2019年3月30日土曜日

犬も歩けば 2月の初めのうれしい出来事    No.21

田畑に隣り合った、標高50メートルの地にある現在の家に移り住んだ2011年2月から、
(それは東北大震災、福島第一原発の`事故`があった年だ。)早8年がたつ。住み始めて間もなく玄関先に絵本などをおいて、とくに文庫の名前をつけることなく文庫を始めた。40年近く前、太宰府の四王寺山の登り口に格好の借家を見つけ、その離れで文庫(四王寺文庫)を始めて以来、私にとって2度目の文庫だ。

長野ヒデ子さんとの再会で

四王寺文庫を始めるにあたり、近所の電信柱などに文庫を始めますと描いた看板をとりつけていたが、それを見てやってきた子どもたちの母親のお一人に、当時、絵本作家としてデビュウされる前の長野ヒデ子さんがおられ、近くにお住まいだった。ある日のこと、来宅された長野さんから丸木俊さんへの深い思いのこもったお話をお聞きしたことが心に刻まれている。時を経て能登川町立図書館に講演会の講師として来てくださった時、20数年振りにお会いした長野さんが鎌倉の自宅から持ってこられたのが、かつて四王寺文庫で子どもたちが作った多面体の折紙であったのには驚かされた。

自宅の文庫に`風信子(ヒアシンス)文庫`という名前をつけて、あらためて文庫開きをしたのは2013年8月6日、庭の一角に半年がかりで建てた小屋の中に文庫の本をおいた。埼玉から福岡市の図書館に紙芝居の講座の講師として来られていた中平順子(なかひら よりこ)さんに草花あそびの場を設けていただいての文庫開きだった。(毎週土曜日13時半~16時半;二丈長石412-1)

文庫の名前の由来は

いつのことだったか、新潮社が出しているPR紙『波』のある号をたまたま手にした時、加藤周一さんの短いエッセイのタイトルが目にとびこんできた。花 信 という文字に続けて、ひらがなで「はなだより」と記されていた。そのひらがなの「はなだより」という文字を目にした時、`かぜ だより`ということばが、`風 信`という文字とともに頭にうかんでいた。そして、私の場合は「風 信 かぜだより」だなという思いがやってきた。時をおいて折々きこえてくる、風立ちぬ いざ生きめやも、と言う声が、その時、どこか遠くから聞こえていたのかもしれない。

それからしばらくしてからのこと、能登川の図書館を退職する数年前、2005年頃のことだったと思われるが、私の周りで携帯電話を持つ人が加速度的に増えるなか、私が携帯を使い始めたのはずいぶん遅かった。できるだけ近づかないようにという意識しない思いがあったのかもしれない。何がきっかけであったか、いよいよ携帯を手にすることにした。その時、まず聞かれたのがメールアドレスで、考えるまでもなく口をついてでたのは、「かぜだより」であった。(kazedayori・・・) アルファベットの表記であるため、ひらがなも漢字もないものの、私の中では、「かぜだより 風 信」、@・・・であった。こうして私のメールアドレスが決まった。

それからまた時を経て、1939年、24歳でなくなった立原道造が自分のための小屋(別荘)として構想し、生前には建てられることのなかった「ヒアシンスハウス(風信子荘)」について書かれた本に出会った。ヒアシンス(風信子)という文字が目に入った時、文庫に名前をつけること、その名は風信子(ヒアシンス)文庫だと瞬時に決まっていたように思う。私が名前を考えて決めたと言うより、天から降ってきたもののように思える。後日、いそいそと近くのホームセンター行き、ヒアシンスの球根を両手でこぼれ落ちるほど買い求めた。3月半ばの今、文庫の前の庭先で白、青、ピンク、紫の花が春のまだ冷たい風に揺れている。

産の森学舎と さんのもり文庫のこと

ヒアシンス(風信子)文庫に本の出前の注文があったのは2015年の10月頃だっただろうか。文庫に本の出前の注文が舞いこむとは思いもよらないことだった。最初に出前の注文をしてくれたのは、文庫から車で10数分で、海と山が間近な佐波という集落の中にある`産の森学舎`というフリースクールだ。かつては牛舎として使われ、その後は納屋だったスペースの2階をスタッフが自ら改修して、2015年4月に開校、3名(小学1年生2人、4年生1人)で始まった小さな学校に4年後の今は22名が通っている。昨年4月からは児童2名の中学部も始まった。

スタッフは開校時の3人の子どもたちの両親である大松康、くみこ夫妻と西尾博之、昌子夫妻、それに隔週だが「おんがく」と「しぜん」の外部講師として河合拓司さん(ピアニスト/作曲家/即興演奏家)と野島智司さん(ネイチャーライター、興味深い「マイマイ計画」という活動を主宰)のお2人だ。《「くらし」と「あそび」と「まなび」をひとつながりで見つめ直す》ことから、体験・表現・対話などを大切にした、こどもも大人も成長する場作りを目指されている。

「しぜん」の授業を担当する野島智司さんの著書
「小学部では《5つの基本コンセプト》をもとに、授業や一日の流れを組み立てていきます」と、まずこの小さな学校の目指すものが掲げられている。

 1.からだ全体で学ぶ
 2.じっくり丁寧に学ぶ
 3.湧きあがってくるものを大切にする
 4.あそび、くらす中で学ぶ
 5.お互いに学び合う

小学部の1日の流れをみると、8時半から朝の会(「輪になって座り、話し合いや歌あそびをしながら大きな家族のような一日の始まり」)
9時から異年齢学級による2時間1コマの授業。『大人が自分の大好きな分野について、その面白さと「好き」を伝える時間。五感や身体性をともなうワークショップ形式の授業を主』とする。『子どもたちは、他者の「好き」の窓 を通じて世界と出会い、やがて自分自身の「好き」と出会います。』
(かつて吉田秀和さんが朝日新聞の「音楽展望」でだったか、「書くというのは自分(私)の好みを普遍化?すること」という言葉を思いだす。)

「授業の種類」を聞いて、驚いた。(こんなやり方があるのか)
・もじとかず
・美術
・音楽
・しぜん
・自学(「手づくり教材を使った自習時間」)

そうしてさらに驚いたのが、
11時から始まる、「食事の準備・食事」の時間。
ホームページの言葉をそのまま紹介したい。
食事の準備は学びの宝庫。地元の無農薬農家から直接届く旬の野菜と伝統的な製法でつくられた調味料を使って、当番の子どもたちが昼食の支度をします。その日ある食材を見て献立を考えるところからスタート」
(子どもたちが決める当番の決め方にも驚かされた。)

13時頃から始まる「自由活動」の時間の過ごし方にも目を見張った。
食後は、自分がどのように過ごすかを決められる時間。本を読む子、授業の続きをする子、ごっこ遊びをする子、お裁縫をする子、田んぼでボール遊びをする子・・・それぞれの時間を思い思いに過ごします。」
15時 「日記・帰りの時間」のあり方にも!!
「片付けを済ませたら、一日を振り返る日記をつけます。年度末などに読み返し、子どもたちが自分の成長を自分で見出す記録となります。」
15時30分 下校

《『好き』を通して 自分と向き合う  『好き』を使って 世界とつながる》を目指す
中学部についは、そのほんの一端の紹介にとどめる。
(興味をもたれた方は、下記の学舎のホームページをご覧ください。)

「中学部では《5つの基本コンセプト》に加えて、学びのサイクルをインプット(知識を得ること)ではなく、アウトプット(知識を使うこと)から始めるための《6つのアウトプット》を意識して、興味・関心のある事柄を自ら探求できる「自立した学び手」を目指します。」

よく考えられた《6つのアウトプット》の内容、それが単なるお題目ではなく、スタッフの一人ひとりが、自然体でしなやかに日々実践されていることに驚かされる。

1.問いを立てる
2.対話をする
3.デザインをする
4.探求する
5.協同する
6.表現する

食事の当番をふくめ、私自身子どもたちにまじって参加したいと思う時空がそこに広がっている。わたしが子どもだったら、なんとしても通いたい学校だ。

産の森学舎  http://www.sannomori.org/


さんのもり文庫のこと 風信子(ヒアシンス)文庫への本の出前の注文

産の森学舎では開校した年の11月、`さんのもり文庫`を開設、「ひとはこ本棚」(本棚10箱はスタッフの手製)に出展を呼びかけ、出展者のお気に入りの本を展示している。(現在では土、日を各2回の9日間)子どもたちの出展もある。風信子文庫にも声がかかり、1回目から毎回、本の出前をしている。

それぞれの「ひとはこ本棚」の上には、さんのもり文庫で用意されたA4の大きさの用紙がはってあり、そこには、

・・・・・・・・・・・・・さんのほんだな
・おしごと・じこしょうかい

・このほんをえらんだりゆう(テーマ、おきにいりのりゆう、どんなひとによんでほし
 いか、など)

・いつもほんをよむのは・・・(じかん、ばしょ、きぶん、りょうなど)

の欄があり、出展者それぞれの言葉が書かれていて、私にとっては出前先で、こんな本があるんだ!!と出展された本を見る楽しさだけでなく、本と人との出会いの生き生きとしたあり方が伝わってくる手書きの文字と対面するうれしい時間でもある。とりわけ子どもたちが一生懸命に書いたと思われる言葉に幾度となく惹き込まれている。風信子文庫が(その出前で)私に授けてくれた思いもしなかった贈り物だ。
また、`さんのもり文庫`の本がおかれている場所は、私が何度も頭をぶつける太い梁が低く部屋の中央に走っている小さなスペースで、子どもたちが本と出会う場としてこの上ない空間になっている。その場に身をおくだけで懐かしい時間が紬だされているように思われる。

さんのもり文庫への出前の本

さんのもり文庫に出前 2018.2.2
出前の本
本の出前 2つ目の注文は・・・`ノドカフェ`

さんのもり文庫への本の出前が始まってから2年が経った2017年の10月だったか、本の出前をできないだろうかということで自宅に訪ねて来られた方があった。坂本敏幸、強美(きよみ)さん夫妻と生後7ヶ月の、のどかちゃんだった。お話によると糸島市内では初めてのブックカフェをJR 筑前前原(まえばる)駅から、歩いて10分くらいの所で始めるとのこと、`さんのもり文庫`で風信子(ヒアシンス)文庫を知ってやって来られた。ブックカフェの名前は`ノドカフェ`

       ノドカフェ www.facebook.com/nodocafe313/

『上野英信 闇の声を刻む』展に協賛して

11月の開店の初回から出前をすることになった。ちょうどその時期に福岡市文学館で福岡市総合図書館と市の赤煉瓦文化館を会場にして、実によく準備され充実した内容の展示や講演会等が企画されている時だった。『上野英信 闇の声を刻む』展(11/10 ~12/17)がそれで、風信子(ヒアシンス)文庫からは、勝手に協賛『上野英信 闇の声を刻む』展として、英信さんや、上野晴子さん、上野朱さん、雑誌『サークル村』や山本作兵衛さん、森崎和江さん、谷川雁さん、葦書房の久本三多さん、現在は石風社の福元満治さんなどの本を出前した。


上野英信・上野晴子・上野朱さんの本
『王国と闇 山本作兵衛炭坑画集』葦書房 1981(昭和56)、『筑豊炭坑繪巻 山本作兵衛畫文』1973
『追悼 上野英信』上野英信追悼録刊行会 制作・裏山書房 印刷・山福印刷 製本・ゴトー紙工 1989
上記の2冊と同じ(うち『筑豊炭坑繪巻 山本作兵衛画畫文』も葦書房 1973(昭和48)


『サークル村』
『闘いとエロス』三一書房 1970 / 『ははのくにとの幻想婚 森崎和江評論集』現代思潮社 1970
『まっくら』三一書房 1977 【初版『まっくら 女坑夫からの聞き書き』は理論社刊 1961 】
 


新聞に「ノドカフェの開店」を知らせる紹介記事。

毎日新聞【2017年(平成29年)12月10日(日)】の地域欄に、本棚の前で敏幸さんがのどかちゃんを抱え、強美さんが、本の表紙に上野英信、晴子夫妻の写真が載っている『蕨の家 上野英信と晴子』(上野朱著 海鳥社)の本を、表紙を見せて両手で持ちカメラに向かっているカラー版の大きな写真が掲載されている。「上野英信さんの関連本を集めたコーナーを開設した「ノドカフェ」の坂本さん夫妻」と写真の紹介文を掲載している。

3段の記事の右側に2行の大文字の縦文字の見出し。

いとしま先月オープンのブックカフェ
「ゆっくり良い本楽しんで」

また上段にも横書きの見出し。さらに大きな活字で。

炭鉱記録作家 上野英信さん特別展

(本文は以下の通り)
【糸島市前原中央3で11月にオープンしたブックカフェ「ノドカフェ」で、筑豊地域の炭鉱の暮らしを伝えた記録作家、上野英信さん(1923~87年)の著作など約30冊を集めた特別展が開かれている。17日まで。【青木絵美】 17日まで
カフェは坂本敏幸さん(56)と強美(清美)さん(42)夫妻が「良い本をゆっくり楽しめる空間を」と始めた。愛読書を中心とした約400冊を自由に読める。また、同市で自宅を開放して文庫活動をする元公立図書館長、才津原哲弘さんの協力で、テーマに沿って本を紹介する特別コーナーも設けた。

上野さんの関連本の展示は、没後30年に合わせて福岡市総合図書館などで開催中の企画展にちなんだ。妻晴子さんや長男朱(あかし)さんの書籍、炭鉱を撮った写真集、ユネスコ「世界の記憶」に登録された炭鉱記録画家、山本作兵衛の画集などを並べた。強美さんは「本を通じ、炭鉱労働者の懸命な仕事の上に成り立つ今の豊かな暮らしを改めて知ることができる」。午前11時~午後5時で木曜は休み。ワンドリンクの注文を。
ノドカフェ 090・1852・1102。】

『詩集小さなユリと』復刻版 黒田三郎 夏葉社(武蔵野市吉祥寺北町1-5-10-106)2015.5
【白猫のちらし・・・『アルテリ七号 ほんのり発売』】 
坂本さんご夫妻によると、この記事を見て来店された方が何人もあったとのこと。

驚いたのは、それから1年を過ぎて、自宅の近くの龍国寺というお寺での集まり
にでかけていた時、休憩の時間に私に声をかけてこられた女性がいて、ノドカフェで文庫書き手の本を見たことを話され、かつて上野英信さんの告別式に参加され、その際に入手されていた配布資料(「惜別 上野英信さん:告別式1987.11.29・上野英信告別式実行委員会)  、その方にとってとても大切なものと思われるものを、わざわざ私に(実際は風信子文庫にだとおもう。)持ってきてくださったことだ。40数年前にも、同じような経験をしたことが思い返される。それは私にというよりは、何か託されたもののように思われて授かることにした。



内容:①表紙の裏側に英信さんの「写真」を掲載(毎日新聞社刊『江成常夫写真集・百肖像』より、【この写真の撮影時のことについては、上野朱著『蕨わらびの家』に「百肖像」と題する一節があり、撮影を巡って心に刻まれるエピソードが記されている。またその前のページには「風の歌」と題する上野朱さんの母晴子さんの「心に吹いていた風」をめぐっての、心しんとする文章がおさめられている。】
②「著作目録」著書の表紙の写真・16タイトル

③『私の緑化闘争』上野英信(月刊グリーン・パワー 1987年8月号掲載;「この一文は一九八七年五月、九州大学病院入院中に執筆されたものである。

この小さな冊子には、1枚の新聞の「切り抜き」記事がはさみこまれていた。【『わらびのともしび』上野朱】の一文だった。(西日本新聞2018.9.9)「筑豊文庫」とは何か、それはどのような場であったのか。「わらびのともしび」とは何かが、心深く伝わる文章だ。

上野英信さんのこと 「上野英信展 ━ 闇の声をきざむ」

上野英信さんが亡くなられて 32年、上記の新聞記事で、あるいは福岡市文学館が主催した没後30年の企画展で初めて上野さんの名前とその足跡を知った人も少なくないと思われる。上野英信とはどんな人か、どのように生き、その`闇の声をきざむ`仕事を通して、いまを生きる私たちの前に何をおいているのか、何を問いかけているのか。なぜ今、上野英信なのか、この度の福岡市文学館で上野英信展を企画した学芸員が書いたと思われるチラシの裏面の文章から、上野英信さんの姿がたち現れてくるように思う。

チラシ(その裏面)から

「記録文学者、上野英信。大日本帝国陸軍兵士であったひとりの男が原爆にあい、地獄と化した心身を抱えてたどり着いたのは筑豊の炭鉱だった。一筋の光もささない坑内に、男は、赤い旗を立てる。闇を拠点として男は、坑夫となり、作家となった。近代以来炭鉱は、日本資本主義の原罪を一身に引き受けた場所であった。どこまでも奪いつくされて坑夫は、しかし英信に、人間とは何か、労働とは何か、人が人を信じるとは、愛するとは、連帯するとはどういうことなのかを教えた。言葉を奪われ続けた彼らは、誰より豊かな言葉の持主だった。闇に潜む言葉を我が手に手繰り寄せようとして英信は、一歩またいっぽと、闇深く、魂不覚へと、ペンの力で掘り進んゆく。「下罪人」として生きて、毛sれてゆく坑夫たちの地底の声を、自らもまた帝国主義の「業」を担ぐモノとして、一心に記し続けた。そこに火床があると信じ、闇を砦に「日本を根底から変革する」のだと願いきざまれた「地獄そのものとしての人間」の言葉をいま、私たちの場所に聞きたいと
思う・・・・・・・・・・・・・・・・・」

チラシ(裏面)






一枚のチラシ(そのデザイン、文章)からも伺がわれることだが、このたびの上野英信展は「闇にきざむ」という直截な展示名に始まり、展示,講演、読書講座等とじつに濃密な内容であり、改めて上野英信展を企画された学芸員の渾身の力をつくしての取組みが偲ばれる。なかでも学芸員の田代ゆきさんが企画した深々とした思いこもる図録「2017福岡市文学館企画展 上野英信 闇の声をきざむ」別冊「上野英信 編著者一覧」には、その内容の多彩さ密度の高さに驚かされた。

図録「上野英信 闇の声をきざむ」福岡市文学館編集・発行 2017.11 .10 (1000円/税込み)
「別冊 図録」

第1章下放する・第2章記録文学者・第3章地底からの通信・第4章追われゆく坑夫と共に・第5章弔旗をかかげて・(別冊/編著者一覧)の本文の構成と文章の力はもとより、図録に収録されている英信さんの手書きの原稿の写真や英信さんと晴子さんの足跡を示す、思わず見入ってしまう貴重な写真の数々、その一枚一枚の写真が語りかける声の力に驚く。筑豊文庫の項の19枚の写真からは、そこにどのような人たちが行きかい、どのような時空があったかが伝わってくるかのようだ。文庫に集う子どもたちの表情、黒髪の、そして白髪まじりの英信、晴子ご夫妻の眼差し、丹前?を着た岡村昭彦さんの笑顔、笑顔で語りかける英信さんをまっすぐ見つめている石牟礼道子さんの姿、そして笑みを浮かべて語っている森崎和江さんにも出会える。

図録制作にあたった井上洋子、坂口博、田代ゆき、前田年昭。図録組版の前田年昭、デザインの長谷川義幸さんたちスタッフのみなさん、図録印刷をした城島印刷株式会社に感謝の思いを伝えたくなる1冊だ。

また、図録の裏表紙に記載されている協力者の文章も紹介したい。

【企画展示および図録制作につきましては多くの方々から貴重な資料、情報のご提供をいただきました。厚く感謝申し上げます。

資料提供・協力(五十音順・敬称略)
上野朱
池田益美、伊藤和人、緒方絵美、岡友幸、花だ理枝、 裴昭、松尾孝司、宮田昭、本橋成一、山福緑
田川市石炭・歴史博物館
葦書房、岩波書店、潮出版者、大月書店、海鳥社、影書房、講談社、径書房、社会新報、筑摩書房、ニライ社、未来社、大和書房、理論社、山福印刷、琉球新報 】

裴 昭、ペ・ソさんについての注記:図録76頁の山本作兵衛さんと(『画文集 炭坑に生きる』講談社、1967年10月の著者)上野英信さんの写真を撮影(1984年9月)。フォットジャーナリスト。著書に『となりの神さま:ニッポンにやって来た異国の神々の宗教現場』影書房 1988.10。】 

影書房と松本昌次さんのこと。影書房からは『上野英信集』(戦後文学エッセイ選全13巻中の12巻)が2006年2月15日に出版されている。影書房は松本昌次さん(前影書房代表)が1983年に、それまで編集者として1953年4月から30年近くいた未来社を辞め、同社にいた米田卓、秋山順子氏と始めた。その松本昌次さんが今年の1月15日、狭山市の自宅で亡くなられた。(1927~2019.1.15  91歳)振り返ってみると私は読者の一人として、未来社以来の松本さんの編集者としての仕事から、深い元気を授かり続けてきた。哀悼と感謝の思いを胸に、『上野英信集』の末尾に記された【編集の言葉  松本昌次】を引用しておきたい。

編集のことば   松本 昌次
「戦後文学エッセイ選」は、わたしがかつて未来社の編集者として在籍(一九五三年四月~八三年五月)しました三十年間で、またつづく小社でその著書の刊行にあたって直接出会い、その謦咳に接し、編集にかかわらせていただいた戦後文学者十三氏の方々のみのエッセイを選び、十三巻として刊行するものです。出版の一般的常識からすれば、いささか 異例というべきですが、わたしの編集者としてのこだわりとしてご理解ください。

ところでエッセイについてですが、『広辞苑』(岩波書店)によれば、「①随筆。自由な形式で書かれた個性的色彩の濃い文章。②試論。小論。」とあります。日本では、随筆・随想とも大方では呼ばれていますが、それは、形式にこだわらない、自由で個性的な試みに満ちた、中国の魯迅を範とする”雑文”(雑記・雑感)といってもいいかと思います。

つまり、この選集は、小説・戯曲・記録文学・評論等、幅広いジャンルで仕事をされた戦後文学者の方々が書かれた多くのエッセイ=”雑文”の中から二十数編を選ばせていただき、各一巻に収録するものです。さまざまな形式でそれぞれに膨大な文学的・思想的仕事を残された方がたばかりですので、各巻は各著者の小さな”個展”といってもいいかも知れません。しかしそこに実は、わたしたちが継承・発展させなければならない文学精神の貴重な遺産が散りばめられているであろうことを疑わないものです。

本選集刊行の動機が、同時代で出会い、その著書を手がけることができた各著者へのわたしの個人的な敬愛の年であることはいうまでもありません。戦後文学の全体像からすればほんの一端に過ぎませんが、本選集の刊行をきっかけに、わたしが直接お会いしたり著書を刊行する機会を得なかった方々をお含めての、運動としての戦後文学の新たな”ルネサンス”が到来することを願ってやみません。
読者諸兄姉のご理解とご支援を切望します。     二〇〇五年六月

「編集のことば」に続く「付記」も『上野英信集』がどのようなものか、どのように生まれたかを簡潔に述べている。あわせてその全文を引用する。

『付記』
本巻収録のエッセイのほとんどは、『上野英信集』全5巻(径こみち書房 一九八五年二月~八六年五月刊)を底本としつつ、各初出単行本にもあたりました。
本巻には特に、著者が晩年、趙根在氏と全力を投入して監修した『写真万葉録・筑豊』全10巻(葦書房 一九八四年四月~八六年一二月刊の『1 人間の山』の「あとがき」、『10 黒十字』の「終わりに」の二篇と、『廃鉱譜』(筑摩書房 一九七八年六月刊)の「あとがきに代えて」、および『上野英信集』全五巻の各巻「あとがき」五篇を収録しました。それぞれが上野英信氏の生涯とその仕事を語るにふさわしいエッセイと考えたからです。収録をご快諾下さった葦書房、径書房にお礼申し上げます。なお、「ボタ拾い」は、連載された五〇篇のエッセイから三〇篇を抄出させていただきました。

本巻の編集・校正にあたっては、上野英信・晴子ご夫妻のご子息である上野朱あかし、ひとかたならぬお力添えをいただきました。また、カバーに使用しました版画「昇抗」は、著者が生前制作されたわずか二枚の版画のうちの一枚で、本書のために新たに摺って上野朱氏がご提供下さったものです。末尾ながら記して深い謝意を表します。
(以上)

この度の福岡市総合図書館一階ギャラリーで開催された『上野英信展 闇の声を刻む』において、『上野英信集』の表紙に使われた版画の作品が、『上野英信の絵画』として、たたの貴重な絵とともに展示されていた。これらが「図録」に収録されている。また、「図録」には、この「版画」について書かれた上野晴子さんの「最初の夏」と、「ぼくは本当は絵描きになりたかった」と言っていた父」について上野朱さんが書いた「絵描きになりたかった物書き」もあわせて収録されている。

先の松本昌次さんの『付記』の文章の中で、上野朱さんの名前がそこだけ、上野朱と太い活字で刻印されていたが、文字通り、松本さんが上野朱さんから「ひとかたならぬお力添えを」授かったことを表されたものだと思われた。『図録』の作成者が、『図録』の末尾の「資料提供・協力(五十音順・敬称略)」の項の初めに、お一人だけ上野朱さんの名前を記載し、行を改めて他の協力者の名前を連ねて記載しているのも、上野朱さんの「ひとかたならぬ」力添えに対しての同じ思いからのことだはないかと思えた。

上野朱さんのことでは、最初の著書『蕨わらびの家 上野英信と晴子』(海鳥社2000.6)
を読んだ時、わたしは同じ時代を生きる書き手の中で、その人の文章を読むことがわたしにとって、楽しみであり、喜びである書き手が新たに現れた!と感じた。そして2冊目の著書『父を焼く 上野英信と筑豊』(岩波書店 2010.8)でその思いをいっそう深くした。
『蕨に家』の「はじめに」の





福岡市文学館発行 2017.10.15 連絡先/福岡市総合図書館文学・文書課
「文学館倶楽部」No.25(2017.10.15) 2頁
この図録が各地の図書館で誰もが手にし、見られるようであってほしい。(通常の出版流通ルートにのっていないこのような一冊を見逃すことなく発注し購入して自らの図書館の蔵書としていくことが、司書の仕事であると思う。)また、福岡市文学館が作成したパネル等を借り受けて、それぞれの図書館で工夫をこらした形で展示する図書館がでてきて、そのバトンが次々に手渡されていったらと思う。

2月の初め、ノドカフェでのうれしい出来事

ノドカフェには、当初は月に1度、現在は2ヶ月に1回の周期で本の出前をしている。持っていく本はテーマのある時も、無いときもある。その時節折々の本、またブックカフェの坂本さんの希望がある時は、できるだけそれに応えてと考えている。

2月1日、本の入れ替えで訪ねた時、坂本さんから「こんど、本(新刊本)の販売を始めました。今は思潮社、ナナロク社、夏葉社、雷鳥社の本です。まだこれからも、直接出版社と交渉して増やしていきます。」とお聞きし驚いてしまった。この小さなスペースのブックカフェで新刊本を販売される(ソンナコトガ出来ルンダ!!)とは。しかも出版社の名前を聞いてびっくり、いずれも私にとって興味深い本を出版していて、図書館で働いていた時にも、各社の本には確実にその出版を待ち受けていたと思える読者がいて、図書館の蔵書を豊かにしてくれる出版社であったからだ。

夏葉社のこと        

4つの出版社のうち、夏葉社だけは、私が図書館を退職してから始められた出版社で、私は夏葉社と言う出版社が新しく始められたことを全く知らずにいた。2014、5年(㍻26、7年)頃、東京に出かける機会があり、たまたま入った吉祥寺の古本屋で、子どもが描いたと思われる表紙の絵(父親を描いたのだろうか)の力、思わず手にとりたくなる本の装丁に惹かれて手にした本が黒田三郎の『小さなユリと』(1960 昭森社版 復刻)であることに驚き、早速買い求めた。本の代金を支払っていた時、若い店主と思われる女性から、「その本を出版した夏葉社さんは近くにありますよ」と聞いたものの、他日、夏葉社を訪ねることになろうとはその時、思ってもみないことだった。ましてや後日、夏葉社が復刊した前川恒雄さんの『移動図書館ひまわり号』(1988年筑摩書房から出版されていたが絶版になっていた。)の復刊を記念し、滋賀の図書館を考える会が主催した集まり(【志のバトンをつなぐ~前川恒雄【移動図書館ひまわり号」復刊記念の集い】、前川さんと夏葉社の島田潤一郎さんの対談、草津市、2016.9.2)に博多から夜行バスでかけつけることになるとは。夏葉社、そして夏葉社の本との本との出会いについては他日、稿をあらためて。

 夏葉社 natsuhasya.com

一冊の本との出会いから、次々に広がっていく新たな人や本との出会い、犬も歩けばと言う次第です。

追記

後日、ノドカフェの坂本強美さんから電話があり、「こんど、『アルテリ』を取り扱うことになりました。」とのこと。出前の本で、石牟礼道子さんの一周忌のときに、『花を奉る 石牟礼道子と渡辺京二の本』と題して、関連する本を持って行ったことがある。その本の中に、『アルテリ』の何号かも入っていた。

人口10万人をこえる糸島市だが、本屋さんはわずかに2店しかなく、そのいずれの本屋さんも『アルテリ』をおいていない。これまで、市外のあちこちの本屋さんで買い求めてきたが、これからは市内で、しかもこの小さなブックカフェで購入できる。今日、3月29日、早速購入してきた。2ヶ月ぶりの『ノドカフェ』の本棚は面白そうな本が一気にふえているように思えた。明日は出前の本の入れ換えをするため、今日に続いてでかけるが、その本棚をみるのが楽しみだ。

坂本敏幸さんは自然農をしていて、自然農の野菜の販売、強美(きよみ)さんはリラクゼーションの施術も。

販売している本、新たな出版社の本も見られる。

風信子文庫(2月~3月) 森崎和江さんの本など

子どもの本も。
『アルテリ』
『アルテリ』について
創刊号 2016年2月22日発行〈年二回発行予定〉
「アルテリ」七号 2019年2月22日〈年二回発行予定〉

発 行  アルテリ編集室 熊本市中央区新市街6ー22 橙書店内
表紙写真 磯さくら
デザイン 大畑広告準備室
協 力  清正(猫)、タロー(猫)

雑誌は編集後記から読む。創刊号の「編集後記」が面白い。無断引用は禁じられているため、引用はできない。興味ある方はぜひ手にしていただきたい。

渡辺京二さんのある一言から始まったとある。「アルテリ」はどんな意味か。熊本ゆかりの人たちの、どんな思いがそこにこめられているか。何を目指しての場であるか。

創刊号の表紙には波板のトタンを屋根と壁に打ちつけている古い建物の写真
表紙を開くと、同じ建物だが、より不透明で輪郭がおぼろな写真

その写真のページをめくると
目にとびこんでくるのは

雑誌「アルテリ」刊行に寄せて   石牟礼道子さんの言葉だ

最初の言葉に うたれる
それにつづく言葉に うたれる
そして ゆらめく場からも なお  
若い人たちに ことばをおくる
石牟礼さんの いのちの声に おどろく

次のページはめくらないでも、書き手はその人にちがいない 
どんなタイトルか  興味深い

「激励」 ソウなんだ

その次はなんだろう わからない

そうか 目次 がくるのか

目次には十二人の名前

名前を聞いたことがあるひと ないひと
そのいのちのこえに 耳をすませたい
























2019年3月23日土曜日

糸島市公共施設等の管理計画〈素案)に意見を提出。公(おおやけ)とは、向こう側のものではなく、わたしたち一人ひとりのもの / パブリックコメント) No.20

 糸島市の広報1月15日号に、「糸島市からのお知らせ」として「糸島市公共施設等総合管理計画第1期アクションプラン〈素案)への意見募集」の記事が掲載され、募集期限は2月14日(木)となっていた。何人かの知人に知らせるとともに、私自身は期限日当日の時間ギリギリに市役所第2庁舎にある「糸島市公共施設マネジメント推進室」に持参した。もう一人の市民の意見書と共に公開します。

意見書にふれる前に

 これまで何度となく経験してきたことだが、その地域で暮らす人たちに深く関わる地域の在りように関する重要な決めごとが、その地域に住む大半の人が知ることなく決められて、そういう決定がされたあとになって、取り返しようのない事態に直面することだ。
その際の行政側の口上は、「市の広報等で市民へ周知をしている」「各種委員会や議会での審議をした上、決定、議決をしている。手続き上、問題はない」といったものだ。しかし、市民の大半にとっては、「その決定を天から降ってきたもののように、市民が知らないところで決められた」と実感的に受け止めている場合が少なくないように思われる。
(これにはたしかに市民の側からの関わりが求められるのであるが、実態としては市民の大半は知らない状態で、決めごとが行われていると受けとめられていると思われる。)

またそれらの動きを知り委員会や議会の傍聴にかけつけた市民が目にし耳にするのは、委員会や議会での審議にあたって、論議、審議の前提となるべきそれぞれの課題、議案をめぐっての委員や議員への情報公開、基本的な情報の共有がきわめて不十分であると思われることだ。私自身この12年間、各種の委員会や審議会、そして議会での質疑を傍聴してきての感想だ。具体的な事例については今後、追々書いていく予定です。

市町村の合併が行われた時には、合併後、それまでの町の名前がなくなったことに深いショックをうけた方に出会った。「ああ」と「取り返しがつかない事態が起きてしまったこと」に言葉にならない深い悲しみが伝わってきた。その人にとっては生まれ育つ時を何十年にもわたってともに生きてきた町の名前は単なる符号ではなく、その人の生きてきた記憶の苗床であり家族にも等しいものだと知らされた。

糸島で

集落の入り口にあたる美しい広々とした田畑に、ある日、工場誘致が行われると知らされる。あるいは井戸水がその地域のすべての人の生活水である地域で、いのちを育む水の水源ともいうべき山の頂き近くに残土処分場をつくるという。

あるいはまた、市と町の合併協議会(1市2町)で、合併後は図書館と公民館とすることが決まっていた旧町役場(3階建て)の転用について、合併後の新市になってから市では「庁舎活用検討委員会」を設置して、施設の3分の1に当たる2階部分を市の災害対策本部と市の職員の会議室にして図書館、公民館の全体のスペーを大きく削減し、図書館部分については、当初(2階の全てと、3階に2部屋の会議室があった。)より狭い開架スペースにした上、会議室もないものとしたことなど。

【情報公開で取り寄せた会議録によれば、図書館の担当課長である生涯学習課長の「図書館は1階すべてのスペースは必要ない」との発言で、1階は子育て支援センター(それまで3階にあった)との共用として、その分だけさらに図書館の面積を減じた。】

工場誘致以降の事柄は、私が滋賀県の図書館を退職して糸島に移り住んだ2007年(平成19年)前後以来に起きたことだ。その地域で暮らす人たちの日々の暮らしの在りように関わる重要な決めごとが住民の大半が知らないでいるうちに決められている。似たようなことが日本の各地で起きているのではと思う。
これらは近年、凄まじい猛威で各地に取り返しのつかない被害をおこしている地震や台風、集中豪雨などの自然災害とは違い、いずれも問題の要因は人にある。それらは天災ではなく、それぞれの問題を地域の人がどのように考え、対するかで、その帰趨が決まるということだ。

人の力では抗することができないと思われる甚大な自然災害に対して、被災した地で見られるのは、亡くなった人、被災した人、共々にその地で生きていくための力をつくしての取組みであり日々の営みだ。ましてやその地域の人たちの考えや行動で決められる、地域の人たち一人ひとりの暮らしのあり方にかかわる事柄については、行政任せではなく、一人ひとり、できる形での参与が大切だ。その関わりが地域の人がその地域に必要ではないと思うものを取りやめ、必要だと考えるものをみんなで作り出していく力を育むのではないだろうか。

「公共施設等管理計画」って何だろう。

国の動きから

私たちがいま、住み暮らす地域で、地域住民にある日、突然降りかかってくるかのように思われる問題も、その根っこをたどると、国の動きから始まっていることが少なくない。

国や自治体の財政状況がきびしい状況にあるなかで、高度経済成長期から多くの公共建築物及びインフラ施設(以下「公共施設等」という。)が作られ、公共施設等の老朽化に対する取りくみが求められるとして、2013年(平成25)年11月に老朽化対策の推進に関して関係省庁連絡会議がとりまとめた『インフラ長寿化基本計画』(「新しく造ること」から「賢く使うこと」への重点化が課題という認識の下に作成)が今回の問題の発端だ。


ついで2014年(平成26)年4月22日、総務省が地方公共団体等に対して公共施設の総合的かつ計画的な管理を推進するため速やかに「公共施設等総合管理計画」の策定に取り組むよう要請、その際、同計画策定にあたっての記載事項、留意事項をあわせて通知している。また、同日付けで県知事と政令指定都市市長宛ての「公共施設等総合管理計画推進について」(通知)には、その政策を進める意図が次のように記されている。

「公共施設の老朽化対策が大きな課題となり、厳しい財政状況が続く中、今後、人口減少等により公共施設等の利用需要が変化していくことが予想されていくことを踏まえ、早急に公共施設等の全体的な状況を把握し、長期的な視点をもって、更新・統廃合・長寿命化などを計画的に行うことで、財政負担を軽減、平準化するとともに、公共施設等の最適な配置等を実現することが必要、これにより地域社会の実情にあった将来のまちづくりを進める上で不可欠であるとともに、昨今推進されている国土強靭化(ナショナル・レジリエンス)に資するもの」であるとして、県知事に県内市町村に対して本通知を連絡しその趣旨を徹底するよう求めている。

また、国が政策を進める際の常套手段としている起債をこの度は『公共施設最適化事業債』として実施して、公共施設の総面積の削減を政策誘導している(2015~2017の3年間)。また、関連する起債として『地域活性化事業債』がある。
国土交通省では「公共施設最適化事業債を活用した先進事例」としてネットで公開している。図書館が庁舎と複合化した事例として、兵庫県伊丹市(図書館、児童館、集会施設と庁舎)や石川県七尾市(図書館、公民館、中学校と庁舎)を紹介、その他、福岡県内では飯塚市が小中一貫校。

こうした国の要請の結果、2018年(平成30年)9月30日現在、全国の自治体の99.7 %が総合計画を策定し、未策定団体は6団体となっている。(福島県/大熊町、双葉町、飯館村。東京都/中野区、青ヶ島村)

糸島市での取組み『糸島市公共施設等総合管理計画』の策定 計画のあらまし

糸島市ではこうした経緯を経て2017年2月に『糸島市公共施設等総合管理計画』を策定し、市民にパブリックコメントを求めている。
同計画は2017年度(平成29年度)~2060年度(平成72年度)までの44年間、4期の計画で、糸島市が所有及び管理する公共施設等(公共建築物及びインフラ施設)の全てを対象としている。また、公共施設等にかかる更新費用を算出し、公共建築物では1年あたり11.8億円不足することから、75%しか維持し続けることができない、インフラ(道路、橋りょう、上・下水道等)では1年あたり17億円不足するため、64%の量しか維持できないとしている。このため公共建築物では施設床面積の25%の削減が必要であると。

また昨年1月の市長選の大きな争点であった「市役所の新庁舎」と「多目的体育館(運動公園)」については、その新設が今回の総合管理計画に組みこまれている。公共建築物については30年で大規模改修、60年で更新としている。

本計画による取組として、
(1)基本理念
 豊かな糸島生活を次世代に継承するための公共施設マネジメント
 ~未来の糸島へ向けた質・量・コストの最適化~
(2)取組方針
  ①魅力の向上、安全確保:質の確保
  ②コンパクト化:量の削減
  ③運営の効率化:コストの削減
(3)基本原則
 ・公共建築物①量を減らす(総量削減)②組み合わせる(複合化)
 ・インフラ施設①長く使う(長寿命化)2費用を抑える(費用抑制)

以上の計画に基づいて作成され、広報(2019年1月15日号)で意見募集をしたのが
『糸島市公共施設等管理計画 第1期アクションプラン(素案)』だ。

私もそうであったが、この広報を見て市民の多くは、素案が作成されたことを初めて𠮟咤のでは。広報のこの号を見なければ何も知らないうちに事態が進むことになる。素案についてのパブリックコメント募集のことを、何人もの人と連絡をとりあったが、広報のこの記事に目を止めていた人はいなかった。

そういう私自身が、『公共施設等管理計画第1期アクションプラン(素案)』への意見募集の記事が掲載された同じページの下の欄に『糸島市コミュニティーセンター設置計画(素案)』の意見募集がされているのに、目を止めず見過ごしていた。その意見募集の締切が過ぎたあとになって、その内容を知り、『公共施設等管理施設』の問題に直接関わるものであることを知るありさまだった。

素案では計画期間は2060年度までの42年間とし、2031年度からは10年度ごとに策定するとして、この度は第1期(2019年度~2030年度)、12年間の計画案となっている。なお、第2期2031~2040、第3期2041~2050、第4期2051~2060年度である。
全ての公共施設等について個別に「現状と課題」「今後の具体的方向性」等が示されている。対象となる273施設のうち、第1期で廃止、解体される建物は、35施設。改修37,建て替え・新設は13,延べ床面積の削減率は2.13%となっている。志摩初地域の施設再配置事業と、現在の市役所新館を改修して「市民・人権センター(仮称)」とする事業を重点事業として位置づけている。解体、改修や建て替え・新設される施設の具体名を知れば、「その施設であれば、私も意見がある。」と考える市民が少なくないと思われる。

今回のパブリックコメントでは、図書館と公民館について以下の通り意見を述べている。  

パブリックコメント  意見回答

1.該当箇所 10ページ/ 4行目~11ページ
 (筆者注:下記に抄録)10ページ~11ページ
 「図書館」について
①対象施設
 図書館(本館)1,659.16㎡(築27年) 
 二丈館(分館) 994.03㎡(築20年)
 志摩館〈分館)1,422.06㎡(築37年)合計4,075.25部屋の
②現状と課題
 ・平成28年度から、「糸島市図書館サービス基本計画」に基づく本格的な3館体制に
 より、図書館サービスを提供しています。
③総合管理計画において定めたマネジメント方針(総合管理計画P.40 )
 【主な方針⇒適正規模・適正配置】
 平成28年度から本格的な3館体制を開始しており、利用状況を確認しながら、今後規
 模の適正化、適正配置等を検討する
④今後の具体的方向性
 本館  機能・建物 いずれも維持 2019~2030
 二丈館 機能・建物 いずれも維持 2019~2030
 志摩館 機能・建物 いずれも維持 2019~2030
・定期点検の実施や一定期間ごとの予防保全により、中長期的な視点でのコスト削減を
 図ります。
・老朽化による不具合については、その度合いにより、安全性、快適性を考慮したうえ
 で、重要なかしょから順次対応します。
・利用者の利便性向上と経費節減のため、指定管理者制度の導入を検討します。
・利用状況の把握に努め、規模の適正化や適正配置について検討を進めますが、第1期に
 おいては3館体制についての検証を十分に行うため,現状維持を基本とします。
5.延床面積の推移
 2019年3月31日時点 4,075.25㎡
 2031年3月31日時点 4,075.25㎡
 増減率 0.0%

意見・提案

「利用者の利便性向上と経費削減のため、指定管理者制度の導入を検討します。」とありますが、「指定管理者制度の導入」そのものに反対です。
(理由)1.糸島市では市立図書館の運営の指針として、『糸島市立図書館サービス基本計画』(平成25年11月)を定めていますが、同計画では、市民が「いつでも」「どこでも」「だれでも」「なんでも」利用できる図書館を目指すことを目標、指針として掲げています。現在、糸島市の図書館の最大の課題は、すべての市民が、どこに住んでいても、(「どこでも」)、「だれでも」利用できる全域サビス網を計画し実施していくことです。指定管理者制度の導入は、この「どこでも」「だれでも」というもっとも重要な課題を放棄して、現状の図書館サービスを基本的に変えることなく民間に委託するものだからです。
2.利用者にとっての図書館の魅力を生み出す最大のものは、責任を持って継続して経験を積み重 ねることで育まれる司書(専門職〉の力にあると考えます。おそらく5年契約で、給与、賃金等の労働条件が一層きびしくなると考えられる指定管理者制度では、職員の専門職としての力を継続的に育てていくことができません。(図書館は無料で利用できる施設ですから、「経費の削減」は、そこで働く職員の人件費の削減に直結します。市民にとっての最大の、そして何よりの利便性の向上は、全域サービス網の構築です。
  
2,該当箇所 7ページ/11行目~8ページ/「怡土公民館」の項まで

長糸公民館
取組方針 改修
取組内容 建築から30年を経過する2024、2025年度を目途に大規模改修を実施する。
     なお、改修の際は利用見込みの分析及び機能の見直しなどを行い、地域住民
     とともに最適な機能等を検討する。
建築からの経過年数 24年 改修時 30年
現施設の延床面積の推移 改修前 701.71㎡  改修後 701.71㎡
備考 2019年度は空調設備の改修を実施

雷山公民館
取組方針 改修
取組内容 建築から29年を経過する2022、2023年度を目途に大規模改修を実施する。
     なお、改修の際は利用見込みの分析及び機能の見直しなどを行い、地域住民と
     ともに最適な機能等を検討する。
建築からの経過年数 25年 改修時 29年
現施設の延床面積の推移 改修前 696.14㎡ 改修後 696.14㎡
備考 2024年に倉庫の改修を予定

怡土公民館
取組方針 改修
取組内容 建築から35年を経過する2021、2022年を目途に大規模改修を実施する。
     なお、改修の際は利用見込みの分析及び機能の見直しなどを行い、地域住民と
     ともに最適な機能等を検討する。
建築からの経過年数 32年 改修時35年
現施設の延床面積の推移 改修前 677.67㎡ 改修後 677.67㎡

意見・提案等
添付資料[①糸島市長選挙(2018.1.18)での月形裕二氏(現市長)の回答 ②「糸島市立図書館小学校区別利用状況、平成28年度]にあるように、市長は「すべての小学校区で、目標値である市民1人当たりの貸出を5.6をクリアすることが重要」と答えています。それを実現するためには、分館の配置や移動図書館の運行による全域サービス網の整備が欠かせないと考えます。とりわけ、長糸、雷山、怡土(いずれも2冊台)、東風こうくは極めて低い利用度となっております。公民館の回遊にあたって、分館としての図書室部分を増設すべきと考えます。このたびの総合管理計画では、延床面積25%削減が目標とされていますが、市民にとって必要不可欠な施設は、新たに作ることも考えての全体計画であることを望みます。(学校の改修時に増設という例も他市においてあります。)
【添付資料3.「市議会議員への公開質問状の回答」】

Kさんの意見回答 
1.該当箇所 11ページ /4行目
  内容は上記1.に同じ。

意見・提案等
指定管理の導入については、以下の理由で反対です。
①図書館は単なる「施設」ではなく、「司書」とい人要素で成り立つサービス機関、教育機関である。短期間の配属では司書は育たない。
②専門職の配置,養成に高いコストがかかるのは当然であり、コストカットばかりが強調されるのはおかしい。
③図書館単独法である図書館法第3条には、「図書館は、(中略)土地の事情及び一般公衆の希望に沿い」、奉仕を行うことが明記されているのに、それが保障されない。

2.該当箇所 11ページ/5行目
     内容は上記1.に同じ。

意見・提案等
「規模の適正化」「適正配置」はどういった項目で確認するのか知りたいです。10ページの表を見ると、二丈館は極端に延床面積が少ない。これは現在の図書館が合併時にできた2階の図書館より狭くなっています。当初約束された5年後は全て図書館になる計画が覆されたことに加え、現在も2階は災害対策室を理由に図書館の会議室も作られませんでした。2階は普段使っていません。これほどの無駄はないでしょう。図書館に開放すべきではないでしょうか。ワークショップ、会議室、上映会、コンサート、ギャラリー等に使用できると思います。図書館は子どもからお年寄りまですべての住民が生涯にわたり利用する施設で他の公共施設とは明らかにに違います。住民に利用されるように図書館に正しく経費を使うことで住民の利用率も確実に上がります。公共事業に使う金額は大きいですが、その金額の一部でも図書購入費に充てれば何千冊と新刊が買えます。雑誌のタイトル数も増えます。同じ本を何人もの市民が借りると税金の還元率も上がるでしょう。コストカットより費用対効果を。そして市民のニーズに適った図書館を作ることが施設を活かすことにつながります。

意見提出を終えていくつかの感想

・今回は図書館と公民館の一部についてしか意見を提出することができなかった。庁舎や運動公園等々についても、意見することがあったと考えている。とりわけ『糸島市コミュニティーセンター設置計画』については、『公共施設等総合管理計画』に直接関わることだった。(公民館をこれまでの教育委員会の所管から市長部局の所管にし、社会教育施設ではなくなる。名称の公民館をやめ、コミュニティーセンターに。平成年3月までに。)

・意見を提出して終わりではなく、それぞれの問題を注視していくこと。

・計画の第1期アクションプラン(素案)は総ページ吸うは156ページあり、目を通すだけでも時間がかかるため、市民同士が連絡をとりあい、それぞれに関心のあるものから、素案を考えていく取組みが必要だ。そのためにも、行政の動きを早くとらえ、その内容を普段から知らせ合うこと。

・「国の動き」のところで、2013年の『インフラ長寿化基本計画』の策定にあたり、「新しく造ること」から「賢く使うこと」への重点化の認識のもとに策定したとあるのを見て、いかにも官僚的な物言いだと思った。1991年3月以降のバブル経済崩壊に対し、国は大規模な経済対策として、地方に大型の公共事業をすすめたが、その際、公共事業の拡大を誘導するアメとして使ったのが「地域総合整備総合事業債」(「地総債」、1978~2001年廃止、事業費の6割以上を国が肩代わり)だった。特に1984年からは、「地総債」の特別分については「元利償還金の一部を後年度に地方交付税措置するもの」で、「有利な起債」事業ということで、「地総債」を使った「ハコモノ行政」が日本中を席巻し、全国各地に文化会館や体育館、公民館、美術館が作られた。(私が滋賀県で関わった能登川町立図書館、博物館も「地総債」を活用〉

「地総債」を活用する事業で問題であったのは、施設の建設にあたり、①「その施設が誰のための、何をするところか」を明確にして(基本構想・基本計画を自前でつくる)、施設の運営にあたっては、②その施設を運営するために必要な、館長を始めとする職員体制の整備を行い、③施設の事業を継続的に運営するための、財政的な裏付けを考えた長期計画のもとに、事業を行った自治体が極めて少なかったことだと思う。

とりわけ「ハコモノ」は作ったけれども、施設の維持管理費は地元負担であり、その運営を担うスッタフや恒常的な運営費が十分でない事例が多く、2001年には「地総債」は地域の主体性と財政規律を損ねるものとして廃止された。自治体に「有利な起債」と言っても、その原資は税金であり、国の借金を増やすものであったと言える。

先に述べた「新しく造ること」から「賢く使うこと」へと、いかにも滑らかな、そこになんら問題がないかのような言い方であるが、「有利な起債」によって、国の「経済対策」として、「ハコモノ行政」を全国で推進し、その地域にほんとうには適切でなかった公共施設をまきちらし、自らが行った施策の検証もせず、責任もとらず、そこから学ぶことなく、今度は「賢く使うこと」へとは。問題の端緒は「賢くつくること」から始めなかったことにある。

そこで問われているのは、その地域に本当に必要なものを長期的な視点に立ってつくっていこうとしない国の在り方だけではなく、国の行き当たりばったりの施策に対して、地域の現状と歴史を踏まえて、地域の明日の在りようを自ら考える自治体であるかどうか、行政任せにせず自ら考え提言する住民であるかどうかということではないだろうか。 

また、「地総債」の廃止直前の1999年(平成11年)から政府が主導した市町村合併【「平成の大合併」、1999年3232市町村(市670、町1994、村568)⇒2010年1727(市786、町757、村184)、市町村数は53%と半減】において用いられたのも、市町村に合併を促すためのアメとムチによる政策だった。本来、交付税は合併して規模が大きくなると、合併前の合計より少なくなる仕組みであるが、「合併特例法」により、合併後10年間に限って交付税を減らさないが、小規模自治体には、それまでの財政優遇措置を縮小し、合併しなかった矢祭町では最大で8億円の減となった。さらに政策誘導策として、「地総債」と同じように「有利な(?)起債」を用意する。「合併特例債」がそのアメで、合併に関連する「ハコモノ建設費」については、「特例債」という借金で建設するが、元利償還金の7割を国が負担(後年度交付税措置)するというものだ。そのアメとムチによる政策は市町村の数が約半分になる程の強力なしかけであったと言えるが、他方、そんな厳しい状況の中でも、国の策にのらず、合併を選ばない自治体が半数を上回ったとみることもできる。

1999年平成(11年)から2010年(平成22年)までの市町村数の大幅な減少は、合併前の半数近い多くの自治体が「合併特例債」により、なんと多くの「公共施設等」を建設したかということでもある。しかもその建設に当たっては、「地総債」を活用した施設の建設の際に見られた問題点から学び、その地域に本当に必要な、永続的な施設の建設、運営という観点から作られたものが極めて少ないのではないか。「合併特例債」により、合併前の旧自治体のすべてに同じような「公共施設」をつくり、合併の特例期間の10年が経ち、交付税が減額されて、施設の維持管理、運営費に事欠く事例や、特例債の上限近くまで「公共施設」をつくり、自治体負担である3割の建設費(国が7割を負担)が、その自治体にとって大きな財政負担となっている例など、国の誘導策にのって、自らよく考えることなくそれに従うと何が起きるかを指し示している。「合併特例債」によっても、施設を「賢くつくること」がどんなにむずかしいことであったかをあらためて思う。

このたびの「公共施設等総合管理計画」に対して、市として市民としてどのように向き合い考えていくか、その向き合い方によって、立ち現れてくる「公共施設等」の姿、在りようが自治体ごとに全く違うものであること銘記しておきたい。

・このたびのパブリックコメントではKさんと私の2人の意見を提出した。1人ではなく、2人となることで、市民の声がふくらみ、ひびきあうように思えた。一人の人の力を思う。こんどは3人の声を目指したい。