8月7日,ノドカフェに出前にでかけた。本の出前だ。
中段、表紙見せは、『ヒロシマ・ノート』『沖縄ノート』(大江健三郎 岩波新書)
『中村哲さん講演録 平和の井戸を掘る アフガニスタンからの報告』(ピース
ウォーク京都)など。
3段目、表紙見せは、朴才媛(パク チェヨン)さんの『二つの故郷(ふるさと)津軽の青い空、星州の風』、吉田秀和『物には決まったよさはなく』、そして岩崎航『点滴ボール 生き抜くという旗印』写真は齋藤陽道
本の出前では持ってきていない本だけれど、斎藤陽道の名前に導かれて少し寄り道を。
〈寄り道〉
齋藤陽道(はるみち)さんのこと
齋藤陽道さんのことはまったく知らなかった。2007年3月に図書館を退職してまる13年、この間、どのような書き手が現れているか、私にとって新たな書き手、作家が幾人もたち現われていることを、この本を手にしてあらためて思い知らされた。
『声めぐり』(晶文社 2018.7)を手にしたのは、昨年の3月だったか。その文章に深く引きこまれた。どのような文章を書く人か。抜き書きノートに同書の「あとがき」の一部をメモしていた。
「あとがき」から (p279)
とはいえ、本全体の背骨となるテーマがなかなか見つからず、くすぶる思いを抱いて苦悶していた折に、子どもを迎えた。
こどもは、自分の存在を一生懸命に主張して生きようとしていた。一日ごとに、息をのむほどの成長を見せる。その成長において必要なものは、ことばではなかった。。
抱きしめること、
まなざしを交わすこと、
そばによりそうこと、
ほほえみを受けて返すこと。
実際にからだを動かして、触れあうことでしか伝えられないものがあることに気づく。
これは、ぼくが写真を通して追い求めているものでもあった。
それが「声めぐり」の気づきになった。
同書の著者の紹介欄も抜き書きノートに書き写していた。
1983東京 写真家 都立石神井ろう学校 陽ノ道として障害者プロレス団体「ドッグレッグズ所属
2010 写真新世紀優秀賞(佐内正史選)
2013 ワタリウム美術館にて新鋭写真家として異例の大型古典を開催
2017 7年にわたる写真プロジェクト「神話(1年目)」を発表 精力的な活動を続けている。
『感動』(赤々舎),『宝箱』(ぴあ)、『点滴ポール』(岩崎航さんとの共著)、
『写訳 春と修羅』『それでもそれでも』(ナナロク)
『異なり記念日』(医学書院・シリーズケアをひらく)を同時刊行
抜き書きノートには、
斎藤さんが中学生のとき、難聴学級で英語、国語、数学を、その他の教科を通常のクラス(聞こえる生徒と一緒)にいたが、その中学校では1年に1回、石神井ろう学校と年に1回交流活動(ダンス)をしていて、中学1年の斎藤さんは初めての交流活動がある日、中学校の校門に立つ見慣れない大人の女性から挨拶をうける。その女性は、かがみこんで、伏し目の中学生の視線をとらえながら「おはよう!」と。
それから中学二年生、三年生の交流活動のたびに、先生は必ず校門にいて、「人と視線を合わせることが怖くて、ついと逸らそうとするぼくの視線を、それでもつかまえながら、力強いまなざしと共に「おはよう」と挨拶してくれた。ぼくから話をすることはなかったのに、毎年、必ず。」
「ろう学校の先生と中学生活の間に交わしたことばは、三つの「おはよう」だった。」
「たった三つそれ」が少年にとってどのような力をもつっものであったかは、直に目にしてほしい。
「「おはよう」が石神井ろう学校に入学する決め手になっていた。そうして、石神井ろう学校で先生と再会する。彼女は国語の授業を受けもつ先生だった。」
以後、私は「異なり記念日」をはじめ、斎藤さんの本にふれ、私の中に深くとびこんでくる彼のことばを書き抜きノートに記し続けている。うれしい著者との出会い。
小さなスペースで、うれしいことが次々に
本の出前では持ってきていない本だけれど、斎藤陽道の名前に導かれて少し寄り道を。
〈寄り道〉
齋藤陽道(はるみち)さんのこと
齋藤陽道さんのことはまったく知らなかった。2007年3月に図書館を退職してまる13年、この間、どのような書き手が現れているか、私にとって新たな書き手、作家が幾人もたち現われていることを、この本を手にしてあらためて思い知らされた。
『声めぐり』(晶文社 2018.7)を手にしたのは、昨年の3月だったか。その文章に深く引きこまれた。どのような文章を書く人か。抜き書きノートに同書の「あとがき」の一部をメモしていた。
「あとがき」から (p279)
とはいえ、本全体の背骨となるテーマがなかなか見つからず、くすぶる思いを抱いて苦悶していた折に、子どもを迎えた。
こどもは、自分の存在を一生懸命に主張して生きようとしていた。一日ごとに、息をのむほどの成長を見せる。その成長において必要なものは、ことばではなかった。。
抱きしめること、
まなざしを交わすこと、
そばによりそうこと、
ほほえみを受けて返すこと。
実際にからだを動かして、触れあうことでしか伝えられないものがあることに気づく。
これは、ぼくが写真を通して追い求めているものでもあった。
それが「声めぐり」の気づきになった。
同書の著者の紹介欄も抜き書きノートに書き写していた。
1983東京 写真家 都立石神井ろう学校 陽ノ道として障害者プロレス団体「ドッグレッグズ所属
2010 写真新世紀優秀賞(佐内正史選)
2013 ワタリウム美術館にて新鋭写真家として異例の大型古典を開催
2017 7年にわたる写真プロジェクト「神話(1年目)」を発表 精力的な活動を続けている。
『感動』(赤々舎),『宝箱』(ぴあ)、『点滴ポール』(岩崎航さんとの共著)、
『写訳 春と修羅』『それでもそれでも』(ナナロク)
『異なり記念日』(医学書院・シリーズケアをひらく)を同時刊行
抜き書きノートには、
斎藤さんが中学生のとき、難聴学級で英語、国語、数学を、その他の教科を通常のクラス(聞こえる生徒と一緒)にいたが、その中学校では1年に1回、石神井ろう学校と年に1回交流活動(ダンス)をしていて、中学1年の斎藤さんは初めての交流活動がある日、中学校の校門に立つ見慣れない大人の女性から挨拶をうける。その女性は、かがみこんで、伏し目の中学生の視線をとらえながら「おはよう!」と。
それから中学二年生、三年生の交流活動のたびに、先生は必ず校門にいて、「人と視線を合わせることが怖くて、ついと逸らそうとするぼくの視線を、それでもつかまえながら、力強いまなざしと共に「おはよう」と挨拶してくれた。ぼくから話をすることはなかったのに、毎年、必ず。」
「ろう学校の先生と中学生活の間に交わしたことばは、三つの「おはよう」だった。」
「たった三つそれ」が少年にとってどのような力をもつっものであったかは、直に目にしてほしい。
「「おはよう」が石神井ろう学校に入学する決め手になっていた。そうして、石神井ろう学校で先生と再会する。彼女は国語の授業を受けもつ先生だった。」
以後、私は「異なり記念日」をはじめ、斎藤さんの本にふれ、私の中に深くとびこんでくる彼のことばを書き抜きノートに記し続けている。うれしい著者との出会い。
『熱源』川越宗一:著者のことも、色んな賞の受賞のことも何も知らず読み始めた。 面白い、面白い、フィクションではあるけれど、史実の調査にかけたと思われる 著者の力に驚く。たまたまたちよった古書店で受賞の言葉を見つけ購入した。 川越氏の他の著書を探すと、『天地に燦足り』の一冊のみ、その面白さに驚く。 k |
小さなスペースで、うれしいことが次々に
島田潤一郎さんの新刊を見つける‼ この日は財布を忘れて、後日出直すことに。 たのしみ、糸島でこの本を手に入れられること、ありがたし。 『本屋さんしか行きたいとこがない』岬書店 2020.6.25 |