血、重症)、一人は重症を負った本科生の姉。 チラシの右側、下段には「迷彩を施された広島地方気象台」の写真。 そして、チラシの左側には、この度の企画展の趣旨が次のように記載されている。 「空白の天気図―気象台員たちのヒロシマ― 1945年8月6日、原爆は広島市に甚大な被害 をもたらしました。爆心地の南方3.7km に位置する広島地方気象台でも、爆心に面 した窓ガラスは割れ、職員の中には重症を 負うものが少なくありませんでした。 その状況下でも、「気象観測を担う者は、現象 についての時間的な変化を絶えず記録しな ければならない」と、最新の気象データを 中央気象台に伝えるため、3名の若手 台員が市の中心に向かいました。しかし、 そこで彼らがした目にはしたのは、まさに地獄絵図 と呼べるものでした。 さらに、被爆後わずか1か月後に広島を襲っ た枕崎台風は原爆被害を一層深刻なものにし ました。気象台員たちはこの二重災害の被害 を後世に教訓として伝えようと、現地へ出向 いて一人ひとり詳細な聞き取り調査を行い、 貴重な調査報告書にまとめました。 今回の企画展では、観測者の視点から記録 された被爆体験記をもとに被爆の実相を明ら かにします。」 ☆この度の企画展の会場で放映されたビデオが祈念館のホームページで見ることができます。  ぜひご覧ください。 国立広島原爆死没者追討平和祈念館 TEL:082ー543-6273  FAX:082ー543ー6273 ホームページURL:https://www.hiro-tsuitokinenkan.go.jp/ 〒730―0811 広島市中区中島町1-6