2007年から糸島に移り住み、思いを同じくする人たちと「としょかんのたね・二丈」を始め、志摩地区の「みんなの図書館つくろう会」、二丈深江地区の「糸島くらしと図書館」の人たちと共に、糸島のより良い図書館づくりを目指して活動してきた。「糸島の図書館は今、どうなっているのか」、糸島図書館事情を発信し、市民と共に育つ糸島市の図書館を考えていきたい。糸島市の図書館のあり方と深く関わる、隣接する福岡市や県内外の図書館についても共に考えていきます。
2022年11月6日日曜日
賢治と哲とひさし、と No.100
糸島市前原の旧商店街の一郭でブックカフェ「ノドカフェ」がオープンしたのは2017年
11月、今月はちょうど満5周年に当たる。風信子(ヒアシンス)文庫からは、ノドカフェ
オープンの時から本の出前を行っている。5年前の開店時の第1回目は、福岡市総合図書
館で、上野英信さんの没後30年に合わせて、福岡市文学館企画展として、よく準備され
実に中身の濃密な展示や講演会などを行っていたので、これに勝手に協賛として、上野
英信さんの関連の本でノドカフェでの展示(本の出前)のスタートとなったのだった。
この5年間、本の出前を行い、現在では2ヵ月で本をかえているのだが、前回の9月から、
出前した本について紹介する時間をもつことになった。出前の本については、これまで
特にテーマを決めることなくやってきたのだが、(石牟礼道子さんご逝去の時は、「花
を奉る 追悼 石牟礼道子さん」)、今月の11月の本棚については、表記の「賢治と哲
とひさしと」が、考えるまでもなく頭に浮かび、宮澤賢治、中村哲、井上ひさしさん3
人の本の出前となった。
「荒野に希望の灯をともす」 唐津・THEATER ENNYAで
その直接のきっかけは唐津市にある「THEATER ENYA(シアター演屋)」で、中村哲さん
の「荒野に希望をともす」(百の診療所より一本の用水路を)を見たことだった。(11月
1日、このため出前は11月2日)これは、中村さんの活動を支え、中村さんと行動をともに
してきたペシャワール会が企画し、「20年以上にわたり撮影した映像素材から医師中村哲
の生きざまを追うドキュメンタリーの完全版!」として製作されたものだ(1時間44分)。
これまで中村さんの著書やペシャワール会の会報の一部を読んできたが、ドキュメンタリ
ーでは、私が知らなかったことが随所に出てきたり、あるいは本などで知らされていたこ
ととは、このことだったのだ、という映像を見聞きしていると、中村さんが眼前にいて、
語り行動しているように思われた。
中村さんが「ヒンズークッシュの山奥深く、真っ白で荘厳な峰々が立ち並ぶ」アフガニス
タンの地を初めてその足で踏んだのは1978年、山岳会に医師として、一隊員としての同行
だった。1946年生まれの中村さん22(23)歳の時だ。医師のまったくいないその地で、中
村さんに診てもらおうと必死の様でやってきた病をかかえた患者さんやその家族と出会う。
らい(ハンセン病)患者とも。その映像を初めて目にした。
九大医学部を卒業した中村さんは国内の診療所勤務を経て、1984年4月パキスタン北西辺
境州の州都ペシャワールに赴任し、以来24年にわたりライ(ハンセン病)のコントロール
計画を柱にした貧困層の診療に携わる。最初に赴任した時、医療器具が何もないといった
状況がどのようなものであったかをかを伝える映像が時間をこえて立ち現れる。
2003年、石風社から出版された『辺境で診(み)る辺境から見る』の裏表紙の見返し(奥
付)で、中村さんの足跡をたどると、
「1986年にはアフガン難民のために、医療チームを設立し、長期的展望にたったアフガニ
スタン無医地区での診療活動を開始。1991年からアフガン東部山岳地帯に3つの診療所を
設立して、診療に当たる。1998年には基地病院PMS(ペシャワール会医療サービス、70床)
をペシャワールに建設、らい診療とアフガン山岳部無医地区診療の拠点とする。2001~20
02年にはアフガニスタン首都カブールに5つの臨時診療所を設置、貧困地区の診療を行う
一方、大旱魃に見舞われたアフガニスタン国内の井戸と地下水路(カレーズ)の掘削と復
旧に従事、1000本の井戸を掘る。2001年10月「アフガンいのちの基金」を設立、空爆下、
国内避難民への緊急食糧配給を実践。現地スタッフ約200名、日本人スタッフ約15名。年間
診療数約8万人(2006年度)。現在、PMS総院長。ペシャワール会現地代表。」とある。
映像では、空爆下の緊急食糧配給以後の中村さんの活動、国会での発言、子息が亡くなられ
た時のこと、用水路の建設や中村さん逝去後の記念碑と記念庭園の設置、学びと祈りの建物
の建設なども映し出されている。心と胸うたれる場面は数しれなかったが、とりわけ、無医
地区での診療を長老たちから、「あなたたちは、すぐにいなくなるのでは」と言われて、そ
れに応える中村さんの言葉とその表情、国会での発言(議員の反応)、子息を亡くされた時
のそのあり様、そしていのち賭けてようやく完成した用水路が̠河川の氾濫で埋まってしま
った時、濁流を前に佇む中村さんの後姿は目に焼きつけられる思いだった。自然の猛威(力)
の前での人間、その在りかた。その中から歩きだす中村哲さん。
ドキュメンタリーが終わった時、翌日、出前することになっている「ノドカフェ」の本が私
の中で決まっていた。中村哲さんの本だと。そして「賢治と哲」と「ひさし」とだと。
なぜ「賢治と哲とひさしと」かについてはあとで記すことに、まずは中村さんのことから。
『辺境で診(み)る 辺境から見る』
自宅に帰り、『辺境で診(み)る 辺境から見る』を手にする。「あとがきにかえて」と題
されて、次のように書き出されている。
「本書は、私が84年に現地赴任して、本格的に「アフガニスタン」に関わり始めた1989年か
ら現在まで、雑誌や新聞に掲載された記事を収録したものである。これまで出版された事業
報告的なものとやや趣が異なって、時事評論や随想が主体である。随想集は、宗教観や世界
観なども自由に述べられていて、率直に自分の考えが表現されていると思う。独断もあり得
ようが、それはそれで読者の批判を仰ぎたい。一連のアフガン問題記事は、この二十年の世
界的激動を反映し、一種の感慨を覚える。ペシャワール会の活動を概観できると共に、一九
九八の基地病院建設から現在まで、特にニューヨーク・テロ事件前後から空爆下の現地活動、
農村計画を振り返るのにも好都合である。(略)
本書に収録されているものは、巷の動きとは無関係に、過去二十年の現地事情が連続して圧
縮、記述されている。「新ガリバー旅行記」や「異文化の中で『医療』を問う」などは、テ
ロ事件直前に書かれたものである。最近のきな臭い世情の中で、「九・一一以後」の色眼鏡
がかかっていない記録として意味があるかも知れない。私事になるが、これまでの総決算と
も言うべき「医の普遍性」を扱った後者は、脱稿した直後に九歳の次男が悪性脳腫瘍を発症、
一年半の闘病生活を過ごして死亡した。背後を刀で刺された思いであったが、今となっては、
論旨を実証するようで忘れがたい。
通読して自分でも驚くのは、ペシャワール会の方針や私の考え方が殆ど変化していないこ
とである。それを頑固固陋とするか、信念を貫いたと呼ぶかは別として、アジアの辺境で人
々と苦楽を共にすることによって、時流に流されずに済んだことは確かである。どんなに世
情が変化しても、変わらないものは今後も変わらない。」
そして末尾には、「最後になりましたが稿を整理した石風社と、この事業に協力する無数の
善意に感謝し、共に邁進してゆきたいと存じます。 平成一五年二月」
(本書の発行は2003年・平成15年5月20日、1946年9月15日生まれの中村さん、53歳の著作)
収録された文章は、新聞や雑誌に掲載された記事であることから、一文一文短文ですぐに読
めるものだが、その一つ一つの文章のもつ力に驚かされる。短いどの一文にも中村さんが出
会い向きあい、見送った、言葉話せぬ幼子を含めて、その一人ひとりのいのちの声が中村さ
んと終生ともにあったからではないだろうか。
なぜ「賢治と哲とひさし、と」か、にもどろう。
宮澤賢治学会地方セミナーのことーーー
『辺境で診る辺境から見る』が発行されて、もうすぐ1年という2004年5月1日、私にとって
は、さいごの図書館の職場となった滋賀県能登川町で、「宮澤賢治学会・地方方セミナー」
を開催した。中村哲さんと井上ひさしさんの講演と対談を核にしたセミナーだった。その集
いを開くことになったきっかけは、(ブログ「図書館の風」No.38に記載、No.49-2 に録画)
その一年前だったか、たまたま図書館(能登川町立図書館)のカウンターにいた私に、よく
図書館を利用されている若い主婦が話かけてきたことだった。たしか関西地区で図書館のこ
とを学ばれていて何度か、講義でのお話もお聞きしていた。
「私は宮澤賢治学会に入っていますが、会では毎年、地方セミナーを各地で開いています。
それを能登川町で開いてくれませんか」
それが始まりだった。それから程なくして、私は中村哲さんの講演を京都で2度聞く機会が
あった。一度目は京都市左京区岩倉で、虫賀宗博さんの私塾”論楽社”で、そして日をおか
ず、京都市内ノートルダム女子大学の広い講堂で。その2つの会場で、中村さんの口から宮
澤賢治の名前がでた。「かの地で宮澤賢治を読んでいると、日本の今のありようがよく見え
る」、そのような言葉だった。1000人はいたのだったか、女子大の大きく広い講堂の座席で、
その言葉を耳にして、私は、これは中村さんと井上ひさしさんだ、との思い(天から降って
きた思い)が生まれていた。
後日、最初に連絡をとったのは、福岡市の出版社石風社代表の福元満治さんだった。福元さ
んとは、福岡での面識はあるものの不断ご連絡をとることもなく、その前に電話をしたのは、
6年前の1996(平成8)年の7月頃だったと思う。前年の3月、苅田町立図書館を退職し4月から
能登川町に新しくできる図書館と博物館開設の準備室での仕事を始め1年ばかりが過ぎた時
だった。
当時「うずもれている大切な文化にスポットを・・・」を合言葉に能登川町が淡海文化推進
パイロット事業の一つとして「能登川ふるさと百科」の発刊を企画したのだ。この事業は能
登川町の風景、産業、歴史、自然などさまざまな分野にスポットをあて、現代に生きる私た
ちが次世代に継承したいことを記録していこうとするもので、準備室が事務局を担当して委
員15名を公募した。委員15人のなかには、このような冊子出版事業に携わった経験をもつ人
はほとんどなく、ただ、「わが町能登川を本にして残したい」(編集子の弁)との熱意で委
員の応募に参加されていた。委員の一人から本づくりの要諦について問われていた私は、福
元さんに電話をしている。その時にお聞きしたのが、まず「目次づくり」からということだ
ったと思う。そのことを委員の方に伝えたのだが、平成8年7月の七夕の日に第1回編集委員
会を開いてからの委員15人の動きはすさまじかった。この事業が「能登川町総合文化情報セ
ンター」(図書館・博物館・埋蔵文化センター)のオープン記念事業の一つとして位置づけ
られていたため(開館は平成9年11月)、編集期間はわずか1年、急ぎ委員の分担を委員自ら
決めて、作業に取りかかったのだった。15名のスタッフは資料収集のため町内を駆けずり回
り、多くの町民の方の協力のもと、目次づくりから、原稿書きまで、すべて委員の手で作ら
れた。こうして平成9年11月8日開館前の10月に総頁215頁、中味豊かで多彩な、懐かしくて
面白い冊子が刊行され、能登川町の全世帯に各1冊配布されたのだった。
冊子のタイトルは、全委員が提出した25候補名から『能登川てんこもり』が選ばれた。セ
ンターが開館して最初の一か月間は町立図書館・博物館開館記念事業として、写真家今森光
彦さんの写真展を行っている。今森さんは能登川てんこもり委員会が始まった一年前から随
時、能登川町を取材され、その成果を開館記念の展示として発表してくださったのだ。能登
川で生まれ育ち、誰よりも町中を歩いているという一人の委員(委員長)が、今森さんの写
真のなかに、「能登川に生まれ育ち、40年以上暮らしてきたが、自分が知らなかった町」の
光景があると語っていた言葉が私のなかに刻まれている。その今森さんが委員の強い希望に
より冊子の装丁をしてくださったのだ。また『能登川てんこもり』冒頭には、今森さんが撮
影した町内各在所の写真が掲載され、それに続いて、「能登川再発見」と題した座談会の記
録が載っている。能登川町長の杉田久太郎さん、今森光彦さん、そして熱い思いで委員会を
引っ張られた『ふるさと百科』編集委員長の井口博之さん、3人の座談で、刊行後25年の今
読んでも、本づくりの意図が鮮やかに語られていて、心打たれる座談となっている。その年
から今森光彦さんには毎年、図書館で講演をしていただいた。(私の退職時まで9回、1回だ
け、時間が取れず。そのうち2回は絵本作家川端誠さんとの対談)今森さんのお仕事と生き方
は、私たちが立っている足もと、私たちの眼前に、豊かな自然といのちの営みがあることを
鮮やかに知らせてくれるものだと思われ、それは、能登川の図書館と博物館が目指す存りよ
うを照らしだし、指し示すものでもあると考えて、毎年の講演をお願いしたのだった。
石風社、福元さんのこと
能登川町で生まれた一冊の本のことを少し詳しくここに紹介したのは、その町の人たちにとっ
て大切な冊子づくりの始まりに、九州福岡の出版社、石風社の福元さんとの関りがあり、また
あらためて、福元さんからつながる中村哲さんとの縁しを思うからだ。
6年ぶりに福元さんに電話した私は、中村哲さんと井上ひさしさんとの対談を核にした宮澤賢
治学会の地方セミナーを能登川で開けないかと考えていることを伝えたのだと思う。
福元さんの話を聞いて驚いた。「中村さんと井上さんの対談は鎌倉でやっているよ。」「えー
っ」と驚く私に、「長野ヒデ子さんが」というお話に、私はびっくりした。「長野さんが鎌倉
に住んでいて、近くに住まわれている井上ひさし、ユリ夫妻と親しくされていて、中村さんの
活動をくわしく知っておられて、鎌倉でのお2人の対談になったと。
長野ヒデ子さんの絵本作家としてのデビュー作品は、『とうさんかあさん』(葦書房 1976)
で、この長野さんの第一番目の作品の編集者が当時、葦書房にいた福元さんだ。中村哲さんと
同じ1946年生まれの久本三多さんが代表の葦書房は、地方出版社の雄と呼ばれ、その出版物は
私にとっては図書館の蔵書として、また一人の読者としても、見逃せない本が多く、渡辺京二
さん他、個人的にも生涯にわたり手にしてきた幾人もの著者を葦書房の本から知らされてきた。
とりわけ渡辺京二さん編集の『暗河』(くらごう)は、現在熊本の田尻久子さんの橙書店から
出されている『アルテリ』と同じく、初めて目にする著者やその著作の面白さ、そして時を経
てますます面白い渡辺さんの文章に驚かされてきた。その『暗河』の最初の何号かで私は福元
さんの文章を読んで心に刻んでいる。当時、熊本にいた20代の若き福元さんが、石牟礼道子さ
ん、渡辺京二さんたち、そして水俣病の患者さんたちとともに水俣病闘争に関わっていた時の
一文だ。福元さんは私にとっては、その一文の著者としてあったことを今にして思う。
長野さんが最近うけたインタビューでの発言によれば、『とうさんかあさん』は太宰府に住ん
んいた時、長野さんの義妹(弟の奥さま)が入院され、弟の子どもを預かっていた時期、広告
の裏に絵を描いてお話を作ったりして遊んでいた。そのときたまたま長野さんの子ども文庫を
訪ねてきた編集者が、それを見て「この絵本をだしたい」と。それが葦書房の福元さんだった。
インタビューでの長野さんの言葉、「作家がいても本はできない。どんな編集者に出会うか。
素敵な人、編集者福元さんに育てられた」と。
葦書房から独立して石風社を始めた福元さんのお仕事、福元さんならではの石風社の本に、深
い喜びを手渡されてきたと改めて思う。中村哲さんの『ペシャワールにて』(1992)に始まる
著作のこれまでに至る一連の出版、その持続的で深い営みに驚きと励ましを受け続けてきた。
石風社との長く深い交流から生まれたと思われる阿部謹也(『ヨーロッパを読む』1995)、何
ともうれしい森崎和江さんの『 』、長野ヒデ子さんの本では、『ふしぎとうれしい』(20
00)以後、最新作では、『 』。そして近々、新作もでるようだ。福元さんの長野さんとの
出会いは長く深いものがある。中村哲さん亡きあとは、お二人で中村さんを語る場も持たれて
いる。
長野さんとの出会い
そして長野さんと私の出会いもふしぎといえば不思議なご縁だ。私が博多駅近くの記念会舘図
書室で働き始めて程ない時だったか、大宰府に住んでいて借家に離れがあったので、文庫を始
めていた(字名は連歌屋区だった)。大宰府天満宮に近く、四王寺山への登り口にあったので
”四王寺文庫”名づけ、近くの坂道の電信柱などに文庫開きの手書きの案内などを貼った。そ
うしたらやってきた近所の子どもたちの中に、『大宰府』(葦書房1982)の著者の森弘子さん
や長野ヒデ子さんのお子さんがいたのだ。長野さんの年譜をみると、そのころ長野さんは『と
うさんかあさん』(1976)をすでに出版されていたようだが、私はそのことを知らずに長野さ
んにお会いしている。家にやって来られた長野さんとお話したのは、その時の一度きりではな
いかと思うが、本棚にたまたまあった丸木俊さんの『女絵かきの誕生』だったか、新書版の本
を手に丸木俊さんへの深い思いを語られたのが今も心に刻まれている。以後福岡市への引っ越
しが急に決まり、たしかご挨拶もできずお別れし、再びご縁ができたのは17,8年後の、2005
年10月28日、能登川に移ってからのことだった。(毎日新聞大津支局長の塩田敏夫さんが同紙
の日曜日または月曜日の紙面に書いていた『支局長からの手紙』、2005年11月7日の滋賀版の
頁の「心を育てる絵本」で長野さんの講演会の期日を知ることができた。)
能登川の保育園に働く職員の方が、能登川の図書館に講演会の講師として長野さんを呼ばれた
のだ。その時、長野さんは講演の場で、”四王寺文庫”で子どもたちと折り紙で作った出来上
がりのもの(私には難しくてとてもできない、文庫を手伝ってくれたどなたかが、こどもたち
と一緒につくったものだと思う)を鎌倉の自宅から持って来られて私を驚かせた。
【支局長からの手紙「心を育てる絵本】2005年(平成17年)11月7日(月曜日)をここ
で紹介しておきたい。能登川にいた当時、塩田さんが大津支局長だった2年間、日曜日か月曜
日の朝刊でどんなに心励まされる「支局長からの手紙」を、滋賀の人と共に受け取ってきたか、
その一端をお伝えしたい。
支局長からの手紙 心を育てる絵本2005年(平成17年11月7日(月曜日)
「赤ちゃんが生まれた時、お母さんも生まれました。スタート時点は同じです」。赤ちゃんを
授かり、育てた体験に基づいた絵本「おかあさんがおかあさんになった日」。絵本作家、長野
ヒデ子さんは、創作の原点ともなった作品を語りました。自分の中からわき出したものを汲み
上げる。自分の皮膚感覚で確かめる。豊かな感性が作品にあふれていることが伝わってきまし
た。能登川町立図書館で先月28日に開かれた講演会でのことでした。
長野さんは瀬戸内海に面する愛媛県今治市に生まれました。白い砂浜と青い松林。暮らしのす
ぐそばに水辺の空間がありました。織田が浜です。私も現場に立ったことがありますが、瀬戸
内海ならではの穏や佇(たたず)まいのそれは美しい浜でした。
この浜の埋め立て計画が持ち上がり、「子どもたちに白い浜を残せ」と命がけで立ち上ったの
が「織田が浜を守る会」代表を務めた飯塚芳夫さんたちでした。飯塚さんは長野さんに最初に
絵を教えてくれた先生でした。
長野さんは講演会を始める時、宝物を見せてくれました。娘さんが小さいころ、現在能登川町
立図書館長を務める才津原哲弘さん(59)からもらった折り紙です。当時、転勤で福岡県で生
活した長野さんの家の近くには才津原さんの家がありました。才津原さんは仕事が休みの時は
自宅を家庭文庫にして開放していました。娘さんはその家庭文庫に通い、絵本に親しみました。
そこでもらった折り紙を何十年も大切にしてきたのです。
「文庫のおばさん」があこがれだったといいます。転勤で全国を回る生活。家庭文庫があれば、
子どもたちとすぐに仲良くなり、おかあさんとも友達になれたからです。本は人をつないでく
れると実感したそうです。本は手渡し方ひとつで生き、埋もれてしまうと。その人の言葉で読
んでもらって初めて本は命を吹き込まれることがよくわかったといいます。
長崎県の諫早湾の干拓事業を問うた絵本「海をかえして」を書きました。当初は社会的な問題
を扱いたくないという気持ちが強かったそうですが、自分の子どもたちが遊んだ諫早の海が死
んでいくのを見過ごすことができなかったといいます。現場に立ち、潮の満ち引きの自然のリ
ズムが何より大切だと実感します。それは人や動物たちも同じで、出産に立ち会う看護師さん
に教えてもらった言葉を紹介してくれました。「自然の流れに逆らわなかったらうまくいきま
す」
長野さん自身、知り合いに頼んで多くの出産に立ち会ってきました。その経験から確信したこ
とがあります。ソレハ赤ちゃんは自分の思いを持って自分の力で生まれてくるということです。
赤ちゃんは生まれながらに判断する力が備わっている。それを伝える手段を得るために学ぶの
だと。
ノンフィクション作家、柳田邦男さんの言葉を思いだしました。「大人になったからこそ絵本
を読んでほしい。子どものときとはまた違った深い味わいがある。絵本を読む時間を大切にし
たいと思います。 【大津支局長・塩田敏夫】
今ひとりの人のこと、扇元久栄さん
井上ひさしさんを能登川に招くにあたって、長野さんにはこの上ないお力を授かったと心に刻
んでいるが、このことでは今一人、かけがえなき人のことを思う。扇元久栄さんだ。扇元さん
に初めて電話をしたのは、1987年3月5日の深夜、写真家の漆原宏さんの紹介によるものだった。
当時扇本さんは仙台で、「仙台にもっと図書館をつくる会」の代表をされている方だった。
私が博多駅近くの財団法人の小さな図書室で働き始めて8,9年が経った頃で、人口111万2千人
(1986・昭和61年末)の大都市に市立図書館が1館しかないことの問題、市民の大半が図書館が
身近にないため、図書館を利用する(できる)市民が極めて少ない福岡市の在り方に、手を拱
いていては、ますます状況が悪くなっていると考えるようになっていた。市民として動き、行
動が必要ではないかと。仙台に電話をしてから日を経ず、扇元さんから、「つくる会」のすさ
まじい資料が送られてきた。
・「つくる会」は会を創めて年、文庫から始まったこと。
・「考える部会」「伝える部会」「広める部会」の3つの部会があること。
「つくる会」の活動の実に細やかで詳細な資料、福岡での状況を我がことのように受け止めて、
私自身が自らに問うていた問いに、柔らかに直截に応えてくださった言葉が記されていた。
一面識もない者に、その者の問いに答えて、心こめて爽やかな言葉を贈る、その時私は、扇本
さんが大好きな宮澤賢治の童話の中のせりふ、「こんなことは実に稀です」というかけがえの
ない時間を授かっていたのだった。扇元さんから深い気を吹き込まれて、私が歩みを共にする
人たちと、「福岡の図書館を考える会」を始めたのは、それから程なくのことだった。
後に幾度も、扇元さんとお会いし、手紙や電話でやり取りをする中で、扇元さんが、宮澤賢治
だけではなく、井上ひさしさんを大切な人と思われていることがわかってきた。
「私、井上さんのおっかけをしているのよ」、仙台文学館の館長をしていた井上さんの作文教
室だけではなく、井上さんの生誕の地、山形県川西町で”生活者の視点で自らの暮らしをもう
一度見つめなおそう”という井上さんの提唱で始まり、1988年から毎年1回のペースで開催さ
れた「遅筆堂文庫生活者大学校」(校長:井上ひさし、教頭:山下惣一)の講座に毎回参加さ
れていたのだと思う。図書館に関する講座では、竹内悊さんと一緒に登壇されているようだ。
(残念なことに、そのことを私は知らず、扇本さんからお話を聞き機会を逃してしまった。
このような次第で、扇元さんに能登川町での地方セミナー開催に向けての取り組みをお伝えす
ると、大変喜ばれるとともに、井上さんのご了解を得る上で、深いご助力をいただいたのだと
思う。
宮澤賢治学会イーハトーブセンター・地方セミナーのプログラムについて
たくさんの方たちのご助力を得て、中村哲さんと井上ひさしさんのご了解をいただいてから、
地方セミナーをどのような内容にするかで、まず、中村さん、そして井上さんのお話(それぞ
れ30分)、それからお2人の対談(80分)、そして、その後の会場の参加者との質疑(60分、
中村さんの各地での講演会では、質疑の時間がとりわけ面白いので、質疑の時間をできる限り
とりたいと考えて60分とした。)
講演が始まる前の30分は、①開会挨拶(町教育長田附弘子、宮澤賢治学会イーハトーブセンタ
ー荻原昌好 ②開会の辞イハトーブ童話『注文の多い料理店」序(宮澤賢治学会会員 扇元久栄
さん)③宮澤賢治・短歌四首 井上ひさし『なのだソング』 とりい しん平さん(驚くばかり
の時間だった。) ④群読『雨にも負けず』能登川町民と当セミナー参加者有志
そして
講演『医者、井戸を掘る その後』中村哲さん
講演『賢治と哲』 井上ひさしさん【ここでようやく「賢治と哲」にたどりついた!】
対談『辺境で診る 辺境から見る』中村哲さん・井上ひさしさん
参加者との対話・質疑
という次第だった。
扇元久栄さんには、開会の辞で、「わたしたちは、氷砂糖をほしいくらいもたないでも、きれい
にすきとおった風を食べ、桃いろのうつくしいあさの日光をのむことができます。またわたくしは、・・・」全文を詠んでいただいた。扇本さんは巻物に全文を書き記して、巻物を次々に引い
て巻紙を下にたらしながら、凛とした声で詠んでいかれた。本当は一言一句すべて、すっかり体
の中に入っていて、目にするまでもなかったのだけれども。扇元さんは全身で賢治さんを参加者
一人ひとりの目とこころに焼きつけ刻んでくださった。
30分のお話に『賢治と哲』と題を示してくださったのは井上ひさしさんだ。その演題を
お聞きして私は小躍りする思いだった。ここで「賢治と哲とひさし、と」につながる。
ただ会の進行はどうだったか。映像でたしかめていただきたい。【「図書館の風」No.49-2】
さいごに、どのような思いで地方セミナーを開催したか、「開催にあたって」と「対談」につ
いてのチラシの文章を記しておきたい。
宮澤賢治学会・地方セミナー開催にあたって 2004.5.1
2004年5月1日、琵琶湖の東岸、そほぼ中央に位置する能登川町で、宮澤賢治学会地方セミナーを
開催します。宮澤賢治が生まれた岩手県は、かつて日本の辺境とでも言うべき地でした。賢治さ
んはその辺境の地にイーハトーボという、いのち響きあう世界を見、「たしかにこの通りある世
界」として、私たちの前にさしだしています。この度の地方セミナーのテーマは「辺境で診る、
辺境から見るです。これは、実は今回の地方セミナーの講師のお一人である医師、中村哲さんの
最新の著書のタイトル名です。中村さんは、1984年パキスタン北西辺境州のペシャワールでアフ
ガン難民と接し、以後20年にわたって、パキスタン、アフガニスタンの地でライ(ハンセン病)
に苦しみ、貧困で診察をうけられない人々のために活動をおこなってきました。
20年に及ぶ中村哲さんの活動を支えてきたのは、その医療活動を支援する目的で結成された福岡
市に本部をもつペシャワール会の約12,000人の会員のボランティア活動です。中村哲さんとペシ
ャワール会の活動は、「東二病気ノコドモアレバ 行ッテ看病シテヤリ 西二ツカレタ母アレバ」
の「雨ニモマケズ」を彷彿とさせるものがありますが、中村哲さんは、こうした活動の中で、ア
フガンの地で賢治の本を読み、昨年、京都で行われた講演会で、かの地で賢治の作品を読むと、日
本の今のありいうが、その作品を通してよく見えるという趣旨のことを述べられていました。
今回の今一人の講師である井上ひさしさんと宮澤賢治との深い関りについては、井上さんのエッセ
イや戯曲「イーハトーボの劇列車」などの作品で、多くの人に知られています。
井上さんが小学校6年生の時に、「生まれてはじめて、雑誌ではなく単行本を、それも自分自身の
判断で、しかも貯めておいた小遣いで買った」のが、井上さんの蔵書第1号である「どんぐりと山
猫」であったということ。この本との出会いを、井上さんは「私の個人史における生涯十大ニュー
スのひとつ」と言われていますが、井上さんの生き方とその著作の根底には、いつも賢治の世界と
響きあうものがあるように思われます。
また、「国をあてにしない生き方から一歩先へ、モデルのない時代だからこそ、新しいモデルをわ
たしたちでつくっていく。個人から町へ、地域から国づくり」を考える「生活者大学校」の開校、
その長年にわたる活動は、まさに、「地域(辺境)で見る 地域(辺境)から見る」活動そのもの
と見えます。
この度の地方セミナーでは、「辺境で診る 辺境から見る」ことを、その生き方の根っこにおかれ
ている中村さんと井上さんをお迎えして、「辺境で診る 辺境から」とは何かを、じっくりお聞き
し、参加されたお一人ひとりが、「ほんとうの生き方」を、自ら考える場となればと考えています。
地方セミナー開催という天空からの贈り物とも思える時を与えていただいた能登川からは、この機
会あらためて出会えた賢治さんとの出会いの喜びの小さな声をお伝えできればと願っています。
さいごになりましたが、能登川町での地方せみなーの開催にあたりましては町の内外の実に多くの
方々のご助力をいただきました。心からお礼申し上げるものです。ーーー
”ほんとうの生き方”
をよりよく考える言葉が紡ぎだされる対談
このたびの中村哲さんと井上ひさしさんの対談を企画いたしましたのは、井上さんが中村さんの
活動のはやくからの支援者であり、よき理解者であるからです。井上さんはナk村さんの活動に
心からの感銘を受け、紹介する話を、すでに井上さんゆかりの地、山形県置賜農業高校でされて
います。日本の農業、戦争と平和についても深い関心を持ち、積極的に発言してこられた井上さ
んと、内戦が続くなかで20年間、闘う平和主義を貫いてこられた中村さんの”賢治”を切り口と
した対談が実現すれば、宮澤賢治の世界の広く深いひろがりが感得される対談になるとともに日
本で今を生きる私たちの生を支える労働について、平和について、又一人ひとり”ほんとうのいきっ方”をよりよく考える言葉が紡ぎだされる対談になるものと確信いたします。
2022年10月3日月曜日
「鶴見俊輔展₋Un」開催のお知らせ No.99
糸島市二丈にある「本屋アルゼンチン」で10月の一ヶ月間(土、日のみ開店)、
「鶴見俊輔展-Un」を開催されます。私自身、鶴見さんの読者の一人として過ご
してきたことで、本屋アルゼンチンの大谷直紀さんとの出会いがあり、今回の
企画にできる限りの協力をさせていただくことになりました。
まずは大谷さんによる企画展のご案内です。ーーーーーーーーーー
鶴見俊輔展-Un-開催にあたって
本屋アルゼンチンでは毎年10月に鶴見俊輔展-Un-を開催します。
今年の鶴見さんの生誕100年を口実に、1回きりではなく、毎年の
ルーティンしてしまう企みです。
私は鶴見さんの遺した言葉に救われる人がいると思います。
彼自身が戦中・戦後のけんりょく、国家、社会、何より自分自身に
苦悩し、疑い、受容を繰り返す、”揺らぎ”を味わい尽くし、年齢
を重ねても思想を科学し続けたからではないでしょうか。
とにかく、言葉と眼差しが優しい。
鶴見さんの著作は膨大で、展示しる200冊はほんの一部。
「次世代へのバトンを渡す」など惧れ多く、私自身も鶴見さんを掴み
着れているわけではありません。
それでも、この哲学者の言葉を燈してみたい。
ゆっくり、展示物に触れていただけると嬉しいです。
本屋アルゼンチン Naoki Ooya
なぜ、いま鶴見俊輔か。
「役に立ちそうなメジャーなものを、効率よく」
タイムパフォ-マンス(時間対効果)中心社会を生きています。
文字よりも写真をスクロールし、動画を倍速で摂取する日常。
何を隠そう、自分自身がその真ん中を歩いています。
本当に大切なものをとりこぼしていないだろうか。
鶴見さんは、学者や権力者ではなく、日常を営む一般人の言葉、
感情に本来掴むべき「思想」が眠っていると考えました。赤鉛筆
と青鉛筆を持ち、誰も注目もしない小規模な刊行物や社内報に一
生懸命、線を引きながら読んでいたそうです。
小さな声なき声に耳を傾け、時に停滞し、時に全身する。
誰かの小さな声は、そのまま「自分の声」でもあります。
タイパ社会にいる私たちが、まさに背けている大切な声。
糸島の本屋アルゼンチンから、鶴見さんの優しい語り口と
あり様に対話のヒント、言い換えるなら、次代に繋がる
一本の糸を紡ぎたい。
鶴見俊輔俊輔展-Un-を開催します。
ーーーーー
【概要】 鶴見俊輔展-Un-
入場 無料 / 駐車場あり /
1960年代「思想の科学」をはじめ、約200冊の鶴見さんの作品を展示します。-------
場所
本屋アルゼンチン(筑肥線大入駅徒歩1分)https//goo.gl/maps/
14s2NGpeXfamj3zDA--------ー
日時(12時~16時)※22日のみ別。
1.大規模展示 10月2日、8日、15日、16日、22日、29日、30日-----------
2.小規模展示 10月9日、23日
イベント
10月22日(土)に少人数の読書会を実施。
午前の部(10時~11時半):鶴見さんんの文章を読んで、感想交換。(大谷)
午後の部(13時∼14時半):才津原さんによる即興の鶴見さんを語る会。
ーーー--
以上、大谷さんによるご案内。
大谷さんに一文を求められて、次の案内を寄せました。ー
鶴見さんのこと (1922-2015)
才津原哲弘
鶴見俊輔さんの本を初めて手にしたのは
私が20歳を過ぎた頃だ。2015年に93歳で
逝去されて早や7年が経つが、55年をこ
える読者の一人として、鶴見さんの本は
日々、一層面白い。京都にある出版社、
”編集グループSURE”が『もうろくの春
鶴見俊輔詩集』を最初の出版物として発
行して今年で創業20周年、最新刊は”鶴
見俊輔生誕100周年記念出版”として6月
25日に発行された『日本の地下水 ちい
さなメディアから』鶴見俊輔著だ。同書
は1960年から雑誌「思想の科学」誌上で
21年間にわたって続いて連載された、日
本のさまざまな地域のサークルの雑誌評
の初の集成だ。
40年、60年前に書かれた鶴見さんの一
篇、一篇が2022年の今、なぜ、どのよう
に面白いのか、そのことを語りあう場を
糸島市二丈、筑肥線大入駅近くの「本屋
アルゼンチン」で。風、光さやかな10月
のある日に。
【追記:10月22日(土)13時~14時半】
ーいずれかの日に、ぜひ本屋アルゼンチンへ。
2022年9月28日水曜日
アーサー・ビナードさん講演会にようこそ!10.29(土) No.98
「糸島の図書館の未来を考える会」主催の初めての講演会、第1回はアーサー・ビナードさんをお迎えしま
す。以下ご案内です。ーーーーーーー
あふれだす「絵本の力」
「ありえない!」時代へようこそ
~エリック・カールと宮澤賢治といっしょにいまの世界を見つめる~
語り アーサー・ビナードさん
アメリカのミシガン州に生まれる。
ニューヨーク州の大学で英文学を学
び、卒業と同時に来日、日本語でも
詩作を始める。数々の賞を受賞。
2022.10.29.SAT
12:00 受付開始&サイン会
13:30 講演会スタート
場所 初潮旅館(糸島市二丈鹿家1735-18)
主催 糸島の図書館の未来を考える会
大人2500円 大学生・高校生1000円 中学生以下無料
〇お問い合わせ 090-7678-2048(龍国寺甘蔗)
090-1852-1102(ノドカフェ坂本)
〇注意事項
・外履き入れのご持参をお願いします。
・絵本の購入とサイン会をご希望の方はお早めにお越しください。
・乗り合わせや公共交通機関のご利用などをお願いいたします。
・ドリンクの提供(有料)のみございます。
2022年9月26日月曜日
10年前、漆原宏さんから、糸島で手渡されたもの・・・No.97
9月15日に亡くなられた漆原宏さんは全国各地で講演をされていた。住民のだれもが〈いつでも どこでも なんでも〉、生涯にわたって利用できる図書館を求める市民にとっては、漆原さんが撮られた図書館の写真からだけではなく、図書館を語る漆原さんの言葉から、さらに深い力を手渡されてきたように思う。10年前の2012年3月25日、「図書館によせる私の思い」と題して漆原さんの講演会を糸島市で行った。主催は「としょかんのたね・二丈」会場は糸島市の図書館の分館「糸島市図書館二丈館」の3階会議室だった。ご遺族のご了解を得て、ここに当日の後援会のレジュメと配布資料を公開させていただきます。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
講演会ちらしから
「図書館によせる私の思い」 漆原宏講演会------------------------------------------------
ーープロフィールーー1969年・研光社入社 社員雑誌『フォトアート』その他の編集に従事。
1975年・フリーの写真家となり現在に至る。日本写真家協会会員。1996年・『図書館雑誌』(日本図書館協会刊行の月刊誌の写真取材を始める。毎月、同誌のグラビア頁に掲載。著書に『地域に育つくらしの中の図書館』(ほるぷ出版1983)
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
1976年以来36年間にわたり図書館の写真を撮り続け、日本の写真家による唯一の写真集『地域に育つくらしの中の図書館』の著者でもある。日本各地の住民のくらしに役立つ図書館づくりを講演や写真展などを通して声援。図書館がいわゆる本好きといわれる人だけのものではなく、赤ちゃんからおとしよりまで市民のすべてに欠かせないものであることを、図書館の多様な利用の仕方のお話を通して語られます。ーーー
「図書館って、こんな利用の仕方があるの?」私たち誰もが図書館を楽しく便利に「美味しく食べる」お話を伺う講演会にようこそ。本を借りに行ったことはあるけど、とういう方も。ようこそ。ーーー
もっともっと あなたの図書館となるために。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
とき 3月25日(日)13:30~15:30 / ところ 糸島市図書館二丈館3階会議室A(糸島市二丈深江1360)
参加費 無料・・・主催 としょかんのたね・二丈(☎番号 オオマツ)
-------------------------------------------------------
―レジュメ―(2012/03/25)ーーー主催・としょかんのたね・二丈ーーーーーーーー
これからの図書館とその利用法 ―図書館のおいしい食べ方― 漆原宏(図書館写真家)
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
◎はじめに
◎図書館ってどんなとこ
◇図書館は、本質的・構造的に民主主義を志向します。―――配布資料(1)
・図書館は世界的視野で資料を選択し、地球的規模で資料を収集します。―多文化・多言語、多様性ー
・豊富な資料は、多様な選択肢を保障し、多様な価値観の形成をうながします。ーーー
・蔵書構成―比較検討―比べて考える―無料貸本屋と違うーーー
・図書館の泣き所=自衛隊、原子力発電ーーー
・IT機能整備―世界的視野、速報性、多文化・多言語、膨大な情報量、島国、※琉米文化会館ーーー
・図書館員は人類の歴史の接点に立つ仕事 ※糸島市の取り組みーーー
技術員、ボランティア、住民(それぞれが各分野の専門家)の協力ーーー
◎暮らしと仕事、そして”まち”に役立つ図書館ーーー
・図書館は、自治体が設置し、運営する―条例で定めるー
・時事・自治資料の提供 図書館法第3条7項ー
・図書館は、自治体のひとづくり、まちづくりの頭脳として機能する機関ー
※九州大学誘致、学術研究都市づくりの推進ー
☆行政支援=糸島市行政支援ー
☆ビジネス支援=今を支える企業人、社会人への資料提供―林家、農家、漁家、工場主、商店主などー
☆学校支援 学校教育と社会教育はセット―生涯学習ー体系化ーー
☆図書館利用に障害のある人々へのサービスー養護施設・高齢者施設・病院図書館・宅配ーー
◎図書館利用の生活化―住民参加、自主講座ーー
・生涯学習―①受益者負担②民間教育機関の活用③ボランティアの育成・活用ー
・図書館資料が花ひらくとき、集会室が賑わう ・・・図書館法3-6,自由の宣言 前文2-3
・▽お話会・工作会(手作り会)▽読書会▽映画界▽特設コーナー▽行事・展示▽IT技術ーーー
・利用者用(住民発信用)掲示板の設置ー
◇「図書は、暮らしの知恵袋」― 配布資料2ーー
◎図書館のおいしい食べ方(ランダムに持ち時間まで)ーー
・メニュー1- 子どもに体験―遊び、自然科学(教室)、料理(教室) ※文字は記号
(中学生―大学図書館見学=国立より私立が良い)ーー
・ 2- 新学期〈入学式 新入生 PTA〉 新年度〈入社式 新入社員〉ーー
・ 3- 暮らしを支え・創りだす住民の話=中・高校生対象(青年前期 後継者)ー
・ 4- 高齢者(生きがい=プロ集団・結婚・介護・共同生活・グループハウス)ー
・ 5- 伝統・地場産業(地域)振興―女性の参加、団塊の世代のI・Uターンーー
・ 6- 野草〈薬草〉(予防医学)、 ※糸島市=川上・川下(環境保全)ーー
・ 7-和室利用―句会・歌会、囲碁・将棋(入門、大会)、茶道、骨董、着付、ヨガ・スポーツ
(茶道、華道=民間教育機関を歩く)ー
・ 8-一枚のポスターからーー
・ 9-自然災害(地震・津波)、恩恵(防災・避難/生命誕生/温泉・旅行)ーー
・ 10-貸出用絵画-特別展示(プロ作家の個展〈絵画〉にこだわらない)ーーー
ーーーーーおわり
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
レジュメをみると、漆原さんの声が耳元だけでなく胸底によみがえってくるようだ。10年前の漆原さんの声、その言葉が2022年9月の今現在の私に、今これからの私たちが踏みだす道の灯火のように思われる。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
配布資料1ーーーーー―――図書館利用を生活化しよう―――ーーーーーーーーーーーーーーーーー図書館は、本質的・構造的に民主主義を志向します。ーーー
――『図書館の自由に関する宣言』、『図書館のめざすもの』の意味するもの――漆原宏
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
◎人類と図書館ーーーーー
人類は、地球上の緯度・経度の位置関係より簡単に記しても熱帯・寒帯、海浜・山岳、砂漠・湿地、創元・樹林など自然環境の違いの中で多くの人種、民族が誕生し、生活しています。したがって気候風土、衣食住の違いは、人的物的交流に差異が生じ、風俗習慣、生活習慣など、社会発展に遅速が現れます。そして時代を経て区別され、差別化が表れるまでになりました。結果、地球上の諸民族、諸国民の歴史には人間の負の遺産が多く含まれています。ーーーー
しかし、その時代に生きる大多数の民衆は、幸せな人生、平和な生活環境を日々願って暮らしを営んできました。願いは子孫に託され、暮らしから生み出された知識や知恵を後世に伝える手段として、現代の図書館が形づくられてきました。ーーー私たちは、1人ひとりの顔がちがうように趣味、嗜好、価値観など主義主張とその表現手段が違います。
記憶としての口承から、保存としての記録へ、手段は多様化し、従来、図書資料としての紙となる素材は、草、木が多用されましたが、現代はフィルム、CD、DVD、HD、SDメモリーカード、USBメモリー、スマートメディア、
メモリースティック、コンパクトフラッシュ、XDピクチャーカード、などが記録媒体として加わり、保存され利用に供されるおうになるました。ーーー表現の素材としては、水、紙、竹、皮、骨、土、石、銅、鉄、銀、金、アルミ、プラスティック、ガラスなどです。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
◎図書館は世界的視野で資料を選択し、地球的規模で資料を収集します。ーーーーーーーーーーーーーーーーー
日本の公立図書館は、日本にあるからといって、日本人が創り出した資料だけを収蔵しているわけではありません。
同じ主題を人種や民族、老若男女、そして異なる価値観をこえて世界の多くの人々が各人の思考と異なる表現手段を用いて創り出しています。各主題が多角的な切り口(多文化・多言語)から扱われ、多種多様な結果が用意されていrので、各人が納得のいく結果が得られるでしょう。ーーーしたがって図書館は、世界的視野で資料を選択し、地球的規模で資料を収集します。ーーーそれは、図書館の目的のひとつ、平和で人間性豊かな」国際社会の創造に活かされます。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー◎図書館は、本質的・構造的に民主主義を志向します。--------------------------------------------------
日本国憲法前文は、平和主義、民主主義という「人類普遍の原理」を掲げています。国民主権、基本的人権の保障による自由と平等、そして互恵、戦争を放棄し領土を尊重し、国際的協和と友好、恒久的平和と共存を実現するためです。
そして、教育基本法前文には「この(憲法)理想の実現には、根本において教育の力をまつべきものがある」とし、第一条に「教育は、人格の完成をめざし、平和的な国家及び社会の形成者として、真理と正義を愛し、個人の価値をたっとび、勤労と責任を重んじ、自主的精神に充ちた心身ともに健康な国民の育成」を掲げ、第七条二項に図書館施設を設置し教育の目的の実現に努める、ことを謳っています。ーーつまり図書館は、本質的・構造的に民主主義を志向します。結果、日本国憲法の理想の実現には、図書館が不可欠です。------------------------------------------------
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
◎豊富な図書館資料は、比べて考えるうえで不可欠です。ーーーー
図書館資料は、各館の収集方針に基づき蔵書構成がされます。ある主題に対し縦軸は入門書から専門書まで、横軸はその類書群が収書・配架されます。ーーーまた、レファレンス・コレクション(引く本)として、調査研究活動に提供される字書、辞典、百科事典、図鑑、年鑑、統計書、白書、ハンドブック、便覧類など、図書館員がレファレンス・サービスに用いる資料があります。ーーー人は皆、今までの認識量の範囲内で思索し模索して、調べたい主題の類書群を読み、比べて考え、さらなる知識や知恵を得て、その時点の認識量の範囲内で自己決定(判断)します。ーーー認識は量を増し頭脳に蓄えられ、主義主張となり、行為や行動へと意思表示され、個としての人格を形成してゆきます。それには、資料が豊富であることが必要です。ーーー私たちは、それらを心の糧として成長し、ひとりの生活者として、社会人としての役割(立場、職業)を担い、暮らしを営んできました。自己決定学習は、過去をふまえ、今をおしすすめ、未来をのりきる力を生み出します。ーーー-------------------------------------------------ーーーーーーーー
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
◎豊富な資料は、民主主義の理念である多様な価値観と選択肢を保障します。ーーーーーーーーー
豊富な資料により比べて考える仕様が、多様な価値観と選択肢を保障します。主義主張の異なる人々が共存共生する社会を支援します。ーーー私たちは、図書館資料を人類の文化財あ(遺産)として共有し、利用します。自己決定学習は、人間が主体としての基本的権利です。―――図書館は、民主主義の根幹である基本的人権のひとつ、生涯にわたる学習を保障します。多様な価値観を持つ人々が共存共栄できる社会が民主主義であり、図書館は、民主主義を方がさせる土壌です。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー---------------------------------
◎図書館は、教育機関として無料で、自己実現を可能とする学習機関です。
--------------------------------------------------------
教育法制にみる手段としての図書館は、図書館法第17条に利用を無料と規定しています。憲法前文と第25条に謳われる生存権の保障は、学習権の保障のうえに成り立つからです。ーー学校教育を終え、社会人としての自己学習の場を保障するひとつに図書館が位置づけられています。仕事に暮らしにこじんとして、地域活動に集団としても利用されます。---------------------------------------------------------
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
◎自治・時事の資料・情報を住民に閲覧する仕事を担います。ーーーーーーーーー
条例でつくられる図書館は、自治体行政へ努めてサービスし、図書館法第3条7項に定める時事問題をも、速やかに広く、そして確かな資料と情報を併せて閲覧・提供する役割を担っています。直接選挙制度を掲げる日本にあって自治意識を形成する基盤となる機関です。ーーー戦前、国家が教育と情報を一方的に決定・管理し、国の政策を無条件に支持し、正当化するいっかんした政治を進めたことで、国民は侵略戦争に動員されていきました。国家が国民の知る権利を踏みにじった歴史への反省に立って、教育内容を一方的に当世してはならないということが、戦後の新しい教育理念として承認され、憲法・教育基本法制定の基本原則となったのです。図書館は、その教育法制のなかに教育機関として位置づけられています。ーーーその願いには、図書館理念と同調し、国際社会と協和する、平和で人間性豊かな日本社会の創造です。ーーーーー---------------------------------------------------------ーーーーーーーーーーーー
◎図書館は、地域資料の収集・提供、そして保存は重要な仕事です。ーーーーーーーーー
図書館は、当該自治体の拠って立つ歴史的背景と存在理由を郷土・地域から掘り起こし、そして行政事業で印刷化された資料など、必要とする資料は選別収集し、閲覧、保存する役割を担っています。図書館員は、地域資料の収集に意識的に取り組む姿勢が求められます。---住民が国・自治体の権利侵害行為に権利回復の行動などをおこす場合など、住民運動が発行する宣伝物を収集・整理して国・自治体の資料と比較検討出来るよう配架し閲覧に供します。---------------------------------------------------------
---------------------------------------------------------
◎図書館は、生きがいのある暮らしを営むためにあります。----------------------------------
図書館は、時空を越えて世界の人々と出会い、資料を媒体に人と人とが集会室で集い、明日への知恵と英気を養うところです。ーーー図書館は、暮らしや仕事に助言や着想を引き出す事が出来ます。人としての在り方や生き方を資料と対話しながら探し、確認できます。そして、趣味や娯楽を憩えるオアシスとして疲労や悩み、悲しみや挫折を癒し、明日への元気を与えてくれます。ーーー人は図書館資料を活用して、個として自らを律し、生活者として自立した市民へと成長できます。自立した市民の結びつきは、自治意識を培い、責任感と行動力をもって自治体活性化に参画・参加し、そして国政の誤りも正せます。ーーー
図書館は、住民の暮らしや仕事、そして自治体行政の頭脳として、ひとづくりの要となり、まちづくりの
核として役立ちます。---------------------------------------------------------おわり
---------------------------------------------------------ーーーーーーーーーーーー
〈配布資料2〉---------------------------------------------------------
図書館は暮らしの知恵袋―――図書館は地域社会を活性化する―――ーーーーー
ーーー-----------------------------漆原宏(図書館写真家)ーー
----------------------------------------------------------------
□ 図書館は、暮らしの知恵袋ーーー
私たちは、知恵を働かせて生活しています。知恵とは知識を活性化したものです。お米は炊いて食べるだけでなく、蒸してお赤飯をつくり、蒸かしてついてお餅をつくり、粉にして焼いてお煎餅をつくり、麹をつくって味噌や醤油、そしてお酒をつくります。ーー牛は肉として食べるだけでなく、乳を絞ってミルクのほかにバターやチーズをつくり、皮はなめして靴や鞄、そして副をつくります。ーーこのように私たちは、知識を知恵に活かした生活しています。ーーー知識や知恵を収蔵し、利用できる機関が図書館です。
つまり図書館は、暮らしのなかにあって、その存在理由があります。--------------------------------
ーーー
□図書館は地域社会を活性化する--------------------------------
ある図書館が封筒に「見えないものが、見える目を」としるしたように、図書館資料は、暮らしに欠かせない物事や現象の、本質とその構造を解き明かす知識や知恵、そして情報を提供してくれます。
結果は、住民一人ひとりが自ら考え、自ら判断し、そして自分の発言や行動に責任を持つ人間へと成長させてくれます。ーーー各自治体が設置し運営する公立図書館は、乳児から高齢者、そして図書館利用に障害を持つ人々、また外国人までを対象としています。社会人を主軸に学校図書館を支援する教育機関です。私たちは、図書館資料をによる学習をとおして、事業や生産、労働や福祉に必要な経営や技術の知識や技術情報、そしt趣味やレジャーに必要な知識や知恵、さらに情報を得ることができます。ーー図書館は、すべての人にひとしく資料と施設を提供してくれます。ーーー知識を知恵に活かす知恵袋として、暮らしの知恵袋として、地域住民が図書館を認識したとき、図書館は地域に根づき、地域社会は活性化します。ーーそれには、そこに住む人たちが毎日一度は歩く生活動線上に図書館を造ることです。駅前や繁華街、ビジネス街や官公庁街、住宅地域の商店街、スーパーマーケットや学校のそば、そして住宅地など人々が毎日とおり、集まる所だと立ち寄りやすいでしょう。--------------------------------
--------------------------------
□ 図書館とは--------------------------------
私たあちは生物が地球上に誕生してから、38億年を費やして人類へと進化し分化し、自然に順応し共生しながら今日の人間社会を築いてきました。その間、私たちの遺伝子は、何億ビットという記憶量を蓄えてきました。遺伝子が一杯になると頭脳をつくりました。しかし科学や文化は時代とともに発展し、頭脳に入りきらない知識量を生み出しました。頭脳の記憶量も一杯になったとき、人間は外部記憶装置を考えだしたのです。それが図書館です。(朝日新聞社刊、カール・セ―ガン著『コスモス』)ーーーー
脳細胞は脳神経がはりめぐらされて活かされるように、図書館資料も異なる地域、異なる文字・言語をこえて活かされるためには、組織網が必要です。町村の図書館にない資料も、自治体間や国際間で相互協力や相互貸借胸底を結んで市区立、都道府県立、そして国立や外国の図書館からも借りられます。つまり図書館は、一つひとつの資料の集合体に終わらず、すべての資料が有機的に点から線へ、線から面へ網の目のように連鎖し、連携して機能する機関で、人間が暮らしのなかからうみだした機能であり、暮らしの知恵の産物なのです。ーーー図書館資料には、一般家庭ではそろえきれない自然科学や社会・人文科学の資料が配架されています。自然科学資料は、有形、無形に存在するすべての物質に、存在の必然性があることをしるしています。ーーー自然界の自然物の一員で、唯一思考し、思索し、判断し、そして行動する人間は、全物質を支配し独占できます。しかし、自由に伐採し、捕獲し、掘削することは人類を含めた生態系を侵し、自然を死滅させ、宇宙をも破壊します。図書館資料は、すべての”生命”と自然、そして宇宙が、人間に託されていることをにんしきんさせてくれます。ーーーーー社会・人文科学資料には、人類が
「ヒューマニズムと民主主義」を目指して、さまざまな社会制度をうみだし、体験してきた歴史があります。汗と涙と、そして血を流し、自由で平和な社会を目指して、語り継ぎ、記録(文字、活字、画材、地図、楽譜、フィルム、レコード、カセット・ビデオテープ、CD、DVD,USBメモリーなど)してきました。
ーー人類は、時の流れに即して文化をうみ、資料は量が質を高め、時代を反映して文明をおこし、資料は質が更なる質を高めてきました。図書館資料は、人類の歴史とともに増殖し、人類が「生きて活動する根源の力で、生物を生物として存在させるもの」( 岩波書店刊「国語辞典〈せいめい〉参照)として不可欠となるのです。ーーーつまり、図書館資料は、存在するすべての”生命”の大切さを認識し、共存・共生
する意識を継承すべく先達が書き残してくれたものです。”生命”の大切さを書きしるしたものです。もっと極限すれば、図書館資料とは、”生命”と不可分なのです。ーーー図書館は、それらの資料を地球規模で選択し、収集し、いまの暮らしに活かしています。人類の文化遺産を共有し利用することで、”生命”を大切にする平和で人間性豊かな国際社会を創ることです。豊富な資料が住民に利用されることで、一人ひとりに多様な選択肢を保障します。そして、学習をとおして多様な価値観の形成をうながし、確固とした判断力(自己決定)を培います。自己決定権は、国民が主体としての基本的権利です。ーーーー
--------------------------------
□ 図書館は平和で自由な土壌のうえに開花するーーーーーーーーーー
図書館資料が人類の歴史の証といわれるのは、その一つひとつが、そ時代に生れ、その環境を生きぬき、その職業をまっとうし、そのおかれた立場にあって過去を見つめ、いまを捉え、そして未来を拓く一人ひとりの生き方の集積であり結晶だからです。その一つひとつに、著者のライフワークが思い入れとともに書き込まれています。それをいまに生きる私たちが心の糧とし、暮らしや仕事に役立て、社会や家庭を営んでいるのです。ーーしたがって図書館資料からは、暮らしや仕事の助言や着想を引き出すことができます。人としての在り方や生き方を資料と対話しながら探し、確認できます。そして、趣味や娯楽を憩えるオアシスとして、また、疲労や挫折、悩みや悲しみを癒し、あすへの元気を与えてくれます。図書館は、人それぞれの生き方と楽しみ方を導きだすことができます。また、何をどのように読んでも、読書の自由とプライバシーが保護されています。ーーしたがって図書館は、平和で自由な土壌のうえに開花します。図書館は、人類に不可欠な機関として、人類が生存するかぎり、ともに成長していくことでしょう。ーー
----------------------------------------------------------------
□ 図書館は、人類に不可欠な機関、無料が原則--------------------------------
人は皆、この世に求められて生まれてきます。ゆえに憲法では、生存権をうたっています。ユネスコは、
1985年に「人間の生存にとって不可欠な手段である」(三省堂刊『解説 教育六法1992〉学習権宣言・国保障民教育研究所訳)として、基本的人権の一つに学習権を宣言しました。つまり、生存権は学習権の保障のうえに成り立つのです。ーーー図書館利用が無料の理由は、住民(外国人を含む)すべての学ぶ権利や知る権利をひとしく保障するうえで不可欠な機関だからです。
いつでも、どこでも、だれでも、どこからでも、どこへでも、どんな資料でも、そして会議室やホールでも、無料で借りること、人とひととのができなければならないでしょう。--------------------------------
--------------------------------
□ 図書館は人と人との出会いの場、集いの場--------------------------------
図書館は、個人的な疑問や仕事上の不安であれ、社会的出来事や自治問題であれ、利ます。用さである地域住民へ問題提起し、集会室を利用しての集会・文化活動へ発展的に結びつけ、数人の講師による講座の実現や情報交流の場の確保など、資料とセットされた施設の提供が可能です。いまをおしすすめ、未来に生きる私たちは、地球規模の市やでの認識と行動が求められます。現代の生活者は、図書館利用の生活化が求められています。ーーー図書館は、ほんと人との出会いに終わらず、人と人との出会いの場、つどいの場となり、いこいの場、そして地域住民の情報交換の場となります。ーーーこれからの図書館は、滞在型指向の図書館が望まれます。仕事やライフワークに週休2日制や代休、そして転職などで多くの成人男子が利用しています。また、高齢化社会を迎え仕事から解放された人が増え、以前と違い朝から館内が利用者で賑わいます。ーー居住性を考慮して造られた図書館は、ブラウジングや閲覧空間がカウンターから見えない所に設置され、図書館員の目を気にせずにすごせます。また、AV資料の試聴空間が工夫され、パソコンの使用を可能にする防音された閲覧室も用意されています。図書資料やデータベースを数日利用可能なブースも求められます。ーーー幼児は親に手をひかれ、カーペットの床に座って絵本を読んでもらい、児童は仲間と紙芝居に興じます。そして、自然の不思議や社会の仕組みに興味を深めていきます。――中・高校生は、自我に目覚め、物事に強い関心を抱き、未知の世界を知る資料を選びます。また、青年は成人期への準備期として、人としての将来を決める時期でもあります。ーーー乳児あ幼児を育てる母親たちは、育児、家庭生活ともっとも知識や知恵を必要とする時期です。出産、育児期に花開くように行動する女性たちに、保育室や収納壁に簡単な厨房設備をもつ会議室があれば、集会・文化活動にすすんで参加できます。高齢者は、よき相談者となり、伝承者となり、指導者となり、そして人生の師となって図書館利用者のよき援助者になります。ーーー図書館利用に障害のある人々には自宅配本し、入院患者へは病院サービスで支え、対面朗読では通信販売の本も読んでもらえます。そして手話や外国語ができる職員もいます。ーー読書に疲れたとき、調べものの見通しがたったときなど、一息入れて気分を入れかえたいと思うものです。そんな利用者のために、公園様の中庭があり、緑陰のベンチやテーブルで歓談や読書、そして散策ができます。ーーー軽い食事ができる喫茶室あ愛煙家のための喫煙室、そして気にしないで話が可能な団欒室が必要です。団欒室は、図書館を利用する市民の個人広告・生活情報が得られるつくりを工夫し、発・受信場所でもあります。ーーー人々は、図書館資料を媒体とし、集会室を利用してサークルをつくり、つどいます。図書館の集会機能は無料が一般的なので、資料を生かしたいろいろなサークルに利用されます。したがって、ホールや会議室のほかに会合内容にかなった集会室(会議室、和室、板の間、創作室、工作室、録音室、対面朗読室、AV編集室、茶室、研究ブース、グループ室、ボランティア作業室、厨房、そして縫製室などの専用室)がたくさん必要です。また、陳列や展示可能な空間をもつ施設が求められます。ーーー図書館利用を生活化するためには、集会室が閉館後も利用できることが望まれます。ーーー おわり
〈2022.9.26/採録〉
2022年9月18日日曜日
漆原宏さんのこと No.96
昨日、漆原宏さんのご訃報をご夫人の美智子さんから知らされた。美智子さんによれば漆原宏さんは一年寝ついて訪問看護を受けられていた由。9月15日朝方、千葉さん、大澤さん、伊藤さん達のおられる世界に旅立たれたとのこと。18日にご自宅から出棺、お「部屋には彼の写真パネルーーー彼らしい人生でした。」とのお言葉でした。
ーーーーー
(メールで送信したのは)
「漆原さんから手渡されたもの、わたしの生涯にわたっての心の奥底にあって、いつも共にあります。美智子さんとのお二人の生活が始まると、(静岡から?)お電話いただいたときのしみじみとしたお喜びの声の響き、今も耳元にあります。千葉治さん、大澤正雄さん、伊藤峻さんとの出会いと語らいの場をはじめ、(仙台の)扇元久栄さんをはじめ、どんなにかけがえのない方たちとの出会いを授かってきたか、愉しく厳しい学びの時を手渡されてきたことか!ありがとうございました。あのように漆原さんの晩年の日々を灯りのように〔灯りとなって〕伴走された美智子さんに心から感謝の思いを深くしています。」との言葉をお送りするのがやっとだった。ーーーーーーーーー
美智子さんと初めてお会いしたのは1987,8年の頃、「福岡の図書館を考える会」の「図書館の話の出前」の注文が柳川の美智子さんからあり、考える会の若き2人の友人と3人で美智子さんたちを訪ね、その日はお寺で蚊帳をつって泊めていただいたのだった。以後、「柳川の図書館を考える会」の要の人として、美智子さんの行動はめざましかった。心温かく明るくねばり強いふるまいで、福岡の図書館づくりを深く支えてくださった。漆原宏さんが博多駅近くの記念会館図書室にひょっこりやって来られたのもその頃のことだった。それから随分時を経て、静岡?からのお2人からの電話をいただいたのだった。漆原宏さん、千葉治さん、大澤正雄さん、伊藤峻さん、扇元久栄さん、その他漆原宏さんから授かった出会いの一つ一つについては他日に。
驚くばかりの ”ひょうたんランプ展〝 No.95
”どこにでもありそうな景色を描く女 ひとみ”さんの作品展 9月26日まで。
自宅から歩いて5分、龍国寺を訪ねたら、ほんとうにびっくりする展示が行われていた。
ひとみさんの絵を初めてみたのは1年前、龍国寺でだった。描かれている絵に驚いた。そこにある絵で
ひとみさんが最初に描かれた絵は、私の家から坂道を降りて数分の所、小さな古墳の側の路から前方に
広がる田んぼと空、私が出かける時は必ずその路を通り、目にする、目にとびこんでくる光景が描かれ
ていた。まさに”どこにでもある景色”が、私がはじめて目にする世界としてそこにあった。田んぼも
わきたつような雲の様子も、ふだん見るともなく見ていた世界なのに、そこにあるのは目に映るものを
写真に写るように撮ったものではなく、田んぼの水面の光、雲間の光からは生きている世界、宇宙とい
うか、いのちの世界がそこにあるように感じられ、なにか天と地から歌がきこえてくるかのようだった。
(あとから頭をよぎったのは随筆家岡部伊都子さんの”一刻一刻”というコトバだった。)ーーー
さらに驚いたのは、その時、ひろみさんの絵は描き始めて1年ばかりのものだとお聞きしたことだ。1年
にして、このような絵が描かれるとは。ーーーーーー
それから1年後、一枚一枚、一作一作、心を吸い込まれるような作品が展示された本堂の奥の一室に
明かりをけした暗い小さな部屋にそれはあった。ひとみさんが、一つひとつ形のちがうひょうたんに
描かれた作品が、一つひとつひょうたんの中の灯りを灯すごとに、一つひとつ絵と言うより、いのち
というか、宇宙というか、コスモスやリンドウ、月下美人や月や星座が現れて来て、傍らで話してく
ださるひとみさんのお話、言葉をきいていると、思わず宮澤賢治さんに見せてあげたいですね、との
言葉が口をついてでた。何とも天からの声が聴こえるような不思議なひとときだった。
部屋を出て、ひとみさんの言葉が記された柱の前に置かれた、私の手のひらにのせられる小さな小さ
な作品、そこに広がるどこまでも広く深い世界と再び対面した。ーーーーーー
家に帰りつくと、副住職(若和尚と私は読んでいる)の甘蔗健仁さんから、このたびのお寺での展示
の懇切な案内がメールで届いていた。ーーーーーーーー
幻想的な「ひょうたんランプの世界」
~カラヴィンカ龍石/どこにでもありそうな景色を描く女 ひとみ~ーーーーーーーーーーー
展示期間9月17日(土)~26日(月)9時~17時まで
会場・・・龍国寺(糸島市二丈波呂474)ーーーーーー
予約は必要ありません。23日∼25日はお彼岸で混雑が予想されます。乗り合わせをおねがいします。ーー
(健仁さんのご説明)ーーーーー
①【カラヴィンカさんのひょうたんランプ】ーーーーーーー
石器時代から道具として活用し、人類最古の栽培植物とされる「ひょうたん」。タオイズムでは
”人間と自然”の調和の象徴とされています。この多忙な現代にひょうたんのある生活を提案しています。
〔そういえば、ひとみさんのお話をお聞きしているとき、カラヴィンカさん作のひょうたんステレオ?から
静かな音楽が流れ続けていた。〕ーーーーーーーーーーーーーーーーーー
②【ひとみさんのひょうたん絵画】ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
ひとみさんの絵には展示会を観に行く度に驚かされますが、今回は世にも美しい『ひょうたん絵画』を展示
いただきます。ーーーーーーー「ひょうたん絵画は日々描いていくなかで学んだことや描くことを通して頂
いたご縁など色々奇跡が重なって生まれた作品です。」とひとみさんは話されます。ーーーーーーー
〈注意〉23日(金)秋分の日は檀家の方のお参りが大変多いと予想されますので、一般の方は午前中は
10時まで、午後は16時以降にご来場ください。どうぞよろしくお願いいたします。ーーーーーーー
必見です‼どうぞ、ひょうたんランプの世界へ
2022年9月15日木曜日
森崎和江さん 追悼展のお知らせ No.94
本年6月15日に、満95歳で逝去された森崎和江さんの追悼展「森崎和江さんからの贈りもの」
のご案内です。---------
森崎和江さんからの贈りもの ー追悼展ー---------------------------------------------
2022年6月15日、満95歳で逝去された森崎和江さん(1927ー2022)
は、一人ひとりの読者に心深く刻まれるものを手渡されてきた方です。
森崎さんが歩んでこられた道から生まれ紡ぎだされた言葉、生き方から
読者一人ひとりがどんなに心凛とする、そして心温かくなるものを手渡さ
れてきたかを思います。森崎さんから手渡されてきたもの、森崎さんから
の贈りものを、あらためて静かに想う小さな場をと考えています。
・森崎さんのご本と写真の展示と「森崎さんを語る」お話。------
★展示 2022年9月1日(木)~10月31日(月)
ポートレート:松崎佐奈恵さん 4点--------
----------★お話 2022年10月12日(水)18時30分~20時頃--------------------------------------------------------
---------- ★場所 龍国寺
〒819-1626 糸島市二丈波呂474
Tel 092-325-0585 Fax 325-0948
ryukokuji@jyno.ocn.ne.jp
(問合せ・・・才津原 Tel090-5045-2559)
メール:itokazedayori@gmail.com
ブログ「図書館の風」www.kazedayori.jp
(同No.91は、「森崎和江さん 悼詞」)
追記
1.9月10日、西南大学で行われた森崎和江さん追悼のイベントの会場で上野朱さんにお会いした。糸島、龍国寺での
森崎さんの追悼展のことをお伝えしたら、すぐにバッグから数枚の写真をとりだされた。そして松崎佐奈恵さんを紹
介してくださった。さっそくお寺の会場の一画に松崎さん撮影の写真を展示することができた。ーーーーー
2.上野朱さんからのもう一つの思いもよらない贈り物は、『アルテリ』14号(アルテリ編集室発行、橙書店内)を
いただいたことだった。最近の毎日新聞の土曜日の書評欄に新刊の14号に、「石牟礼道子資料保存会」【この会に
は友人で、かつては大牟田市立図書館の職員だった大原俊秀さんが参加して活動している。大原さんは、その
元で共に働いた小柳屯(たむろ)さん(1930―2021・福岡県内の当時の図書会員にとっては福岡県の図書館の活動の
歴史の体現者、実践者とでもいうべき人。大原さんは、小柳さんの『木造図書館の時代・「中小レポート」前後の
ことを中心に』と『小柳屯 図書館関係レポート1956∼1995』(いずれも石風社、1999年)お発行に「図
書館問題研究開福岡支部出版委員会編の中心的役割、ほとんど大原さんが編者としての仕事をされたのではないかと
思っている。彼は退職後は三池資料の膨大の資料の整理、出版にも関わっている。】が整理して いる石牟礼さんの
遺品のなかに、森崎さんが石牟礼さんに宛てた書簡類が複数残っていて、ご遺族の了解を得て、2人の交流が伝わって
くる書簡の一部を掲載するというのだ。「風信子(ヒアシンス)文庫)から本の出前をしている前原にあるブックカ
フェ「ノドカフェ」では、熊本の橙書店から本の取り寄せをしていたので、そこから買おうと連絡したところ、現在は
取り扱っていないとのこと。『アルテリ』をおいてある書店は福岡市内でも限られているため、どうしようかと考えて
いたところだったので驚いてしまった。私がまだ14号を入手していないことを伝えると、上野さんは「自分はもう読み
ましたから」と、その大切な一冊をプレゼントしてくださったのだ。14号には森崎さんの書簡の他に「石牟礼道子さん
の日録」、「渡辺京二・日記抄」、渡辺さんと坂口恭平さんの「アルテリ対談」、池澤夏樹、田尻久子、町田康ほか、
目にしたい文章が目白押しで、何とも大切な一冊だと思われた。
3.後日、40年来の友人で写真家で、私が住む二丈のある公民館の写真教室の先生でもある吉住美昭さんから電話があり、
龍国寺での追悼展のご案内をしたら、昔たしか森崎さんの画集の撮影をしたことがあると言う。よくよくお聞きすると、
石風社から1986年(26年前だ!)に出版された『インドの風の中で』(スケッチ・文 ・森崎和江)だった。1977年
12月に、当時50歳の森崎さんが、インド仏蹟めぐりという観光旅行をされた時の短い旅の記録。帯には「インドへの
短い旅行のなかで描かれた22葉のスケッチとインドの風をつたえる」とある。発行者であり、多分、編者でもある
福元満治さんの文だと思われる。ーーーーーー
本書の末尾には「本書に収められたスケッチは全て原寸です。二点(かって栄えた都・ベナレス)を除き、彩色され
たスケッチはからーで、単色のものはモノクロで印刷しました。」とある。ーーー
電話口での吉住さんお言葉、「そう言えば、森崎さんから(写真を撮った)お礼の葉書を頂いていたなぁ、どこにい
ったか、すぐには見つからないけど。」(9月17日、記)
登録:
投稿 (Atom)
