2019年9月30日月曜日

犬もあるけば(4)本の出前先で思わぬ出会い 三輪舎のこと  No.34

今月の本の出前(10 ,11 月)

10月からの本の入れ替えにでかけた前原駅近くのブックカフェ「ノドカフェ」で思いがけないことを知らされた。「ノドカフェ」には、風信子(ヒアシンス)文庫から2ヶ月の周期で本の出前を行っている。本の交換を終え、新刊の棚をみながら坂本さんご夫妻と話していると、福岡市の大濠公園の近くの塾で、一人出版社「三輪舎」の中岡祐介さんの講演があるという。その日の夜、会場に駆けつけた。

『本を贈る』(三輪舎)のこと


三輪舎から出版された『本を贈る』を読んだのはいつのことだったか。同書の奥付をみると、初版が2018年9月30日なので、刊行間もない頃に手にしたとして一年前になる。
三輪舎の本を手にするのはそれが初めてで、印象深い表紙の絵やその装丁、造本に心ひかれた。頁をめくるのがうれしくなる紙の手触り。
一冊の本が生まれるには著者、出版社だけではなく実に多くの人が関わっている。
『本を贈る』は、実際に本づくりに関わる、あるいは一冊の本が読者に手にわたるまでに関わる一人一人、十人の文章が寄せられている。

最初の「本は読者のもの」島田潤一郎(編集者)と最後の「眠れる一冊の本」若松英輔(批評家)の他の八人は私にとって初めて目にする名前だ。
一冊の本が生まれ、読者に手渡されるまでに、一人ひとりどんな人たちが関わっているか、八人の文章の末尾に、編集者の中岡氏が書いたと思われる、それぞれの書き手のプロフィールがある。それが私には面白い。

十人の文章の題名とプロフィール

「本は読者のもの」 島田 潤一郎(しまだ じゅんいちろう)編集者

1976年(実際は漢数字、以下、同じ)、東京育ち。
2009年9月に出版社「夏葉社」を東京・吉祥寺で創業。『昔日の客』(関口良雄)、 『星を撒いた街』(上林暁著)ほか、昭和の名著の復刊などをひとりで手がける。著書に『あしたから出版社』(晶文社)がある。
「夏葉社」、『明日から出版社』、そして島田潤一郎さんについては、ブログ  No.24に記載。

「女神はあなたを見ている」 矢萩 多聞(やはぎ たもん)装丁家

1980年、横浜市生まれ。画家・装丁家。
中学一年で学校をやめ、南インドと日本を半年ごとに往復。2002年sから本づくりの仕事に関わるようになり、これまでに450冊を超える本をてがける。著書に『偶然の装丁家』(晶文社)、『たもんのインドだもん』(ミシマ社)、『タラブックス インドのちいさな出版社、まっすぐに本をつくる』(共著/玄光社)など。

「縁の下で」 牟田 都子(むた さとこ)校正者

1977年、東京都生まれ。出版社の契約社員をへて、フリーランスの校正者。。
関わった本に『猫はしっぽでしゃべる』(田尻久子、ナナロク社)、『詩集 幸福論』
(若松英輔、亜紀書房)など。


  「アルテリ」アルテリ編集室発行 責任編集 田尻久子 2016.2.22 創刊号

熊本市の田尻久子さんの橙書店を初めて訪ねたのは、一昨年だったか。「水俣病 
熊本展」が開かれた時のこと。(柳田邦夫、池澤夏樹、お2人の講演)
2016年2月から同書店から発行されている『アルテリ』(年2回刊行)は「熊本から雑誌を出そう」とい「渡辺京二さんの一言で、熊本にゆかりのある作家や「書きたい」という思いを持つものたちが集まっ」て始まった。毎号、手にするのを楽しみにしている。創刊号の編集後記には、

〈初会合は2015年7月、ブルームーンの夜。雑誌のタイトルは紆余曲折を経て、「職人の自主的な共同組織」を意味する「アルテリ」に決まった。何にも縛られない、自由な書き手のささやかな発信の場でありたいとの気持ちを込めて。[若い書き手を育てたい。」これまで数々の雑誌を手掛けてきた渡辺京二さんにとって、もしかすると最後の雑誌になるかもしれない。その思いを末永く受け継ぎ、文学の衰退に少しでも抗っていきたい。タクシーに乗り込む渡辺さんの背中を見送りながら蒼く大きな月を見上げた夜、アルテリははじまった。〉

創刊号には石牟礼道子、渡辺京二のお二人から刊行に寄せての文章が冒頭に掲載されている。石牟礼さんの〈雑誌「アルテリ」刊行に寄せて〉につぐ渡辺さんの「激励」の一節から。

「現代はとっくに文学の世紀ではない。文学は冗談とお噺のマイナーな世界に閉じこもってしまった。滅びゆく森のどこに隠れた小径を見つけられよう。それでも言葉によって生きたい。それによってしか真に生きられないという人びとが存在する以上、森の深みに通じる小径はおのずと光を放たずにはおかぬだろう。
熊本には石牟礼道子、伊藤比呂美、坂口恭平という生命にみちたことばの発信者がいる。このささやかな雑誌は、そいう人たちが喚起する世界をひとつの伝統として受け継いでゆくことになろう。
私はラーゲリーの死者たちと連帯する思想しか信じない頑固な老人、つまりすで死者の国の住人で、ひとり最後の戦いを終えるつもりである。けれども、この雑誌の成立にいくらか関わったものとして、心から祝福を贈りたい。死者の国からの祝福は不吉とは限らないのだ。                          二〇一六年二月吉日 」

『暗河』(暗河〈くらごう〉の会発行、葦書房:発売、1973年10月1日創刊;編集兼発行人、石牟礼道子・松浦豊敏・渡辺京二)以来、楽しみな雑誌の始まりだ。私とは同年で1994年6月8日、48歳で亡くなった久本三多氏のことが偲ばれる。福岡市で葦書房を始めた久本さんにとって渡辺京二さんの本を出版することが、その仕事の要にあったのではないかと思われる。
久本さんとともに働き、その後、石風社を始めた福元満治さんの会社を訪ねた時、福元さんから一冊の本を手渡された。『久本三多―ひとと仕事』(久本三多追悼集刊行会 葦書房 1995.6.8 非売品)を私はその時はじめて手にしたのだが、以後いつも私の身近にある。
久本さんの話は、小さな集まりで一度だけ聞いた。亡くなって25年になるけれど、折にふれて、彼の眼差し、視線が私のなかに甦ることがあること、久本さんが私のなかにあることに驚く。


追悼集によせられた渡辺さんの文章は、「恥を知る人」だ。
   
・・・仕事の関係で福岡にはしじゅう出向いているが、三多のいない福岡の街はもうまったく見知らぬ街だ。三多は私のなかにいる。形見にいただいたマフラーをして、三多に語りかけながら街をゆく。いまおれたちはいっしょにあるいているんだぜと。
     (略)
三多はいちばん大事なことは口にせぬ人だった。恥を知っていたからである。だから私は勝手に、彼との間に黙契を交わしたと思って来た。彼がどもりがちに表白しようとしたことを大切にしたいと思って来た。私が苦しい時に黙って支えてくれたこの友に、私がむくいられるのは、この黙契しかない。三多は私の日本近代史の述作を心待ちにしていてくれた。彼にそれを捧げられる日もさほど遠くはあるまい。
新聞から追悼文を頼まれたとき一切断った。三多の業績はすでに世に認められている。人柄を追慕する知人、友人にもこと欠かない。所詮それは世事である。私はただ三多とふたりはるかな山野に立っていたかった。

石牟礼道子さんからは
「永訣の挙手」
・・・並みの縁ではなかった。個人としても水俣のことでも有形無形、いや形として浮上しない配慮をどのくらいして頂いたことだろう。水俣のことが形を取りはじめてからさえ三十年を超えるが、全期間どこかで働いて下さっていた。集会の場所や人数の確保、宿屋食事の世話等々。まわりに多彩な助っ人たちがいた。その中の有志だったが何もしてません、という顔をしていた。吃りさんだったのでどじにも見え、気が合ったが、この人じつは端正なのだとわたしは畏敬していたのである。
・・・わたしが伺う時いつも母上が付添っておられた。美しいお方である。物蔭で泪を拭いては、自分より先に逝く息子の脛をさすっておられた。死の床についてから三多さんは挙手の礼をした。状態を起こそうとしてままならないものだから頭を僅かに上げ、ぱっと右手をさばいてじつに美しい挙手をする。目尻の切れ上がった瞳が澄んで永訣の思いを告げていた。かっこよがりの三多さんのきわめつけの姿がまなうらから離れない。
 

『暗河』 暗河の会発行 葦書房:発売 秋季号創刊号 1973年10月1日 定価五百円
  編集兼発行人 石牟礼道子 松浦豊敏 渡辺京二
  創刊号の「編集後記」は上記3名による。うち渡辺氏の文より。
   「最後に、本誌の刊行は葦書房の久本三多しが発売元を引き受けてくださること
    によって一応の保証が得られることになった。久本氏の義侠に感謝する。編集の
    実務はすべて葦書房編集部が行ってくださる。われわれは葦書房に赤字を負わせ
    ることのないよう、すべからく奮励すべきであろう。(渡辺京二)

「心 刷」 藤原 隆充(ふじはら たかみち)印刷

藤原印刷株式会社 取締役。創業七〇年の印刷会社の四代目。企画の段階から造本における仕様の提案を得意とし、本づくりを全面的にバックアップする。近年ではインディペンデント系の実績多数。
 『本を贈る』で、藤原印刷株式会社の誰が、何をしたかは、末尾に記載。

「本は特別なものじゃない」 笠井 瑠美子(かさい るみこ)製本

 1980年生まれ。武蔵野美術大学デザイン情報学科卒業後、株式会社東京印書館に入社。
製版部、管理部門を経て退職後、デザイン制作会社に勤務する傍ら、手製本工房まるみず組で手製本を習う。現在は加藤製本株式会社束見本作成に従事。文芸や人文書などの上製本を主に手がける。

「気楽な裏方仕事」 川人 寧幸(かわひと やすゆき)取次
 1071年生まれ。1994年早稲田大学第二文学部卒業。フリーター時代を経て90年代後半にリブロ池袋本店でアルバイト2か月、契約社員2年。取次の鈴木書店でアルバイト1年、正社員2年。同社倒産後、本の運送会社や書店でのアルバイトを経て、2003年、取次の株式会社JRCの創業に参加。2002年に副業として出版の夜光社、同年、取次として独立し、ツバメ出版流通株式会社を創業。現在に至る。

  ※「最初に本の仕事についたリブロ池袋本店」での二ヵ月のアルバイトを経て、
   夜光社と一人取次のツバメ出版流通株式会社を始めるまでの軌跡から、心に深
   く届く言葉が紬だされる。
   本の仕入れ、荷捌き場での仕事ぶり、中小取次である鈴木書店ならではの、大き
   な取次とは異なる役割、魅力(「岩波、みすず、河出、青土社、各大学の出版局
   等、日頃から最も気になる出版社の本が凝縮されていた)について。鈴木書店の
   倒産後、組合員何人かと始めたJRC:人文・社会科学書出版流通センターの設立
   の経緯と、「自分の会社のように思ってきた」同社退職の理由とその経緯、そし
   てツバメ設立から現在まで。

   「気楽な裏方仕事」にふれたのは、私がいつもその出版を楽しみにしている京都
   にある出版社「編集工房SURE」(北沢街子、瀧口夕美、黒川創)から7月にでた
   『本はどのように変っていくのか』(津野海太郎)の中に川人寧幸氏の名前を見
   つけたからだ。
   同書は司会の黒川創さん(作家)によれば、評論家の「津野海太郎さんに水先案
   内人をつとめていただいて、これから未来にかけて、わたしたちの暮でらしのな
   かで、「本」が、どんなものになっていくかを考えたい」との趣旨から、最初に
   「本をめぐる大ベテラン、評論家であり編集者である津野さんに講義をお願いし」
   「同時に、出版、流通、小売りといった、さまざまな現場でプロとして働いてい
   る人たちと討議をしたいと思って、数人の参加者に起こしいただいています。」
   として、黒川さんから参加者一人ひとりの紹介が行われている。ここにそれを記
   しておきたい(要約)。関心をもたれた方には同書を手にしていただきたい。

    津野海太郎さん
     1938年生まれの評論家。出版社・晶文社の編集責任者を30年以上務める。
     劇団「黒テント」の演出家でも。その後、「季刊・本とコンピュータ」の
     編集長。和光大学教授・同大学図書館長も。

   ほかの参加者
    文弘樹(ムン ホンス)さん
     1961年生まれ。図書出版クレインをひとりで切り盛り。雑誌「思想の科学」
     の編集部など。いくつかの出版社勤務の経歴あり。

    川人寧幸(かわひと やすゆき)さん
     1971年生まれ。ツバメ出版流通株式会社という書籍取次の会社を単独で起こ
     して運営。かたわら、夜光社という出版社の活動も。過去には、書店、取次
     会社などの勤務経験も。

    能邨陽子(のむら ようこ)さん
     京都の名物書店、恵文社一乗寺店で長く書店員。
     ※恵文社を訪れたのは、ある原画展を見に行ったのが最初だった。原画はもと
      より、棚の本に目をみはった。以後、能登川から京都市役所の近くの三月書
      房と共に、たびたび出かけることになった。

   「編集グループSURE」から
     北沢街子
     瀧口夕美
      
   読者の立場から
     吉谷美世子さん
      テキスタイル作家。もと保育士、子どもの本などにも通じた人。
     



 『もうろくの春 鶴見俊輔詩集』 編集グループ〈SURE〉 2003 (手製本300部)
  同出版社の第一冊目の刊行書。下段の図書もSUREより。




「出版社の営業職であること」 橋本 亮二(はしもと りょうじ)営業
 1981年、名古屋市生まれ。大学卒業後、朝日出版社に入社。一般書営業部所属。流通から販売までの一連の業務に従事している。Twitter運用やメールマガジン発行も担当。全国各地、本のある空間に行くことが日々の糧。

「読者からの贈り物」 久禮 亮太(くれ りょうた)
 1975年生まれ、高知県出身。早稲田大学法学部中退。あゆみBOOKS早稲田店亜アルバイト、三省堂書店契約社員を経て、2003年よりあゆみBOOKS五反田店に正社員として勤務。2010年より小石川店店長。2014年退職。2015年「久禮書店」の屋号で独立。神楽坂モノガタリ(東京都新宿区)などで選書、書店業務一般を行うほか、長崎書店(熊本市)などで書店員研修も担当している。

「移動する本屋」 三田 修平(みた しゅうへい)本屋
 移動式本屋・ブックトラック店主。横浜市在住。
 TUSUTAYA  TOKYOU  ROPPONNGI` SHIBUYA PUBLISHINNG & BOOKSELLERS
等を経て、2012年に独立。ブックトラックの他にも飲食店や小売店のブックセレクト、雑誌・ウエブサイトでの連載など様々な形で本に関わる仕事をしている。

「眠れる一冊の本」 若松 英輔(わかまつ えいすけ)批評家
 1968年、新潟県生まれ。批評家・随筆家。
 慶應義塾大学文学部仏文科卒業。2007年「越知保夫とその時代 求道の文学」で第14回三田文学新人賞受賞。2018年『見えない涙』(亜紀書房)、にて第33回詩歌文学館賞を受賞。著書に『常世の花 石牟礼道子(亜紀書房)、『小林秀雄 美しい花』(文藝春秋)、『悲しみの秘儀』(ナナロク社)、『霊性の哲学』(KADOKAWA)など。
以上。
 ※ブックスキューブリック箱崎店で、若松さんの話を今年はじめて聞けた。

 一冊の本が生まれるには、どんな人のどのような関わりがあるか、それが見えるように実際に一冊の本づくりに関わった一人ひとりによって本をつくる、そうした『本を贈る』の編集者である中岡氏の思いが直截に伝わってくるのが、奥付の前ページに記された、八人の書き手以外の〈印刷〉と〈製本〉に関わった人たちの記載だ。そのページの下段には

 校正       牟田都子
 装丁/装画    矢萩多聞
 編集/本文組版  中岡祐介

とあり、上段には〈印刷〉、〈製本〉に関わった一人一人の担当の仕事と名前が記されている。印刷にしても、また製本にしても私が初めて目にする実に多様な作業があると知らされる。どんな仕事か、書き出してみよう。

〈印刷〉                  〈製本〉

 藤原印刷株式会社              加藤製本株式会社 
  工程管理     上村信一         営業       飯塚隆 
      用紙手配     今村千晶         生産管理     堀澤博之
  面付       真野勉                   佐宗太郎
  点検       小林亮子         荷受       増山直樹
  検版       岡本明子         束見本      笠井瑠美子
  用紙受入     黒岩一也                  菊川恵里佳
  断裁       福井大悟         断裁       出井信一
  本文印刷     小澤信貴         折り       長岡浩志
  付物印刷     松野秀一         貼込       西田直美
  スリップ印刷   大石昭弘         バインダー    鳥山剛
  紙積み      水元繁晴         くるみ      井上正則
  発送       大和新吉         見本       常田喜一
  営業       藤原章次         仕上       松崎義幸
                        発送       坂下栄一

                       株式会社伸光堂
                        代表者      中村勝夫
                        表紙貼      鈴木久巳
                        箔押       荒木健寿

一冊の本の「印刷」や「製本」のそれぞれの工程やその担当者がこのように記された本はおそらく初めてのことではないだろうか。ここには本づくりにかける中岡氏の思いがこめられていると思われる。

講演会に駆けつける

講演会場は糸島の自宅から車で40分くらいかかっただろうか、福岡市の大濠公園の手前の
7階建てのビルの1階であった。普段は学習塾の生徒の自習室として使われているとのことで、身を寄せて30人くらいが座れる小さなスペースだった。隣に座っている人と話していると、若松英輔さんの講演も、箱崎のブックスキューブリックであったあと、ここで行われた由。

この日は三輪舎の中岡さんの講演会だと思っていたのだが、この集いを主催している「とらきつね」の鳥羽和久さんが聞き手となり、詳細なレジメも用意されていて、事前の準備にかなりの時間がかけられているようだった。

古本屋で1年、その後蔦屋で働く日々を中岡さんは「つかいものにならないサラーリーマン」であったと語り、自分の生活が会社に侵食されていくようにも感じていたという。そんな日々の中で、花森安治の “一五厘の旗””が彼を支えるものであったと述べて、会場で ”見よ ぼくら一戔五厘の旗” を朗読された。言葉の力を体感するひとときだった。そうして出版について何の経験もない中で、ひとりで始めた出版社が三輪舎だった。

当日、印象に残ったのは、ある出会いから始まったインドの手刷りの出版社タラブックスから、三輪舎で出版した絵本「つなみ」のお話だった。その出版にあたっては、中岡さん自身がビデオ撮影のプロの人と共に現地を訪ねている、またその旅には、中岡さんやインドに行き来している装丁家の矢萩多聞さん、そしてその家族も同行している。講演会場では、そのときに撮影されたビデオが上映された。驚いたことに聞き手の鳥羽さんも、
タラブックスを訪ねておられるようだった。





三輪舎で出版される一冊一冊は、編集者である中岡さんの一人ひとりとの濃密な出会いから生まれているように思われた。

これからいくどとなく訪ねることになるだろう「とらきつね」のブログより。
《鳥羽和久さんのプロフィール》・・・
  1976年、福岡生まれ。株式会社寺子屋ネッ「とらきつね」福岡代表取締役。
 大学院在学中の2002年に中学生40名を集めて学習塾を開業。2010年に航空高校唐人町(単位制)開講。現在きゅしつで150名超えの小中高の生徒を指導する傍ら、本と雑貨の
 店「とらきつね」の運営、及び文化イベントの企画を行う。きんねんは子育てや旅に関するエッセイ執筆や全国の学校等での講演多数。
著書に「親子の手帖」(鳥影社)など。来春、「子どもの声を聴く」(仮題)(ナナロク社)を刊行予定。

タラブックス展で

講演会が終わって2日後の10月3日、福岡市天神のあるビルで開かれていた”タラブックス展”の最終日に展示会場に駆けつけた。そのきっかけを中岡さんから手渡されてのことだった。会場では撮影は自由にとのことだった。思いがけない時間を授かった。

当日の会場で