2023年3月26日日曜日

四辻藍美アイヌ刺繍展にようこそ No.108

自宅から近くの龍国寺と前原の旧商店街の一郭にある「糸島くらし×ここのき」の二つの会場で 「四辻藍美アイヌ刺繍展」が開催された。(2023年3月17日[金]~3月26日[日] 手のひらにのせて見られる小さな三つ折りのパンフレットからその内容を紹介します。 《主催された》 布工房ippon 岡本理香さんのあいさつの言葉から ―ーーーー 《 元々、インド、タイ、インドネシアなどの民族色強い布を扱う仕事をして いながらアイヌのことはあまり知りませんでした。漠然といつか北海道に行き アイヌ博物館に行ってみたいなぁ~っとボンヤリ思うくらいでした。 偶然四辻藍美さんを知り、その刺繍の美しさ力強さに驚き魅了されました。 藍美さんのアイヌ刺繍を見ていると植物にも星空や銀河にも、雄大な大地にも 見えてきます。 これだけの芸術を育んできたアイヌ民族がどのような暮らしだったのかにも興 味がわき、自分がこんなにも身近な民族の事を知らな過ぎたことにも驚いてい ます。 九州ではなかなか見る機会がないアイヌ刺繍。そして、四辻藍美さんにしか出 せない独得な世界観を皆さんと一緒に味わえたらと願っています。 》     ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 四辻藍美アイヌ刺繍展 2023日3月17日[金]―3月26日[日] ◎会場1 龍国寺 福岡県糸島市二丈波呂474 090-321-1020 ◎会場2 糸島くらし×ここのき おくのへや 10:00-18:00 福岡県糸島市前原中央3-9-1 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 龍国寺の会場には、四辻藍美さんの父、アイヌ文化研究者でありアイヌ童画作家であった四辻一郎編著の 『アイヌの文様』がおかれていて、初めて手に取ってみることができた。 今回の刺繍展の小さなパンフレットには、同書より、一部要約として、以下の文章がのっていた。 ーーーーーー 「村の娘がアツシの刺繍に時を忘れ針を動かしていました。娘は相愛の若者がまつりに着る晴着をどの男 の着物より美しく立派な文様に刺繍して贈ろうと思っていました。娘はまつりの日に若者が自分の創った アツシを着た姿を夢に描き魂をこめて文様の刺繍をしているのです。若者は娘にお礼として女子用のマキ リを贈ることにします。若者はくる日もくる日もマキリの鞘に文様を彫り続けました。娘と若者が伝えら れたアイヌ文様を大事に受け継ぎながら暮らしてきた姿が浮かびます。世界に誇るアイヌ文様を創りだし たアイヌの人々は優れた芸術家と言っていいでしょう。 ーーーーーーーーーーーーーー 四辻藍美 1941年、小樽市生まれ、国立育ち。 父親でありアイヌ研究家、アイヌ童画家の四辻一郎氏の影響で、アイヌ刺繍家となる。作品展とワークシ ョップをとおして、アイヌ刺繍と、その背景にあるアイヌの世界の魅力を伝えている。 ーーーーー アイヌ刺繍が展示されている会場は心しんとする美しい庭に面している。そこで四辻藍美さんにお会いした。 ほんのひと時のことであったが、言葉をかわすことができた。昨年2022年の夏、国立アイヌ民族博物館のある 北海道白老町で何人ものアーティストが参加するイベントがあり、四辻さんも参加されたとのことだった。 白老町には行ったことはないが、2016年の2月、私が登別市立図書館に呼ばれて行った途次、真っ白な雪が深々 と降り積もった小高い所にあった知里幸恵のお墓を訪ねたことをお話していた。あの日、空が大きく広やかで、 知里幸恵という人の地、その大地にたたずみ、風の声を聞いていたのだったか。 の地に感じられた。四辻さんの作品の一つ一つはいかにも白老の地になじんでいただろうと思われた。 ーーー 後日、3月25日(土)、もう一つの会場、”ここのき”を訪ねた。四辻さんのアイヌ刺繍の作品の一つん一つは もとより、一冊の絵本との出会いは思いもよらないことだった。 『ころぽっくるのしま』四辻一郎著・画(創作どうわ絵本3)あかね書房1970.11。うれしい出会いだった。 著者のアイヌの人びと、その世界への深い慈しみ、感動が息づいていてまっすぐ伝わってくる。

鹿家の 春の芸術祭 No.107

鹿家(しかか)は玄界灘に面した糸島市の西端、西隣は佐賀県唐津市だ。鹿家地区にあった元小学校の分校の建物が今は地区の公民館になっていて(職員はいない)、3月4日、そこで”鹿家の春の 芸術祭”が開かれた。仕掛け人は鹿家に住む東麻美さん。公民館では月に1回、「バンビの会」という主に年配の女性たちの集まりが開かれていて、ゲームや歌など懇親の場を持たれてきた。「バンビの会」では時折、麻美さんの三線を伴奏にみんなで唄をうたったりしているなどと聞いていたので、”春の芸術祭にでかけたのだ。自宅から西九州道を通って20分弱、昨年5月に開館した”はつしおとしょかん”(初潮旅館)は公民館から歩いて10分の所にある。 チラシから 鹿家の春の芸術祭 ~JR筑肥線100周年 春のお祝い~ 3月4日(土)13時30分~15時  場所:鹿家公民館 【参加無料/投げ銭】  ハーモニカ演奏    沖縄の唄三線   大迫力!三四郎のライブイベント!   紙芝居は何かなぁ   桜の蕾も膨らみ始める3月4日に、鹿家公民館で【春の芸術祭!】を企画いたしました 沖縄三線で民謡や鹿家にまつわる歌を歌ったり、元鹿家出身でハーモニカを吹かれるのりこさんと 一緒に童謡を演奏したり、紙芝居の時間もあります! 展示も企画中 クライマックスは、大きな紙に書を描くライブイベント! 全国的にも数が少ない木造の鹿家公民館は、映画撮影の場所に使わせて欲しい!と言われたことがあると 聞きました。文化財のような貴重な建物も芸術そのものだと感じます。会 いろんな芸術に触れる日☆ 子供も大人も、チャンプルー(沖縄の言葉で、混ぜこぜ)で、ご参加お待ちしております( へへ) ★40名様程度(予約不要)  《企画:上鹿家 東☎・・・・・協賛:糸島の図書館の未来を考える会 公民館を訪ねてまず驚いたのはその建物の佇まいだ。1946年生まれの私からみても、もう一昔前の小学校だろうかという印象。教室は一部屋だったと思われる建物の大きさがいい。履物をぬいであがると、もうひとつの懐かしい世界に入り込む思いがした。かつて教室だった部屋に入ると左側の壁の一面に、台紙に貼られた昔の学校の写真がたくさん展示してあった。麻美さんがこの地区の小学校の福吉小学校を訪ねて校長先生からお借りした資料から、これはと思うものを拡大コピーしたものだ。写真に見入る人から思わず声がもれる。入り口の右手には麻美さんがつくったクバの人形、そして、その隣の机の上に置かれていた何冊もの昔の教科書を見ていて驚いた。「ぼくのからだ」(岩松栄)、「いわしの村」(まつながけんや)、「はらっぱ」(福岡県小学校児童文集・福岡県小学校国語教育研究会編)にならんで、「数のおいたち」(遠山啓・青葉書房・昭和32年6月)がおいてあった。ーーーーー わー遠山啓(ひらく)さんの本だ この冊子の奥付をみると、「著者略歴」として「明治42年(1909年)熊本生まれ。東北帝国大学理学部卒業。東京工業大学教授、理学博士。東京都目黒区千束1292」と記されている。〔読者はこの住所で直接、著者に手紙をかくこともできたのだ!〕「著者略歴」の上段には「NDC410 遠山啓著 数のおいたち 学校図書館四6 P100 22cm」とある。数学者であるとともに思想家だと、その著作と活動を知って思ってきた人だ。吉本隆明さんが戦後、学生として出会っていて、遠山さんのことを書いている。発行は昭和32(1957)年6月1日、私が11歳で小学5年生のときのものだ。〔著者48歳〕目次とその内容をざっと見ておどろいた。ゆっくり読んでみたいと思われる見出し!、「目次」と「あとがき」のことばを紹介しよう。                もくじ          5(頁)  【漢字にはすべてふりがな】 数字のいろいろ                         8  数(かず)のたんじょう                    8 人間の指                          18 指と算数       19 12をもとにした数(かず)                 31 60をもとにした数                     30 20をもとにした数                     35 2をもとにした数                      38 エジプトの数字                       43 バビロニアの数字                      48 ギリシアとローマの数字                   53 ロシアの数字                        59 日本の数字                         60 アラビアの数字                       62 分数と小数                         66 そろばんんのおいたち                 75 算数なぞなぞ                     80   そうてい・中島靖・・、  さしえ・藤井二郎 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー あとがき                             ——― 父兄と先生の方々へ ―― この本は、1年生から4年生までに、子供たちが勉強した数のお いたちを歴史的にのべたものです。1,2,3……という数字がど のようないきさつで生まれてきたかということも、子供が興味をも つことばをでしょう。ふだん使っている1,2,3……でも、実にたく さんの人々が長い間くふうを続け、少しずつ改良されて今日のよう な形のものになったことがわかれば、子供たちの勉強の意欲を高め るだけでなく、物事を歴史的に見る態度を育てていくだろうと思 われます。また数えるもとになっている10という数でも、人間の手 の指から生まれたものであることがわかると、子どもたちは一そう面 白がることでしょう。10進法がでてくるまえにも2進法や5進法が あり、今でも20進法がのこっていることは、子供の数に対する見方 を広くさせうにちがいありません。 そのつぎには、ソロバンの歴史をかきました。毎日使っているソ ロバンが原始的なものから、しだいに発達して現在のものになるま での歴史にも、やはり人類文化の発展が反映されています。ソロバあに ンがさらに進んで計算器になることがわかったら、子供たちの学習 意欲はさらに高まることでしょう。子供たちが活動する20世紀の後 半世紀はソロバンではんく、電子計算機の時代なのですから、今か らそのようなもにに対する心がまえをつくっておくことが必要です。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー さあいよいよ春の芸術祭のはじまり はじまり 1.はじまりは かつて鹿家分校に通ったのりこさんのハーモニカと東麻美さんの唄・三線から 大きな黒板の左右と壁の一面には、麻美さんが墨で大きな字で手書きした歌詞がいく枚も貼りだされていた  ・ふるさと  ・〈鹿家のバンビ〉、”小鹿のバンビ 童謡替え歌(3番まで)  ・涙そうそう  ・十九の春 そして驚いたのは、沖縄口で5番までかかれた  ・鹿家ー我が生まり糸島   ①包石 帯石 姉子の浜におりる    海と山のあ鹿家 忘りぐりしゃ    鹿家 鹿家 我が生まり糸島 【2番以下、くり返し】   ④高杉晋作 野村望東尼を救う    永見寺で かくまったあの日 忘りぐりしゃ    〈くりかえし〉   ⑤福岡の最西端 おだやかな玄界灘    歴史と文化の鹿家を 忘りぐりしゃ   「てぃんさぐむ花」などいくつかの沖縄の唄・・・唄と手拍子でみんなの心がはじけるようだった。 2.みんなが三線の伴奏で、手拍子をとりながら歌った、はじけるような時間のあと、紙芝居の出番、わたしは久しぶりの紙芝居と絵本を読んだ。   ・『ばけくらべ』和歌山静子   絵本は   ・『おならうた』谷川俊太郎・原詩、飯野和好・絵   ・『だれかさん』文・内田麟太郎、 切り絵・今森光彦 (今森さんの『魔法のはさみ』、『Aurelian』など切り絵の作品集を紹介。   ・『知らざあ 言って 聞かせやしょう』河竹黙阿弥・絵、 飯野和好・構成・絵、 斎藤孝・編 3.トリはお待ちかね、三四郎さんの書のライブペイント   椅子を片づけ、ビニールシートを広げた上に大きな紙を拡げて、三線がひかれるなか、三四郎さんが太い筆を手に白い台紙の上にかきはじめた。   いま、そこで浮かぶ言葉を即興でかかれているようだ。三線の音と手拍子、歓声の中で時には手と足でかいていく。赤、青、緑、黄色の顔料が   紙面に踊る中、三四郎さんの心の声を刻むことばのなかから、純朴という大きな文字が現れた。描きあげられた時、いっせいに拍手と歓声、   そこにいる人がたがいに共有した時間が生まれていた。書き終えて一言語られあと、一仕事終えたようにたたずむ三四郎さんの表情が穏やかでとて   もよかった。 さいごに三四郎さんこと、鳴海三四郎さんのこと 鳴海三四郎  書心舎 ・・・大分県佐伯市出身 山と海に囲まれた自然豊かなところで育つ。 漁師の家に生れ、小さい頃から両親と一緒に海の雄大さを満喫する。 いろんなことを肌で感じながら自分を表現し、そこから感じるのを 筆で言葉や絵などを描き始める。 現在は商業施設やイベント会場などでの書き下しやライブペイントなど その活動を全国各地に広げております…(引用)