2021年5月10日月曜日

ある文庫の50年記念誌のこと  No.70

この1年、ある原稿にとりかかっていたのだが、昨日ようやく終了した。この 数カ月はとりわけ、それに時間をあてていたため、この間に手にした本や冊子 のうち、ブログで紹介したいと思うものが何冊もあったのだが、ブログにのせ ることができなかった。そのいくつかをこれから随時紹介していきたい。 ブログの前号、No.69「5月は15歳の少女が書いた1冊の本の話から」は、 「ことばと歩く」の著者、大松珠(たまき)さんと、アーサー・ビナードさん の対談が5月5日にあることを、その数日前に知り、その対談があることを知ら せるため、急遽、掲載した。時間がなかったため、当初、ブログに書いたのは 前半部分と、対談の日時と場所までで、後半部分は、対談後にブログに掲載。 しかも「この項続く」として、まだ、No.69を終えていない状態です。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー ここに紹介する『大沢家庭文庫50年記念誌』は、実は、昨日書き終えた原稿の 「添付資料」(9頁)としてつけたもので、ここでは、添付した資料の全文とあ と若干の文章を加えたいと思っている。(本文51頁、添付した資料24頁) 「文庫」といっても、初めて聞く方もいるかもしれないし、実際にみたことも ない方もおられるかもしれない。私自身と文庫との関りは、1976(昭和51)年 から、1979(昭和)54年3月まで、福岡市民図書館で嘱託職員として働いていた 時、私の仕事は福岡市内に160をこえてある文庫に、運転手さんと2人から3人で 団体貸出の本を運ぶことだった。個人の家庭や公民館、地域文庫、小学校や教 会など。能古島にはフェリーで行った。ーーーーーーーーーーーーーーーー 当時、人口100万人をこえる福岡市には、民間の遊戯施設を改装した福岡市民 図書館が1館あるだけで、各区にある市民センター図書室は公民館図書室にあた るものだった。 私自身は大宰府町(現在は太宰府市)に住んでいた時、借家に離れがあり、そ こで文庫(四王寺山の登り口にあったので、「四王寺(しおうじ)文庫」、字 名は「連歌屋」)をした。また現在自宅で「風信子(ヒアシンス)文庫」を開 いている。文庫は一つ一つ、その内容や運営の仕方はちがうものだが、多くの 場合、子ども達に本との出会いをという文庫が多い。福岡市では全部がそうし た文庫だった。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー それではこれから紹介する『大沢家庭文庫』とはどんな文庫だろう。 タイトルからして、50年も文庫が続いているのはなぜだろう。 まずは、書き終えたばかりの原稿に添付した資料から。ーーーーーーーーーーー ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 『大沢家庭文庫 50年記念誌』 ・発行日 2020年12月  ・代表者 栗山規子     〒181-0015 三鷹市大沢5-13-6 / 0422-31-5768 ・編集 栗山規子 牛久保ゆう子、大久保あや子、栗山比弓、山本紀子、倉田清子     (以下、「記念誌という」) この「記念誌」をここに紹介するのは 3.「記念誌」を読むと、「文庫」とは、どんなものかが鮮やかに伝わってきます。そこに集う子どもも大人も、文庫での時間が一人ひとりの生活の一部になって、本と人、人と人との出会い、ふれ合いから生まれる「ぬくもり」「あたたかさ」(「手のひらのぬくもり、あたたかさ」)が、深い元気をみんなに手渡しています。 これから市民のだれもが行けるところに、市民の身近に、その地域の分館のあり方を考えていこうとするとき、『大沢家庭文庫 50年記念誌』は、「こんなところが近くにあれば」という分館の具体的なイメージを読者に強く深く喚起する一冊であると考えます。 4.このため、大沢家庭文庫の歩みと活動の実際をできるだけ詳しくお伝えしたいと考え、引用を含めて長い紹介となってしまいました。―――――――――――――――ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 大沢家庭文庫のはじまり   東京都の三多摩、三鷹市の南西端、野川沿いの緑多きところに、大沢家庭文庫がある。「春は色とりどりの花が、秋は野鳥や甘い柿の実が目も心も、時にはお腹も楽しませてくれます。」 栗山規子さんが、大沢家庭文庫を始めたのは1968年12月のことでした。近隣の日野市立図書館が開館(1965年)して3年後、隣の市の調布市立図書館が開館(1966年)して2年後のことでした。 アメリカとの戦争が終わって20年くらいの頃、栗山さんは大学を出て、小学校の教師になりました。「日本はすっかり焼け出され、子どもの本もようやく福音館の「こどものとも」や岩波の本が少しずつ出はじめた頃でした。」栗山さんは「少ない給料の中から本を買っては学校の本棚に並べていました。」「授業中に子どもたちによく読み聞かせをしていました。」「どんな本が子どもたちにとって楽しいのかを知ることもでき」ました。 結婚して長男が1963年に生れ、2年後に三鷹市大沢に家を建て、学校には遠いため行かれず、やめなければなりませんでした。1966年には長女が生まれ、自宅には「子どもの友だちが来て本を読むととても喜ばれました。」 「地域活動に積極的に関わっていた父の影響もありました。父は集会所に本を集め子ども達に読ませたいと提案し、自分でも子どもの本を買って寄贈していました。」その頃学生であった栗山さんは、「本を並べるだけではだめなのだ。手渡す人が大切なのだということを知ります。」 「母がとっていた『婦人の友』の1965年ころの記事の中に、坪田譲二氏の司会で文庫をしていらっしゃる方々の座談会を読み、文庫をやってみたいと思いました。準備も勉強もせずに、家の子どもの絵本を読んだり貸したりしていた延長として、自然発生的に始めてしまいました。」 「こどもといっしょになってひとつの絵本に読みひたる楽しみを味わっていくうちに、この子どもたちがもっと良い本を広く読んでいくようになってほしい・・・わが家の本を貸し出していこうかと考えるようになりました。そして1968年12月栗山宅の手持ちの本に市立図書館から団体貸し出しを受けて、文庫をはじめました。りんご箱に包み紙をはって本箱とし、四帖半の子ども部屋に並べての開始でした。」(「大沢家庭文庫25年のあゆみ」) こうして一つの家庭で始められた文庫がなぜ、どのように50年をこえて活動を続けてきたのだろう。 記念誌のページを開き「児童図書研究会東京支部ニュース」への寄稿(2000~2001)の「こどもと文庫」の栗山さんの文章や、「文庫のあゆみ」を記した『壁新聞』(1968年~1993年、子どもたちの手書きの絵が満載)、そして文庫連絡会『輪を広げる文庫活動』への1994年度から2018年度までの15年間、毎年1年間の文庫のようすを生き生きと知らせる活動の報告、さらには「卒業生からのメッセージと思い出のひとコマ」「50周年記念のお祝いの様子」(『大人たちの会』&『子どもたちの日』)、そしてさいごに目をみはる「文庫のみんながよんだ絵本・語ったおはなしなどの記録」(羽沢小学校の「おはなし会」より 2004~2018年度の文庫「記録ノート」より)をゆっくりみていくと、50年を超えた活動を支えたものがくっきりと姿を現してきます。 ―――――――――――――――――――――――――――――ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー  子どものときに、家の近くにこんな文庫があったら、 こんな居場所があったらどんなにいいだろう‼ こどもにとってはもちろん、大人にとっても。 ―――――――――――――――ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 文庫のある1日をのぞいてみると 「1995年度のあゆみ」より、この時の世話人の1人、福島頼子さんの報告。 「今文庫に来ている子は、幼稚園児から小学校3年生までが多く、本の貸出しや読み聞かせ、おはなし会などをしています。高学年になっても来てほしいという思いから、ながーいおはなしの日も始めました。でも、いつもイイコで聞いているばかりではありません。 けんかや取りっこも起こります。そんな中で「子どもの力」を感じることがあります。 ある日、迷路の本を園児二人と小学生二人、それに私の五人が借りたいということになりました。そこで車座になり順番を決めることにしました。「ジャンケン」「小さい順」「もうう読んだ人は最後」と、子どもたちから案がでました。その都度、「それでいい?」と聞くと、「ずるい!」「・・・?」など、なかなか全員が納得する方法が見つかりません。皆借りたいのです。一度は抱え込んで部屋を出ていった子が戻って来て、また話し合う内、「借りたい人!といった時に、一番早く手を挙げた人に貸す」というのに五人が賛成しました。そこで、そばにいた子に審判を頼んで、私が借りることになりました。(こういう事になると、張り切ってしまって。) ところが、年少のEちゃんが泣き出してしまいました。他の子が「もう決まったのだから」と言っても泣きやまず、「あたし帰る!」と言いだしました。私も一瞬どうしようかと思ったのですが、世話人の一人が、「じゃあ気を付けてね、さよなら。」と、すっきり言ってくれました。Eちゃんは、「文庫なんかもう来ない」と出ていくので、「また来てね、さよなら」と、私も言いました。Eちゃんは門の外でウロウロしていました。栗山さんが、「泣きながら帰ると危ないね」と話していると、子ども達は外へ飛び出して行き、「おばちゃん、その本を貸してあげて」と、戻ってきました。本を渡すとまた飛び出していき、部屋にいた子もみんな外へ。しばらくして、Eちゃんは本を抱えて戻って来て、「この本、貸して」と言ったので、一番手はEちゃんになりました。 「こうしたら?」と世話人達は何も言わなかったけれど、子ども達で解決していく力と、ほっておけない優しさを感じました。そして大人は見守っていくだけだなぁと。」 心にとびこんでくるエピソードがどのページからも (世話人の声に耳をすますと) 「金曜日の3時から5時・・・・・・・ “文庫”という空間に流れるこの2時間は子どもたちの心の中に、記憶の中に、どのように積み重なっているのでしょう・・・。おはなしを聞くときのワクワク感や絵本の頁をめくるときのドキドキ感は、本当に、ちいさな、ちいさな思いなのに、大人になってもしっかり覚えていたりするものです。そして、“文庫”は子どもたち一人一人が、自分のペースで本と友達になることができる不思議な力を持っているように思います。 昨年の12月20日、文庫では、少し早めのクリスマス会が開かれました。司会を担当した私は、子どもたちの斜め前に座って、絵本の読み聞かせやおはなし、人形劇などの出しものを見聞きしながら、ときどき、視線を子どもたちに向けることができました。そのおかげで、新米の“文庫のおばちゃん”である私は、やわらかな冬の陽射しにやさしく包まれた子どもたちが、だんだんと、おはなしの世界に引き込まれていくときのなんとも素敵なキラキラとした瞳に出会うことができ、逆に吸い込まれそうになって、圧倒されながらも、とても幸せな気持ちになれたのです。 そんなことを年明けの世話人会で話したとき、「そうなのよ・・・だから、やめられないのよ」と、口をそろえておっしゃられた語り手の方たちのその瞳もまた、キラキラと輝いていて、文庫の魅力の奥深さを改めて感じさせられました。 1週間のうちの“2時間”が、これからも子どもたちにとって、楽しいひとときであることを願いつつ、一人でも多くの子どもたちのあの“瞳”に出会えたらいいなと思います。   (「1996年度のあゆみ」より   山村知子さんお報告) どの報告にも、目が留まることしばし  少しだけの紹介です!(抜粋です)   (「1997年度のあゆみ」から 長谷川直子さんの報告) 《文庫は大繁盛》 遠路はるばる府中から通ってくる親子組も増え、栗山さん宅のリビングも隙間がなくなるほどにぎやかな文庫になる時もしばしば。子どもの顔と名前がなかなか覚えられない程です。 ① ・・近くに図書館もあるけれど、文庫へ行って本を借りよう・・・ ② ・・だれか人がいるから、文庫に行こう・・・ ③ ・・今日は、おはなしの日だから文庫へ行こう・・・ 子どもにとって、文庫に通う意味は様々だが、生活の一部になっているのでしょうね。(略) 親子4人で、文庫に通い始めて4年。私達家族にとっても、文庫は生活の一部になっています。本やおはなしとの出会い、色々な人との出会い、どれも貴重なものです。子どもたちも大きくなって来ると、いつまでいっしょに通えるか分かりませんが、・・・文庫のホッとする空間と、時間をなるべく長く、いっしょに持ちたいと思っています。 「2003年度のあゆみ」〈抜粋・・・栗山さんの報告〉 4月 大沢家庭文庫の活動に文部科学大臣賞受賞の方。  4月23日「子ども読書の日」に「子どもの読書活動優秀実戦団体表彰」 受賞に当り、栗山さんの言葉。 「長い間充実した活動を続けてこられたのは、こどもたちにエネルギーをもらい、周囲のみなさんや家族に支えられてきたおかげ。これからも文庫を通して、子どもたちの心に本への信頼と人への信頼を育て、ほんやおはなしの楽しい世界をわかちあっていけたらいいと思います。」 三鷹市の広報でも「大沢家庭文庫」35年間の活動に文部科学大臣賞として、紹介の記事。 「本のほかにもおはなしや工作・実験、野川での野鳥観察、闇鍋パーティーもある「大沢家庭文庫」は近所の子どもたちの大好きな場所となり、それから35年、毎週文庫の日になると子どもが集まり続けました。この間、世話人の「おばちゃん」として協力したお母さん方や地域の人は90人。中には学生のときに世話人をして後に図書館学を学び、現在ニュヨークで児童図書館員として活躍する方や、子ども時代に文庫に通い、母となり世話人の仲間に入った方、子育てを終え、今度はお孫さんを文庫に連れて再び世話人をしている方もいます。・・・」  (2003年5月18日号) 5月 突然の夫の入院手術。掃除だけして病院へ飛び出す私の後を、世話人さんたちがしっかり子どもたちとむきあってくれ、新入会者も多い月でした。 11月 最終日は庭で火を焚き、恒例の魔女鍋。50人余りの親子がおはなし会の後、魔女の    髪の毛や、目玉や脳みその入った熱々のスープで心もおなかもほかほかに。 年があけてⅠ月~3月 夫の病状が悪化。自宅で最期まで看取る決意をし、夫の「文庫は続けなさい」との言葉に励まされて、告別式の翌日休庫しただけで、3月19日の「卒業生を祝う会」までやり通すことができました。激動の一年でしたが、子どもたちの笑顔と文庫世話人の皆さんの後ろ盾があったからこそ、この一年を歩めたと感謝で胸を熱くしています。 三鷹市の広報で紹介されたニューヨークで児童図書館として活躍する人については「2004年度のあゆみ」で世話人の吉田知雅子さんが紹介。 「大沢家庭文庫(文庫のよさは手作りの味) 「36年前に栗山さんが大沢の地に文庫を開いて以来、たくさんの人が世話人として文庫のお手伝いをしてきました。文庫に来る子どもたちの平均年齢は年々低くなっていくのに、世話人たちの平均年齢は容赦なく高くなっていきます。今では、世話人ではなく「魔女たち」と呼ばれているとかいないとか。そんな歴代の世話人達の中に、現在、アメリカの公立図書館で司書をされている大橋暢子さんがいます。彼女はアメリカに渡ってずいぶんたちますが、日本に里帰りするたびに大沢家庭文庫に立ち寄ってくださいます。その彼女が「としょかん100号」に寄稿された文章の中で大沢家庭文庫にふれています。図書館員としての彼女の思いが伝わるとても素敵なものでしたので、その一部をここに紹介させていただきます。」 「公共図書館の児童図書館員としてもっとも基本は何かと思い返すと、それは子どもが本を読む喜びを見出す手伝いをすることです。私の場合、いつも心のよりどころになるのは、 大学生の時にお世話になった東京の三鷹市の栗山さんとお仲間の方々が今も続けていらっしゃる「大沢家庭文庫」です。地域に図書館施設の完備されていないところから生まれた家庭文庫運動かもしれませんが、テクノロジーが発達してちょっと「非人間的」になってきているところのある公共図書館の時代にも、図書館とは違った味、手作りがあります。子ども一人ひとりが物語や本を通して得るものはインフォメーションばかりではありません。昔ながらのストーリーテリングや読み聞かせを大切にしながら、テクノロジーを上手に使っていけるようになりたいものです。 (文:大橋暢子さん 「としょかん」100号より抜粋) 時間を少しさかのぼると 小さな声をあげる発見が   「1994年度のあゆみ より」 栗山規子さんの報告 【古八幡での文庫】 家庭文庫には家庭の事情がつきものです。昨年我家を建て替えることになり、約9か月間古八幡の集会所を借りて文庫を開きました。一番近いアパートに移り住み、文庫の度に皆で本や事務用品を運びました。村外れの寄合所風の平屋で、空き地では子ども達がサッカーに歓声をあげ、しゃぼん玉大会や、折り染め遊びものびのびとできました。チマチマと本を読むだけでなく、異年齢集団でドーッと遊べてとてもよかったというのが世話人達の思いでした。それに中と外とに目配りが必要で、若い方も巻き込んでいつの間にか、文庫の協力者がふえていきました。ただ、子どもたちの関心が本から離れたように思えましたが、新鮮な目で本を見直しているように感じられるのです。 又、本を半年以上もしまいこんでおくのも惜しいので、24世帯のお宅に預かっていただき 各々のご家庭で利用したり、ミニ文庫をして頂いたのも思いがけないプラスでした。私にとっては、この一大事業をどう乗り切るか頭の痛いことでしたが、すんでみると多くの方の知恵と力を感じ、これこそ「文庫の力」なのだと感激で胸が熱くなるのでした。 《目を瞠った、小さな報告》 【堀田美代子さんのこと】 「この変則的な時期に、元図書館情報大学副学長竹内先生のご紹介で、掘田さんが毎週文庫に来られました。彼女は日系3世のアメリカ人で、文庫をテーマに博士論文を書こうという方です。児童図書館員としての経験も長い方で、本場の英語で絵本を読んで下さり、大人も子どもも美しいリズムに酔いしれました。紙芝居や自作のパネルシアターもして下さり、控えめながら折にふれて見えるプロの姿勢に、世話人達は学ぶところ大でした。秋には講演をお願いして、ご自身の読書歴やアメリカと日本の図書館の違いを語っていただき、深い印象を残されました。 【卒業生を送るおはなし会と茶和会】 「今年の六年生たちは随分大勢でよく文庫に来た子達です。四年五年とお泊り会を計画しやりとげる力もあり、彼らの卒業を祝いたいおばちゃん達は、3月のおはなし会への招待状を出しました。当日国分寺に引っ越したJ君も含めて17名が集まり、小さい子達と共にお話を楽しみ、世話人達手作りのおやつを囲んで思い出話に花が咲きました。お泊り会でのきもだめし、本の楽しさを知った思い出の一冊等 話がつきませんでした。 人と人とのふれ合いのぬくもりに支えられ励まされ、この一年も過ぎていきました。」 ―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー そうして、“図書館”との出会い   ―文庫とは何か、図書館とは何かを考え続けて― 【大沢コミュニティセンター建設をきっかけに】   1999年9月16日三鷹市文庫連絡会講習会での講演記録より ――――――――――――――――――――――――――――――――――――ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 「1973年大沢に三鷹市第1号のコミュニティセンターができることになり、どんな施設を望むか住民が考える研究会が、行政主導で組織されました。図書館ができると聞いた私は、素晴らしい図書館を夢見て、図書分科会に加わりました。三番目の子どもがまだ1才でしたのに、なぜか会のまとめ役となり当時三多摩に次々と建設された新しい理念に基づいた図書館を見学してまわり、話し合っては記録をまとめ、市との交渉にあたりました。そこで文庫5年目にして改めて文庫とは何か、図書館とは何かを考えるきっかけを与えられました。  当時住民自治を目指して、住民協議会が施設の管理運営をするという方式は、日本中の脚光をあびましたが、図書館とは何かを学べば学ほど、専門性が必要な図書館は、住民自治で住民がやるものではないと解りました。 当時の館長さんは大変良く解った方で力になっていただきましたが、コミュニティ対策担当の方々に解っていただくには、私の言葉も力も足りませんでした。  1974年いよいよオープンの頃、コミュニティ対策本部室長に呼ばれ、文庫として図書室に入って欲しいといわれましたが、図書館分館にしたい思いは断ち難く、お断りしました。 けれども住民としてできる範囲で協力したいと思い、日野市の図書館長〔注:前川恒雄さんですね〕に聞いた図書館友の会をまねて、図書室友の会と銘打って大沢地域のお仲間と一緒にさまざまな活動をしました。  この年三鷹の文庫活動をする人たちで文庫連を発足したときも、私の心の底にはようやく図書館とは何かを解り合える場ができるという思いがありました。」 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 【図書館をめぐる人たちとの出会い】 1972年三鷹図書館主催の講座で、文庫の話をしてくださった日本親子読書センター代表の斎藤尚吾先生と出会い、早速高尾山で開かれた親子読書研究集会に出向き、その後何年間も図書館問題の分科会で、図書館界のリーダー格の先生方や、館長さん達と膝を合わせて意見を交換する幸いを得ました。そこで日本の図書館界を新しい方向へリードする方達が、名もない文庫のおばさん達を対等に扱ってくださる謙虚さに感動しました。また、戦後の民主主義の成果でしょうか、各地で図書館運動に情熱を注ぐ文庫のおばさんと呼ばれる人達の底力にも圧倒されました。その後、文庫連の図書館の勉強会に、図書館界の色々な方々をお招きして、図書館とは何かを学ぶことができました。 図書館とは、さまざまな情報、知識、文化を誰もが平等に得ることができる場であり、その図書館があってこそ、民主主義も、地方自治も育ち、根付くと私は思います。本を読むことは、自分の頭で考えることであり、判断力を持つことで、それは民主主義の土台です。 本を読まない社会、読めない社会にしてはいけないと思うのです。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 【文庫連の図書館運動】 1975年清水正三先生の「明日の図書館を考える」という講演をお願いしました。文庫連としては、新しい図書館のイメージを(三鷹市の)行政トップの方々や議員さん、行政委員さん達に聞いてもらいたいと、あちこちに案内を出しました。その時きてくださった社会教育委員会の委員長から「図書館五か年計画を考えているところだから意見を出すように」言われました。私はそれまで繰り返し読んでいた石井敦・前川恒雄著『図書館の発見』をヒントに三鷹図書館の将来像を急いでまとめ、文庫連の皆で話し合って、長文の要望書を提出しました。  このことを皮切りに「文庫への市費助成の請願運動」をはじめ、「学校図書館に人を」の運動に至るまで、文庫連は声をあげ続けてきました。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――――ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー ―どんな文庫にしたいのか― こうして外での活動は広がるばかりで子育ては勿論、文庫も手抜きだらけでした。まず子どもの本を読む時間がありません。本の情報は、もっぱら我が子と文庫の子に頼っていました。とにかく文庫の時間に息せききって帰ってきてそこにいるだけでした。けれども、文庫は分かち合う関係でありたいお願いました。  大人も子どもも世話人仲間も、教える側、教えられる側という関係をつくらない。先生はいらないと思っています。もちろん、先生と呼ばれる文庫もあっていいのです。私は「おばちゃん」と呼ばれたいと思うだけです。〔注:「メダカの学校;だーれが生徒か、先生か・・・」〕  文庫には宗教と政治を持ちこまないというのも鉄則としてきました。  文庫は私の道楽だから夫の稼ぎでなく、せめて姿勢だけでも私の稼ぎでやりたいと思ってずっとアルバイトを続けていました。  始めた当初は、文庫の事務的なことは私がやって、他の世話人さん達には楽しんでもらおうと思い決めていたのですが、最近体力的にその通りにできなくなってきました。世話人さん達に助けられてかろうじて続けています。今までに80人あまりの世話人の方達がかかわってくださいました。なかには子どもの時文庫に通い二児の母となった今、大活躍の方もいます。ICUの学生だった時に来てくれるようになり、就職しても毎週文庫に通い続けこどもたちに慕われ、その後司書資格を取りアメリカ大学院へ留学し、今ニューヨー ク図書館のスタテン島分館で働いている方もいます。大勢の方達に支えられてきた幸せを思います。(略・おはなし会について)                 (以上)                                   

2021年5月2日日曜日

5月は15歳の少女が書いた1冊の本の話から No.69

3月19日の金曜日、久しぶりに海辺の近く、山もすぐ近くにある佐波の集落に 産の森学舎(以下、「産の森」という)を訪ねた。折にふれて産の森には、風 信子(ヒアシンス)文庫から本の出前をしていたのだが、コロナのことが起き て出前は長いことお休みになり、なかなか来れないでいた。 この日は筑肥線の線路の手前の空き地に車をとめて、歩いて行ったのだが、産 の森の学舎であり、大松さんのご自宅でもある家の前では何人もの子が遊んで いたが、すぐに大松くみこさんと珠さんが現れて、清楚な佇まいの一冊の本を 手渡された。 少し厚みのある、白い表紙の真ん中にタイトル、左下に著者の名前。ーーーー ーーー  ことばと歩く     大松珠 ーーーー 「珠」は「たまき」と読む。15歳の中学3年生の、おおまつ たまきさんが1年を かけて書いた本だった。 ーーー 産の森のことは、「図書館の風」のNo.24で、その何とも面白く興味深い学びの様 子や昼ごはんを毎日、子どもたちが、献立を考え自分たちでつくっていることなど を紹介している。 《「くらし」と「あそび」と「まなび」を見つめ直す》ことから、体験・表現・対話 などを大切にした、こどもも大人も成長する場づくりを目指してひらかれた。 ーーーーー 産の森学舎が始まったのは2015年、大松康・くみこ夫妻と西尾博之・晶子夫妻の4人 が先生で始めたフリースクールだ。開校時は小学部のみで、1年生2人、4年生1人の 3名だった。1年生の女子は西尾さんの、1年生の男子と4年生の女子が大松さんのこ どもだ。 2018年には児童2名で中等部が始まり、2021年、今年の4月には小学部17人、中学部 9人になっている。3名の小学部からはじまり、7年目をむかえて、小学部、中学部で 26名のこどもたちが通っている。 ーーーーー 産の森の小学部に4年生ではいり3年を過ごし、中等部で3年間を「くらし、あそび、 まなんだ」大松珠さんが、なぜ、どのようにこの1冊の本を書いたのだろう。 さあ、表紙をめくろう。もくじの前のページで、さいしょにであうことば。 ーーーー この本は、 「ことばってなんだろう?」 というひとつの問いから生まれました。 ーーーーー (もくじにつづく、たまきさんのことばに耳をすまそう。) はじめに「ことばってなんだろう?」 言葉について、より深く考えたい。 さまざまな視点から、言葉の新たな面を見つけたい。 そう思い、私は「言葉」をテーマにしたプロジェクトをはじめました。 ーーーー 私たちがプロジェクトと呼んでいるは、産の森学舎中等部の中心的な 活動となっている、探求学習のことです。問を立て、それについて様 々な手法で探求・追及・共有するというサイクルを繰り返します。 最初はスタッフの設定したテーマからはじめて、徐々により自由度の 高いテーマに行こうしていきます。最終学年になると大人からの指定 や縛りは一切なく、自分のやりたいことを突き詰めることができます。 【探求、追及なら、そうなのかと思うけど、さらに「共有」とは‼  そのサイクルをくりかえすとは‼「やりたいことを突き詰める」って  耳にあざやかな、いい言葉だな。】 ーーーーーー 私は昔から言葉が好きです。本を読んだり、人と話したり、言葉のこ とを考えたりと、言葉に触れているうちに、自然と言葉に重きを置く ようになりました。 これは私にとって産の森学舎で取り組む最後のプロジェクトとなるた め、前にも増して好きなことに全力で打ち込みたいと思い、今回のプ ロジェクトのテーマを選びました。 ーーーーー テーマを決めてから、改めて言葉について考えました。そのと自分に 自分に投げかけたのが、この本の軸でもある「言葉ってなに?」とい う問いです。 ーーーーー その問いについて、私はふたつの仮設を立てました。第一に「言葉は 使う人によってまったく違ったものになる」のではないか、第二に 「その人の言葉はその人の人生に等しい」のではないか。というもの です。 ーーー この問いを考えるにあたってインタビュうーをしようと思った理由は、 大きく分けてふたつあります。 ひとつあ、第一の仮説を字異聞の五感で確かめたかったからです。他 の人からは「言葉」というものがどんな風に見えているのかを、自分 の体からその人の言葉で聞きたいと思いました。 そしてもうひとつは、・・・・・(略)・・・・・ 人は成長の過程で、様々なところから言葉を吸収していると思います。 親や兄姉、周りの人、読んだ本、学んだこと、感じたこと。そう考え ると、その人の言葉はその人の人生を表わしているとも言えるのでは ないでしょうか。 そして生き方や大切なものが人それぞれであるように、言葉の役割や 意味は人によって全く違うし、そんな違いも全部含めて「言葉」なの ではないかと思います。 ーーーーー 仮説を検証し、新たな言葉のおもしろさをはっけんすべく、お仕事も 価値観も様々な五名の方と言葉をめぐる旅をしてきました。 「あなたにとって言葉とはなんですか?」という問いから広がる、ま さに5人五色の言葉たち。まずはじっくりご堪能ください。 《 ブログを書いているさなかですが、緊急のお報せ 》 アーサー・ビナード × 大松 珠 対談 日時  5月5日(水) 場所  産の森学舎 参加費 2,500円  定員  25名 連絡先 omtskmk.0502@gmail.com
以下、5人の方へのインタビュウ―が続き、さいごに「言葉と珠」と題して、 「質問者:たまき、回答者:珠」の章があり、11の質問とその回答が面白い。 その質問と回答ののいくつかを紹介したい。 「たまきの質問」 1.たまき:いつから言葉が好きなのですか?好きになったきっかけはありますか? 2.言葉に触れるというのは、具体的にどのようなことですか。? 3.おぜきさんのインタビューの中で「言葉へのこだわりが強い」という指摘があり   ましたが、自分でもそう感じますか? 4.「言葉は使う人によって全くちがうものになる」という仮説を検証するにあたって、   インタビュー以外の方法を考えたことはありますか? 5.どうやってこの五名に決めたのですか? 6.インタビューしてみてどうでしたか? 7.今回のプロジェクトで一番大変だったのは何ですか? 8.インタビューをしていて、印象に残ったことは何ですか? 9・お話を聞いてよかったと思ったことはなんですか? 10.今後、言葉にかんすることでやってみたいことはありますか? 11.この本を読んだ人に、何を感じてほしいですか? そして「珠の回答」のいくつか。 6.(インタビューで一番大変だったこと)   どれもすごく大変だったけど、終ったときに一番達成感があったのは文字起こしの   作業です。最初は録音した音声を聞きながらパソコンに打ちこんでいたのですが、   私タイピングがあまりに遅いので早々と諦め、ノートに手で書き起こしました。   とても大変だったのですが、おもしろい発見もありました。インタビューをして、   録音したものを聞き返しながら文字起こしをして、確認して・・・。少なくとも   計4回はその人の言葉を聞く(あるいは書く、読む)ことになります。そしてその   度に、新しい気づきや感想が出てくるのです。 ーーーーー 11.言葉の奥深さです。普段無意識に使っているものだけど、意識して考えてみると  案外わからないものです。「言葉ってなんだろう」と思ってほしい。そして、  ちょっと勇気を出してその考えを誰かに話してみると、またおもしろい気づきが  ある課もしれません。 ーーーーーーー 5.(どうやってこの五名に聞こうと・・・)  それぞれ違います。  言葉ではない表現方法をお仕事にされている方が言葉というものをどういう風に  捉えてあるか気になりました。そこで、私もダンス経験があることもあって一度  お話してみたかった真澄さんと、写真を撮りつつMUKAでいりろな人と関わっている  香りさんにお願いしました。  宇佐美さんは、様々な知識やユニークな感性をお持ちのことから、お話を伺って  見たいと思いました。  一緒にいて不思議と安心できるおぜきさんとは暮らし方のお師匠である朝子さんは、  言うなれば「私の理想の人」枠です。 ・・・・・ 珠さんの五名の方の紹介を聞いただけでも、何ともそのインタビューに心ひかれます。 それぞれのインタビューの本文は「言葉と・・・さん」というタイトルではじまり、 さいしょに「たまきさん」のリードの短い言葉があり、インタビューというか、お2人 の対話がひろがっていく。そして、インタビューの終りのページに「話し手」一人ひ とりの履歴が記されている。  ・・・・・ 五人の人はどんな人か、以下に珠さんの「リード」の文章と「履歴」を。--------------- 1.「1人目 言葉と真澄さん」「ダンスとは世界共通言語だとロンドンで知りました。」     (Masumi Enndo 公式ホームページより)    「そう綴っていた真澄さん。 私自身もクラシックバレエやコンテンポラリーダンスの経験があり、お話を聞いていて 共感する部分が数多くありました。日本語という言語を使って話していたのに、まるで 体で会話したときのような、とても不思議で素敵な時間でした。」  ・・・ 遠藤 真澄 舞台演出/パフォーマー ・・・・・ インターナショナルダンス学院卒業後プロダンサーになる。2016年ロンドンに活動拠点を 本場のUKJAZZ DANCEの創始者たちに師事。2017年Levi-sのM”Circle”にメイン ダンサーとして出演、エジンバラフリンジフェス、ロンドンボルツフェスなどの舞台芸術 出演、Lonndon Jazz Fesitival,Jazz Refest,など のヨーロッパ屈指のJazz Festivalに招待される。UK JAZZ DANNCEをメインにメディア から劇場、ワークショップまで幅広く活動。 ・・・・・ 現在帰国し、幼児から高齢者までダンス未経験者向けに海や森や図書館や学校、場所や人 をPerforminng Artsde繋げるひょうげんワークショップやセッションを開催。福岡県糸 島市を拠点に日本内外の芸術祭に出演、演出、映像制作を行う傍ら、ダンスを通して多様性 やあたたかい繋がりを地域の人と共有、一緒に感じられる活動を模索中。 ・・・・・・・5人の中では、私はただ一人遠藤真澄さんを知っている。ある日、私が田植え をしている最中に、龍国寺で座禅会に参加していた真澄さんは、若和尚の甘蔗健仁さんに聞い てと、田植えの手伝いにやってこられたのだ。真澄さんのしなやかで粘り強い行動力には驚か される。伊万里市民図書館での”ダンスと絵本”でのなんともすてきな時空の表現には 感動した。ブログのさいごに、そ一端を紹介したい。 【 よみがたりよみおどり WorkShop 伊万里市民図書館 】  https://www.youtube.com/watch?v=Nc̠rhzeGswE この項つづく。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 2.「2人目 言葉と香織さん」 山本家に伺いました。小学生の頃はよくお邪魔して遊んでい たことを思いだしました。 そのときは、香織さんは「友達のお母さん」でしたが、今こうして向かい合ってお話を聞い ていることがとても新鮮に感じました。カメラマンとして」MUKAのスタッフとして、親として、 三つの視点から見えてくる。ーーーーーーーーーーー ・・・・・ 山本香織 1976年福岡県生まれ。夫(絵が上手くて器用)と長男(読書欲、特技けん玉)、次男(サッカ ー命)の4人家族。2003ねんごろからフリーランスのカメラマンとしてイベントやブライダル、 ポートレートなど撮影。2011年に糸島に移住後は写真と同時にフライヤー、パンフレット、 名刺など、もともと学んでいたデザインのお仕事もさせていただくようになる。いぜんから関 心があった「福祉と社会をデザインでつなげる仕事」がしたく、2017年から社会福祉法人香月 福祉会MUKAにて広報、デザイン担当として現在も働かせてもらっています。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 「3人目 言葉と宇佐美さん」ーーーーー  「風が強い日でした。私たちが宇佐美さんのお宅につくと、宇佐美さんと暖炉の薪がパチパチ というはじける音が迎えてくれました。「言葉」というものについて丁寧に話してくださり、 またひとつ、言葉の奥深さを実感しました。インタビュウ―を依頼したとき、宇佐美さんが承諾 のお返事と一緒に私の名前(おおまつたまき)を使って短い詩を送ってくださいました。 「負いたるにーーー 追いたる光とーーー 稀なるーーー 積みし熱き想い達よーーー 達せよーーー 稀なる珠とならんーーー きらめく天の星とならん」 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 宇佐美洋一 Yoichi Usamiーーーーー・ビーズ・アーツ」主宰。ーーーーーーーーーーー ドイツ・Stuttgart Eurythmeum 卒・国際オイリュトミー・ディプロマ取得。シュツッツガルトと ハンブルグオイリュトミー舞台グループメンバー、ハンブルグ音楽ゼミナール講師、オイリュトミ スト養成クラス・アルファ 主宰・講師、崇城大学芸術大学教授(熊本)、中村学園短期大学非常勤講師(福岡)、NHK文化 センター・福岡講師、九州・沖縄作曲家協会・日本こども学会会員、親子劇場創造団体「山の音楽 舎」作・作曲・演出ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 作曲:オーケストラ曲から室内楽、ソロ曲、および劇場音楽、作曲古典四回ーーーーーーーー オイリュトミー舞台:ヨーロッパ・日本で約四百公演ーーーーーーーーー 招待出演:アヴィニョン演劇フェスティバル、スペイン・グレック演劇祭、ハンブルグ現代音楽祭、 セイナヨキ現代音楽祭、バルトーク音楽週間、グバイドゥーリナ・ホソカワ音楽週間、世界舞踏祭 (赤坂)、シアター・オペラ「砂」、国際即興演繹「ミトラス」、演劇「ハムレット・マシーン」 アントロポゾフィー作曲家会議、国際オイリュトミー会議、オイリュトミー・ソロ・フェスティバル ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 「4人目 言葉とおぜきさん」ーーーーーーーーー 「産の森にボランティアとしてきてくれたのが、おぜきさんと出会ったきっかけです。今ではお友 だちとして仲良くしてもらっています。この日も時々思い出話を挟みつつ、お茶をのみながらお話 しました。つい人に気を遣いすぎてしまう私に気を遣わせないように、いつも朗らかに包み込んで くれるおぜきさん。紡ぎ出される言葉の隅々に、繊細でどこか不思議な「おぜきさんらしさ」満載 です。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー おぜきさんーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 糸島市在住。恵まれた環境にありながら、釣りはそんなに好きではなく、釣れた魚を食べる方が好き。 昔産の森の男子が海でしていたチャンバラを誰か映像化してくれないかなー、と本気で考えたことが ある。そういえば、産の森の人が作るおやつ写真集もあればいいのになーと思っている。最近一番 笑った漫画はほのぼの。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 「「5人目 言葉と朝子さん」ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 朝子さんは、私とたくさんのものを出会わせてくれました。お着物の楽しさも。陰陽五行の奥深さも、 ごはんを美味しく食べてもらう喜びも、全部朝子さんが教えてくれました。実は時々、心の中でお師匠 さんと読んでいます。産の森の校舎の外、青空の下でお話を聞かせてもらいました。ーーーーーーーーーーー ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 寺口朝子ーーーーーーーーーーーーーーーー 産の森学舎で、『くらしと料理』の授業を担当。awauta brownrice主宰。大学卒業後、ドキュメンタ リーのTVディレクターに。子どもが三歳の時にマクロビオティックスシェフ・西邨マユミと出会い、 自然に寄り添う食べ方を学ぶ。震災後東京から福岡へ移住し、家族で自然栽培の米作りを始める。 独学で麹作りを取得後、元寺田本家の麹文化研究家・南智征に師事。麹や玄米ポンせんなどお米に まつわるプロダクトと発酵文化を広めている。大阪府出身。ーーーーーーーーーーーーーーーーー ーーーーーーーーーーーーーーーー さいごに 「言葉と珠」(質問者:たまき 回答者:珠)ーーーーーーーーーーーーーー ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 大松珠ーーーーーーーーーーーーーーーー 2005年9月25日生まれ。糸島の自然の中で育つ。「いいこと思いついた」が口ぐせの父、手作りおやつ と仕事はいつもさくさくの母、歌が好きな2人の弟、最近歩きはじめた妹の6人家族。自他ともに認める 長女気質。少額1年生からクラシックバレエを習っていたが、中学1年生の終りに股関節を痛めてバレエ の道を断念。本を読むこと、編み物をすること、学ぶこと、暮らすことが好き。得意料理は白和え。 持ち前の考えすぎる性格を最大限に活かし、言葉プロジェクトに没頭中。ーーーーーーーー ーーーーーーーーーーー ここ項つづく。

2021年4月30日金曜日

図書館の計画を策定する委員会の委員の公募に応募して ことの次第No.68

・事の始まりは、3月1日の糸島市広報紙「いとしま」を見たことからだった。市の広報がくると、 だいたい、すぐに全ページをざっとみる。裏表紙は広告なので、それを除くと全部で15ぺーじ。 表紙から1枚、2枚、3枚と見出しをみながらページをめくっていると、6枚目をめくった12ぺ ージの2段目に、本文と同じ大きさの活字、色は青色で「図書館サービス基本計画・子ども読書 活動推進計画 委員の募集」の記事が目にとびこんできた。見逃さなくてよかった‼ (記録のため、記事のまま以下に記載)ーーーーーーーーー    ーーー 今後の図書館のあり方や方向性を検討する「第2次糸島市立図書館サービス基本計画」と、 子どもの読書活動の推進、充実を図ることを目的とした「第3次糸島市子ども読書推進計画」を 策定するため、計画の検討・策定委員会の委員を募集します。 募集人数 : 3人程度ーー任期 : 委嘱の日から令和4年3月31日(木)まで 応募要件 : 次の全てに該当する人 ①市内在住の満18歳以上の人 ②市の審議会などの委員の兼職数が、この委員を含めて3つ以内の人 ③平日昼間に開催する会議に出席できる人 報酬など : 会議1階につき6900円程度 ーーーーーーー 応募方法 : 糸島市生涯学習課や糸島市立図書館各館の窓口に備え付けの申込書に、必要事項を記入 誌提出(郵送可)※申込書は市ホームページからダウンロードできます。 募集期限: 3月下旬ごろ(予定) 申し込み・問合せ:糸島市生涯学習課、〒819-1192 糸島市前原西1-1-1 ☎332-2092 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー     この記事を見てさっそく何人もの人に、この記事の内容を知らせ、できれば応募をすすめる。 いずれも、普段よく図書館を利用され、図書館に関心を持っている人たちだ。また、あまり 図書館を利用していないかと思われる幾人かにも記事のことを知らせた。 私自身も応募することにした。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 以下、所定の用紙1枚に書いたもの。ーーーーーーーーーーーーーー 【応募動機、抱負、図書館や子ども読書活動推進に関するお考えや意見等】 私は一利用者として図書館をよく利用しています。週に何回かはリクエスト した本が用意できたとの連絡をうけ、仮に出かけています。そのほとんどが あたらしく購入していただいた本や相互貸借で県内や他府県の図書館などか ら借りていただいた本です。図書館んがあることで、私の一日一暮らしに 深い元気を授かっています。 第一次『糸島市サービス基本計画』では、 「糸島市立図書館のサービス基本 方針」として、「いつでも、どこでも、 誰でも、どんな資料でも提供するをモットーに、市民の身近な『滞在型図 書館』となるよう図書館サービスを実施します」とあります。私は図書館 を利用するとともに、第一次「基本策定委員会」や糸島市図書館協議会を 欠かさず傍聴し続け、糸島市立図書館の基本方針の実現を願ってきました。 今、糸島市の図書館が直面している喫緊 の課題は「どこでも」「だれでも」 ではないかと考えています。一次の基本計画をしっかり検証した上での長期 的な計画づくりが重要だと考えています。 ーーーーー 子どもの読書については、こどもたちに「本をyみなさい」と言うのではな く、子どもの身近に、手の届く所に本がある環境をつくることと、子どもの まわりの大人たちのかかわり、関わり方が大切だと考えています。以上の考 えのもと応募した次第です。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 裏面に氏名、生年月日、住所、電話番号等。及び【歴任された主な役職】 ( )は委嘱団体・役職/就任期間は略しました。 ーーーーーー 大分県公立図書館振興策検討委員会(大分県・委員) 長崎県平戸市総合情報センター(仮称)建設基本計画策定委員会(平戸市・委員長) 平戸市立図書館・公民館、設計事務所選考委員会(公開プロポーザル)(平戸市・委員) 宮崎県新富町生涯学習センター・設計事務所選考委員会(新富町・副委員長) 「「絵本専門士養成講座」(独立行政法人国立青少年教育振興機構・講師) 社会教育主事講習(「図書館の活動」)(九州大学・講師);平成21年から現在に至る。 伊万里市民図書館図書館協議会(伊万里市・委員);平成30年から現在に至る。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー ※ここで、注記しておくと、生涯学習課長名で文書がきたのは、図書館の教育委員会の 中での位置づけが、課ではなく、係であることを示しています。図書館が課であるか、 係であるかは、図書館自体の予算の確保や職員体制の充実 において、市役所の中で。 雲泥の違いがあります。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 上記の作文を提出後、3月22日付けで、糸島市教育委員会生涯学習課長名で、 下記の文書が自宅に届いた。ーーーーーーーーーーー ーーー 糸島市立図書館サービス基本計画・糸島市子ども読書活動推進計画 公募委員の選考にかかる作文の提出について(依頼) ーーーー 時下、益々ご清祥のこととお慶び申しあげます。 この度は、糸島市立図書館サービス基本計画・糸島市子ども読書活動推進計画検 討・策定委員にご応募いただき誠に有難うございました。 募集の結果、多数の方から応募がありましたので、公平に同委員を選考するため、 作文により選考させていただくことといたしました。 大変恐縮ではございますが、下記の回答期限までに返信用封筒にて作文をご提出 いただきますようお願いいたします。                 記 1 提出物     作文用紙(800字程度) 2 作文テーマ   「糸島市立図書館の魅力や課題」 3 回答期限   令和3年3月31日(水) 4 送付先    糸島市教育委員会生涯学習課  ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 3月30日(火)、生涯学習課に以下の作文を直接、提出。 「糸島市立図書館の魅力と課題」 糸島市立図書館の魅力は図書館が所蔵していない本がリクエストされた時の図書館 の対応です。特に他の図書館から借りる場合、以前は県内と国立国会図書館からに 限られていましたが、現在は他の都府県からも借りて提供するようになっているこ とです。これは糸島市立図書館がサービスの目標として掲げている「いつでも」 「どこでも」「だれでも」「なんでも」利用できるサービスのうち、市民の「なん でも」を実現する上で、欠かせないやり方で、私自身もよく利用し、読みたい本、 必要な資料を手にできる在りがたさ、喜びを日々体感しています。ただ「なんでも」 についてもいくつかの課題があるように思います。 一つはこのサービスについてよく知らない市民が多くいると思われることです。私は 15年前まで5つの公共図書館で働いてきたことから常々、出会う人たちにどのよう に図書館を利用しているかを尋ねてきましたが、このサービスを知っている人がとて も少ないのに驚いています。また「なんでも」については図書館に来た利用者が本棚 で読みたい本やこんな本があるのかといった本との出会いが大切で、そのためには年 間購入冊数や予算の確保についても課題があると考えています。 以下、図書館の全体的な課題と私が考えていますことをあげてみます。ーーーーー ーーーー 一.小学校区別の利用、貸出密度は校区によってとても大きな格差があります。「ど こでも」「だれでも」を保障する計画的な取り組みが一番の課題(児童に特に)    ーーー  一.国立国会図書館の図書館向けデジタル資料送信館への参加。「なんでも」の保障。 一.宅配サービスなどハンディキャップサービス(図書館利用に障害のある人へのサ ービス)の計画的な取り組み。(だれでも)     ・・・・・・・・・    一.利用者懇談会の定期的な開催。(年数回)もっと読みたい雑誌をなど多くの声を   聴聞中。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー そして、教育長名で、4月13日づけで選考結果の通知。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 糸島市立図書館サービス基本計画・糸島子ども読書活動推進計画公募委員 選考結果の通知 ーーーー  糸島市立図書館サービス基本計画・糸島子ども読書活動推進計画公募委員へのご応募、作文提出へ のご協力ありがとうございました。 多くの方からご応募をいただきましたが、同計画公募委員選考要領に基づく慎重な審査・選考を行っ た結果、残念ながら選任されませんでしたのでお知らせします。 今後とも、糸島市立図書館の取り組みに対しまして、貴重なご意見を賜りますようお願いします。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 以前、糸島市立図書館の図書館協議会委員の公募にも応募したことがあり、これで2回、選任されず という結果になったけれど、これまでと同様に策定委委員会や図書館協議会を傍聴して、審議の内容 を伝えていく考えです。 以上、公募委員選考の報告です。 ・大分県公立図書館しんこうsく

2021年4月27日火曜日

ある新聞記者の講演から 前川恒雄さんのこと No. 67

4月11日(日)のノートのメモから。  前日23時前に就寝したのだが、午前2時に起床。 「なんということだろう。1年前の今日、前川恒雄さんが亡くなった時間に目がさめた。 連日、トヨタの原稿を書いていて、前川さんのことをずっと書いているさなかのことだ。 今日で、ようやく前川さんのことを書き終えようという日、前川さんからの声だろうか」 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 「トヨタの原稿」について・・・。事の始まりは2年前のことだ。愛知県江南市の「江南あおむしの会」 から講演の依頼があった。私は、このような市民の会での運営の資金のきびしさをを知っているので、 もしできれば、複数の箇所でできれば交通費などを分担できますねと伝えたところ、なんと、愛知県で 4か所、岐阜県の多治見市とあわせて5か所での講演となった。その1つが豊田市の図書館を考える会で のお話だった。 そうして1年がたったある日、豊田の考える会の方から連絡があリ、講演録の冊子を作ろうとしたところ、 私の話の録音状態が悪く、テープ起こしが難しいため、5,6枚の原稿を送ってほしいとのことだった。 ーーーーーーーーーー 原稿では豊田市の図書館が直面している問題について書こうとして、すぐに気づいたのは、豊田市での 図書館の問題、課題は私が住んでいる糸島市でのそれとまったく同じであるという事だった。つまり 住民の身近に図書館がないため、図書館を利用できない多くの市民がいること、また、市民が「だれでも」 「どこに住んでいても」(どこでも)利用できる図書館づくりに向けて、市の取り組みがされていないこと。 これは、とても根の深い問題で簡単には答えられない問題であるけれど、この機会に、この問題をできる限り、 豊田のみなさんと考えてみよう、との思いが私の中にうまれ、結果として添付資料を加えて、50枚をこえる 原稿となってしまったのです。長い時間がかかってしまった。 ーーーーーーー その原稿の書き始めに、私は前川さんが石井敦さんと書いた2冊の本の「まえがき」をそのまま、書き写して、 「まえがき」をあらためて読むことから、つまり、前川さんのご本から原稿を書きだしていたのだった。 1冊は『図書館の発見 市民の新しい権利』日本放送出版協会 昭和48(1973)年10月20日、もう1冊は 『新版 図書館の発見』日本放送出版協会 2006(平成18)年1月30日。2冊目は石井敦氏の健康上の理由 から、旧版『図書館の発見』をもとに、2人が打ち合わせをかさね、前川さんが執筆したものだ。 ーーーーー 私は前川さんのご本に誘われて、私自身の「図書館の発見」を探るとともに、その生涯の足跡が、そのまま 日本での図書館の新しい道を切り開く歴史であった前川さんのたどった道を、歩きなおしていたのだと、 今にして思う。前川さんの行く手に、大きな壁のたちふさがる場面場面、その時空に私自身がそこにいるか のように、原稿に向かう中で、前川さん、そして前川さんを巡る人たちと時を共にしてきたように思う。 この原稿を書き終えてから、前川恒雄さんが亡くなった。(2020年4月11日午前2時、神戸東灘区の病院。89歳。) ーーーーーーーーー この原稿(その内容・分量)では、考える会で考えている冊子には収録はできまない。驚いたのは考える会の 有志の方が、2日間にわたって、この長い原稿を読み、話す集まりをもたれ、参加したお一人おひとりが私に 感想の手紙を書いて送ってくださったことだ。ほんとうに驚いてしまった。深い感動とともに。 それで、冊子のための原稿をあらためて書くことになった。また、それを書き始めるまでにいろいろな経緯があり、 今度の原稿はインタビュー形式ですることにし、豊田市の学校図書館で働いている竹内さんが聞き手になってく ださった。 ーーーーー そして2つ目の原稿をインタビューの形で書き始めてほどなく、私は前川さんのさいごの書を手にした。 昨年の暮れ、2020年12月に刊行された『未来の図書館のため』、なんと出版社は「夏葉社」だ。私が読むことが できたのは年が明けてからだった。この本は、前川さんにゆかりのある3人の人が、前川さんに自伝を書いてほし いと願い、前川さんの話を録音し、テープ起こししたものに、前川さんが手をいれて生まれたものだ。 前川さんの長女、前川文さんの「あとがき」によれば3人の自費出版による出版のようだ。あとでわかったこと だが、そのため700部の出版で、夏葉社では早々と品切れ、増刷の予定はないという。 ーーーーー 『未来の図書館のために』は、2回目の原稿に取りかかっていた私に、「見るべきものを見て」からインタビューに 臨みなさい、というどこからかの声であったように思う。インタビューの中の私の言葉。 「こんど、新しく出版された自伝を読んで改めて思ったことは、前川さんの足跡をたどることは、戦後の日本の図 書館の歴史を振り返ることで、読者がそれぞれの歴史的ともいえる現場に自分の身をおいて、歴史的な時空をとも にすることであると思いました。 そしてそれは現在、私たちが直面している問題がどういうことであり、それに対してどのように対するか、市民の 誰もが利用できる図書館のあり方を考えている私たちにとって、実に大きな示唆やヒントを手にすることにつなが ることだと思いました。 ーーーーー それで、ここでは、前川さんの歩みを、竹内さんはじめ、豊田のみなさんとたどってみるということを強く意識し ながら、私の原稿の内容の一端をお話できればと思っています。そのことが「図書館の発見」とはどういうことか につながるのではと思ったのです。 もし前川さんの本をまだ読んでいない方がおられましたら、多くの著書の中からまず『移動図書館ひまわり号』を お勧めしたいと思います。この本は1988年に筑摩書房から出版されましたが絶版になり、2016年に、1冊1冊心をこ めて出版している夏葉社から復刊されています。以後のお話では、そのことを体感させられるエピソードをできる だけ紹介しながらお話したいと思います。」 ーーー 思わず知らず、2回目の原稿も長くなるだろうことを語っている。 実際、インタビューを続ける中で、この際、私の中にあるものを、考え考えしながら、ひとまず語りきってみよう、 そんな思いが生まれていたのだった。 こうして、2回目の原稿は最終の所にさしかかかったところだが、ページ数は、すでに50ページを超えていて、 冊子の原稿としては不適なものとなり、それでも、この不適な原稿を最後まで書きあげたうえで、3回目、ほんと うに最後の原稿にとりかかろうと考えている。もちろん、時間のことをふまえて、豊田の方たちのお許しがいただ ければのことであるが。 ーーーーー そんなさなか、かつて滋賀県の能登川町で、「こんな人が新聞記者でいるのか」という人に出会う機会を授かったの だが、その毎日新聞の塩田敏夫さんが、滋賀県の社会教育委員の会議で講演された時の講演概要を見つけた。 前川さんのことに触れておられるので、以下に紹介しておきたい。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 平成18年度 第2回滋賀県社会教育委員会議での講演概要 www.nionet.jp › lldivision › shakaikyouikuiin 平成18年度 第2回滋賀県社会教育委員会議での講演概要 日時:平成19年3月15日(木) 場所:滋賀県農業教育情報センター 演題: 湖国のめざすべき図書館について」 講師:毎日新聞大阪本社総合事業局企画開発部長(前・大津支局長)塩田敏夫 氏 講演の概要 ーーーーー 今日、私がこの場に立っていることに運命的なものを感じています。ほんの数日前、県立図書館 長の前川恒雄さんから手紙をいただいたからです。私は図書館について話すことなどお知らせして いませんでした。手紙には、前川さんの著書「図書館員を志す人へ」の復刻版が同封されていまし た。第5版です。1984年秋、長崎の純心女子短大での講演をまとめたものですが、前川さんの 図書館づくりにかける思い 図書館が文化の基底をつくるという思いが見事に表現されていました 。 今、図書館立県といわれてきた滋賀県が大きな曲がり角を迎えています。前川さんが命がけで手渡 してくれた精神のバトンをどう受け継いでいくかが問われています。前川さんが私の背中をポンと 押してこの場に立たせてくれていると感じています。ここで、もう一度原点に帰って、図書館とは 何か、滋賀県の図書館のめざすものは何かについて議論してほしいを願って今日はやってまいりま した。 ーーー 皆さんはご存知だとは思いますが、前川さんが1980年に県立図書館長に就任されたことが滋 賀県での図書館の歴史の扉を開くこととなりました。前川さんは東京都日野市でたった一台の移動 図書館からスタートし、次々と分館を作り、最後に本館を完成させました 「地域の人から求めら 。 れる資料を、どんなことをしてでも100%手に入れて提供する」という固い信念を抱いておられ ました。100年間停滞したといわれた図書館の歴史を切り開きました。その前川さんが30年近 く前、当時は図書館がわずか数館しかない全国的にも遅れた県であった滋賀県にやって来たという ことから、滋賀県の図書館物語が始まったのです。当時の知事の武村正義さんが図書館で文化を築 こうと決断し、東京から前川さんを招いたことが本当に大きかったと思います。市や町が図書館を つくりやすいよう人の手当てと財政的な支援をする仕組みをつくったのです。 ーーー 前川さんは理想に燃える図書館長を全国からどんどん引っ張ってこられました。やはり、人なん ですね。そして、予算。準備室開設段階から館長が就任するのが滋賀の特徴です。それこそ、北海 道から九州までさまざまが人材が集まってきました。そうした図書館長がそれぞれの地域で住民と 一体となった実践を重ねてきました。そういう歴史が滋賀県にはあることを私は滋賀県に移り住む まで知りませんでした。今では、滋賀県は県民一人当たりの図書貸し出し数が全国1になるなど全 国有数の「図書館立県」なっていますが、先ほど申し上げたように今や大変な状況になっていると 言わざるをえません。せっかく蒔いた種が芽吹き、根を下ろそうとしているのに本当にもったいな いことだと思います。 ーーー ずばり言いますと やはり 人と予算 それをきっちりしなければ前に進めない状況にあります 、、 、 。 自治体としての滋賀県は非常に厳しい財政状況にあります。しかし、こういう時だからこそ文化を 育てる図書館を、命を育てる図書館を、逆に増やさなければならないと思います。そのぐらいの覚 悟で、図書館のことを大事にしなければ、今まで30年間近く築き上げてきたものをだめにしてし まう。財政難を理由に、県立図書館は生命線の図書購入費をここ何年も1000万円単位で削減さ れています。県内のある小さな自治体では今まで年間1000万円近くあった図書購入費が100 万円確保できるかどうかというところまで追い込まれています。財政難のこういう時こそ、県が、 県教委が、それぞれの教育委員会が、県立図書館が、きっちりスクラムを組んで、県民一人ひとり を大事にし、命を大切にするために財政状態の厳しいところをきちんとフォローするという仕組み を新たに創る必要があるのではないでしょうか。このような時代だからこそ、図書館政策をきっち り見直す必要があります そうしなければだめになると思います それだけは申し上げておきます 。 。。-2- 全国から理想に燃えて集まってきた図書館長たちがこの春、定年退職します。この数年、毎年人 が変わろうとしている。そういう人の面でも、今、非常に大事な時です。精神のバトンをどうつな いでいくのかが大きな課題です。 ーーー 滋賀県でも市町村合併がどんどん進んできています。数字的には、滋賀県の図書館はトップクラ スで、いい数字を出していると思いますが、実際の中身を見極める必要があります。能登川図書館 の才津原哲弘館長からお聞きした話ですが、中学校区内の歩いて行ける範囲に図書館が必要だとい うんです。つまり、本当に必要な人に本当にきちんと本が届き、本や資料が身近な図書館にないと だめだと。その理想に向かい、50年後、100年後を見据えた図書館政策が今こそ求められてい ると思います。知事が代わってくらいで根本が変わってはならないのです。図書館作りは地域をど うつくっていくか、この国の形をどうするかにも深くかかわってくるテーマだと思います。住民自 治、民主主義の原点を考えるうえでも大切です。人は地域で生まれ、死んでいきます。素晴らしい 図書館が身近にあったらどんなにすてきなことか 子育てなど人が生きていくことに深くかかわり 。 、 住んでよかったねと言える町づくりにもつながっていくと思います。 ーーー 今、勝ち組、負け組という言葉が当たり前のように使われ、強い者、金を持っているものが何を してもいいという風潮があります。年間の自殺者が3万人を超えていることが象徴的に示している ように思います 今 大学教育を見てもグローバル化の中で競争に勝ち抜くための教育が優先され、 。 、 生きるための教養、いのちを大切にしようという基本が置き去りにされているように思えてなりま せん。そうした中で 「自殺したくなったら、図書館へ行こう」という言葉がこの滋賀県の能登川 、 図書館からから生まれました。私はそのことの意味を深くかみしたいと思います。人はそれぞれに 深い悩み、苦しみを抱きながら生きています。それでもなんとか生きていきたい。そんな願いを持 って図書館に足を運ぶ。才津原さんは図書館はそうした生死にかかわるところで懸命に生きようと している人にこそ向かい合う場ではないかと考え、いのちといのちが響きあう図書館づくりを目指 して地道な実践を重ねてきました。 ーーー 私自身も競争社会の中で生きてきましたし、心がスカスカになった時に出会ったのが図書館でし た。能登川図書館だったのです。その図書館で私自身の心が本当に癒されたというのが実感なんで す。今でも休日には通っていますが、だんだんと図書館のすごさがわかってきました。ひとつには 選書のすごさです。書棚の前に立つと、心からうきうきしてくるのです。次々と興味ある本を取り 出したくなるのです。本の選び方、並べ方まで職員の愛情を感じることができるのです 「ありが 。 とう という言葉が自然に口に出てくる場に出会えて本当に幸せだと思います 能登川図書館では 」、 心に病を得た人が「やっと居場所が見つかった」という人と出会うことができました。ある若い女 性はこの図書館と出会い、図書館司書を目指して実際に4月から滋賀県の図書館で働き始めます。 次々といのちの物語が生まれているのを実感しています。 繰り返しになりますが 今 滋賀県の図書館は大きな曲がり角を迎えています 豊かさとは何か 、 命を大切にすることとは何かを深く考えたいと思います。その意味でも図書館をこれからどうして いくのかは本当に大切なテーマだと考えています。 講演:「湖国のめざすべき図書館について」毎日新聞大阪本社(前・大津支局長)塩田敏夫 塩田さんの講演は平成19(2007)年3月15日、この月の月末で私は、開館準備(2年6カ月)を含め、 1995(平成7)年4月から12年間過ごした能登川を離れ福岡県に移り住むことになる。 このときの塩田さんの講演を聞いてのことだったのだろうか、ある日滋賀県の教育長が能登川の図書館 に一人で来館されたことがあったのを思いだす。塩田さんに能登川の図書館のことを聞いて、やってこ られたということであったと思う。塩田さんのコトバの力によるものだった。 --------------------------------------------------------------------------------- この項つづく

2021年3月9日火曜日

3月11日 龍国寺で ”黙想(もくそう)の場が・・・No.66

私は長いことパソコンにはなじまず、それを身近に触らざるをえなくなったのは、 図書館を退職してからのことだ。資料作りやその伝達のため、パソコンを頻繁に 使い始めた頃、私にとっては、かけがえのない人との出会いがあった。私が必要 とすることに、なんでも、どんなことでも一から教えていただいた。その中で、 私がやっていることを見て、ぜひブログを始めてはとすすめ、根気よくその道を 開いてくださり、(その都度、自宅で)、いつでも、どんなことにも応えていた だいてきていた。しかし、昨年の6月ころから、体調をくずされて入院され、ご 連絡が取れない日が今に続いている。この間、その前から、パソコンのことで、 わからないこと、手におえないことが起きた時いつも、教えていただいてきたの が、近くの龍国寺の若住職の甘蔗(かんしゃ)健仁さんだ。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 現在、ブログが私にとっては、思いもよらないソフトの改変などにより、従来と は、違う様式となっているため、文章の改行が画面ではうまくできず、読みにく い長い文章になっています、先生にご連絡がとれずちゃんと補正できない中、ひ とまずは、入力だけはしておこうと考えてのことですが、ほんとうに申し訳ない 次第です。 ____________________________________ 地域の広場とも思われる龍国寺は、私にとっての文字通り駆けこみ寺であるどこ ろか、健仁さんには、幾度も幾度も駆けつけていただいてきた。今日もまた。 そして今日は龍国寺での大切な場づくりのことを知らされた。拝啓ではじまる 甘蔗和成和尚さまからのお知らせだ。 その全文をご紹介し、3月11日に想いをよせるお一人お一人へのご案内としたい。 コロナ禍での地域の活動の一つをお知らせしたい。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 拝啓 皆様におかれましては、いかがお過ごしでしょうか。緊急事態宣言が解除され たとはいえ、まだ安心できる状況ではありません。以下二点お知らせいたします。 一、今回の春彼岸棚経は再度延期します。  ただし、お寺はお彼岸期間も変わらず開けておりますので、どうぞお参り下さ い。またコロナウイルスの拡大防止のため、検温、手指の消毒、マスクの着用等 にご協力下さい。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー ニ、黙想(もくそう)  東日本大震災よりまもなく十年を迎えます。三月十一日はお寺の本堂に祈りの場 を設けます。 一時間ごとに、震災で亡くなられた方々のお供養を致します。隋流室(ずいりゅう しつ)では密を避け坐禅、瞑想、写経ができます。今の思いを手紙にかくこともで きます。書き上げた写経やお手紙はお位牌の近くにお供え致します。 初めてのことでどれぐらいお参りが有るかわかりません。密の様子を御自分で判断 して出入りして下さい。詳細は左記をご覧下さい。            敬具 ーーーーーーーーーーー記 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー ●日時 3月11日(木) ●会場 龍国寺(糸島市二丈波呂四七四)     今回は予約や申込みはいりません。 【プログラム】 ★9時~本堂にて読経(10分程)  終わって、隋流室にて  坐禅、慈悲の瞑想、写経など ★毎時   同じく(清流室)、同じく  21時閉門 (お願い) この場は坐禅、瞑想を通して深い意識に通じている方もおられます。 話をせず静かにお参り下さい。 以上 龍国寺住職 甘蔗和成 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 宗派や信心の有無にかかわらず、どなたでも祈る場をとの願いの場で、健仁さんによれば、 お寺のなかにはいらなくても、寺のうち外で、それぞれに佇みお祈りの場の機縁になれば とのお話でした。(お許しをえてのご案内です)
 

2021年3月5日金曜日

読書会の出前 始めます。  No.65

三瀬村で始まった読書会については、「図書館の風」No.61で少し触れましたが、 そこでの、何とも面白いひと時から、”読書会の出前”を、という思いもよらむ何かが 私の中に舞い降りた。ノドカフェに出かけた日、坂本さんにそのことを話したら、 「ここで、やりましょう」と、あっというまもなく、第1回目が始まることになった。 _________________________________ こんなご案内(チラシの気分で)です。 ご案内の改定版をさいごの頁に掲載しています) ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 読書会の出前 ― お声かけにより参上します ○ どんな読書会か (90分~120分) ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー ・1回きりの読書会です。読む本は決まっています。    『移動図書館ひまわり号』前川恒雄 筑摩書房 1988 絶版          夏葉社 2016 復刊(いずれでも、入手できる本)     〈本はノドカフェ・前原090-1852-1102で注文できます〉 〇会を開くにあたって ・人数 3人以上・かならず読んで参加すること・資料代1人300円 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 〇どんな人に呼びかけをしているか   「図書館ってなんだろう?」  「図書館は何をするところ?」   「地域に図書館があるってどういうこと?」   「身近に図書館はありますか?」「図書館を利用してますか?」 「リクエストしてますか?」「図書館を使いこなしていますか?」  「今、図書館を利用していないのは、なぜですか?」「どんな図 書館がいいですか」《図書館に関心のある人・ない人 (と思っ   てる)人・だれでも》 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー ☆ なぜこの本か(著者の前川恒雄さんについては裏面に)1月、三瀬村 で、この本で小さな読書会をした時、一人一人の感想に驚きました。特に 図書館について考えることはなかったいう方が大半したが、「図書館っ て、こんな歩みをしていたんだ」「図書館ってこんなことをするところ なんだ」と、口々に、本ではじめてきく図書館の話に、その方のそれま での図書館観の揺れを語りだしたのです。1冊の本のもつ大きな力を感 じさせられました。感想のことばの面白いこと! ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 小さな場で、各自の図書館像を語りあう場をもってみたい、 一人ひとりのよりよい図書館の利用の仕方を語りあう 出前の読書会をと考えた次第です。  (お声かけ・ご注文は・・携帯またはメールで) 糸島市二丈・才津原哲弘(さいつはら):携帯090-5045-2559 メール:itokazedayori@gmail.com : www.kazedayori.jp ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 第1回の日時・・・2021年4月2日(金)11:00~ 場所:ノドカフェ(糸島市前原中央3-18-18-2階 ☎ 090-1852-1102(休み:ほぼ月・木曜)
前川恒雄(前川・つねお) 1930年生まれ。〔1930.10.9~2020.4.10 89歳〕石川県出身。___ 小松市立図書館、七尾市立図書館、日本図書館協会を経て、65年、東京都 日野市立図書館長。日野市助役を務めたのち、80年、滋賀県立図書館長、 90年から98年まで甲南大学文学部教授を務める。___________ 著書に『前川恒雄著作集1~4』(出版ニュース社)、『新版 図書館の発見』 (NHK出版)、『われらの図書館』(筑摩書房)などがある。 【(『移動図書館ひまわり号』夏葉社 2016.7.15)より。 漢数字は算用数字に。生年および没年を注記。】 _______________________________ 前川恒雄さんは1965年、日野市で1台の移動図書館から図書館をはじめ、 翌年、2台目の移動図書館を運行するとともに、順次5つの分館をつくり 1973年に中央図書館、1977年に6館目の分館である市政図書館をつくった 日野市立図書館の初代館長。――― 「利用者に最も望まれている貸し出しが公共図書館の基本的サービス」 であることを図書館の運営の指針として、「いつでも」「どこでも」 「だれにでも」「なんでも」を目指す「市民の図書館」づくりを実践し、 「図書館が何をするところか」をだれの目にも鮮やかに示して、市民一人 ひとりの「図書館の発見」を促した。〈「リクエスト」は日野から始ま った)〉―――――― 1980年、滋賀県立図書館長として招へいされた。当時、滋賀県では50の 自治体のうち市や町の図書館は6館だけで、全国で最低位の図書館の状況 であったが、91年3月までの11年間で、「県立図書館は何をするところか」 を明らかにする実践とともに、県内公立図書館の利用度が全国でもっとも 高い地域となる道をひらいた。―――― 【「日本の図書館革命は、実践的には、1965年9月の日野市立図書館の開 館で始まった。」(浪江虔『図書館そして民主主義』「図書館革命進行 中」〈この数値を見よ。〉ドメス出版 1996〉) 「日本の図書館革命は、実践的には1965年9月の日野市立図書館の開館で 始まった。翌66年度の資料決算額は1015万円であったが、人口7~8万の 他の23市(日野は7万6千)の平均は92万円で、日野はその11倍、一方 1千万円以上は6都府県、2大市、2大区(東京の)ですべて人口70万以上 であった。まさに革命といっていい。」 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 読書会の出前 ご案内 改定版・表(最新版)2021.3.12 以下の通りです。ーーー ーーー読書会の出前 ― わたしの・みんなの・地域の図書館を!  ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 〇どんな読書会か (90分~120分) 〈お声かけにより参上します〉 ・1回きりの読書会です。読む本は決まっています。    『移動図書館ひまわり号』前川恒雄 筑摩書房 1988 絶版、         夏葉社 2016 復刊、(いずれでも、入手できる本で) ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 〇会を開くにあたって〔本はノドカフェ・前原090―1852-1102で注文可〕 ・人数 3人以上・かならず読んで参加すること・資料代1人300円 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 〇どんな人に呼びかけをしているか  「図書館ってなんだろう?」  「図書館は何をするところ?」  「地域に図書館があるってどういうこと?」  「身近に図書館はありますか?」  「図書館を利用してますか?」 「リクエストしてますか?」  「図書館を使いこなしていますか?」 「今、図書館を利用していないのは、なぜですか?」「どんな図書館がい いですか」《図書館に関心のある人・ない(と思ってる)人・だれでも》 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー ☆ なぜこの本か(著者の前川恒雄さんについては裏面に)1月、三瀬村で この本で小さな読書会をした時、一人一人の感想に驚きました。特に図書 館について考えることはなかったいう方が大半でしたが、「図書館って、 こんな歩みをしていたんだ」「図書館ってこんなことをするところなんだ」 と、口々に、本で、はじめてきく図書館の話に、その方のそれまでの図書館 観の揺れを語りだしたのです。1冊の本のもつ大きな力を感じさせられまし た。感想のことばの面白いこと!小さな場で、各自の図書館像を語りあう場 をもってみたい、一人ひとりのよりよい図書館の利用の仕方を語りあう出前 の読書会をと考えた次第です。 (お声かけ・ご注文は・・携帯またはメー ルで) ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 糸島市二丈・才津原哲弘(さいつはら):携帯090-5045-2559 メール:itokazedayori@gmail.com : www.kazedayori.jp(図書館の風) --------------------------------------------------------------------- 改定版(裏) ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 前川恒雄(前川・つねお)―― 1930年生まれ。〔1930.10.9~2020.4.10 89歳〕石川県出身。小松市立図書館、七尾市立図書館、日本図書館協会を経て、 65年、東京都日野市立図書館長。日野市助役を務めたのち、80年、滋賀県立図 書館長、90年から98年まで甲南大学文学部教授を務める。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー__ 著書に『前川恒雄著作集1~4』(出版ニュース社)、『新版 図書館の発見』 (NHK出版)、『われらの図書館』(筑摩書房)などがある。 『移動図書館ひまわり号』夏葉社より復刊 2016.7.15;『未来の図書館のた めに』夏葉社 2020.12.25〈解説;島田潤一郎、「あとがき」前川文(前川 恒雄 長女):表紙・見返しの写真は漆原宏(1979.3.28日野市立中央図書館BM 「明るい日ざしのもとで」、1976.11.9同BM「見て、見て」) ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 前川恒雄さんは1965年、日野市で1台の移動図書館から図書館をはじめ、 翌年、2台目の移動図書館を運行するとともに、順次5つの分館をつくり1973年 に中央図書館、1977年に6館目の分館である市政図書館をつくった日野市立図書 館の初代館長。「利用者に最も望まれている貸し出しが公共図書館の基本的サー ビス」であることを図書館の運営の指針として、「いつでも」「どこでも」 「だれにでも」「なんでも」を目指す「市民の図書館」づくりを実践し、 「図書館が何をするところか」をだれの目にも鮮やかに示して、市民一人ひと りの「図書館の発見」を促した。〈「リクエスト」は日野から始まった)〉 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 1980年、滋賀県立図書館長として招へいされた。当時、滋賀県では50の自治体の うち市や町の図書館は6館だけで、全国で最低位の図書館の状況であったが、 91年3月までの10年間で、「県立図書館は何をするところか」を明らかにする実 践とともに、県内公立図書館の利用度が全国でもっとも高い地域となる道をひらいた。 【「日本の図書館革命は、実践的には、1965年9月の日野市立図書館の開館で始 まった。」(浪江虔『図書館そして民主主義』「図書館革命 進行中」 〈この数値を見よ。〉ドメス出版 1996)】続きはwww.kazedayori.jp No.65

2021年3月4日木曜日

うれしい知らせ・「漆原宏写真展」(妙高)  No.64

毎月、郵送で届く『図書館雑誌』(日本図書館協会)を手にして、何かもの足りないものを 感じていたわけがわかった。それを教えてくれたのは、いきなりとびこんできたメールだった。 写真家漆原宏さんのご夫人、漆原美智子さんからのメール。 ほんとうに久しぶりに、何年振りかにいただいたご連絡で、「「写真家漆原宏 病との闘い」「妙高 市の図書館とともに歩む会」をぜひ検索してください。そして、広めてくださると嬉しいです。この メールが繋がって嬉しい限りです。」とある。何より嬉しいのは私の方だ。その文面からブログに お名前をださせていただくこともお許しいただけると思う。---------------------------------- メールが届いた翌朝、珍しく5時に目覚めた私はユーチューブで早速、検索すると「写真家漆原宏 病 との闘い」と「漆原宏写真展(妙高市の図書館とともに歩む会)」の2つの画面が現れる。 画面を開くと、いきなり美智子さんの声がとびこんでくる。妙高市の写真展の会場で車椅子の漆原宏さん の傍らで、宏さんの心の声に重ねて、美智子さんのつややかな張りのある声、お元気なご様子。 漆原宏さんのくつろいだ表情。いつもお2人から元気を手渡されてきたが、今、この画面からも深い元気 を手渡される。からだのお具合がよくないと風のたよりに聞いていたが、この10数年、そのように過ご されていたことをあらためて知らされる。--------------------------------------------------- 病いとの闘いの日々の中で、「病気と生活は地続きだ」と考える、訪問診療医、岩間医師との出会いを 通して週2回、漆原さんを訪ねてこられる82歳のお話のボランティアの堺八郎さんとの場面など、懐かし い漆原さんにお会いする。 ------------------------------------------------------------------------------------------ 筆不精の私だが、漆原さんご夫妻には、年に一度の年賀状だけはださせていただいていたが、ある 年、賀状はこの年で最後にとの言葉があり、以後ご連絡をしないできていた。だからこの度のメールが どんなに心うれしいことであったか。 動画によると、「漆原宏写真展 ぼくは、図書館がすき」は昨年、2020年11月19日から23日まで、「妙高 市の図書館とともに歩む会」の主催で新井総合コミュニティセンターを会場にして開催されている。同会 の馬場さんが、会場で写真展開催の経緯や会の活動について語っている。最初は漆原さんの図書館の写真 集を図書館でリクエストをして借り、その内容に打たれて写真展を企画したこと、そして漆原さんについて 語られている。 --------------------------------------------------------------------------------------------- 図書館で漆漆原さんの図書館の写真集をリクエストしたことから始まったというのがいいなと思う。そして 漆原さんに連絡をとり実現されたというのが嬉しい。図書館での1冊の本との出会いから、ある願いが生まれ、 その願い を同じ思いをもった人たちと形にしていく。図書館は一人ひとりの願いが生まれ、その願いを力を合わせて 実現していくところでもあるのだ。 そこで馬場さんが語っている言葉がいい。関心ある方はぜひ、ご覧を。 ------------------------------------------------------------------------------------------- 漆原宏さんと初めて出会ったのは私が博多駅の近くの財団法人博多駅地区土地区画整理記念会舘(以下、記念 会館という)で働いている時だった。1階に232㎡の小さな図書室があり、館長(福岡市職員の定年退職者) 1、正規職員2(司書1、事務職員1、〈その後事務職は嘱託となり、さいごは私が経理も担当)、臨時職員 2(司書)という職員体制で、2階、3階には有料の会議室や無料の憩いの部屋(広い和室)などがあった。 福岡市から3億5000万円の基本財産の寄付をうけ、その利息で施設の管理、運営を行っていた。当時は今から みると利率が高く、年間2000万円をこえる利子と会議室の使用料が収入で、それで施設の維持管理費や人件 費などをまかなっていた。図書費は年間300万円だった。 ---------------------------------------------------------------------------------------- 私は千葉県八千代市の図書館(1972.4~1974.3)を2年間で退職した2年後、1976(昭和51)年5月30日に人 口100万人をこえる福岡市でようやく開館した福岡市民図書館に、たしか開館1か月後位から嘱託職員として 働き、主に市内に160くらいあった文庫に団体貸出しの本を配本していた。 ------------------------------------------ そんな中、福岡市が20年以上かけて行った博多駅周辺の土地区画整理事業が完了したのに伴い、この事業の 地域の協力にたいする市の対処として記念会館を建設したのだった。そして、そこに小さな図書室がある ので、財団の職員としていかないかという話だった。図書の選書も、書架の発注もすでに行われていて、そ の内容にかかわることはできなかった。(書架の入り口よりの2列をより低くできただけ)それで、図書の 受け入れ準備を含め記念会館の開館準備のため1979(昭和54)から司書として働き始めた。 当時、市立図書館は福岡市民図書館の1館のみで、各市民センターにある図書室(東・南・中央。昭和56年 以降、西・博多・城南)は組織上、図書館の分館ではなく、公民館図書室の位置づけだった。 --------------------------------------------------------------------- このため私は私の場は財団法人の図書室であるが、意識としては図書館の分館として働くという考えであっ たと思う。予約、リクエストは当たり前のこととして行ったが、当時の県内の状況は、それを図書館の基本 的なサービスとして取り組んでいるところは少なかった。”リクエストに応える駅前図書館”として新聞に 掲載されたこともある。記念会館には車がなかったので、自転車やタクシーで築港本町にある市民図書館に 本を借りに行ったりしていた。 年を経るに従って、100万人の大きな市で図書館が1館しかないことの問題が切実に感じられるようになって いたと思う。 --------------------------------------------------------------------------------------------- 漆原宏さんが記念会館図書室にやってきたのは、そんな時だった。事前の連絡もなくいきなりやって来られ た。その時は私は漆原さんについてまだよく知っていなかったと思う。その年が1987年ではないかと思うの は、「福岡の図書館を考える会」を1987年に始め、半年以上かけて『2001年 われらの図書館―すべての福 岡市民が図書館を身近なものとするために―」(47頁)を会員でつくり、考える会で1988年1月24日に発行し ていることから、さかのぼって類推してのことだ。 ----------------------------------------------------------------------------- 漆原さんからは私にとって幾人もの生涯にわたって大切な人を紹介されてきたが、その最初の人が、仙台市 で「仙台にもっと図書館をつくる会」の代表をされていた扇元久栄(おうぎもと ひさえ)さんだった。 記憶が定かでないけれど、何か差し迫った状況の中にあったのか、扇本さんへの初めての電話を深夜にかけ たようだ。その電話の直後、扇本さんからもっとの会の会報や公開質問状をはじめとする資料がどっさりと 送られてきて、その活動のすさまじさに目を瞠った。とりわけ「仙台にもっと図書館をつくる会」の実行機 関として、考える部会、伝える部会、広める部会がある、との活動報告には心打たれるものがあった。そう だ、「考える」「伝える」「広める」、このことが要のことだと受け止めた。そして福岡の会では、「考え る」こととして、『2001年 われらの図書館・・・』づくりにとりかかったのだった。以後、扇本さんには さいごのさいごの時まであたたかく、深いものを授かり続けた。〔扇本久栄さんから手渡されたものについ ては、『としょかん村』に書いているが、前半部分、中途で終わっている。続きは他日にと考えている. ------------------------------------------------------------------------- 2004年5月4日、能登川町で井上ひさしさんと中村哲さんの対談を核とした「宮澤賢治学会地方セミナー」 を開催、開会の辞にかえて、”私は井上ひさしの追っかけです”と自称されていた扇本久枝さんが、宮澤賢 治の『注文の多い料理店 序』を朗読された。実際は覚えておられるのだが、巻紙に書かれた「序」を暗唱 された。その録画は”図書館の風No.49-(2)”でみられます。)〕  -----------------------------------------------------------------------------------------------〕 漆原さんを思うと、墨田区立八広図書館長、そしてご出身の佐賀市立図書館長をされ、「本のある広場」とし ての図書館を実践された千葉治(ちば おさむ)さんが一体となって思い浮かぶ。 そして、たまたま上京したさい、漆原さんと千葉さんが大澤正雄さんと伊藤峻さんと同席の場をつくってく ださったことも、私にとってかけがえのない出来事だったと、なんど思い返したことだろう。このような図 書館の先達の粘り強い、強きにくじけない、笑いとユーモア、そして歯ぎしりの歩みがあってこその図書館 の今ある道であることを銘記したい。 伊藤峻さんは早くに、そして千葉治さん、大澤正雄さんのご訃報が相次ぐなかで、私はあらためて漆原さん のことを思う日々を過ごしていたのだった。 漆原さんのこれまでの歩み、そして漆原さんとのあの時、その時の出会いがもしなかったとしたら、私自身、 どこか違う道を歩んでいたのではと思うことしきりだ。 ----------------------------------------------------------------------------------------------- そして奥さまの漆原美智子さんに初めてお会いしたのは、多分1987、8年のこと。「福岡の図書館を考える会」 では、「図書館の話」の出前を行っていた。当時、福岡県柳川市でお寺の住職をされていた美智子さんから、 出前の注文があったのだ。考える会の若い仲間、臨時職員として働いていた元気な2人の女性とスライドを持参 でお寺にでかけた。たしか当日は蚊帳の中に泊めていただいた。だれかれの話をじっくり、ゆったり深く聞か れる美智子さんのお寺は、駆け込み寺のようで、人が行き交い、そこで安らぎと元気を手にされている場所だと 心明るくなる印象をうけた。その後の「柳川の図書館を考える会」の行動には、ほんとうに元気づけられた。 後日、かなり時間が経ってのことだが、滋賀県立図書館長の澤田正春さんが福岡に来られた時、美智子さんたち と一緒に当時の柳川市長にも話に行っていただいたこともあった。 そしてまた、ある年月を経たある日、漆原宏さんから電話をいただいた。静かな弾む声で、美智子さんんと 共に生きられることを伝えられた。何ともうれしい知らせだった。このような出会いがあるのだと、ふかーい 安堵の思いにつつまれた。よかったなー。 ------------------------------------------------------------------------------------------------ 最初のところで、『図書館雑誌』に何か物足りないものがあると、無意識のうちに思っていたものとは、漆原 さんが、毎号、『図書館雑誌』の巻頭(目次の前の頁)に掲載されていた「漆原宏のフォト・ギャラリー」が なくなっていたことだった。毎号、日本各地の、それまでほとんど知らなかった図書館の写真がそこに掲載さ れていたのだ。その一枚一枚は、図書館が何をするところか、大人も子どもも、住民一人ひとりにとって、 図書館はどんなところであるかを、一つ一つの図書館の名前とともに、そのぺーじを開くものの目と心にきざ んでいたのだと、今にして思う。また、写真が掲載された図書館の職員方のたちは、その掲載を、写真に写っ た人たちとともに喜んでおられたのだと思う。そのことで、図書館の現場に励ましを送り続けたフォト・ギャ ラリーであった。一隅を照らし、図書館の一刻一刻がとらえられた一枚一枚であったと思う。ここまで書いて さらに思いうかんだこと、それは漆原さんが訪れた図書館のそれぞれの現場の職員はもちろん、利用者をまき こんでの漆原さんとの会話から生まれた豊かな時間のことだ。私も、漆原さんの一言ひとことから、普段なか なかみることが難しい気づきを度々授かったものだった。 --------------------------------------------------------------------  『図書館雑誌』への漆原宏さんの写真の掲載  85巻9号(1991.9)からコラム「窓」とともに掲載、  87巻1号(1993.1)から「漆原宏ギャラリーコーナー」が付与、  88巻4号(1994.4)から110巻3号(2016.3)まで単独コーナー「漆原宏ギャラリーコーナー」  (日本図書館協会に照会:2021.3.4) --------------------------------------------------------------------------------------------------- 最後に私の好きな漆原さんの本 『地域に育つ くらしの中の図書館 漆原 宏 写真集』ほるぷ出版 1983年12月 私が持っているのは第2刷で1988年3月の出版、漆原さんにお会いした後から購入したみたいだ。 いつも身近にある1冊。写真はもちろんのことだが、タイトルがいい。図書館を育てるものは何か、市民にとって 図書館とは何か、図書館が目指すべきものが、そこに簡潔に示されている。一枚一枚の写真が示す図書館の働き、 司書の働き、そして図書館長とは何をする、どのような人かを示す一枚の写真、子どもや大人や高齢者にとって 図書館は何であるかを示す写真の数々。菅原峻さんの言葉をお借りすれば、図書館の今日と明日がそこにあるよ うに感じる。 ----------------------------------------------------------------------- また、この本を私はこの時、その時というときに、くりかえして読んできた。 何かあると、それぞれの解説の文章に立ち返ってきた。苦心してやっと書き上げたと思ったものの源流がここに あることに、後になって気づくことも少なくなかった。解説の森崎震ニさんと漆原さんお二人の言葉が私の中に 入っている、のだろうかと思ったりしてきた。 ------------------------------------------------------------------------------------------------ 2地域の図書館 「図書館は身近になければ、日常の用に役立ちません。お正月とか、お盆とかに年一回使えば済むというものでは ないからです。だからその地域になければなりません。」 から始まる「2地域の図書館」の文章は、著者をはなれて、みんなの文章であるようにも思ったりする。 ----------------------------------------------------------------------------------------------------- 以下 1 生涯にわたる自己教育 3くらしの中の図書館 4こどもは本好き 5図書館利用に障害のある人々に 6職員が図書館活動を支える そして、さいごの「あとがきにかえて」は、全体の集約であるとともに、それぞれの課題とこれからの方向性 (地域図書館・自動車図書館・町村立図書館)を的確に指し示していて、図書館の明日を考えるのに一読、再読 したいものです。
次いで
そして
『ぼくは、図書館がすき 漆原宏写真集』(日本図書館協会 2013.4.30)の「あとがき」から