2021年3月9日火曜日

3月11日 龍国寺で ”黙想(もくそう)の場が・・・No.66

私は長いことパソコンにはなじまず、それを身近に触らざるをえなくなったのは、 図書館を退職してからのことだ。資料作りやその伝達のため、パソコンを頻繁に 使い始めた頃、私にとっては、かけがえのない人との出会いがあった。私が必要 とすることに、なんでも、どんなことでも一から教えていただいた。その中で、 私がやっていることを見て、ぜひブログを始めてはとすすめ、根気よくその道を 開いてくださり、(その都度、自宅で)、いつでも、どんなことにも応えていた だいてきていた。しかし、昨年の6月ころから、体調をくずされて入院され、ご 連絡が取れない日が今に続いている。この間、その前から、パソコンのことで、 わからないこと、手におえないことが起きた時いつも、教えていただいてきたの が、近くの龍国寺の若住職の甘蔗(かんしゃ)健仁さんだ。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 現在、ブログが私にとっては、思いもよらないソフトの改変などにより、従来と は、違う様式となっているため、文章の改行が画面ではうまくできず、読みにく い長い文章になっています、先生にご連絡がとれずちゃんと補正できない中、ひ とまずは、入力だけはしておこうと考えてのことですが、ほんとうに申し訳ない 次第です。 ____________________________________ 地域の広場とも思われる龍国寺は、私にとっての文字通り駆けこみ寺であるどこ ろか、健仁さんには、幾度も幾度も駆けつけていただいてきた。今日もまた。 そして今日は龍国寺での大切な場づくりのことを知らされた。拝啓ではじまる 甘蔗和成和尚さまからのお知らせだ。 その全文をご紹介し、3月11日に想いをよせるお一人お一人へのご案内としたい。 コロナ禍での地域の活動の一つをお知らせしたい。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 拝啓 皆様におかれましては、いかがお過ごしでしょうか。緊急事態宣言が解除され たとはいえ、まだ安心できる状況ではありません。以下二点お知らせいたします。 一、今回の春彼岸棚経は再度延期します。  ただし、お寺はお彼岸期間も変わらず開けておりますので、どうぞお参り下さ い。またコロナウイルスの拡大防止のため、検温、手指の消毒、マスクの着用等 にご協力下さい。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー ニ、黙想(もくそう)  東日本大震災よりまもなく十年を迎えます。三月十一日はお寺の本堂に祈りの場 を設けます。 一時間ごとに、震災で亡くなられた方々のお供養を致します。隋流室(ずいりゅう しつ)では密を避け坐禅、瞑想、写経ができます。今の思いを手紙にかくこともで きます。書き上げた写経やお手紙はお位牌の近くにお供え致します。 初めてのことでどれぐらいお参りが有るかわかりません。密の様子を御自分で判断 して出入りして下さい。詳細は左記をご覧下さい。            敬具 ーーーーーーーーーーー記 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー ●日時 3月11日(木) ●会場 龍国寺(糸島市二丈波呂四七四)     今回は予約や申込みはいりません。 【プログラム】 ★9時~本堂にて読経(10分程)  終わって、隋流室にて  坐禅、慈悲の瞑想、写経など ★毎時   同じく(清流室)、同じく  21時閉門 (お願い) この場は坐禅、瞑想を通して深い意識に通じている方もおられます。 話をせず静かにお参り下さい。 以上 龍国寺住職 甘蔗和成 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 宗派や信心の有無にかかわらず、どなたでも祈る場をとの願いの場で、健仁さんによれば、 お寺のなかにはいらなくても、寺のうち外で、それぞれに佇みお祈りの場の機縁になれば とのお話でした。(お許しをえてのご案内です)
 

2021年3月5日金曜日

読書会の出前 始めます。  No.65

三瀬村で始まった読書会については、「図書館の風」No.61で少し触れましたが、 そこでの、何とも面白いひと時から、”読書会の出前”を、という思いもよらむ何かが 私の中に舞い降りた。ノドカフェに出かけた日、坂本さんにそのことを話したら、 「ここで、やりましょう」と、あっというまもなく、第1回目が始まることになった。 _________________________________ こんなご案内(チラシの気分で)です。 ご案内の改定版をさいごの頁に掲載しています) ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 読書会の出前 ― お声かけにより参上します ○ どんな読書会か (90分~120分) ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー ・1回きりの読書会です。読む本は決まっています。    『移動図書館ひまわり号』前川恒雄 筑摩書房 1988 絶版          夏葉社 2016 復刊(いずれでも、入手できる本)     〈本はノドカフェ・前原090-1852-1102で注文できます〉 〇会を開くにあたって ・人数 3人以上・かならず読んで参加すること・資料代1人300円 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 〇どんな人に呼びかけをしているか   「図書館ってなんだろう?」  「図書館は何をするところ?」   「地域に図書館があるってどういうこと?」   「身近に図書館はありますか?」「図書館を利用してますか?」 「リクエストしてますか?」「図書館を使いこなしていますか?」  「今、図書館を利用していないのは、なぜですか?」「どんな図 書館がいいですか」《図書館に関心のある人・ない人 (と思っ   てる)人・だれでも》 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー ☆ なぜこの本か(著者の前川恒雄さんについては裏面に)1月、三瀬村 で、この本で小さな読書会をした時、一人一人の感想に驚きました。特に 図書館について考えることはなかったいう方が大半したが、「図書館っ て、こんな歩みをしていたんだ」「図書館ってこんなことをするところ なんだ」と、口々に、本ではじめてきく図書館の話に、その方のそれま での図書館観の揺れを語りだしたのです。1冊の本のもつ大きな力を感 じさせられました。感想のことばの面白いこと! ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 小さな場で、各自の図書館像を語りあう場をもってみたい、 一人ひとりのよりよい図書館の利用の仕方を語りあう 出前の読書会をと考えた次第です。  (お声かけ・ご注文は・・携帯またはメールで) 糸島市二丈・才津原哲弘(さいつはら):携帯090-5045-2559 メール:itokazedayori@gmail.com : www.kazedayori.jp ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 第1回の日時・・・2021年4月2日(金)11:00~ 場所:ノドカフェ(糸島市前原中央3-18-18-2階 ☎ 090-1852-1102(休み:ほぼ月・木曜)
前川恒雄(前川・つねお) 1930年生まれ。〔1930.10.9~2020.4.10 89歳〕石川県出身。___ 小松市立図書館、七尾市立図書館、日本図書館協会を経て、65年、東京都 日野市立図書館長。日野市助役を務めたのち、80年、滋賀県立図書館長、 90年から98年まで甲南大学文学部教授を務める。___________ 著書に『前川恒雄著作集1~4』(出版ニュース社)、『新版 図書館の発見』 (NHK出版)、『われらの図書館』(筑摩書房)などがある。 【(『移動図書館ひまわり号』夏葉社 2016.7.15)より。 漢数字は算用数字に。生年および没年を注記。】 _______________________________ 前川恒雄さんは1965年、日野市で1台の移動図書館から図書館をはじめ、 翌年、2台目の移動図書館を運行するとともに、順次5つの分館をつくり 1973年に中央図書館、1977年に6館目の分館である市政図書館をつくった 日野市立図書館の初代館長。――― 「利用者に最も望まれている貸し出しが公共図書館の基本的サービス」 であることを図書館の運営の指針として、「いつでも」「どこでも」 「だれにでも」「なんでも」を目指す「市民の図書館」づくりを実践し、 「図書館が何をするところか」をだれの目にも鮮やかに示して、市民一人 ひとりの「図書館の発見」を促した。〈「リクエスト」は日野から始ま った)〉―――――― 1980年、滋賀県立図書館長として招へいされた。当時、滋賀県では50の 自治体のうち市や町の図書館は6館だけで、全国で最低位の図書館の状況 であったが、91年3月までの11年間で、「県立図書館は何をするところか」 を明らかにする実践とともに、県内公立図書館の利用度が全国でもっとも 高い地域となる道をひらいた。―――― 【「日本の図書館革命は、実践的には、1965年9月の日野市立図書館の開 館で始まった。」(浪江虔『図書館そして民主主義』「図書館革命進行 中」〈この数値を見よ。〉ドメス出版 1996〉) 「日本の図書館革命は、実践的には1965年9月の日野市立図書館の開館で 始まった。翌66年度の資料決算額は1015万円であったが、人口7~8万の 他の23市(日野は7万6千)の平均は92万円で、日野はその11倍、一方 1千万円以上は6都府県、2大市、2大区(東京の)ですべて人口70万以上 であった。まさに革命といっていい。」 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 読書会の出前 ご案内 改定版・表(最新版)2021.3.12 以下の通りです。ーーー ーーー読書会の出前 ― わたしの・みんなの・地域の図書館を!  ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 〇どんな読書会か (90分~120分) 〈お声かけにより参上します〉 ・1回きりの読書会です。読む本は決まっています。    『移動図書館ひまわり号』前川恒雄 筑摩書房 1988 絶版、         夏葉社 2016 復刊、(いずれでも、入手できる本で) ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 〇会を開くにあたって〔本はノドカフェ・前原090―1852-1102で注文可〕 ・人数 3人以上・かならず読んで参加すること・資料代1人300円 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 〇どんな人に呼びかけをしているか  「図書館ってなんだろう?」  「図書館は何をするところ?」  「地域に図書館があるってどういうこと?」  「身近に図書館はありますか?」  「図書館を利用してますか?」 「リクエストしてますか?」  「図書館を使いこなしていますか?」 「今、図書館を利用していないのは、なぜですか?」「どんな図書館がい いですか」《図書館に関心のある人・ない(と思ってる)人・だれでも》 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー ☆ なぜこの本か(著者の前川恒雄さんについては裏面に)1月、三瀬村で この本で小さな読書会をした時、一人一人の感想に驚きました。特に図書 館について考えることはなかったいう方が大半でしたが、「図書館って、 こんな歩みをしていたんだ」「図書館ってこんなことをするところなんだ」 と、口々に、本で、はじめてきく図書館の話に、その方のそれまでの図書館 観の揺れを語りだしたのです。1冊の本のもつ大きな力を感じさせられまし た。感想のことばの面白いこと!小さな場で、各自の図書館像を語りあう場 をもってみたい、一人ひとりのよりよい図書館の利用の仕方を語りあう出前 の読書会をと考えた次第です。 (お声かけ・ご注文は・・携帯またはメー ルで) ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 糸島市二丈・才津原哲弘(さいつはら):携帯090-5045-2559 メール:itokazedayori@gmail.com : www.kazedayori.jp(図書館の風) --------------------------------------------------------------------- 改定版(裏) ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 前川恒雄(前川・つねお)―― 1930年生まれ。〔1930.10.9~2020.4.10 89歳〕石川県出身。小松市立図書館、七尾市立図書館、日本図書館協会を経て、 65年、東京都日野市立図書館長。日野市助役を務めたのち、80年、滋賀県立図 書館長、90年から98年まで甲南大学文学部教授を務める。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー__ 著書に『前川恒雄著作集1~4』(出版ニュース社)、『新版 図書館の発見』 (NHK出版)、『われらの図書館』(筑摩書房)などがある。 『移動図書館ひまわり号』夏葉社より復刊 2016.7.15;『未来の図書館のた めに』夏葉社 2020.12.25〈解説;島田潤一郎、「あとがき」前川文(前川 恒雄 長女):表紙・見返しの写真は漆原宏(1979.3.28日野市立中央図書館BM 「明るい日ざしのもとで」、1976.11.9同BM「見て、見て」) ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 前川恒雄さんは1965年、日野市で1台の移動図書館から図書館をはじめ、 翌年、2台目の移動図書館を運行するとともに、順次5つの分館をつくり1973年 に中央図書館、1977年に6館目の分館である市政図書館をつくった日野市立図書 館の初代館長。「利用者に最も望まれている貸し出しが公共図書館の基本的サー ビス」であることを図書館の運営の指針として、「いつでも」「どこでも」 「だれにでも」「なんでも」を目指す「市民の図書館」づくりを実践し、 「図書館が何をするところか」をだれの目にも鮮やかに示して、市民一人ひと りの「図書館の発見」を促した。〈「リクエスト」は日野から始まった)〉 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 1980年、滋賀県立図書館長として招へいされた。当時、滋賀県では50の自治体の うち市や町の図書館は6館だけで、全国で最低位の図書館の状況であったが、 91年3月までの10年間で、「県立図書館は何をするところか」を明らかにする実 践とともに、県内公立図書館の利用度が全国でもっとも高い地域となる道をひらいた。 【「日本の図書館革命は、実践的には、1965年9月の日野市立図書館の開館で始 まった。」(浪江虔『図書館そして民主主義』「図書館革命 進行中」 〈この数値を見よ。〉ドメス出版 1996)】続きはwww.kazedayori.jp No.65

2021年3月4日木曜日

うれしい知らせ・「漆原宏写真展」(妙高)  No.64

毎月、郵送で届く『図書館雑誌』(日本図書館協会)を手にして、何かもの足りないものを 感じていたわけがわかった。それを教えてくれたのは、いきなりとびこんできたメールだった。 写真家漆原宏さんのご夫人、漆原美智子さんからのメール。 ほんとうに久しぶりに、何年振りかにいただいたご連絡で、「「写真家漆原宏 病との闘い」「妙高 市の図書館とともに歩む会」をぜひ検索してください。そして、広めてくださると嬉しいです。この メールが繋がって嬉しい限りです。」とある。何より嬉しいのは私の方だ。その文面からブログに お名前をださせていただくこともお許しいただけると思う。---------------------------------- メールが届いた翌朝、珍しく5時に目覚めた私はユーチューブで早速、検索すると「写真家漆原宏 病 との闘い」と「漆原宏写真展(妙高市の図書館とともに歩む会)」の2つの画面が現れる。 画面を開くと、いきなり美智子さんの声がとびこんでくる。妙高市の写真展の会場で車椅子の漆原宏さん の傍らで、宏さんの心の声に重ねて、美智子さんのつややかな張りのある声、お元気なご様子。 漆原宏さんのくつろいだ表情。いつもお2人から元気を手渡されてきたが、今、この画面からも深い元気 を手渡される。からだのお具合がよくないと風のたよりに聞いていたが、この10数年、そのように過ご されていたことをあらためて知らされる。--------------------------------------------------- 病いとの闘いの日々の中で、「病気と生活は地続きだ」と考える、訪問診療医、岩間医師との出会いを 通して週2回、漆原さんを訪ねてこられる82歳のお話のボランティアの堺八郎さんとの場面など、懐かし い漆原さんにお会いする。 ------------------------------------------------------------------------------------------ 筆不精の私だが、漆原さんご夫妻には、年に一度の年賀状だけはださせていただいていたが、ある 年、賀状はこの年で最後にとの言葉があり、以後ご連絡をしないできていた。だからこの度のメールが どんなに心うれしいことであったか。 動画によると、「漆原宏写真展 ぼくは、図書館がすき」は昨年、2020年11月19日から23日まで、「妙高 市の図書館とともに歩む会」の主催で新井総合コミュニティセンターを会場にして開催されている。同会 の馬場さんが、会場で写真展開催の経緯や会の活動について語っている。最初は漆原さんの図書館の写真 集を図書館でリクエストをして借り、その内容に打たれて写真展を企画したこと、そして漆原さんについて 語られている。 --------------------------------------------------------------------------------------------- 図書館で漆漆原さんの図書館の写真集をリクエストしたことから始まったというのがいいなと思う。そして 漆原さんに連絡をとり実現されたというのが嬉しい。図書館での1冊の本との出会いから、ある願いが生まれ、 その願い を同じ思いをもった人たちと形にしていく。図書館は一人ひとりの願いが生まれ、その願いを力を合わせて 実現していくところでもあるのだ。 そこで馬場さんが語っている言葉がいい。関心ある方はぜひ、ご覧を。 ------------------------------------------------------------------------------------------- 漆原宏さんと初めて出会ったのは私が博多駅の近くの財団法人博多駅地区土地区画整理記念会舘(以下、記念 会館という)で働いている時だった。1階に232㎡の小さな図書室があり、館長(福岡市職員の定年退職者) 1、正規職員2(司書1、事務職員1、〈その後事務職は嘱託となり、さいごは私が経理も担当)、臨時職員 2(司書)という職員体制で、2階、3階には有料の会議室や無料の憩いの部屋(広い和室)などがあった。 福岡市から3億5000万円の基本財産の寄付をうけ、その利息で施設の管理、運営を行っていた。当時は今から みると利率が高く、年間2000万円をこえる利子と会議室の使用料が収入で、それで施設の維持管理費や人件 費などをまかなっていた。図書費は年間300万円だった。 ---------------------------------------------------------------------------------------- 私は千葉県八千代市の図書館(1972.4~1974.3)を2年間で退職した2年後、1976(昭和51)年5月30日に人 口100万人をこえる福岡市でようやく開館した福岡市民図書館に、たしか開館1か月後位から嘱託職員として 働き、主に市内に160くらいあった文庫に団体貸出しの本を配本していた。 ------------------------------------------ そんな中、福岡市が20年以上かけて行った博多駅周辺の土地区画整理事業が完了したのに伴い、この事業の 地域の協力にたいする市の対処として記念会館を建設したのだった。そして、そこに小さな図書室がある ので、財団の職員としていかないかという話だった。図書の選書も、書架の発注もすでに行われていて、そ の内容にかかわることはできなかった。(書架の入り口よりの2列をより低くできただけ)それで、図書の 受け入れ準備を含め記念会館の開館準備のため1979(昭和54)から司書として働き始めた。 当時、市立図書館は福岡市民図書館の1館のみで、各市民センターにある図書室(東・南・中央。昭和56年 以降、西・博多・城南)は組織上、図書館の分館ではなく、公民館図書室の位置づけだった。 --------------------------------------------------------------------- このため私は私の場は財団法人の図書室であるが、意識としては図書館の分館として働くという考えであっ たと思う。予約、リクエストは当たり前のこととして行ったが、当時の県内の状況は、それを図書館の基本 的なサービスとして取り組んでいるところは少なかった。”リクエストに応える駅前図書館”として新聞に 掲載されたこともある。記念会館には車がなかったので、自転車やタクシーで築港本町にある市民図書館に 本を借りに行ったりしていた。 年を経るに従って、100万人の大きな市で図書館が1館しかないことの問題が切実に感じられるようになって いたと思う。 --------------------------------------------------------------------------------------------- 漆原宏さんが記念会館図書室にやってきたのは、そんな時だった。事前の連絡もなくいきなりやって来られ た。その時は私は漆原さんについてまだよく知っていなかったと思う。その年が1987年ではないかと思うの は、「福岡の図書館を考える会」を1987年に始め、半年以上かけて『2001年 われらの図書館―すべての福 岡市民が図書館を身近なものとするために―」(47頁)を会員でつくり、考える会で1988年1月24日に発行し ていることから、さかのぼって類推してのことだ。 ----------------------------------------------------------------------------- 漆原さんからは私にとって幾人もの生涯にわたって大切な人を紹介されてきたが、その最初の人が、仙台市 で「仙台にもっと図書館をつくる会」の代表をされていた扇元久栄(おうぎもと ひさえ)さんだった。 記憶が定かでないけれど、何か差し迫った状況の中にあったのか、扇本さんへの初めての電話を深夜にかけ たようだ。その電話の直後、扇本さんからもっとの会の会報や公開質問状をはじめとする資料がどっさりと 送られてきて、その活動のすさまじさに目を瞠った。とりわけ「仙台にもっと図書館をつくる会」の実行機 関として、考える部会、伝える部会、広める部会がある、との活動報告には心打たれるものがあった。そう だ、「考える」「伝える」「広める」、このことが要のことだと受け止めた。そして福岡の会では、「考え る」こととして、『2001年 われらの図書館・・・』づくりにとりかかったのだった。以後、扇本さんには さいごのさいごの時まであたたかく、深いものを授かり続けた。〔扇本久栄さんから手渡されたものについ ては、『としょかん村』に書いているが、前半部分、中途で終わっている。続きは他日にと考えている. ------------------------------------------------------------------------- 2004年5月4日、能登川町で井上ひさしさんと中村哲さんの対談を核とした「宮澤賢治学会地方セミナー」 を開催、開会の辞にかえて、”私は井上ひさしの追っかけです”と自称されていた扇本久枝さんが、宮澤賢 治の『注文の多い料理店 序』を朗読された。実際は覚えておられるのだが、巻紙に書かれた「序」を暗唱 された。その録画は”図書館の風No.49-(2)”でみられます。)〕  -----------------------------------------------------------------------------------------------〕 漆原さんを思うと、墨田区立八広図書館長、そしてご出身の佐賀市立図書館長をされ、「本のある広場」とし ての図書館を実践された千葉治(ちば おさむ)さんが一体となって思い浮かぶ。 そして、たまたま上京したさい、漆原さんと千葉さんが大澤正雄さんと伊藤峻さんと同席の場をつくってく ださったことも、私にとってかけがえのない出来事だったと、なんど思い返したことだろう。このような図 書館の先達の粘り強い、強きにくじけない、笑いとユーモア、そして歯ぎしりの歩みがあってこその図書館 の今ある道であることを銘記したい。 伊藤峻さんは早くに、そして千葉治さん、大澤正雄さんのご訃報が相次ぐなかで、私はあらためて漆原さん のことを思う日々を過ごしていたのだった。 漆原さんのこれまでの歩み、そして漆原さんとのあの時、その時の出会いがもしなかったとしたら、私自身、 どこか違う道を歩んでいたのではと思うことしきりだ。 ----------------------------------------------------------------------------------------------- そして奥さまの漆原美智子さんに初めてお会いしたのは、多分1987、8年のこと。「福岡の図書館を考える会」 では、「図書館の話」の出前を行っていた。当時、福岡県柳川市でお寺の住職をされていた美智子さんから、 出前の注文があったのだ。考える会の若い仲間、臨時職員として働いていた元気な2人の女性とスライドを持参 でお寺にでかけた。たしか当日は蚊帳の中に泊めていただいた。だれかれの話をじっくり、ゆったり深く聞か れる美智子さんのお寺は、駆け込み寺のようで、人が行き交い、そこで安らぎと元気を手にされている場所だと 心明るくなる印象をうけた。その後の「柳川の図書館を考える会」の行動には、ほんとうに元気づけられた。 後日、かなり時間が経ってのことだが、滋賀県立図書館長の澤田正春さんが福岡に来られた時、美智子さんたち と一緒に当時の柳川市長にも話に行っていただいたこともあった。 そしてまた、ある年月を経たある日、漆原宏さんから電話をいただいた。静かな弾む声で、美智子さんんと 共に生きられることを伝えられた。何ともうれしい知らせだった。このような出会いがあるのだと、ふかーい 安堵の思いにつつまれた。よかったなー。 ------------------------------------------------------------------------------------------------ 最初のところで、『図書館雑誌』に何か物足りないものがあると、無意識のうちに思っていたものとは、漆原 さんが、毎号、『図書館雑誌』の巻頭(目次の前の頁)に掲載されていた「漆原宏のフォト・ギャラリー」が なくなっていたことだった。毎号、日本各地の、それまでほとんど知らなかった図書館の写真がそこに掲載さ れていたのだ。その一枚一枚は、図書館が何をするところか、大人も子どもも、住民一人ひとりにとって、 図書館はどんなところであるかを、一つ一つの図書館の名前とともに、そのぺーじを開くものの目と心にきざ んでいたのだと、今にして思う。また、写真が掲載された図書館の職員方のたちは、その掲載を、写真に写っ た人たちとともに喜んでおられたのだと思う。そのことで、図書館の現場に励ましを送り続けたフォト・ギャ ラリーであった。一隅を照らし、図書館の一刻一刻がとらえられた一枚一枚であったと思う。ここまで書いて さらに思いうかんだこと、それは漆原さんが訪れた図書館のそれぞれの現場の職員はもちろん、利用者をまき こんでの漆原さんとの会話から生まれた豊かな時間のことだ。私も、漆原さんの一言ひとことから、普段なか なかみることが難しい気づきを度々授かったものだった。 --------------------------------------------------------------------  『図書館雑誌』への漆原宏さんの写真の掲載  85巻9号(1991.9)からコラム「窓」とともに掲載、  87巻1号(1993.1)から「漆原宏ギャラリーコーナー」が付与、  88巻4号(1994.4)から110巻3号(2016.3)まで単独コーナー「漆原宏ギャラリーコーナー」  (日本図書館協会に照会:2021.3.4) --------------------------------------------------------------------------------------------------- 最後に私の好きな漆原さんの本 『地域に育つ くらしの中の図書館 漆原 宏 写真集』ほるぷ出版 1983年12月 私が持っているのは第2刷で1988年3月の出版、漆原さんにお会いした後から購入したみたいだ。 いつも身近にある1冊。写真はもちろんのことだが、タイトルがいい。図書館を育てるものは何か、市民にとって 図書館とは何か、図書館が目指すべきものが、そこに簡潔に示されている。一枚一枚の写真が示す図書館の働き、 司書の働き、そして図書館長とは何をする、どのような人かを示す一枚の写真、子どもや大人や高齢者にとって 図書館は何であるかを示す写真の数々。菅原峻さんの言葉をお借りすれば、図書館の今日と明日がそこにあるよ うに感じる。 ----------------------------------------------------------------------- また、この本を私はこの時、その時というときに、くりかえして読んできた。 何かあると、それぞれの解説の文章に立ち返ってきた。苦心してやっと書き上げたと思ったものの源流がここに あることに、後になって気づくことも少なくなかった。解説の森崎震ニさんと漆原さんお二人の言葉が私の中に 入っている、のだろうかと思ったりしてきた。 ------------------------------------------------------------------------------------------------ 2地域の図書館 「図書館は身近になければ、日常の用に役立ちません。お正月とか、お盆とかに年一回使えば済むというものでは ないからです。だからその地域になければなりません。」 から始まる「2地域の図書館」の文章は、著者をはなれて、みんなの文章であるようにも思ったりする。 ----------------------------------------------------------------------------------------------------- 以下 1 生涯にわたる自己教育 3くらしの中の図書館 4こどもは本好き 5図書館利用に障害のある人々に 6職員が図書館活動を支える そして、さいごの「あとがきにかえて」は、全体の集約であるとともに、それぞれの課題とこれからの方向性 (地域図書館・自動車図書館・町村立図書館)を的確に指し示していて、図書館の明日を考えるのに一読、再読 したいものです。
次いで
そして
『ぼくは、図書館がすき 漆原宏写真集』(日本図書館協会 2013.4.30)の「あとがき」から

2021年2月28日日曜日

犬も歩けば(8)ノドカフェからの贈りもの No.63

2月のはじめ、自宅から車で15分、JR筑肥線筑前前原駅からは徒歩7分の所にある、 ブックカフェ「ノドカフェ」に本の出前に行った。
本を並べ終わったあと、お茶をいただきながら、この日もとても面白そうな本を坂本さんから教わった。 以前も、まったく知らなかったブレイディみかこさんのことを聞き、どの本も読むごとに、私にとっては 大切な書き手、著者に出会えたことに、うれしい思いを重ねている。『ぼくはイエローでホワイト』から 読み始め、今は『女たちのテロル』を驚きながら読み進めている。金子文子、エミリー・デイヴィソン、 とマーガレット・スキ二ダーが章の交互に書かれている。金子文子の名前を知ったのは鶴見俊輔『ひとは 生まれる』(ちくま少年図書館 1986)によってで、この本の出版直後に読み、以後、金子文子や朴烈に 関わる本に注意してきた。エミリーもマーガレットもこの本で初めて知ったのだが、このような人とその 生涯があったことに驚くばかり。ブレイディみかこさんは、どのようにして、その足跡をたどったのかに も関心が向くほど、心打つ二人の歩みが記されている。その手掛かりになるかと思い、「アイルランド独 立運動の中心人物の一人であるマルキエビッチ伯爵夫人と同じくらいマーガレットに強い印象を与えた人 物、ジェームズ・コノリー(アイルランド市民軍のリーダー)」について「なぜジェイムズ―・コノリー は蜂起したのか――幸徳秋水、大杉栄と対比して」(鈴木良平『法政大学教養部紀要』91号)を、何と か読みたいと思い、法政大学図書館に連絡し、同大学の機関リポジトリで見られるところまで、たどり ついたところだ。 こんど新しく教えていただいた著者は繁延あづささん。その『山と獣と肉と皮』がとても面白かったとい う坂本さんは、実際に繁延さんのお話を聞いてみたいという。そのように感じ、考えて、実際にその場を つくっていくことを考える。そのような動き、とてもいいなと思う。 繁延あづさんは写真家。。兵庫姫路市生まれ。2011年に東京・中野市から長崎市に引越し。夫、3人の子 どもとと暮らす。雑誌や広告で活躍するかたわら、ライフワークである出産や狩猟に関わる撮影や原稿 執筆にとりくんでいる。 主な著書に『うまれるものがたり』『長崎と天草の教会を旅して』(共にマイナビ出版)など。「母に友」 および「Kodomoe]で連載中。 後日、坂本さんから、ノドカフェでの繁延さんのお話会が決まったと連絡をいただく。 その案内文です。  【かわいそうとおいしそうの境界~「大と獣と肉と皮」繁延あづささんお話会」 近所に住む猟師のおじさんに興味を持ったことから引き込まれる世界。山、狩猟、 猪肉料理、命の循環がが、一緒に体験しているかのように身近に感じられる本です。 向き合う死の「かなしみ」を「うれしい」にまで昇華させる料理。犬を放つ猟では、猟犬も猟犬に「なって いく」過程にハッとしました。地球環境や動物愛護の面で培養肉も開発されていますが、これからの食べ物 が命ある生き物である必要性は?命でなければ有難みは無くなるのか?という事が気になって、皆さんと話 をしたいと思っています。 日時:3月7日(日)13:00~15:00 場所:ノドカフェ 定員:12名ほど    参加費:2000円(ドリンク付き) ご予約はメッセージくださいませ 繁延あづささんプロフィール     上記の紹介文とほぼ同じため省略。 なお、すでに予約でいっぱいとなり新たな申し込みはできません。
2月下旬、注文していた『山と獣と肉と皮』をとりに、ノドカフェを訪ねると、繁延さんの本や関連する本が たくさんおいてあって、すっかり長居をしてしまった。至福の時間を授かった。

2021年1月30日土曜日

猿がきた そして大きな鳥が 家のまわり 田んぼのまわり No.62   

猿がきた そして大きな鳥が 「あっ サル」 室内にいた家人の目の前を猿がかけぬけた。サルが駆けて行った家の西側の何本かの 果樹が植わっているところを、西側の窓からみると、夏ミカンの木の枝の下側が揺れ ている。玄関をでてそっと近づくと、一匹の猿が気配を察したのか、すぐににげ出した。
リビングにもどり、ベランダの先をみるとサルが夏ミカンを食べている。おいしそう。 食べ残しを手に動きだす。東側の細い坂道をなんども立ち止まり、こちらをふりかえり ながら歩いて降りていった。 家に帰ると、「わー、サルがいっぱい」と家人。
私の目には、家の南側の燐家の広い畑の中を走り、斜面をかけのぼっていく数匹のサル しか見えなかったのだが、その畑の先の栗の木の下に20匹はいたという。私が見つけ る前に姿を隠してしまった。餌を求めて集団で移動しているのだ。この時期、これだけ のサルたちの餌を見つけるのはとてもきびしいことだと思われる。 田んぼの作業 一昨年の12月、市役所に申しこんでいた、猪防止用の鉄の柵が1月7日に届いた。その日 は雪の降る寒い日だった。私の車には入らず、波多江さんから軽トラをお借りして運ん だ。数日後、田んぼの周りにとりつける作業を始めた。朝はやく犬を散歩されている近 所の農家の福島さんが、取り付けの要領を教えにわざわざ来てくださった。支柱にたて た鉄の棒を細い針金で巻き付ける時に道具があり、持ってきて貸してくださった上、そ の使い方の実技指導。また、鉄柵の組み合わせ方などを教えていただいた。何枚かの鉄 柵を一緒にたてて帰っていかれた。ほんとうにありがたいことだ。 最初の作業は、65枚の鉄柵(H120×W200㎝)と鉄の支柱(169㎝)と留め金を設置す る場所に置いていく。数時間かかった。 それから草刈り 数日後、天気のよい日に、鉄柵を立てるあたりの草を草刈り機で刈る。 1月17日(日)鉄柵を立てる位置に、鉄柵、支柱、留め金をおいていく。(14:30~16:30) 1月22日(金)鉄柵と支柱を立てる(12:10~17:20)       猿がきたのは、この作業の合間、昼食に帰った時だった。
1月27日(水)鉄柵と支柱を針金で結束する。留め金をうつ。(9:30~13:30)       細い針金を結束する道具を福島さんからお借りする。このような道具が       作られていることに驚く。
鶴がきた 1月29日 昼前、リビングにいた時、田んぼに4羽、大きな鳥が降り立った。何年かま前、 コウノトリが数羽やってきたことがあり、てっきりコウウノトリではないかと思い足を潜めて 田んぼに向かった。ゆっくり近づいて行ったが、7羽が目にはいるやいなや鳥たちはすぐに飛 び立ってしまった。高く舞い上がり西の海の方へとんでいく。3羽と5羽がひとかたまりで。 急いでカメラを向ける。飛ぶ姿に瞬時、言葉を失う。 コウノトリが来た時、教えてくださった下村さんに報告にいくと、すでに知っておられた。 マナヅルだとのこと、昨日から13羽が近くの堤の池にきているとのことだった。

2021年1月23日土曜日

年のはじめに ごあいさつ          No.61 

あけましておめでとうございます          2021年 春  新しい年のはじまりどのようにお迎えでしょうか。 糸島に住み始めた2007年から始めた米作りは昨年で14回目となりま したが、昨年は夏の長雨とはじめてウンカの被害に見舞われました。 近所の農家の方の話では、収穫は例年の3分の2位とのことでした。 「お宅は農薬もやっていないのによく育っているね」と言われまし たが、ウンカの被害(約50㎡)はあったものの、昨年の6割増しの 実りを授かりました。これは田植えをこれまでで一番早く終えたか らではないかと思います。と言っても実は世間並みの時期でしたの で、いかにこれまで滅茶苦茶であったかということでもあります。 自然農は天地、自然の声をよく見聞きして、その声に即して行うこ とを体感しました。  コロナ禍の中で、いくつもの出会いの時が取りやめになりました。 あらためて日々の一つひとつの出会いの大切さ、ありがたさを痛感し ています。出会えなかった出会いを思うことしきりです。  昨年は人との出会いとともに本との出会いの時でもあったように 思います。1冊の本との出会いから次々に広がる出会い(亡き人、未 知の人)との。 【『知らなかった、ぼくらの戦争』アーサー・ビナード、小学館: 23人の語り部の驚くばかりの体験と歩み;著者の歩みと出会い; 木島始→菅原克己『遠い城』・(飯田進)→「げんげ忌」小沢信男 『捨身なひと』『通り過ぎた人々』→『「新日本文学」の60年』 「六十年近くの読者として」鶴見俊輔さんダ・・】アーサーさんと その本から、佐賀の三瀬村の山中での2か月に1度の6人での読書会が 始まったのも思いもよらぬことでした。 itokazedayori@gmail.com ブログ: www.kazedayori.jp  昨年、出会った本から  1.『絵が語る八重山の戦争 郷土の眼と記憶』潮平正道(南山舎)。 1933年石垣島生まれの画家が75年前、少年の目で見た八重山の戦争を 描く。戦争の本当の苦しさ悲しさを伝える一枚一枚の絵が語るものに 言葉を失う。著者の目に焼きつけられた国民学校3年生のころから旧 制中学校1年生までの記憶が読者の眼前に現出。 2.『原爆投下部隊 第509混成群団と原爆・パンプキン』工藤洋三、 金子力 共著 発行は2人の著者。 『知らなかった、ぼくらの戦争』で驚くばかりの著者の活動を知る。 アーサー・ビナードさんにとって「歴史認識が変わる本」であった由。 糸島市の図書館でリクエストし、愛知県図書館から借り受け。『遠い 城』(西田書店)と共に。 3.『魂の邂逅 石牟礼道子と渡辺京二』米本浩二 新潮社: 『評伝石牟礼道子』についで書かれるべき待望の書。二人の長く深い 道行きと,石牟礼さん逝ってなお石牟礼さんと伴に歩み続ける渡辺氏 を鮮やかに描出。何という出会いだろう。

2020年12月31日木曜日

愛知県から届いた2冊の本   No.60 

 いつも利用している糸島市図書館の分館、二丈図書館でリクエストした本のうち2冊が 愛知県図書館から届き借りてきた。(11月13日)今回は相互貸借について。 1.『原爆投下部隊 第509混成群団と原爆・パンプキン』工藤洋三、金子力 共著:発行 著者 第509混成群団は原爆投下のために特別に編成おされ、「広島と長崎の原爆投下と原爆投下の訓練のためだけに30の都市に49発の長崎型模擬原爆「パンプキン」を落とした。1万ポンド、5トン爆弾(日本の空襲に使われたのは1トン、約2千ポンド) 同書を所蔵する全国の図書館 長崎2館( 長崎市、長崎県立・大村市)、山口2館( 県立、周南市)、広島1(県立)、大阪2(羽曳野市、大阪市)、愛知5(県立、豊田市、春日井 市、岡崎市、名古屋市)、三重2(県立、津市)、富山1(県立)、新潟2(新潟市、長岡市)、神奈川2(横須賀市、横浜市)、東京1(都立)、宮城2 (仙台市、多賀城市) 九州で所蔵するのは長崎県の2館のみ、もっとも多いのが愛知県の5館、東京が都立の1館のみに見られるように、全国的にみて(全国で22館)、ほとんどといえるほど知られていない状態だ。