5月の「出前の本の話」は5月2日とお知らせしていましたが、申し訳ない次第ですが5月10日(金)13時~14時に変更となりました。
(梅田さんのこと,梅田文庫について)
梅田さんと出会ったのは1,987年のこと。私は当時福岡市に住んでいた。1979(昭54)年に開館した、博多駅近くの
財団法人記念会館(232㎡の図書室)につとめていて、9年が経った頃だ。その頃人口116万人(1985年)の福岡市には
市立図書館は1館だけで、私には年々歳々、図書館をめぐる状況が悪くなっていると思われた。各地の図書館を見、
図書館づくりに取り組んでいる、仙台市の市民の会のすさまじい活動を知るなかで、市民として図書館のあり方を考
える取り組みが必要だと考えるようになっていた。
梅田さんとは、住まいが近く生協の利用を通して出会っていた。市民が自ら福岡市の図書館の図書館のありようを考え
る場をつくりたい。梅田さんはその会の代表をすっと引き受けてくださった。こうして「福岡の図書館を考える会」が
が始まった。毎月一度の定例会を市民センターの会議室でもち、だれでも参加できるよう、新聞の集会の案内欄に掲載
してもらった。市が福岡市の図書館計画をもたず、それを作る動きがないのなら、私たちでそれをつくろう。こうして
一年に及んだ取り組みが始まった。この間のことは、梅田さんが『みんんの図書館』(1988年10月号)に投稿された文
章があるので、以下に掲載します。
私は1988年12月1日から苅田町に設置された図書館開設準備室に急きょ行くことになり、1990年5月の図書館開館に向け
て取りくむ事になり、「福岡の考える会」での活動を共にすることができなくなってしまった。梅田さんと行動を共に
した時間は2年たらずだった。苅田町のあとは滋賀県に転じたため長い期間にわたって、お会いすることができなかっ
た。滋賀の図書館を退職し福岡に帰って来てからの再会だった。
この間、私は梅田さんが、私がお会いする以前、どんなことをされてきたのかをお聞きすることなく過ごしてきた。
帰福後、ぽつりぽつりとお話をお聞きすることがあったものの、コロナ前の3年前に、梅田さんのご本をお引き受けする
ことになり、そのご本を通してあらためて梅田さんの足跡を訪ねる日々を過ごしている。梅田さんのことで、ご本に関
わってお知らせしたいことは、これから折に触れて記していきます。
(苅田には1995年3月まで、1995年月~2007年3月までは滋賀県能登川町立図書館・博物館(うち2006年1月~2007年3月
東近江能登川図書館)
『みんなの図書館』(1988年10月号)第35回図書館問題研究会 全国大会の記録
実践報告
福岡の図書館を考る会の取り組み 梅田順子
私たちの福岡の図書館を考える会は、まだ一年ちょっとです。この二月に『ニ00一年われらが図書館』というのができ
ました。この本のできる過程が私たちの歩でありました。そこでちょっと、私の一年を振り返ってみたいと思います。
去年の四月頃でしたk、図書館員の才津原さんという方と出会いました。その時に、「図書館を利用していらっしゃいま
すか」と聞かれたんですね。私は「いいえ」と言いました。それが始まりだったんです。続いて、「どうしてですか」と
聞かれて、私もどうしてだったんだろうと考えました。やっぱり家から遠いんですよね。図書館っていうのが。バスを乗
りつがないといけないし、また本は自分で買おうと思っていたし、図書館に私の読む本があるかしら、と思ったり。「ま
だ間に合ってますかr」という答えをしました。
その時、才津原さんが「それは、図書館が自分のものになってないからじゃないんですか、みんなのものになってないか
らじゃないんですか」と言われたんですね。そして「こいう本があるんですよ」と、たくさん本を貸してくれたんです。
前川恒雄さんの『われらの図書館』とか漆原宏さんの図書館の写真集、関千枝子さんの『図書館の誕生』、『図書館の街
浦安』、『まちの図書館』などいろいろでした。ほんとにショックでした。私は何も知らなかったんです。それがきっか
けで、私たちが何も知らないっていうことが図書館を遠ざけているんだと思ったんです。
今日もここに来る汽車の中で昔を思い出してたんですが、戦前は、ただ本を借りて静かに読んで帰るという図書館でした。
やがて敗戦。敗戦前後は、教科書もない時代でした。それから県立図書館ができて、県立図書館にも行ってみたんですけ
れども、なんだか堅苦しくて、開放されてない感じで、行くのをやめました。その頃だったでしょうか。図書館が学習室
として使われるようになったと思います。
その後、一九七五年頃、市民図書館ができたんですけど、あまりにも辺鄙な所で船着場の前にあるんです。半分は海です
から、人が住んでいないんです。私もそのとき反対したように思います。それからだんだん本屋さんが増えて、本が増え
て、今では、本屋さんに行っても選ぶのに困難なようになり、注文して買うようになりました。
そして現在、平和町という福岡市の中央に近い所に住んでいるんですが、これがまた公共施設に縁遠い陸の孤島と言われ
ているような所なんですね。だからもちろん図書館も遠いんです。そんなこんなでとうとう図書館とは縁がなく過ごして
まいりました。
先ほども言いましたが、本当に前川さんの本にショックを受けてからは、図書館が遠いのはなぜだろうかと考えるように
なりました。まd読みたい本がないと言わずにどんどんリクエストしよう、図書館を利用しないことが行政を怠慢にして
いるのではないか、また図書館を利用しながらどんどん要求をしていこう、そうだ、身近にっ図書館をつくろうと思うよ
うになりました。考えることは簡単ですし、また愉しいことでもありました。
まず、図書館を考える人を呼びかけよう。それで、この指とまれ方式で皆さんに呼びかけました。新聞のお誘い欄を利用
したり、チラシを作ったりしました。そして去年の十一月頃から定例日を決め、だいたい今は、三人から十人の方が集ま
ってみえます。まだ会員制にはしておりません。それから最近、図書館て、の話の出前はいかがということで呼びかけて、
ぼつぼつ出かけてはおります。
定例日は、まず福岡の図書館の実情を知ることから始めて、日のや浦安の図書館、水海道ほかいろんな図書館のスライド
を見ながら学習しました。新しくできた大宰府の図書館、小郡の図書館などをみんなで見学しました。新しくできようと
している筑紫野市の図書館、行橋市の考える会の人たちとの交流を持ちながら、話し合いをしました。そのとき気がつい
たのは、やはり福岡市の図書館の問題は、福岡県の問題であるということだったんです。
去年、私は、北海道に旅行することがありまして、置戸と訓子府の図書館に寄ってまいりました。おばが「なんで図書館
に行くの」と言いながら一緒に来たんですが、私が置戸で職員の方と話してるあいだに書棚を見てたんですね。そしたら、
「ああ、読みたい本がたくさんある」って言って声を上げたんです。そのときに、私は、この図書館はいい図書館なんだ
なっていうのが実感できました。
その後、埼玉の朝霞の図書館を訪ねました。そのときは、新しくできたばかりで開館前でしたから本は並んでおりません
でしたが、本当に本のある広場っていうようなつくりになっていまして、また置戸と違った図書館を見ました。そして、
そこでは、職員がとっても魅力ある人たちで、そのこともたいへんいいなと思いました。
また、私たちの図書館を考える会では、昨年は、建築家の三上清一さんをお呼びして、「建築家としての図書館づくり」
というお話をうかがいました。今年は、八広図書館の千葉さんの「本のある広場としての図書館づくり」というお話をう
かがいました。この図問研大会のあとでは、仙台の扇元さんに福岡にお出でいただこうと思っております。まだ、このよ
うに手当たりしだい見たり、聞いたり、学んだりの考える会です。
この『ニ00一年』という本ができた時に私たちは、市会議員の皆さんに配ってアンケートを求めました。もちろん市長
さんにも陳情書を添えて出しました。まだ返事はいただいておりませんが、それから、一年目にしてやっと「身近に」と
いう通信を出すことができました。まずできるところから一つずつやっていこうと思っています。
それから最近、私たちの平和町にある古い市営住宅が取り壊され新しく建て換えるという情報が入ったんです。もうとっ
さに、ここに図書館があったらいいなと思って、とりあえず近所の人たちと相談しております。もちろんどうなるかわか
りませんけれども。
今回の大会のテーマである『権利としての生涯学習を保障する図書館』、つくづくそうだと思います。これを言葉だけに
終わらせないようにしていきたいと思います。いつもみんなにとってどうなのかっていう視点を持って、これからもわれ
らの図書館づくりを目指していきたいと思います。
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