2020年8月16日日曜日

8月のノドカフェ (本の出前)   No.56                                                      

 コロナ禍のため、”さんのもり学舎”や”うみかえる”への本の出前の中止が続くなか、
8月7日,ノドカフェに出前にでかけた。本の出前だ。


上段には、中村哲さんの『辺境で診る 辺境から見る』。中村哲さんの眼差しを感じながら本をならべていく。
中段、表紙見せは、『ヒロシマ・ノート』『沖縄ノート』(大江健三郎 岩波新書)
『中村哲さん講演録 平和の井戸を掘る アフガニスタンからの報告』(ピース
ウォーク京都)など。






3段目、表紙見せは、朴才媛(パク チェヨン)さんの『二つの故郷(ふるさと)津軽の青い空、星州の風』、吉田秀和『物には決まったよさはなく』、そして岩崎航『点滴ボール 生き抜くという旗印』写真は齋藤陽道

本の出前では持ってきていない本だけれど、斎藤陽道の名前に導かれて少し寄り道を。

〈寄り道〉
齋藤陽道(はるみち)さんのこと
齋藤陽道さんのことはまったく知らなかった。2007年3月に図書館を退職してまる13年、この間、どのような書き手が現れているか、私にとって新たな書き手、作家が幾人もたち現われていることを、この本を手にしてあらためて思い知らされた。

『声めぐり』(晶文社 2018.7)を手にしたのは、昨年の3月だったか。その文章に深く引きこまれた。どのような文章を書く人か。抜き書きノートに同書の「あとがき」の一部をメモしていた。

「あとがき」から (p279)
とはいえ、本全体の背骨となるテーマがなかなか見つからず、くすぶる思いを抱いて苦悶していた折に、子どもを迎えた。

こどもは、自分の存在を一生懸命に主張して生きようとしていた。一日ごとに、息をのむほどの成長を見せる。その成長において必要なものは、ことばではなかった。。
抱きしめること、
まなざしを交わすこと、
そばによりそうこと、
ほほえみを受けて返すこと。

実際にからだを動かして、触れあうことでしか伝えられないものがあることに気づく。
これは、ぼくが写真を通して追い求めているものでもあった。
それが「声めぐり」の気づきになった。

同書の著者の紹介欄も抜き書きノートに書き写していた。

1983東京 写真家 都立石神井ろう学校 陽ノ道として障害者プロレス団体「ドッグレッグズ所属
2010 写真新世紀優秀賞(佐内正史選)
2013 ワタリウム美術館にて新鋭写真家として異例の大型古典を開催
2017 7年にわたる写真プロジェクト「神話(1年目)」を発表 精力的な活動を続けている。

『感動』(赤々舎),『宝箱』(ぴあ)、『点滴ポール』(岩崎航さんとの共著)、
『写訳 春と修羅』『それでもそれでも』(ナナロク)
『異なり記念日』(医学書院・シリーズケアをひらく)を同時刊行

抜き書きノートには、

斎藤さんが中学生のとき、難聴学級で英語、国語、数学を、その他の教科を通常のクラス(聞こえる生徒と一緒)にいたが、その中学校では1年に1回、石神井ろう学校と年に1回交流活動(ダンス)をしていて、中学1年の斎藤さんは初めての交流活動がある日、中学校の校門に立つ見慣れない大人の女性から挨拶をうける。その女性は、かがみこんで、伏し目の中学生の視線をとらえながら「おはよう!」と。

それから中学二年生、三年生の交流活動のたびに、先生は必ず校門にいて、「人と視線を合わせることが怖くて、ついと逸らそうとするぼくの視線を、それでもつかまえながら、力強いまなざしと共に「おはよう」と挨拶してくれた。ぼくから話をすることはなかったのに、毎年、必ず。」

「ろう学校の先生と中学生活の間に交わしたことばは、三つの「おはよう」だった。」

「たった三つそれ」が少年にとってどのような力をもつっものであったかは、直に目にしてほしい。
「「おはよう」が石神井ろう学校に入学する決め手になっていた。そうして、石神井ろう学校で先生と再会する。彼女は国語の授業を受けもつ先生だった。」

以後、私は「異なり記念日」をはじめ、斎藤さんの本にふれ、私の中に深くとびこんでくる彼のことばを書き抜きノートに記し続けている。うれしい著者との出会い。



最下段の表紙見せの一冊は、
前川恒雄さんの『われらの図書館』、今年4月13日ご逝去。(89歳)前川恒雄さんの1965年に始まる日野市立図書館の活動がなければ、一個人である私の図書館員としての歩みはまったくちがったものになったのでは。
1972年(昭和47.4)千葉県のある市立図書館で図書館員として働き始めた私は、最初から2年後には退職することを考えていて、実際2年働いて退職したのだが、図書館員になった時、7年前に1台の移動図書館から活動を始めた日野市立図書館のことも、前川恒雄さんのことも知らないでいた。それほどイイカゲンな図書館員であったとおもう。日野市立図書館や前川恒雄さんが日本の図書館の世界を切り開く道で、何をされてきたかを身をもって、切実に知り考えるようになったのは、1987頃、福岡の図書館を考える会を梅田順子さんたちと始めた頃からだったように思う。随分遅れに遅れた前川さんとの出会いだった。
前川さんの言葉はいつも明解だ。図書館、公立図書館とは、われらの図書館であるということ。
われらとは、私の図書館、そしてみんなの図書館であるということ。
そして、図書館は空から天から降ってくるものではないということ。
『われらの図書館』は、図書館は何をするところかを、明確に示している。
いま、一人の身近にある図書館が”本物の図書館”であるか、どうかを考える人への前川さんからの贈りものだ。
『熱源』川越宗一:著者のことも、色んな賞の受賞のことも何も知らず読み始めた。
面白い、面白い、フィクションではあるけれど、史実の調査にかけたと思われる
著者の力に驚く。たまたまたちよった古書店で受賞の言葉を見つけ購入した。
川越氏の他の著書を探すと、『天地に燦足り』の一冊のみ、その面白さに驚く。



『宝島』真藤順丈、にもほんとうに驚いた。著者についてまったく知らず、受賞のことも、何の予備知識もなく読み始めた、その語り口、語られる内容にドンドン引きこまれた。この雑誌も、『宝島』読了後、ずいぶん経って、古書店のたなに見つけ購入した。楽しみな著者との出会い。

『笹まくら』が収録されている「新鋭作家叢書 丸谷才一集」には、『笹まくら』が出版されてから程なく書かれたと思われる、山崎正和さんの批評「徴兵忌避者が忌避したもの」が末尾にのっている。丸谷さんがその批評に、当時どんなに励まされたかを、丸谷さんの別の著書で読んだ。後年、丸谷、山崎2人の対談は100回を超えているとの丸谷さんの文章を目にして驚いたことがある。同時代に深く影響しあう出会いは稀有なことだと思った。
先月、たまたま地元の図書館で借りた『挨拶はたいへんだ』(丸谷才一)が面白い。丸谷さんは結婚披露宴や葬式、様々な授賞式、お祝いの会、お別れの会、それぞれの挨拶の場では事前に原稿を書いて、その文章を読んでいる。ある編集者が、これだと原稿の督促もいらないし、なによりその挨拶自体が見て、聞いてただならぬ面白さであることから、挨拶分をそのまま本にすることを思い立ち、3冊の本が出版された。
『挨拶はむづかしい』、『挨拶はたいへんだ』、『あいさつは一仕事』。私は2冊目、3冊目を読んで、今はこれとは別の『別れの挨拶』を読んでいる。装丁はいずれも和田誠。

ノドカフェは愉しい
小さなスペースで、うれしいことが次々に








島田潤一郎さんの新刊を見つける‼ この日は財布を忘れて、後日出直すことに。
たのしみ、糸島でこの本を手に入れられること、ありがたし。
『本屋さんしか行きたいとこがない』岬書店 2020.6.25