2022年11月29日火曜日

「福岡市は図書館砂漠のまち」って?どういうことか No.104

福岡市長選挙公開質問状の添付資料についての説明です。(どんな資料を添付したか) 公開質問状には、資料Aと資料1~3の4点の資料を添付しています。 公開質問状では11の質問をしていますが、なぜそのような質問をしたか、その根拠となる資料です。 《資料Aについて》・・・・・・・ 1⃣資料AはブログNo.101に掲載していますが、「図書館を楽しむ」市民ネットワーク・福岡の市民の会が、福岡市の図書館が直面している課題、問題点だと考えていることを、できるだけ簡潔に書いたものです。 「私たちはなぜ公開の質問をするのか?ーー「公開の論議を!」と題しているのは、幼児からお年寄りまで、すべての福岡市民に関わる「福岡市の図書館の今とこれからの問題」について、福岡市が、「市民のだれもが」利用できる図書館像とそれに至る道を、これまで市民に示し提示することなく今日に至っていると考えるからです。  ーーーーー 2⃣《図書館砂漠のまち=福岡市を図書館のある街に〉(2022.11)   この言葉に福岡市民である私たちの願いと希望がこめられています。   住みよいまち、住み続けたいまち、市民が誇りとするまちには、   市民の暮らしの中に、市民の身近に、市民の生活圏に図書館が必要です!  ーーーーー 3⃣《福岡市は図書館砂漠・・・市民の身近に図書館がない!》  とはどういうことか。    ※市民の利用度がきわめて低い。(コロナ禍前の2018年・平成30年度でみると)  ・市民1人当たり1年間の貸出冊数(貸出密度)は2.6点  ・政令指定都市20市の中で最下位  〈第1位さいたま市(人口131万4千)7.5点の約1/3の貸出〉  〈福岡県内53市・町の中で50位(県内第1位は水巻町13.8点)〉  ・人口30万人以上の市の望ましい貸出密度8.7点の1/3の貸出  (東京の特別区と政令指定都市を除く)  図書館を利用したいと思っても、近くにないから利用できない、  という市民があまりにたくさんいる!・・・図書館砂漠だ    ーーーーー 4⃣なぜ、福岡市民の利用がこんなに少ないのか。 (1)➡市民の身近に、市民の生活圏(中学校区)に図書館がないから。    市民の生活圏=中学校区に1館の図書館をーーー  (※中学校区設置率➡公立中学校数と図書館数1対1を100%として算出)   ・福岡市の中学校区設置率は16%(図書館数12÷市立中学校数69校×100)    福岡市(155万4千人)は人口12万9,500人に1館の図書館。  〈政令指定都市中、貸出密度第1位のさいたま市は44%、52,560人に1館。   人口131万4千÷25館=52,560人(さいたま市はさらに移動図書館1台と   サービスステーション2がある。人口比福岡市の2.5倍の図書館数〉ーーー   図書館の数が違う!   ※なぜ中学校区に1館の図書館が必要か。 ①「1.市町村は、住民に対して適切な図書館サービスを行うことができるよう、住民の生活圏、図書館の利用圏等を十分に考慮し、市町村立図書館及び分館等の設置に努めるとともに、必要に応じ移動図書館の活用を行うものとする。(略)当該市町村の全域サービス網の整備に努めるものとする。」   (”全域サービス網”の整備が要(かなめ)のことです。) 「3.公立図書館の設置に当たっては、サービス対象地域の人口分布と人口構成、面積、地形、交通網等を勘案して、適切な位置及び必要な図書館施設の床面積、蔵書収蔵能力、職員数等を確保するよう努めるものとする。」 「図書館の設置及び運営上の望ましい基準」(平成13年・2001年文部科学省告示、平成24年・2012年改正)】    1950年にできた図書館法に基づいて出された文部科学省の告示、に示された対応を、福岡市はやっていない。この一歩の歩みだしを始めていない。 ②「市町村の図書館は、おおむね中学校区を単位とした住民の生活圏に整備すること。 (市町村の図書館は、住民が日常利用する生活便利施設です。子どもや高齢者、障害者にとって身近で安心して利用できることが必要です。すべての住民が利用できる身近な図書と。館とするために、中学校区を生活圏域として考え、そこに設置することを目標とすべき。)」 (中学校区=1校区当たり平均可住地面積は約8㎢)  【「豊かな文字・活字文化の享受と環境整備ー図書館からの政策提言」日本図書館協   会.2006年、2013年改正】 ③(事例)東京都調布市(23万3千人、11館、貸出密度10.99、専任64(うち司書47) ・非常勤・臨時110) ・人口2万人、・2つの小学校区、・半径800m、左記の3つを基準に10分館設置。  10館目の佐須分館は1979年・昭和59年に開館。(数値は2018年度)    (2)資料費が少ない。(豊富な資料と資料の新鮮度が図書館の魅力であり力です。) ・市民1人当たりの資料費は78円。政令指定都市中 16位。 ・第1位は静岡市199円(貸出密度5.8,2位)、さいたま市7位、124円。 ・千葉県浦安市(2018年度)人口16万8千人、8館、貸出密度10.32、専任27(司書27)非      常勤・臨時 58(うち派遣7):1983年の中央図書館開館時から、専門職館長のもと、 「歩いて10分の図書館網を整備。21,000人に1館。福岡市12万9,500人に1館の5.6倍の 図書館数。ーーー ※福岡市と浦安市の2007∼2016年度、10年間の資料費の総額の比較。(人口比、約9倍)      福岡市(人口150万1千人)11億9,856万6千円      浦安市(人口16万4千人) 11億1,113万2千円 【福岡市の約93%】 (3)福岡市の分館の広さ(面積)・・・人口比からみて小さい。 〈理由〉 福岡市民図書館開館(1976年)の翌年から市内各区の市民センターに設置された図書     室は、当初公民館図書室の位置づけで、図書館の分館ではありませんでした。 1988年 市内全区(7区)に図書室ができましたが、それらが図書館の分館になったのは、 1996 年(平成8年)です。このため、以後新しくできた分館も当初の公民館図書 室がモ デルとして作られてきたため、その地域の対象人口にふさわしい分館として構想、計画さ れたものではなく、施設規模、蔵書数、年間購入点数、職員体制ともに不十分なものになっていることも、利用度を低くする要因となっています。ーーー 「2.地域の図書館は800㎡以上の施設面積でつくり、5万冊以上の蔵書をもち、3人 以上の専任職員を配置すること。」(前述4⃣ー(1)ー②の「図書館からの政策提言」) 福岡市の分館はすべて800㎡以下です。 東分館753㎡(旧館の新装開館で、市内分館中、もっとも広くなった。335㎡➡753㎡)、 和白644㎡、博多541㎡、博多南563㎡、中央486㎡、南478㎡、城南562㎡、早良520㎡、 西552㎡、西部610㎡、早良南672㎡(2021年6月開館)。ーーーーーー 【北九州市・八幡西図書館、3,762㎡、2012年開館、北九州市の分館16館中、もっとも      広く、貸出も一番多い。年間38万8千点の貸出(2020年度)。中央館(4,594㎡、23万6千点)、中央館の1.6倍の貸出。】ーーー 5⃣なぜ福岡市では、1976年(昭和51年)の福岡市民図書館開館以降、市民のだれもが、市内のどこに住んでいても利用できる図書館づくりが行われてこなかったのでしょうか。  そのもっとも大きな要因は職員体制にあると、私たちは考えています。〈2018年度〉 (1)福岡市155万4千人〔専任31(うち司書2)、非常勤・臨時114、派遣7〕   さいたま市131万4千人〔専任165(うち司書96)、非常勤16、派遣54〕   浦安市  16万8千人〔専任27(うち司書27)、非常勤・臨時58(うち派遣8)  人口155万人をこえる大都市の図書館に「司書」(専門職員)が2人 (2)2007~2020年度、福岡市と北九州市の専任職員(うち司書)の10年間の推移の比較。          ・福岡市 46(うち司書11)➡31(うち司書2)、11人から2人に  ・北九州市20(うち司書2)➡39(うち司書13)、2人から13人に (3)福岡市の1年間の市民の貸出しの70%をしめる11館の分館に専任職員は0。  福岡市の分館11館には、専任職員はいません。0人です。 (4)図書館長と副館長の任期について。2007~2018年の12年間で。  図書館長は6人(3年1人、2年3人、2年目1人、1年1人)。  副館長は事業管理部長事務代理9人。 いずれも短期間。福岡市の図書館の今とこれからを考える舵取り、要の専任職員が不在ではないかと考えられます。福岡市の図書館の現状と課題を考え、市民だれでもが利用できる全域サービス網の図書館計画を立案し、その実現に責任をもつ職員がいない状態が、1976以来続いています。 【公開質問8で「職員体制」について、「市の職員で司書の資格を持ち、図書館を希望する職員の配置(異動)や、新採用職員で司書」を採用することについて質問しています。】 (さいごに) すべての福岡市民が利用できる、図書館政策策定の早急な取り組みを!まず移動図書館の運行を! 【問7では「図書館計画の策定には時間と大きな経費がかかります。できるだけ早く移動図書館の運行から始めながら、基本計画づくりにとりかかれば、市民の身近に図書館をに、より早く、分館網の整備より、はるかに低い経費で取りかかれると考えますが、お考えはいかがですか。】と。ーーーーーー 資料1について ・「政令指定都市 貸出密度(市民1人当たり貸出点数)順位表2018(平成30)年度 /2020(令和2)年度の実績」 (貸出し順位はコロナ以前の2018年度の実績による。2020年度の数値は()に。 ・1位のさいたま市から最下位の福岡市まで、20市について。 ①人口②貸出数③貸出密度④到達度(人口30万以上で「望ましい数値」に対しての) ⑤登録率⑥図書館数⑦中学校数⑧中学校区設置率⑨資料費⑩人口当たり資料費 ⑪職員〔専任(うち司書)・非常勤・臨時・派遣〕 ・参考(2016年度の実績) ①東京都調布市②文京区③東京都日野市④千葉県浦安市⑤滋賀県東近江市 ・調布市の図書館計画について ・「東京都の図書館政策」(1970)について ※福岡市の図書館の資料費は、市民1人当たり78円(平成30年度政令指定都市中、16位。  これが、この年度だけでなく、ずっと低い状態であることが問題です。 言葉による説明 ①「〈図書館がある〉とは、〈図書館の看板が下がった建物がまちにある〉ことではなく、 そのまちの隅々までサービスが行きわたっていて、いつでも、誰でも、どこに住んでいて も、どんな資料でも利用できる、その態勢がととのっていることをいう。」p.15 「まちに図書館があるというのは、どこに住んでいても、住民がそこで役に立つサービス を手にすることができる、納税者にふさわしい利益を得、あるいは還元を受けることがで   きることでなければならない。図書館に必要な資料が揃い、自由に利用でき、職員のサー ビスをしっかり得られなければ、まちに図書館があることにはならない。」p.173 「本は買って読むもの、日本人は借りるよりも自分のまわりに本を置きたがる、そのよう な考えが何の根拠もないことであることは、多くの図書館の実績が示している。その実績 を生むのが十分な図書費であり、地域地域を覆うサービス網であり、職員体制であることも、 あらためていうまでもないことだ。」p.175 「図書館長は、そのまちの図書館サービスの最高責任者である。図書館の大小、自治体の 大小を問わない。住民にどのようなサービスを届けるのか。これからサービスをどう発展 させていくのか。それを考え計画を立てる。司書職員を指揮し、相談にのり、業務を滞り なくすすめていく、それが図書館長である。 ふたたびデンマークの図書館法を引くと、その第二条で「図書館長は他の職員の援けを得 て資料を選択し、自治体に対してその責を負う」といっている。住民が必要とする、役に 立つ資料群の構成が、図書館長の極めて大切な責務であることを言っているのだ。深い教 養、資料についての広範な知識、選択の理論と技法、そういったものを身につけていない で、どうして図書館長が務まるだろうか」p.33 【『図書館の明日をひらく』菅原峻 晶文社 1999年】 ②利用者にとって、図書館の魅力に関わる3つの柱 1.図書館長・・・(「図書館長の仕事」をする図書館長がいるかどうか) 「図書館とはまったくゆかりのないところから異動で来た、本に何の興味もない館長か、 それとも、専門の教育を受けて、本という海を航海する船=図書館をしっかりと操舵し ている館長か。」ーーーD=ディレクター=館長 2.専門職員・・・「中身の伴った資格を持ち、利用者の役に立つ魅力的な専門職員 がいるどうか。」・・・A=ATTRACT=魅力=魅力的な専門職員 3.新しい本「新しく内容豊かな図書をきちんと購入し続けているか」(資料費:予 算)・・・N=NEW BOOK=新しい本 【「図書館にはDNAが大事なのです」菅原峻(図書館計画施設研究所)『アミューズ』  2000年1月26日号】ーーーーーーー 資料2-(1)について  「2018(平成30)年度 福岡県内公立図書館貸出順位表」  (内容) ・福岡県内53市町の図書館の貸出密度(住民1人当たり年間貸出点数)順位表 ・①自治体名②人口当たり貸出点数(2018・2020年度③中学校設置率④登録率  ⑤人口1人当たり資料費 ・参考自治体・図書館数(貸出密度、中学校区設置率)、移動図書館=BM  ①滋賀県愛荘町2館(13.13;100%)②大阪府熊取町1館(8.27;33%) ③愛知県田原市2館、BM2台(9.7;50%)④千葉県浦安市7館(10.32;88%) ⑤東京都日野市7館、BM1台(8.78;89%)⑥東京都調布市11館(10.99;100%) ⑦滋賀県東近江市7館、BM2台(8.1;70%)福岡市50位、11館(2.6;16%)、北九州市41位、17館(4.07;27%) 福岡市の中学校区設置率=16%➡図書館砂漠・福岡市の所以(ゆえん) ・福岡県内第1位ー水巻町1館(11.83;50%)、第2位福津市2館(11.51;33%) ・貸出密度7点以上―12市町、6点台ー7市町/ 2点台ー2市町、1点台ー2町 ・全国平均(貸出密度)5.37。福岡県平均4.56ーーーーー 資料2-(2)について 「2007年(平成19年度)福岡県学校図書館図書購入費(予算措置率)順位表」 (いったいこれは何か。どういう資料か。) 文部科学省は、学校図書館(小中学校)の蔵書があまりにも貧しい(古くて少ない)現状を改善するため、1993(平成5)年から、『学校図書館図書整備5カ年計画』を立てて、計画年度に毎年、各自治体に対して地方交付税として交付してきましたが、交付額をどう使うかは、自治体の判断に任されているため、交付額のどれだけを予算化したか(予算措置率=交付額に占める予算計上額の割合)は、自治体によって大きな違いがあります。これまで文部科学省では、2008年4月に1度だけその実態調査を明らかにしたことがあります。2007年(平成19)度に交付した図書購入費200億円のうち、実際に予算計上された額は約156億円で、全体の78%にとどまっていました。上記の「順位表」はこの時に公表された福岡県内の各自治体の予算措置率の高い順に記載したものです。福岡県の平均は97.1%でしたが、福岡市は86.1%、県内69自治体中、34位の予算措置率でした。1位が福津市の211.8%、県内22の自治体が100%をこえていました。(5位までが150%をこえる。)最下位69位は小竹町の32.9%でした。全校平均78%の内訳は、小学校が85.8%、中学校が68.7%と、中学校がより低い予算措置率となっていました。 また第5次の2018年(平成30年)から、学校司書の配置に対しても地方交付税が交付されるようになっています。2022年(令和4年)4月から第6次「学校図書館図書整備5カ年計画」が始まり、文部科学省では、パンフレットで「学校図書館の充実には図書館資料・人材の充実が必要です。」と述べて、公立小中学校の蔵書の充実と学校司書の配置を推進を目指し、学校図書館図書整備に995億円(単年度199億円)、学校司書の配置に1215億円(単年度243億円)の交付が決まっています。 1993年(平成5年)以来25年間にわたって、学校図書館の充実のために交付されてきた貴重な図書費(2018年からは学校司書の配置拡充のための交付)が、福岡市では25年間にわたって、100%予算化されることなく、現在に至っています。公開質問10では、「私たちは子どもたちの一番身近な図書館である学校図書館の充実は何よりの急務であり、図書費と学校司書の配置について、少なくとも第6次『学校図書館図書整備5カ年計画』どおりの予算化が必要だと考えますが、どのようにお考えですか。」と質問しています。 このことでは、市民はもとより、学校関係者(校長、教職員等)においても、その実態が十分周知されているかが課題であるとも、会では考えています。

2022年11月19日土曜日

福岡市長選 公開質問状・前文 No.103

(前文) 福岡市長選挙立候補社様/       「図書館を楽しむ」市民ネットワーク・福岡(連名・4名)/   図書館砂漠のまち・福岡市を、市民の身近に図書館のあるまちに 住みよいまち、住続けたいまち・市民が誇りとするまちには、市民の暮らしの中に、 市民の日々の生活圏に、市民の身近に図書館が必要です。 福岡市立図書館のこれからについての公開質問状 私たちは福岡市の図書館が、市民が「いつでも」「どこでも」(市内のどこに住んでいても) 「だれでも」「なんでも」(市民が求めるしりょうや情報はなんでも)利用できる図書館、 とりわけ図書館が市民の身近にあることを願って活動している市民の会です。今回の福岡市長 選挙にあたり、福岡市の図書館のこれからについて見解をお示しいただきたく、福岡市立図書 館のこれからについての公開質問状を送らせていただきます。・・・・・・・・・・・・・・ 図書館はすべての市民の生涯にわたるⅯナビ(自己学習)を保障し、地域の発展と市民の自立に 欠かすことの出来ない地域の情報拠点であり、市民の暮らしを高め、暮らしに役立つ地域の基本 施設です。 図書館は ・すべての市民(赤ちゃんからお年寄りまで)の知りたい、学びたいという思いに寄りそう場 ・市民一人ひとりがより良く生きるための学びや知的好奇心に応える場 ・地域文化や産業振興、医療福祉や法律情報など市民の暮らしとコミュニティを支える地域の情報  拠点としての場 です。 図書館はまた、こうした暮らしや仕事の中で必要な情報を得る場としてだけではなく、市民の身近にあれば、私たち市民が時にはいこい、時には集い、それぞれの時間を一人で、またループで自由に過ごす「広場」ともなります。市民の身近にある地域の図書館は、本と人との出会いの場であるだけでなく、人と人との出会いの場、であり、その出会いから地域の文化が育まれる場でもあります。 しかしながら、福岡市の図書館の現状をコロナ前の2018(平成30)年度でみると、図書館が市民にどれだけ利用れているかを示す指標とされる「貸出密度」(市民1人当たり年間貸出点数)は2.6点で、政令指定都市20市の中で最下位((第1位のさいたま市7.5点の約3分の1)、福岡県内53館の中で50位(県内1位は水巻町11.8点)と1976年(昭和51年)の福岡市民図書館の開館以来45年をこえて極めて 利用度の低い状態が続いています。 福岡市の図書館の利用度がこのように極めて低いのは、福岡市民の読書に対する関心が低いからではあ りません。人口150万人を超える大きな市に図書館が11館しかなく、移動図書館もないこと。 市民のための図書館政策を作らずにきたことが、その主たる要因であることは、図書館政策をもち、分 館の適切な配置や移動図書館のによる全域サービス網をつくり、図書館費を自治体普通会計予算の1% 以上を毎年計上し、司書資格を持つ経験ある館長のもと、人口規模にふさわしい専門職員(司書)数を 専任で配置して活動している各地の図書館の実践が明らかにしているところです。 また、福岡市民図書館が開館した1976年(昭和51年)の翌年から市内各区の市民センターに設置された 図書室は、図書館の分館ではなく、公民館図書室に当たるものでした。1988年(昭和63年)の西 市民センター図書室の開室で市内全区(7区)に市民センター図書室ができましたが、それらが図書館の 分館となったのは1996年(平成8年)のことです。(合計8館)このため、以後に新しくできた分 館は当初の公民館図書室がモデルとなって作られてきっため、人口規模にふさわしい分館として構想、計画されたものではなく、施設規模、蔵書数、年間購入点数、職員体制ともに、不十分なものになっていることも、図書館の利用度をより低くする要因になっていると考えられます。このことでは、貸出の70%をしめる11館の分館に専任職員が0で、非正規職員の懸命な働きによって担われていることも、新しくできる分館に抜本的な改善、改革をすることを困難にしてきた大きな要因だと思われます。・・・・・ 日本図書館協会の『豊かな文字・活字の享受と環境整備―図書館からの政策提言』(日本図書館協会2006年、2012年改正)では、その2で、「地域の図書館は800㎡以上の施設面積でつくり、5万冊以上の蔵書をもち、3人以上の専任職員を配置すること。」とありますが、福岡市の分館の各面積は、東図書館753㎡(旧館の新装開館で、市内分館中、最も広くなった。335㎡➡753㎡)、和白644㎡、博多541㎡、博多南563㎡、中央486㎡、南478㎡、城南562㎡、早良520㎡、西552㎡、、西部610㎡、早良南図書館672㎡(2021年6月開館)となっていて、いずれも800㎡以下の福岡市の分館としては狭い広さのまま現在に至っています。 1965年、1台の移動図書館で図書館を始め、5つの分館を作り、最期に本館を建てて(注:本館のあとに 6館目の分館、市政図書室を市役所の隣に。本館を含めて7館;この注は、質問状提出後に記載)、「いつでも」「どこでも」「だれでも」「なんでも」を掲げて、その後の日本の公立図書館のあり方を根底から変革した東京都の日野市立図書館や、東京都調布市では①人口2万人、②2つの小学校区、③半径800mという3つを基準にして10館の分館を整備し、市民のだれもが、市内のどこに住んでいても利用できる図書館の活動が始まってからすでに50年をこえています。 ちなみに、2012年に開館した北九州市の八幡西図書館北九州市の図書館の分館中、もっとも広い3,762㎡で、貸出も市内で中央館(4,594㎡、貸出23万6千)よりも多く、市内でもっとも貸出の多い図書館になっていて(38万8千冊、2020年度)開架室の広さの重要さを示しています。 人口100万人を超える福岡市でようやく図書館が開館した1976年(昭和51年)から46年が経ちましたが、 この間、福岡市では一度として市民「だれでも」が「どこでも」利用できる全域サービスの計画が立て られることはありませんでした。【『福岡市基本構想』「第9次福岡市基本計画』平成25年~34年度;『 福岡市総合図書館ビジョン』平成26年度から10年間の計画では、「福岡市の図書館の課題」の2に 「身近なところで図書の貸出・返却ができるサービス拠点の設置や・・・サービスの向上を求める要望が多くなっています。」とあるが、それに応える具体的な計画はありません。】 2022年(令和4年)11月現在、日本の各地の図書館サービスの実際を自治体の人口段階別でみると、人口の多い大都市である政令指定都市においては、「どこでも」の取り組みがとりわけ遅れていて、それは政令指定都市の図書館全体の利用度、「貸出密度」の低さとなって現れています。利用度の低い政令指定都市20市の中で、もっとも利用度が低い福岡市に住む市民である私たちの多くは、この46年間、身近に図書館がないだけででなく、「市民の身近に図書館を」という福岡市の図書館政策がない中で生活してきたということでもあります。・・・・・・ 「文部科学大臣は、図書館の健全な発達を図るために、図書館の設置及び運営上望ましい基準(以下「 望ましい基準』)を定め、これを公表とする」(「図書館法」第7条の2、1950年)という規定に基づいて公表された『望ましい基準』(2001年、平成13年告示。2012年、24年12月改正)では、 「第一 総則 一 趣旨」で「①この基準は、・・・図書館の健全な発展に資することを目的とする。 ②図書館は、この基準を踏まえ、法第三に掲げる事項等の図書館サービスに努めなければならない。」に続き、「二 設置の基本」で「市町村は、住民に対してサービスを行うことができるよう、住民の生活圏、図書館の利用圏を十分に考慮し、市町村立図書館及び分館等の設置に努めるとともに、必要に応じ移動図書館の活用を行うものとする。あわせて、市町村立図書館と公民館図書室等との連携を推進することにより、当該市町村の全域サービス網の整備に努めるものとする。」 また、先に延べた『図書館からの政策提言(日本図書館協会)』では、「1公立図書館の整備」で「1市町村の図書館は、おおむね中学校区を単位とした住民の生活圏域に整備すること・」「すべての住民が利用できる身近な図書館とするために、中学校区を生活圏域として考え、それを目標に設置することを求めます。」としている。・・・ 図書館は市民が実際に利用できてこそ、地域に図書館があるといえます。 現在の福岡市の図書館の在りようは、多くの市民にとって身近に図書館がない、図書館砂漠としか言えないものだと私たちは考えています。この度の市長選挙が、福岡市の図書館の現況を正しく把握し、図書館砂漠のまち・福岡市を、市民の身近に図書館がある、市民が誇りとする図書館があるまちに向けての新たな一歩、契機となることを心から願うものです。 お忙しい最中に恐縮ですが、同封しました封書により、11月13日(日)までにご返送をお願いします。頂きました回答につきましては、広く市民に公開させていただきますのでご了承ください。 ・・・・・・・・(以下、「次の図表を見て・・・」図書館の風No.102に、が続く。) 《ここまで読んでいただいてありがとうございます。ご不明の点やお聞きになりたいことがありましたら、このブログにご連絡ください。「市民の会」にお伝えします。》

福岡市長選挙 11の公開質問 No.102

11月20日投票の福岡市長選挙で、「図書館を楽しむ」市民ネットワーク・福岡の会では、 3人の立候補者に福岡市の図書館の今、これからについて候補者のお考えをお聞きするた め返送の期日を指定させていただいて公開質問状を提出してきました。20日の投票日前 に候補者の回答を市民に公表したいと考えていたからです。しかしながら、残念なこと に指定の期日を過ぎても、いまだどなたからも回答がありません。公開質問状は、市役 所の中にある記者クラブに持参し各新聞社にお渡ししましたが、未だ報じられてはいま せん。このため、これからも回答が届き次第、届いた順に即時、公開を考えていますが、 まずは公開質問状でお聞きした11の質問の内容を市民のみなさんにお伝えしたいと考 え、質問の骨子をここに公開させていただきます。                                   記 福岡市長選挙立候補者様                    「図書館を楽しむ」市民ネットワーク・福岡                            (4名の連名) 図書館砂漠のまち・福岡市を、市民の身近に図書館のあるまちに 住みよいまち、住見続けたいまち・市民が誇りとするまちには、市民の暮らしの中に、 市民の日々の暮らしの生活圏に、市民の身近に図書館が必要です。 ・・・・・・・福岡市立図書館のこれからについての公開質問状・・・・・・・ 私たちは福岡市の図書館が、市民が「いつでも」「どこでも」(市内のどこに住んでいて も)「だれでも」「なんでも」(市民が求める資料や情報はなんでも)利用できる図書館、 とりわけ図書館が市民の身近にあることを願って活動している市民の会です。今回の福岡 市長選挙に当たり、福岡市の図書館のこれからについて見解をお示しいただきたく、福岡 市立図書館のこれからについての公開質問状を送らせていただきます。 【以下の文は、12の質問のあとに掲載します。また、以下の質問は全文ではなく骨子】 次の図表(資料A〈質問の趣旨の概要〉、資料1~3)を見て、以下の質問にお答えくださ い。回答は該当する数字に○をしてください。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 1.私たちは私たちは福岡市の図書館においても、市民が「いつでも」「どこでも」「だ  れでも」「なんでも」利用できる図書館を、図書館運営の指針、目標とすることが肝要  だと考えるが、お考えは。①そのようには考えない(理由)②同じ考えである③その他 2.市民の図書館での利用(貸出密度)がとりわけ低い実態にたいしてのお考えは。   ①特に対応を考えない②政策的対応(実態把握と計画立案が必要)③その他 3.図書館の利用度が政令指定都市中、最下位が長く続いている理由は何だと考えるか。   ①市民の読書に対する関心が高くない②図書館が少なく、移動図書もない③その他 4.「望ましい基準」に基づいた取り組みが必要では。(住民の生活圏、利用圏に全域サ   ービス網の整備)①そのように考えない(理由)②早急に必要③その他 5.「望ましい基準」にのっとた迅速な取り組みの必要では(「運営方針の策定、公表」   「図書館サービス、運営の適切な指標の選定と目標の設定、計画の策定と公表)   ①そのように考えない(理由)②早急な取り組が必要である。③その他 6.図書館の計画を市の長期的計画に組入れることについて①そのようには考えない(理   由)②財政的な裏づけをもった市の長期計画に入れる必要がある③その他(  ) 7.図書館計画策定には時間がかかるため、移動図書館を始めながら、計画づくりにかか   っては①そのようには考えない(理由)②同じ考え③その他(  ) 8.職員体制の整備が急務、まず、市の職員で司書有資格者で図書館勤務を希望する職員   の配置や信採用職員で司書を採用することが必要では。①そのように考えない②同じ   考え③その他(  ) 9.図書館の運営を民間に委託する指定管理者導入についての考えは(現在分館の2館に   導入、質問の前段で、市民の会では導入反対の2つの理由をあげている)①導入に賛   成(理由)②同じ考え。今後それが広がることをなくしていくことが大切③その他 10.図書館のいのち、市民にとっての魅力は蔵書の力、毎年の資料購入費にかかって    いる。市民一人当たり資料費(政令市20市中16位、20市中半数の10市が一人当たり    100円をこえている。福岡医でも100円以上の「資料費」の予算化を。①現行通り    (理由)②毎年度必要である③その他(  ) 11.「学校図書館の充実には図書館資料・じんざいが必要です。(文部科学省パンフレ    ット)」、このため2022年(令和4年)4月から「第6次学校図書館図書整備5カ年    計画」がはじまっている。これは公立小中学校の蔵書の充実と学校司書の配置を    推進することを目的に地方交付税措置されているもの。ただこれは市が予算化し    ないと使うことができない。どれだけ予算化するかは自治体の考えによるため、    自治体によって大きな格差が生まれている。福岡市では予算措置率が低い状態が    長く続いている。図書費と学校司書の配置については少なくとも『学校図書館図    書整備5カ年計画』どおりの予算化が必要では。①現行通りでよい②2023年度から    少なくとも交付される額の予算化が必要③その他(  )    以上。 追記①、質問状の提出時、質問番号を11問を間違えて12としていました。ここにあらた    めて訂正します。   ②上記のさいごの質問のあとに、公開質問状の前文を掲載します、としていました    が、それはブログナンバーを改めて掲載染ます。

2022年11月18日金曜日

福岡市長選挙 公開質問状(質問の要点) No.101

「図書館を楽しむ」市民ネットワーク・福岡の会が福岡市長選挙(11月7日告示、11月20日投票)で、 図書館に関する公開質問状を3人の立候補者に提出しました。公開質問状は添付資料4点と共に提出さ れていますが、ここでは最初に添付資料の1点(資料A・質問の概要/背景)を掲載します。資料Aは、 『「図書館を楽しむ」市民ネットワーク・福岡』の会が、福岡市の図書館の何が問題であると考え、 どのような市民のための図書館になってほしいと考えているかが、簡潔に述べられているからです。 「私たちはなぜ、公開の質問をするのか?  公開の場で論議を!(資料A) 図書館砂漠のまち=福岡市を図書館のある街に   2022.11 住みよいまち、住み続けたいまち、市民が誇りとするまちには、 市民の暮らしの中に、市民の生活圏に、市民の身近に図書館が必要です!    【コロナの前、2018年度・平成30年度の統計でみると】 福岡市は図書館砂漠・・・市民の身近に図書館がない! ・市民1人当たり1年間の貸出冊数(貸出密度)2.6冊    政令指定都市20市の中で最下位 (第1位 さいたま市7.5冊の約1/3の貸出) 福岡県53自治体の中で50位   (県内1位 水巻町13.8冊)  ※人口30万人以上で、望ましい貸出密度は8.7冊(日本図書館協会) 市民の生活圏=中学校区に1館の図書館を。  中学校区設置率(図書館数12÷市立中学校数69校×100)=16%        政令指定都市中、貸出密度1位のさいたま市は44%(約3倍)  福岡県内53館のうち13館が100%、苅田町は(200%➡)100%、かつ移動図書館) 【注:苅田町では分館3館のうち2館が廃止されたため100%となった。当初、苅田町200%で、    県内、第1位と記載していた。上記のように訂正いたします。】                  資料費が図書館のいのち。 (市民1人当たりの資料費は)  リクエストしたら、「150人待ち」と言われたことも‼ 人口当たり資料費78円   政令指定都市中 16位、第1位は静岡市199円。 さいたま市は124円  福岡県内の図書館 第1位 築城町998円 職員体制が肝心要のことです!    ・「人口150万の市の図書館で正規(専任)職員31人のうち、司書(専門職員)が2人って    本当ですか?」と、一体どれだけ県内外の市民(住民)から驚かれたことか。   さいたま市:専任職員165(うち司書)95・・・福岡市:専任職員31(うち司書2)  ※  ※北九州市との比較(2007・平成19~2020・令和2年)   北九州市立図書館 専任職員20人 (うち司書2 ➡39人(うち司書13)   福岡市立図書館  専任職員43人(うち司書12)➡31人(うち司書2) ※1年間の貸出しの70%を占める11館の分館は、専任職員が0である。 ※館長と副館長は  2007年(平成19年)から2018年(平成30年)の12年間で、福岡市総合図書館の館長は9人と、  短い機関で変わっている。なお、同期間で副館長(事業管理部長事務代理)は6人で、3年1人、  1年1人、2年3人、2年目1人と、2年の任期が多い。いずれも短期間!  福岡市の図書館の今とこれからを考える、舵取り、要の専任職員が不在では。 すべての福岡市民が利用できる、図書館政策策定の早急な取り組みを! まず、移動図書館の運行を!    「図書館を楽しむ」市民ネットワーク・福岡

2022年11月6日日曜日

賢治と哲とひさし、と No.100

糸島市前原の旧商店街の一郭でブックカフェ「ノドカフェ」がオープンしたのは2017年 11月、今月はちょうど満5周年に当たる。風信子(ヒアシンス)文庫からは、ノドカフェ オープンの時から本の出前を行っている。5年前の開店時の第1回目は、福岡市総合図書 館で、上野英信さんの没後30年に合わせて、福岡市文学館企画展として、よく準備され 実に中身の濃密な展示や講演会などを行っていたので、これに勝手に協賛として、上野 英信さんの関連の本でノドカフェでの展示(本の出前)のスタートとなったのだった。 この5年間、本の出前を行い、現在では2ヵ月で本をかえているのだが、前回の9月から、 出前した本について紹介する時間をもつことになった。出前の本については、これまで 特にテーマを決めることなくやってきたのだが、(石牟礼道子さんご逝去の時は、「花 を奉る 追悼 石牟礼道子さん」)、今月の11月の本棚については、表記の「賢治と哲 とひさしと」が、考えるまでもなく頭に浮かび、宮澤賢治、中村哲、井上ひさしさん3 人の本の出前となった。 「荒野に希望の灯をともす」 唐津・THEATER ENNYAで その直接のきっかけは唐津市にある「THEATER ENYA(シアター演屋)」で、中村哲さん の「荒野に希望をともす」(百の診療所より一本の用水路を)を見たことだった。(11月 1日、このため出前は11月2日)これは、中村さんの活動を支え、中村さんと行動をともに してきたペシャワール会が企画し、「20年以上にわたり撮影した映像素材から医師中村哲 の生きざまを追うドキュメンタリーの完全版!」として製作されたものだ(1時間44分)。 これまで中村さんの著書やペシャワール会の会報の一部を読んできたが、ドキュメンタリ ーでは、私が知らなかったことが随所に出てきたり、あるいは本などで知らされていたこ ととは、このことだったのだ、という映像を見聞きしていると、中村さんが眼前にいて、 語り行動しているように思われた。 中村さんが「ヒンズークッシュの山奥深く、真っ白で荘厳な峰々が立ち並ぶ」アフガニス タンの地を初めてその足で踏んだのは1978年、山岳会に医師として、一隊員としての同行 だった。1946年生まれの中村さん22(23)歳の時だ。医師のまったくいないその地で、中 村さんに診てもらおうと必死の様でやってきた病をかかえた患者さんやその家族と出会う。 らい(ハンセン病)患者とも。その映像を初めて目にした。 九大医学部を卒業した中村さんは国内の診療所勤務を経て、1984年4月パキスタン北西辺 境州の州都ペシャワールに赴任し、以来24年にわたりライ(ハンセン病)のコントロール 計画を柱にした貧困層の診療に携わる。最初に赴任した時、医療器具が何もないといった 状況がどのようなものであったかをかを伝える映像が時間をこえて立ち現れる。 2003年、石風社から出版された『辺境で診(み)る辺境から見る』の裏表紙の見返し(奥 付)で、中村さんの足跡をたどると、 「1986年にはアフガン難民のために、医療チームを設立し、長期的展望にたったアフガニ スタン無医地区での診療活動を開始。1991年からアフガン東部山岳地帯に3つの診療所を 設立して、診療に当たる。1998年には基地病院PMS(ペシャワール会医療サービス、70床) をペシャワールに建設、らい診療とアフガン山岳部無医地区診療の拠点とする。2001~20 02年にはアフガニスタン首都カブールに5つの臨時診療所を設置、貧困地区の診療を行う 一方、大旱魃に見舞われたアフガニスタン国内の井戸と地下水路(カレーズ)の掘削と復 旧に従事、1000本の井戸を掘る。2001年10月「アフガンいのちの基金」を設立、空爆下、 国内避難民への緊急食糧配給を実践。現地スタッフ約200名、日本人スタッフ約15名。年間 診療数約8万人(2006年度)。現在、PMS総院長。ペシャワール会現地代表。」とある。 映像では、空爆下の緊急食糧配給以後の中村さんの活動、国会での発言、子息が亡くなられ た時のこと、用水路の建設や中村さん逝去後の記念碑と記念庭園の設置、学びと祈りの建物 の建設なども映し出されている。心と胸うたれる場面は数しれなかったが、とりわけ、無医 地区での診療を長老たちから、「あなたたちは、すぐにいなくなるのでは」と言われて、そ れに応える中村さんの言葉とその表情、国会での発言(議員の反応)、子息を亡くされた時 のそのあり様、そしていのち賭けてようやく完成した用水路が̠河川の氾濫で埋まってしま った時、濁流を前に佇む中村さんの後姿は目に焼きつけられる思いだった。自然の猛威(力) の前での人間、その在りかた。その中から歩きだす中村哲さん。 ドキュメンタリーが終わった時、翌日、出前することになっている「ノドカフェ」の本が私 の中で決まっていた。中村哲さんの本だと。そして「賢治と哲」と「ひさし」とだと。 なぜ「賢治と哲とひさしと」かについてはあとで記すことに、まずは中村さんのことから。 『辺境で診(み)る 辺境から見る』 自宅に帰り、『辺境で診(み)る 辺境から見る』を手にする。「あとがきにかえて」と題 されて、次のように書き出されている。 「本書は、私が84年に現地赴任して、本格的に「アフガニスタン」に関わり始めた1989年か ら現在まで、雑誌や新聞に掲載された記事を収録したものである。これまで出版された事業 報告的なものとやや趣が異なって、時事評論や随想が主体である。随想集は、宗教観や世界 観なども自由に述べられていて、率直に自分の考えが表現されていると思う。独断もあり得 ようが、それはそれで読者の批判を仰ぎたい。一連のアフガン問題記事は、この二十年の世 界的激動を反映し、一種の感慨を覚える。ペシャワール会の活動を概観できると共に、一九 九八の基地病院建設から現在まで、特にニューヨーク・テロ事件前後から空爆下の現地活動、 農村計画を振り返るのにも好都合である。(略) 本書に収録されているものは、巷の動きとは無関係に、過去二十年の現地事情が連続して圧 縮、記述されている。「新ガリバー旅行記」や「異文化の中で『医療』を問う」などは、テ ロ事件直前に書かれたものである。最近のきな臭い世情の中で、「九・一一以後」の色眼鏡 がかかっていない記録として意味があるかも知れない。私事になるが、これまでの総決算と も言うべき「医の普遍性」を扱った後者は、脱稿した直後に九歳の次男が悪性脳腫瘍を発症、 一年半の闘病生活を過ごして死亡した。背後を刀で刺された思いであったが、今となっては、 論旨を実証するようで忘れがたい。  通読して自分でも驚くのは、ペシャワール会の方針や私の考え方が殆ど変化していないこ とである。それを頑固固陋とするか、信念を貫いたと呼ぶかは別として、アジアの辺境で人 々と苦楽を共にすることによって、時流に流されずに済んだことは確かである。どんなに世 情が変化しても、変わらないものは今後も変わらない。」 そして末尾には、「最後になりましたが稿を整理した石風社と、この事業に協力する無数の 善意に感謝し、共に邁進してゆきたいと存じます。         平成一五年二月」 (本書の発行は2003年・平成15年5月20日、1946年9月15日生まれの中村さん、53歳の著作) 収録された文章は、新聞や雑誌に掲載された記事であることから、一文一文短文ですぐに読 めるものだが、その一つ一つの文章のもつ力に驚かされる。短いどの一文にも中村さんが出 会い向きあい、見送った、言葉話せぬ幼子を含めて、その一人ひとりのいのちの声が中村さ んと終生ともにあったからではないだろうか。 なぜ「賢治と哲とひさし、と」か、にもどろう。 宮澤賢治学会地方セミナーのことーーー 『辺境で診る辺境から見る』が発行されて、もうすぐ1年という2004年5月1日、私にとって は、さいごの図書館の職場となった滋賀県能登川町で、「宮澤賢治学会・地方方セミナー」 を開催した。中村哲さんと井上ひさしさんの講演と対談を核にしたセミナーだった。その集 いを開くことになったきっかけは、(ブログ「図書館の風」No.38に記載、No.49-2 に録画) その一年前だったか、たまたま図書館(能登川町立図書館)のカウンターにいた私に、よく 図書館を利用されている若い主婦が話かけてきたことだった。たしか関西地区で図書館のこ とを学ばれていて何度か、講義でのお話もお聞きしていた。 「私は宮澤賢治学会に入っていますが、会では毎年、地方セミナーを各地で開いています。 それを能登川町で開いてくれませんか」 それが始まりだった。それから程なくして、私は中村哲さんの講演を京都で2度聞く機会が あった。一度目は京都市左京区岩倉で、虫賀宗博さんの私塾”論楽社”で、そして日をおか ず、京都市内ノートルダム女子大学の広い講堂で。その2つの会場で、中村さんの口から宮 澤賢治の名前がでた。「かの地で宮澤賢治を読んでいると、日本の今のありようがよく見え る」、そのような言葉だった。1000人はいたのだったか、女子大の大きく広い講堂の座席で、 その言葉を耳にして、私は、これは中村さんと井上ひさしさんだ、との思い(天から降って きた思い)が生まれていた。 後日、最初に連絡をとったのは、福岡市の出版社石風社代表の福元満治さんだった。福元さ んとは、福岡での面識はあるものの不断ご連絡をとることもなく、その前に電話をしたのは、 6年前の1996(平成8)年の7月頃だったと思う。前年の3月、苅田町立図書館を退職し4月から 能登川町に新しくできる図書館と博物館開設の準備室での仕事を始め1年ばかりが過ぎた時 だった。 当時「うずもれている大切な文化にスポットを・・・」を合言葉に能登川町が淡海文化推進 パイロット事業の一つとして「能登川ふるさと百科」の発刊を企画したのだ。この事業は能 登川町の風景、産業、歴史、自然などさまざまな分野にスポットをあて、現代に生きる私た ちが次世代に継承したいことを記録していこうとするもので、準備室が事務局を担当して委 員15名を公募した。委員15人のなかには、このような冊子出版事業に携わった経験をもつ人 はほとんどなく、ただ、「わが町能登川を本にして残したい」(編集子の弁)との熱意で委 員の応募に参加されていた。委員の一人から本づくりの要諦について問われていた私は、福 元さんに電話をしている。その時にお聞きしたのが、まず「目次づくり」からということだ ったと思う。そのことを委員の方に伝えたのだが、平成8年7月の七夕の日に第1回編集委員 会を開いてからの委員15人の動きはすさまじかった。この事業が「能登川町総合文化情報セ ンター」(図書館・博物館・埋蔵文化センター)のオープン記念事業の一つとして位置づけ られていたため(開館は平成9年11月)、編集期間はわずか1年、急ぎ委員の分担を委員自ら 決めて、作業に取りかかったのだった。15名のスタッフは資料収集のため町内を駆けずり回 り、多くの町民の方の協力のもと、目次づくりから、原稿書きまで、すべて委員の手で作ら れた。こうして平成9年11月8日開館前の10月に総頁215頁、中味豊かで多彩な、懐かしくて 面白い冊子が刊行され、能登川町の全世帯に各1冊配布されたのだった。 冊子のタイトルは、全委員が提出した25候補名から『能登川てんこもり』が選ばれた。セ ンターが開館して最初の一か月間は町立図書館・博物館開館記念事業として、写真家今森光 彦さんの写真展を行っている。今森さんは能登川てんこもり委員会が始まった一年前から随 時、能登川町を取材され、その成果を開館記念の展示として発表してくださったのだ。能登 川で生まれ育ち、誰よりも町中を歩いているという一人の委員(委員長)が、今森さんの写 真のなかに、「能登川に生まれ育ち、40年以上暮らしてきたが、自分が知らなかった町」の 光景があると語っていた言葉が私のなかに刻まれている。その今森さんが委員の強い希望に より冊子の装丁をしてくださったのだ。また『能登川てんこもり』冒頭には、今森さんが撮 影した町内各在所の写真が掲載され、それに続いて、「能登川再発見」と題した座談会の記 録が載っている。能登川町長の杉田久太郎さん、今森光彦さん、そして熱い思いで委員会を 引っ張られた『ふるさと百科』編集委員長の井口博之さん、3人の座談で、刊行後25年の今 読んでも、本づくりの意図が鮮やかに語られていて、心打たれる座談となっている。その年 から今森光彦さんには毎年、図書館で講演をしていただいた。(私の退職時まで9回、1回だ け、時間が取れず。そのうち2回は絵本作家川端誠さんとの対談)今森さんのお仕事と生き方 は、私たちが立っている足もと、私たちの眼前に、豊かな自然といのちの営みがあることを 鮮やかに知らせてくれるものだと思われ、それは、能登川の図書館と博物館が目指す存りよ うを照らしだし、指し示すものでもあると考えて、毎年の講演をお願いしたのだった。 石風社、福元さんのこと 能登川町で生まれた一冊の本のことを少し詳しくここに紹介したのは、その町の人たちにとっ て大切な冊子づくりの始まりに、九州福岡の出版社、石風社の福元さんとの関りがあり、また あらためて、福元さんからつながる中村哲さんとの縁しを思うからだ。 6年ぶりに福元さんに電話した私は、中村哲さんと井上ひさしさんとの対談を核にした宮澤賢 治学会の地方セミナーを能登川で開けないかと考えていることを伝えたのだと思う。 福元さんの話を聞いて驚いた。「中村さんと井上さんの対談は鎌倉でやっているよ。」「えー っ」と驚く私に、「長野ヒデ子さんが」というお話に、私はびっくりした。「長野さんが鎌倉 に住んでいて、近くに住まわれている井上ひさし、ユリ夫妻と親しくされていて、中村さんの 活動をくわしく知っておられて、鎌倉でのお2人の対談になったと。 長野ヒデ子さんの絵本作家としてのデビュー作品は、『とうさんかあさん』(葦書房 1976) で、この長野さんの第一番目の作品の編集者が当時、葦書房にいた福元さんだ。中村哲さんと 同じ1946年生まれの久本三多さんが代表の葦書房は、地方出版社の雄と呼ばれ、その出版物は 私にとっては図書館の蔵書として、また一人の読者としても、見逃せない本が多く、渡辺京二 さん他、個人的にも生涯にわたり手にしてきた幾人もの著者を葦書房の本から知らされてきた。 とりわけ渡辺京二さん編集の『暗河』(くらごう)は、現在熊本の田尻久子さんの橙書店から 出されている『アルテリ』と同じく、初めて目にする著者やその著作の面白さ、そして時を経 てますます面白い渡辺さんの文章に驚かされてきた。その『暗河』の最初の何号かで私は福元 さんの文章を読んで心に刻んでいる。当時、熊本にいた20代の若き福元さんが、石牟礼道子さ ん、渡辺京二さんたち、そして水俣病の患者さんたちとともに水俣病闘争に関わっていた時の 一文だ。福元さんは私にとっては、その一文の著者としてあったことを今にして思う。 長野さんが最近うけたインタビューでの発言によれば、『とうさんかあさん』は太宰府に住ん んいた時、長野さんの義妹(弟の奥さま)が入院され、弟の子どもを預かっていた時期、広告 の裏に絵を描いてお話を作ったりして遊んでいた。そのときたまたま長野さんの子ども文庫を 訪ねてきた編集者が、それを見て「この絵本をだしたい」と。それが葦書房の福元さんだった。 インタビューでの長野さんの言葉、「作家がいても本はできない。どんな編集者に出会うか。 素敵な人、編集者福元さんに育てられた」と。 葦書房から独立して石風社を始めた福元さんのお仕事、福元さんならではの石風社の本に、深 い喜びを手渡されてきたと改めて思う。中村哲さんの『ペシャワールにて』(1992)に始まる 著作のこれまでに至る一連の出版、その持続的で深い営みに驚きと励ましを受け続けてきた。 石風社との長く深い交流から生まれたと思われる阿部謹也(『ヨーロッパを読む』1995)、何 ともうれしい森崎和江さんの『  』、長野ヒデ子さんの本では、『ふしぎとうれしい』(20 00)以後、最新作では、『  』。そして近々、新作もでるようだ。福元さんの長野さんとの 出会いは長く深いものがある。中村哲さん亡きあとは、お二人で中村さんを語る場も持たれて いる。 長野さんとの出会い そして長野さんと私の出会いもふしぎといえば不思議なご縁だ。私が博多駅近くの記念会舘図 書室で働き始めて程ない時だったか、大宰府に住んでいて借家に離れがあったので、文庫を始 めていた(字名は連歌屋区だった)。大宰府天満宮に近く、四王寺山への登り口にあったので ”四王寺文庫”名づけ、近くの坂道の電信柱などに文庫開きの手書きの案内などを貼った。そ うしたらやってきた近所の子どもたちの中に、『大宰府』(葦書房1982)の著者の森弘子さん や長野ヒデ子さんのお子さんがいたのだ。長野さんの年譜をみると、そのころ長野さんは『と うさんかあさん』(1976)をすでに出版されていたようだが、私はそのことを知らずに長野さ んにお会いしている。家にやって来られた長野さんとお話したのは、その時の一度きりではな いかと思うが、本棚にたまたまあった丸木俊さんの『女絵かきの誕生』だったか、新書版の本 を手に丸木俊さんへの深い思いを語られたのが今も心に刻まれている。以後福岡市への引っ越 しが急に決まり、たしかご挨拶もできずお別れし、再びご縁ができたのは17,8年後の、2005 年10月28日、能登川に移ってからのことだった。(毎日新聞大津支局長の塩田敏夫さんが同紙 の日曜日または月曜日の紙面に書いていた『支局長からの手紙』、2005年11月7日の滋賀版の 頁の「心を育てる絵本」で長野さんの講演会の期日を知ることができた。) 能登川の保育園に働く職員の方が、能登川の図書館に講演会の講師として長野さんを呼ばれた のだ。その時、長野さんは講演の場で、”四王寺文庫”で子どもたちと折り紙で作った出来上 がりのもの(私には難しくてとてもできない、文庫を手伝ってくれたどなたかが、こどもたち と一緒につくったものだと思う)を鎌倉の自宅から持って来られて私を驚かせた。 【支局長からの手紙「心を育てる絵本】2005年(平成17年)11月7日(月曜日)をここ で紹介しておきたい。能登川にいた当時、塩田さんが大津支局長だった2年間、日曜日か月曜 日の朝刊でどんなに心励まされる「支局長からの手紙」を、滋賀の人と共に受け取ってきたか、 その一端をお伝えしたい。 支局長からの手紙 心を育てる絵本2005年(平成17年11月7日(月曜日) 「赤ちゃんが生まれた時、お母さんも生まれました。スタート時点は同じです」。赤ちゃんを 授かり、育てた体験に基づいた絵本「おかあさんがおかあさんになった日」。絵本作家、長野 ヒデ子さんは、創作の原点ともなった作品を語りました。自分の中からわき出したものを汲み 上げる。自分の皮膚感覚で確かめる。豊かな感性が作品にあふれていることが伝わってきまし た。能登川町立図書館で先月28日に開かれた講演会でのことでした。 長野さんは瀬戸内海に面する愛媛県今治市に生まれました。白い砂浜と青い松林。暮らしのす ぐそばに水辺の空間がありました。織田が浜です。私も現場に立ったことがありますが、瀬戸 内海ならではの穏や佇(たたず)まいのそれは美しい浜でした。 この浜の埋め立て計画が持ち上がり、「子どもたちに白い浜を残せ」と命がけで立ち上ったの が「織田が浜を守る会」代表を務めた飯塚芳夫さんたちでした。飯塚さんは長野さんに最初に 絵を教えてくれた先生でした。 長野さんは講演会を始める時、宝物を見せてくれました。娘さんが小さいころ、現在能登川町 立図書館長を務める才津原哲弘さん(59)からもらった折り紙です。当時、転勤で福岡県で生 活した長野さんの家の近くには才津原さんの家がありました。才津原さんは仕事が休みの時は 自宅を家庭文庫にして開放していました。娘さんはその家庭文庫に通い、絵本に親しみました。 そこでもらった折り紙を何十年も大切にしてきたのです。 「文庫のおばさん」があこがれだったといいます。転勤で全国を回る生活。家庭文庫があれば、 子どもたちとすぐに仲良くなり、おかあさんとも友達になれたからです。本は人をつないでく れると実感したそうです。本は手渡し方ひとつで生き、埋もれてしまうと。その人の言葉で読 んでもらって初めて本は命を吹き込まれることがよくわかったといいます。 長崎県の諫早湾の干拓事業を問うた絵本「海をかえして」を書きました。当初は社会的な問題 を扱いたくないという気持ちが強かったそうですが、自分の子どもたちが遊んだ諫早の海が死 んでいくのを見過ごすことができなかったといいます。現場に立ち、潮の満ち引きの自然のリ ズムが何より大切だと実感します。それは人や動物たちも同じで、出産に立ち会う看護師さん に教えてもらった言葉を紹介してくれました。「自然の流れに逆らわなかったらうまくいきま す」 長野さん自身、知り合いに頼んで多くの出産に立ち会ってきました。その経験から確信したこ とがあります。ソレハ赤ちゃんは自分の思いを持って自分の力で生まれてくるということです。 赤ちゃんは生まれながらに判断する力が備わっている。それを伝える手段を得るために学ぶの だと。 ノンフィクション作家、柳田邦男さんの言葉を思いだしました。「大人になったからこそ絵本 を読んでほしい。子どものときとはまた違った深い味わいがある。絵本を読む時間を大切にし たいと思います。                      【大津支局長・塩田敏夫】 今ひとりの人のこと、扇元久栄さん 井上ひさしさんを能登川に招くにあたって、長野さんにはこの上ないお力を授かったと心に刻 んでいるが、このことでは今一人、かけがえなき人のことを思う。扇元久栄さんだ。扇元さん  に初めて電話をしたのは、1987年3月5日の深夜、写真家の漆原宏さんの紹介によるものだった。 当時扇本さんは仙台で、「仙台にもっと図書館をつくる会」の代表をされている方だった。 私が博多駅近くの財団法人の小さな図書室で働き始めて8,9年が経った頃で、人口111万2千人 (1986・昭和61年末)の大都市に市立図書館が1館しかないことの問題、市民の大半が図書館が 身近にないため、図書館を利用する(できる)市民が極めて少ない福岡市の在り方に、手を拱 いていては、ますます状況が悪くなっていると考えるようになっていた。市民として動き、行 動が必要ではないかと。仙台に電話をしてから日を経ず、扇元さんから、「つくる会」のすさ まじい資料が送られてきた。 ・「つくる会」は会を創めて年、文庫から始まったこと。 ・「考える部会」「伝える部会」「広める部会」の3つの部会があること。 「つくる会」の活動の実に細やかで詳細な資料、福岡での状況を我がことのように受け止めて、 私自身が自らに問うていた問いに、柔らかに直截に応えてくださった言葉が記されていた。 一面識もない者に、その者の問いに答えて、心こめて爽やかな言葉を贈る、その時私は、扇本 さんが大好きな宮澤賢治の童話の中のせりふ、「こんなことは実に稀です」というかけがえの ない時間を授かっていたのだった。扇元さんから深い気を吹き込まれて、私が歩みを共にする 人たちと、「福岡の図書館を考える会」を始めたのは、それから程なくのことだった。 後に幾度も、扇元さんとお会いし、手紙や電話でやり取りをする中で、扇元さんが、宮澤賢治 だけではなく、井上ひさしさんを大切な人と思われていることがわかってきた。 「私、井上さんのおっかけをしているのよ」、仙台文学館の館長をしていた井上さんの作文教 室だけではなく、井上さんの生誕の地、山形県川西町で”生活者の視点で自らの暮らしをもう 一度見つめなおそう”という井上さんの提唱で始まり、1988年から毎年1回のペースで開催さ れた「遅筆堂文庫生活者大学校」(校長:井上ひさし、教頭:山下惣一)の講座に毎回参加さ れていたのだと思う。図書館に関する講座では、竹内悊さんと一緒に登壇されているようだ。 (残念なことに、そのことを私は知らず、扇本さんからお話を聞き機会を逃してしまった。 このような次第で、扇元さんに能登川町での地方セミナー開催に向けての取り組みをお伝えす ると、大変喜ばれるとともに、井上さんのご了解を得る上で、深いご助力をいただいたのだと 思う。 宮澤賢治学会イーハトーブセンター・地方セミナーのプログラムについて たくさんの方たちのご助力を得て、中村哲さんと井上ひさしさんのご了解をいただいてから、 地方セミナーをどのような内容にするかで、まず、中村さん、そして井上さんのお話(それぞ れ30分)、それからお2人の対談(80分)、そして、その後の会場の参加者との質疑(60分、 中村さんの各地での講演会では、質疑の時間がとりわけ面白いので、質疑の時間をできる限り とりたいと考えて60分とした。) 講演が始まる前の30分は、①開会挨拶(町教育長田附弘子、宮澤賢治学会イーハトーブセンタ ー荻原昌好 ②開会の辞イハトーブ童話『注文の多い料理店」序(宮澤賢治学会会員 扇元久栄 さん)③宮澤賢治・短歌四首 井上ひさし『なのだソング』 とりい しん平さん(驚くばかり の時間だった。) ④群読『雨にも負けず』能登川町民と当セミナー参加者有志 そして 講演『医者、井戸を掘る その後』中村哲さん 講演『賢治と哲』 井上ひさしさん【ここでようやく「賢治と哲」にたどりついた!】 対談『辺境で診る 辺境から見る』中村哲さん・井上ひさしさん 参加者との対話・質疑 という次第だった。 扇元久栄さんには、開会の辞で、「わたしたちは、氷砂糖をほしいくらいもたないでも、きれい にすきとおった風を食べ、桃いろのうつくしいあさの日光をのむことができます。またわたくしは、・・・」全文を詠んでいただいた。扇本さんは巻物に全文を書き記して、巻物を次々に引い て巻紙を下にたらしながら、凛とした声で詠んでいかれた。本当は一言一句すべて、すっかり体 の中に入っていて、目にするまでもなかったのだけれども。扇元さんは全身で賢治さんを参加者 一人ひとりの目とこころに焼きつけ刻んでくださった。 30分のお話に『賢治と哲』と題を示してくださったのは井上ひさしさんだ。その演題を お聞きして私は小躍りする思いだった。ここで「賢治と哲とひさし、と」につながる。 ただ会の進行はどうだったか。映像でたしかめていただきたい。【「図書館の風」No.49-2】 さいごに、どのような思いで地方セミナーを開催したか、「開催にあたって」と「対談」につ いてのチラシの文章を記しておきたい。 宮澤賢治学会・地方セミナー開催にあたって   2004.5.1 2004年5月1日、琵琶湖の東岸、そほぼ中央に位置する能登川町で、宮澤賢治学会地方セミナーを 開催します。宮澤賢治が生まれた岩手県は、かつて日本の辺境とでも言うべき地でした。賢治さ んはその辺境の地にイーハトーボという、いのち響きあう世界を見、「たしかにこの通りある世 界」として、私たちの前にさしだしています。この度の地方セミナーのテーマは「辺境で診る、 辺境から見るです。これは、実は今回の地方セミナーの講師のお一人である医師、中村哲さんの 最新の著書のタイトル名です。中村さんは、1984年パキスタン北西辺境州のペシャワールでアフ ガン難民と接し、以後20年にわたって、パキスタン、アフガニスタンの地でライ(ハンセン病) に苦しみ、貧困で診察をうけられない人々のために活動をおこなってきました。 20年に及ぶ中村哲さんの活動を支えてきたのは、その医療活動を支援する目的で結成された福岡 市に本部をもつペシャワール会の約12,000人の会員のボランティア活動です。中村哲さんとペシ ャワール会の活動は、「東二病気ノコドモアレバ 行ッテ看病シテヤリ 西二ツカレタ母アレバ」 の「雨ニモマケズ」を彷彿とさせるものがありますが、中村哲さんは、こうした活動の中で、ア フガンの地で賢治の本を読み、昨年、京都で行われた講演会で、かの地で賢治の作品を読むと、日 本の今のありいうが、その作品を通してよく見えるという趣旨のことを述べられていました。 今回の今一人の講師である井上ひさしさんと宮澤賢治との深い関りについては、井上さんのエッセ イや戯曲「イーハトーボの劇列車」などの作品で、多くの人に知られています。 井上さんが小学校6年生の時に、「生まれてはじめて、雑誌ではなく単行本を、それも自分自身の 判断で、しかも貯めておいた小遣いで買った」のが、井上さんの蔵書第1号である「どんぐりと山 猫」であったということ。この本との出会いを、井上さんは「私の個人史における生涯十大ニュー スのひとつ」と言われていますが、井上さんの生き方とその著作の根底には、いつも賢治の世界と 響きあうものがあるように思われます。 また、「国をあてにしない生き方から一歩先へ、モデルのない時代だからこそ、新しいモデルをわ たしたちでつくっていく。個人から町へ、地域から国づくり」を考える「生活者大学校」の開校、 その長年にわたる活動は、まさに、「地域(辺境)で見る 地域(辺境)から見る」活動そのもの と見えます。 この度の地方セミナーでは、「辺境で診る 辺境から見る」ことを、その生き方の根っこにおかれ ている中村さんと井上さんをお迎えして、「辺境で診る 辺境から」とは何かを、じっくりお聞き し、参加されたお一人ひとりが、「ほんとうの生き方」を、自ら考える場となればと考えています。 地方セミナー開催という天空からの贈り物とも思える時を与えていただいた能登川からは、この機 会あらためて出会えた賢治さんとの出会いの喜びの小さな声をお伝えできればと願っています。 さいごになりましたが、能登川町での地方せみなーの開催にあたりましては町の内外の実に多くの 方々のご助力をいただきました。心からお礼申し上げるものです。ーーー ”ほんとうの生き方”   をよりよく考える言葉が紡ぎだされる対談 このたびの中村哲さんと井上ひさしさんの対談を企画いたしましたのは、井上さんが中村さんの 活動のはやくからの支援者であり、よき理解者であるからです。井上さんはナk村さんの活動に 心からの感銘を受け、紹介する話を、すでに井上さんゆかりの地、山形県置賜農業高校でされて います。日本の農業、戦争と平和についても深い関心を持ち、積極的に発言してこられた井上さ んと、内戦が続くなかで20年間、闘う平和主義を貫いてこられた中村さんの”賢治”を切り口と した対談が実現すれば、宮澤賢治の世界の広く深いひろがりが感得される対談になるとともに日 本で今を生きる私たちの生を支える労働について、平和について、又一人ひとり”ほんとうのいきっ方”をよりよく考える言葉が紡ぎだされる対談になるものと確信いたします。