2007年から糸島に移り住み、思いを同じくする人たちと「としょかんのたね・二丈」を始め、志摩地区の「みんなの図書館つくろう会」、二丈深江地区の「糸島くらしと図書館」の人たちと共に、糸島のより良い図書館づくりを目指して活動してきた。「糸島の図書館は今、どうなっているのか」、糸島図書館事情を発信し、市民と共に育つ糸島市の図書館を考えていきたい。糸島市の図書館のあり方と深く関わる、隣接する福岡市や県内外の図書館についても共に考えていきます。
2023年12月29日金曜日
巻紙4メートルの書簡・伊藤野枝 No.122
ブログ121では「伊藤野枝、伊藤ルイさんのこと」と題して、「福岡出身の女性解放運動家・作家である伊藤野枝さんの没後100年に
あたることから、野枝さんをさまざまな角度から論じていただきたいとして企画された伊藤野枝100年フェスティバル」(9月15,16日。
福岡市サイトピア)に参加したことを記した。そこで上映された映画「ルイズ その旅立ち」(監督=藤原智子)のこと、それに先立
ってたまたま読んだ『評伝 伊藤野枝~あらしのように生きて~』(堀和江 郁朋社 2023.4)のことなど。そして、その最後の所に
伊藤野枝は手紙の人と記した。堀和江さんの著書では、その引用の力に心動かされながら同書を読み進めたのだが、中でも野枝の手紙
には驚かされた。その一つが1918(大正7)年、満23歳の野枝が大杉栄が「職務執行妨害」で拘束され東京監獄に収監されたことに対し
て、時の内務大臣、後藤新平宛てに抗議して、その理由を糺すために面会を求めるために送ったという書簡、巻紙に墨書された書簡は
長さが4メートルだという。書中には、「あなたは一国の為政者でも私よりは弱い」「私は今年二十四になったんですから、あなたの
娘さんくらいの年でしょう?でもあなたよりは私の方がずっと強みをもっています。」〔後藤新平の長女、愛子は鶴見俊輔1922ー201、そ5
の母〕
4メートルもの長い書簡とは一体どのようなものだったのだろうと、読後思っていたのだが、なんと100年フェスティバルの会場に入った
所に、その書簡全部の複製が展示されていた。読めない文字もあったが、その書簡のすべてを目でおうことができた。思ってもみない出来
事だった。その書簡の全文を記した資料が配布資料として用意されていた。以下にその全文を記します。―――――
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前置きは省きます
私は一無政府主義者です
私はあなたをその最高の責任者として 今回大杉栄を拘禁された不法について、その理由を糺したいと思いました
それについての詳細な報告が、あなたの許に届いてはいることとは思いますが、よし届いているとしても、もし
あなたがそれをそのまま受け容れてお出でになるなrそれは大間違いです。
そしてもしそんなものを信じてお出でになるならそれは大間違いです。
そしてもしそんなものを信じてお出でになるなら、私はあなたを最も不聡明な為政者として覚えておきます。
そして、そんな為政者の前には私共は何処までも私共の持つ優越をお目に懸けずんば置きません。
しかし、とにかくあなたに糺すべき事だけは是非ただしたいとおもいます
それには是非お目に懸かってでなければなりません。
あなたは以前夫人には一切合わないと仰言ったことがあります。しかしそれは絶対に合わないというのではあり
ませんでしたね。つまらない口実はつけずに此度は是非お会いする「ことを希ます。お目に懸かっての話の内容は、
一、今回大杉拘禁の理由
一、日本堤署の申立と事実の相違、
一、日本堤署及び警視庁の声明した拘禁の理由の内容、及び日本堤署の最初の申立てとその矛盾について
一、警視庁の高等課の態度の卑劣、
一、大杉と同時に同理由で拘禁した他の三名を何のリ湯も云わず未監より放免したこと
まあそんなものです、まだ細々したことは沢山あります。おひまはとりませぬ。
ただし秘書官の代理は絶対に御免を蒙りたい。それほど、あなたにとっても軽々しい問題では決してないはずです。
しかし断っておきますが、私は大杉の放免を請求するものではありませぬ。また望んでもおりませぬ。彼自身もお
そらくそうに相違ありません。
彼は出そうといっても、あなた方の方側、何故に拘禁し、何故に放免するかを明かにしないうちには率直に出ます
まい。また出ない方がよろしいのです。
こんな場合には出来るだけ警察だの裁判所を手こずらせるのが、私たちの希う処なのです。
彼は出来るだけ強硬に事件に対するでしょう。私共も出来るだけ彼が、処刑を受けて出てからの未来を期待し
たいとおもいます。
彼は今、日本堤署によって冠せられた職務執行妨害という罪名によって受ける最大限度の処刑をでも兵器で予期
しているでしょう。
私はじめ、同誌のすべても同じ期待と覚悟をもって居ります。彼の健康も充分にもう回復しています、そして、
彼は大分前から獄内での遮断生活を欲していました。
彼をいい加減な拘禁状態におく事がどんなにいわゆる危険かを知らない政府者のバカを私たちは笑っています
よろこんでいます。
つまらない事から、本当にいい結果が来ました。
あなたはどうか知りません
警保局長、警視総監二人とも大杉に向かって口にされたほど、大杉の同志の人々が離れた事をよろこんでいられ
たそうです。しかし、いまこそ、それが本当は浅薄な表面だけの事にすぎなかった事が、わかったでしょう。
そして、私はこんな不法があるからこそ私どもによろこびが齎らされるとおもいます。
何卒大穗の拘禁の理由が出来るだけ誤魔化されんんことを。浅薄ならんことを。
そしてすべての事実が私共によって暴露されんことを。
此度のことは私共には本当に結構な事でした。
また、その不法がどのくらいまで私共には結構な事で、あなた方には困ったことかを聞かせて上げましょう。
あなたにとっては大事な警視庁の人たちが、どんなに卑怯なまねをしているか教えてあげましょう。
灯台下くらしの多くの事実を、あなた自身の足元のことを沢山知らせてお上げします。
二三日うちに、あなたの面会時間を見て行きます。私の名を御記憶下さい。
そしてあなたの秘書官やボーイの余計なおせっかいが私を怒らせないように気をつけて下さい。
しかし、会いたくなければ、そしてまたそんな困る話は聞きたくないとならば 会うのはおよしになるがよろしい。
その時はまた他の方法をとります。
私に会うことが、あなたの威厳を損ずる事でな以上、あなたがお会いにならないことは、その弱みを暴露します。
私には、それだけでも痛快です。
どっちにしても私の方が強いのですもの。
私の尾行巡査はあなたの門の前に震える。そしてあなたは私に会うのを恐れる。ちょっと皮肉ですね。
ねえ、私は今年二十四になったんですから、あなたの娘さんくらいの年でしょう?
でもあなたよりは私の方がずっと強みをもっています。
そうして少なくともその強みは或る場合にはあなたの体中の血を逆行さ、すくらいのことは出来ますよ、もっと手
強いことだって――
あなたは一国の為政者でも私よりは弱い。
『野枝さんをさがして 定本伊藤野枝全集 補遣・資料・解説』より
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後藤新平は関東大震災の翌日9月2日に再び内務大臣となり、きょがくの予算をあてて帝都復興に尽力します。
その復興の最中、大杉、野枝、橘宗一虐殺が群により隠蔽されたことを知り、「この虐殺は人道門だであると、
田中義一陸相に強く当たったと言われて」います(『伊藤野枝と代準介』矢野寛治、弦書房より)。➡配布資料より。
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