2019年10月31日木曜日

 犬も歩けば(5)”うみかえる”と”さんのもり学舎”へ本の出前 No.35

10下旬、”うみかえる”と”さんのもり学舎”に本の出前、また福岡県立高校の先生たちの組合の研究集会に参加した。 "いみかえる”には梅田順子さんから託された本を主に持って行った。 

さんのもりぶんこ  (出前)

30数年前、福岡市は当時すでに”図書館砂漠のまち”だった。

30数年前、私が福岡市の博多駅近くの財団法人の小さな図書室で働いていたとき、人口100万人を超える大きな都市に市立図書館が1館しかなく、市民の多くが図書館を利用できないでいた。”図書館砂漠のまち”ということが、日々切実に感じられる中、市立図書館の動きは先行きの見えないものだった。しかも図書館をめぐる状況は年ごとに悪くなっているように思われた。

漆原宏さんとの出会いから

いつのことであったか、東京から写真家の漆原宏さんが図書室にやってこられた。漆原さんは日本図書館協会が発行
している「図書館雑誌」(月刊)のグラビア頁に日本各地の図書館を訪ねて撮影した写真を掲載していた。また1983年には写真集『地域に育つくらしのなかの図書館』(ほるぷ出版)を出版。同書はいつも私の手元にあって、そのタイトル名をふくめ、各章の解説の文章は一枚一枚の写真とともに、私が図書館について考えるとき




に根底の考え方や見方を示されるものだった。
その時、どんな言葉を交わしたか、もはや記憶にはないが、多分福岡市の図書館の状況を話したのだと思う。というのも、その時に紹介された仙台市の扇元久栄さん(仙台にもっと図書館をつくる会・代表)から漆原さんが帰られて程なく、つくる会の活動のたくさんの資料を送っていただいていたからだ。

当時、私は図書館問題研究会(図問研)福岡支部(支部長は県立図書館の白根一夫さん)の事務局を引き受けていて、福岡市長選挙や福岡県知事選挙等で、図書館に関する公開質問状をだしたりしていたが、その中で市民あるいは県民の会、つまり市民、県民が主体の会が必要だと考えはじめていた。扇元さんから届いたすさまじい活動の資料は、そんな私の背中を押してくれたのだといまにして思う。

梅田順子さんと出会う ”福岡の図書館を考える会”のはじまり

その頃、私は福岡市の南区に住んでいたが、家の近くに搬送される生協の品を受け取りに私が時折行くときに出会ったのが梅田順子さんだった。梅田さんとは立ち話をするぐらいで、梅田さんがそれまで生協活動はもとより公民館での学習や環境や原発の問題、松下竜一さんや伊藤ルイさんと行動を共にしていることなどまったく知らないでいた。その一端を知ったのは、私が図書館を退職し糸島で住み始めた最近のことだ。
いつも静かな佇まいで、話をしっかり聞いてくださる梅田さんに、福岡の図書館を考える市民の会を始めたいと考えていること、ついてその会の代表をお願いしたとき、梅田さんは、ほんとうにすっと引き受けてくださったと記憶している。そこから”福岡の図書館を考える会”の活動が始まった。1987年のことだった。




  












”梅田順子文庫”のこと

 今年の4月だったか、梅田さんと生協の活動など長く行動を共にされてきた友人の古沢
 さんから梅田さんの自宅の図書を整理することになったと電話をいただいた。ご自宅を
 お訪ねし、梅田さんのこれまでの日々共にあったその図書一冊一冊からなる蔵書を目に
 して心しんとする思い。ほんとうはこれらの貴重な本は公立図書館で、しっかりとした
 受け入れをすることが望ましいけれど、福岡市や糸島市の図書館の現状では難しい。ひ
 とまず「風信子(ヒアシンス)文庫」でお預かりすることにする。それまでも幾度か車
 で本を運んでいたが、このお話があってからは4月25日に段ボール箱に10箱、5月19日
 はレンタカー(1トントラック)に本棚を含め、満載の状態で糸島まで運んだ。千数百
 冊に及ぶと思われる。これらの本を「梅田順子文庫」として、「風信子文庫」の本と同
 じく本の出前にも使わせていただくことに。












「うみかえる」(出前)