2022年4月1日金曜日

昨年秋の豊穣祭と米づくりのこと、そして・・・ No.86

毎月1回はブログをと考えてきたが、竹内悊さんの訃報の知らせをうけた昨年の11月から3ヶ月 間、書くことができなかった。この間、心にあったこと、心に浮かんだことをようやくNo.82 に記した。ただ、11月以降、私自身のこれからに関わるいくつものことがあった。なかでも秋の 奉納祭と糸島の図書館の未来を考える会の始まりのことについては、さかのぼって記しておきた い。ーーー まずは昨年の11月3日、田んぼで行われた秋の豊穣と奉納祭・祈りの唄会のことから。 私が糸島で米づくりの機会を授かったのは、能登川の図書館を退職して糸島に住み始めた2007 年(平成19年)5月のことだった。引越してたしか4日目、二丈町一貴山に住む友人の鏡山英二、 悦子さんご夫妻を訪ねた。その時、悦子さんから「お米を作ってみませんか」と言われたのがは じまりだった。ご夫妻は1990年頃、奈良県桜井市で川口由一さんが始めていた自然農と出会い、 1992年から自然農を始め1999年には二丈町一貴山の山の手に家を建て、自然農を暮らしの真中に おいて暮らしておられた。悦子さんは1998年から、『農とくらしと本のある広場 オピーピーカ ムーク』を(1年に3回、発行15号まで。オピーピーカムークは、”木と木が話をするところ”と いうネイティブアメリカンのオブジエ語)していて、6人のメンバー(松尾靖子・村山直道・三枡 信明・木下まり・鏡山英二・鏡山悦子)で、”福岡自然農塾”主催の春と秋の学習会と”自然農 見学会”を2か月に1回、計年6回開催し、九州各地から多数の参加があっていた。後々分かった ことだけれど、日本の中でも有数の自然農の学びの場を開かれいたのだ。 鏡山悦子さんから米づくりの誘いの声をかけていただいた翌日から標高100メートルの所に ある鏡山さんの田の一画をお借りして棚田通いが始まった。まさに田植えの時期だったが、苗 は鏡山さんが種おろしをして育てていたものをいただいた。自然農の米づくりの道具はのこぎり 鎌と鍬とスコップだけ、ご夫妻に導かれて私にとっての米づくりが始まった。朝早くから毎日の ように通ったが、何より田畑で過ごす時間が心地よかった。その年に、これも鏡山さんに倣って だが、新規就農の申請をし農業者になっていた。そのためには5反(1500坪)以上の田んぼが必 要で、その確保のために波多江一正さん、龍国寺の甘蔗和尚さまご夫妻、そして鏡山さんをはじ め実に多くの方たちのお世話になった。(6.8反の農地、うち購入したのは1.4反、4人の方から 5.4反をお借りし、5年目に農地の一画を宅地として家を建てる)こうして最初の1年間は、鏡山さ ん田んぼで、そのあと14年間は自宅の隣、標高50メートルの地で米作りをしてきた。最初の年 は足踏み脱穀機も唐箕も籾すりの道具も鏡山さんからお借りし、少しずつ揃えてきた。こうして 15年間、米作りにに関わって思いもよらない時間を授かってきたが、昨年脳梗塞になり体のあり ようとこれからのことを考えて、米作りを終え今年からはこれまで家人がやってきた野菜づくり をすることにした。そのことを何年前からか私の田の一画で米づくりを始めたお寺の甘蔗健仁さ んに伝えたところ、米作りをしてきた田んぼで、実りに感謝する豊穣祭を計画してくださったの だった。 こうして11月3日、秋の豊穣と奉納祭、祈りの唄会が14年間、天と地から恵みを授かった田んぼ で行われた。会は龍国寺の副住職、甘蔗健仁さんのお祈りの読経とイザイホーのお二人、東麻美 さんと大野美香さんの沖縄の唄と三線で始まった。お二人は健仁さんの座禅会で会われていた。 多くの人が、この日初めて出会う人も幾人もが、手に音のするものを持って参加して下さった。 実はこの日の前日、11月2日の朝、竹内悊さんが10月14日に亡くなられたということを豊田市の 方から知らされていた。竹内さんとは私が図書館を退職し糸島に住み始めて1年半後の2008年11 月17日、竹内さんが伊万里市民図書館に講演に来られた時に初めてお会いした。その時は龍国寺 の健仁さんも一緒だった。そしてその3年後の2011年5月14日には龍国寺で竹内さんの講演をして いただいていた。演題は「糸島市の皆さんとこれからの子どもたちのために―市立図書館の健全 な成熟と成長を願って―」だった。 健仁さんたちが設けてくださった豊穣への感謝と祈りの時は、実りへの感謝とともに、私が授か ってきた竹内さんをはじめ、かけがえのないお一人お一人との出会いを思い、祈る時となってい ました。竹内悊さん。千葉治さん。大澤正雄さん。小柳屯さん。ふかいふかい感謝の思い、祈り をささげました。目の前にある山が大きく大きく包みこむようにありました。はじめて見る山の 姿でした。”かなしみを うけとめてくれる しずかなやま”がそこにありました。

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