2025年5月12日月曜日

「図書館にはDNAが大事」 菅原峻さんから手渡されたもの No.58--(2)

※お知らせ NO.58-(2)はパソコンの操作を誤り、本来のNo順をはずれて、N.137の次になってしまいました。 とばしていただければと思います。(2025.5.11) -------------------------------------------------------------------------------------------------------- nbsp;図書館の主人は住民、図書館がよくなるもダメになるも住民次第

 菅原峻(すがわら たかし)さんが亡くなられたのは、東日本大震災が起きた日から3ヶ月後の2011年6月24日、あれからもう8年が経つ。菅原さんに初めてお会いしたのは、たしか1988年8月のことだったと思う。30年前のことだ。

 菅原さんは1926年、北海道の生まれ。戦後、八雲町の役場に勤め、教育委員会で公民館づくりに携わる。1951年(昭和26年)、役場を辞めて上京し上野にあった文部省の図書館職員養成所に通う。「新4期」とよばれた同期には前川恒雄さんがいて、「一番親しい仲だった。」何という出会いだろう。(『ず・ぼん』6「境界人、菅原峻の途中総括 助言者という選択」菅原峻・話 ポット出版 1999.12)2年後の1953年3月、養成所を卒業、同年4月から社団法人日本図書館協会に勤務。

 当時、博多駅から歩いて10分、博多駅前4丁目に福岡市が1979(昭和54)年に設置した財団法人の小さな図書室(232㎡)で開館時から働いていた私は、人口100万をこえる大都市で市立図書館が1館と各区の市民センター図書室(公民館図書室、7室)と少年科学文化会館図書室しかない、図書館砂漠福岡市というほかない市に住んで年々歳々、図書館の状況が悪くなっていくという思いを強くしていた。そうして1987年に図書館への思いを同じくする人たちと`福岡の図書館を考える会`を始め、一年をかけて福岡市の図書館政策を作って市に提言した。(『2001年 われらの図書館 ── すべての福岡市民が 図書館を身近なものとするために ── 』 福岡の図書館を考える会 1988年1月24日 )

その冒頭 `図書館をもっと身近に 暮らしの中に`という見出しの頁の「はじめに」で

 「今、あなたの身近に──散歩がてら、買い物がてら、気軽に立ち寄れる場所に、ある
 いは働いている近くに──図書館がありますか。・・・人口118万人をこえる福岡市に
 わずか9ヵ所の図書館施設、人口13万人に1館しかない現状では、市民の大半にとって
 図書館がない状態ではないでしょうか。

 と問いかけ、次のように続けている。

 市民が歩いていける所に図書館を(人口2万人に1館を、1中学校区に1図書館を)─
 私たちは、それが、市の財政を知らない夢想家の言ではなく、市の図書館政策の柱と
 され、すでにそのことを実現している図書館が 他市において数多くあることを知って
 います。`身近で暮らしの中`の図書館を実現できるかどうかは、まさに私たち住民
 が図書館をどう考えるかによるのではないかと思います。

 わたしたちは一体どうすれば そのような図書館をつくることができるのか。福岡市
 の現状を調べ、他市の例に学びながら みんなで考えていきたいと思います。

 わたしたちがほしいと願っている図書館とはどんな図書館か。今、福岡市の図書館は
 どんな問題をかかえているのか。来るべき2001年を すべての市民のくらしの中に
 図書館がある状態で迎えるためには、私たちは今 何をしなければならないか。

 私たちが各地の図書館をたずね、多くの人に会って考えてきたことを ここに
 『2001年われらの図書館─すべての福岡市民が図書館を身近なものとするために─』 
 (サーモンピンクの表紙、47頁)として提言いたします。
 
そして最後を次のように結んでいる。

 わたしたちの提言が福岡市のこれからの図書館を共に考えていく一石となればと念じるものです。私たちの図書館への思いが波紋のように広がっていくことを願っています。