2021年4月27日火曜日

ある新聞記者の講演から 前川恒雄さんのこと No. 67

4月11日(日)のノートのメモから。  前日23時前に就寝したのだが、午前2時に起床。 「なんということだろう。1年前の今日、前川恒雄さんが亡くなった時間に目がさめた。 連日、トヨタの原稿を書いていて、前川さんのことをずっと書いているさなかのことだ。 今日で、ようやく前川さんのことを書き終えようという日、前川さんからの声だろうか」 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 「トヨタの原稿」について・・・。事の始まりは2年前のことだ。愛知県江南市の「江南あおむしの会」 から講演の依頼があった。私は、このような市民の会での運営の資金のきびしさをを知っているので、 もしできれば、複数の箇所でできれば交通費などを分担できますねと伝えたところ、なんと、愛知県で 4か所、岐阜県の多治見市とあわせて5か所での講演となった。その1つが豊田市の図書館を考える会で のお話だった。 そうして1年がたったある日、豊田の考える会の方から連絡があリ、講演録の冊子を作ろうとしたところ、 私の話の録音状態が悪く、テープ起こしが難しいため、5,6枚の原稿を送ってほしいとのことだった。 ーーーーーーーーーー 原稿では豊田市の図書館が直面している問題について書こうとして、すぐに気づいたのは、豊田市での 図書館の問題、課題は私が住んでいる糸島市でのそれとまったく同じであるという事だった。つまり 住民の身近に図書館がないため、図書館を利用できない多くの市民がいること、また、市民が「だれでも」 「どこに住んでいても」(どこでも)利用できる図書館づくりに向けて、市の取り組みがされていないこと。 これは、とても根の深い問題で簡単には答えられない問題であるけれど、この機会に、この問題をできる限り、 豊田のみなさんと考えてみよう、との思いが私の中にうまれ、結果として添付資料を加えて、50枚をこえる 原稿となってしまったのです。長い時間がかかってしまった。 ーーーーーーー その原稿の書き始めに、私は前川さんが石井敦さんと書いた2冊の本の「まえがき」をそのまま、書き写して、 「まえがき」をあらためて読むことから、つまり、前川さんのご本から原稿を書きだしていたのだった。 1冊は『図書館の発見 市民の新しい権利』日本放送出版協会 昭和48(1973)年10月20日、もう1冊は 『新版 図書館の発見』日本放送出版協会 2006(平成18)年1月30日。2冊目は石井敦氏の健康上の理由 から、旧版『図書館の発見』をもとに、2人が打ち合わせをかさね、前川さんが執筆したものだ。 ーーーーー 私は前川さんのご本に誘われて、私自身の「図書館の発見」を探るとともに、その生涯の足跡が、そのまま 日本での図書館の新しい道を切り開く歴史であった前川さんのたどった道を、歩きなおしていたのだと、 今にして思う。前川さんの行く手に、大きな壁のたちふさがる場面場面、その時空に私自身がそこにいるか のように、原稿に向かう中で、前川さん、そして前川さんを巡る人たちと時を共にしてきたように思う。 この原稿を書き終えてから、前川恒雄さんが亡くなった。(2020年4月11日午前2時、神戸東灘区の病院。89歳。) ーーーーーーーーー この原稿(その内容・分量)では、考える会で考えている冊子には収録はできまない。驚いたのは考える会の 有志の方が、2日間にわたって、この長い原稿を読み、話す集まりをもたれ、参加したお一人おひとりが私に 感想の手紙を書いて送ってくださったことだ。ほんとうに驚いてしまった。深い感動とともに。 それで、冊子のための原稿をあらためて書くことになった。また、それを書き始めるまでにいろいろな経緯があり、 今度の原稿はインタビュー形式ですることにし、豊田市の学校図書館で働いている竹内さんが聞き手になってく ださった。 ーーーーー そして2つ目の原稿をインタビューの形で書き始めてほどなく、私は前川さんのさいごの書を手にした。 昨年の暮れ、2020年12月に刊行された『未来の図書館のため』、なんと出版社は「夏葉社」だ。私が読むことが できたのは年が明けてからだった。この本は、前川さんにゆかりのある3人の人が、前川さんに自伝を書いてほし いと願い、前川さんの話を録音し、テープ起こししたものに、前川さんが手をいれて生まれたものだ。 前川さんの長女、前川文さんの「あとがき」によれば3人の自費出版による出版のようだ。あとでわかったこと だが、そのため700部の出版で、夏葉社では早々と品切れ、増刷の予定はないという。 ーーーーー 『未来の図書館のために』は、2回目の原稿に取りかかっていた私に、「見るべきものを見て」からインタビューに 臨みなさい、というどこからかの声であったように思う。インタビューの中の私の言葉。 「こんど、新しく出版された自伝を読んで改めて思ったことは、前川さんの足跡をたどることは、戦後の日本の図 書館の歴史を振り返ることで、読者がそれぞれの歴史的ともいえる現場に自分の身をおいて、歴史的な時空をとも にすることであると思いました。 そしてそれは現在、私たちが直面している問題がどういうことであり、それに対してどのように対するか、市民の 誰もが利用できる図書館のあり方を考えている私たちにとって、実に大きな示唆やヒントを手にすることにつなが ることだと思いました。 ーーーーー それで、ここでは、前川さんの歩みを、竹内さんはじめ、豊田のみなさんとたどってみるということを強く意識し ながら、私の原稿の内容の一端をお話できればと思っています。そのことが「図書館の発見」とはどういうことか につながるのではと思ったのです。 もし前川さんの本をまだ読んでいない方がおられましたら、多くの著書の中からまず『移動図書館ひまわり号』を お勧めしたいと思います。この本は1988年に筑摩書房から出版されましたが絶版になり、2016年に、1冊1冊心をこ めて出版している夏葉社から復刊されています。以後のお話では、そのことを体感させられるエピソードをできる だけ紹介しながらお話したいと思います。」 ーーー 思わず知らず、2回目の原稿も長くなるだろうことを語っている。 実際、インタビューを続ける中で、この際、私の中にあるものを、考え考えしながら、ひとまず語りきってみよう、 そんな思いが生まれていたのだった。 こうして、2回目の原稿は最終の所にさしかかかったところだが、ページ数は、すでに50ページを超えていて、 冊子の原稿としては不適なものとなり、それでも、この不適な原稿を最後まで書きあげたうえで、3回目、ほんと うに最後の原稿にとりかかろうと考えている。もちろん、時間のことをふまえて、豊田の方たちのお許しがいただ ければのことであるが。 ーーーーー そんなさなか、かつて滋賀県の能登川町で、「こんな人が新聞記者でいるのか」という人に出会う機会を授かったの だが、その毎日新聞の塩田敏夫さんが、滋賀県の社会教育委員の会議で講演された時の講演概要を見つけた。 前川さんのことに触れておられるので、以下に紹介しておきたい。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 平成18年度 第2回滋賀県社会教育委員会議での講演概要 www.nionet.jp › lldivision › shakaikyouikuiin 平成18年度 第2回滋賀県社会教育委員会議での講演概要 日時:平成19年3月15日(木) 場所:滋賀県農業教育情報センター 演題: 湖国のめざすべき図書館について」 講師:毎日新聞大阪本社総合事業局企画開発部長(前・大津支局長)塩田敏夫 氏 講演の概要 ーーーーー 今日、私がこの場に立っていることに運命的なものを感じています。ほんの数日前、県立図書館 長の前川恒雄さんから手紙をいただいたからです。私は図書館について話すことなどお知らせして いませんでした。手紙には、前川さんの著書「図書館員を志す人へ」の復刻版が同封されていまし た。第5版です。1984年秋、長崎の純心女子短大での講演をまとめたものですが、前川さんの 図書館づくりにかける思い 図書館が文化の基底をつくるという思いが見事に表現されていました 。 今、図書館立県といわれてきた滋賀県が大きな曲がり角を迎えています。前川さんが命がけで手渡 してくれた精神のバトンをどう受け継いでいくかが問われています。前川さんが私の背中をポンと 押してこの場に立たせてくれていると感じています。ここで、もう一度原点に帰って、図書館とは 何か、滋賀県の図書館のめざすものは何かについて議論してほしいを願って今日はやってまいりま した。 ーーー 皆さんはご存知だとは思いますが、前川さんが1980年に県立図書館長に就任されたことが滋 賀県での図書館の歴史の扉を開くこととなりました。前川さんは東京都日野市でたった一台の移動 図書館からスタートし、次々と分館を作り、最後に本館を完成させました 「地域の人から求めら 。 れる資料を、どんなことをしてでも100%手に入れて提供する」という固い信念を抱いておられ ました。100年間停滞したといわれた図書館の歴史を切り開きました。その前川さんが30年近 く前、当時は図書館がわずか数館しかない全国的にも遅れた県であった滋賀県にやって来たという ことから、滋賀県の図書館物語が始まったのです。当時の知事の武村正義さんが図書館で文化を築 こうと決断し、東京から前川さんを招いたことが本当に大きかったと思います。市や町が図書館を つくりやすいよう人の手当てと財政的な支援をする仕組みをつくったのです。 ーーー 前川さんは理想に燃える図書館長を全国からどんどん引っ張ってこられました。やはり、人なん ですね。そして、予算。準備室開設段階から館長が就任するのが滋賀の特徴です。それこそ、北海 道から九州までさまざまが人材が集まってきました。そうした図書館長がそれぞれの地域で住民と 一体となった実践を重ねてきました。そういう歴史が滋賀県にはあることを私は滋賀県に移り住む まで知りませんでした。今では、滋賀県は県民一人当たりの図書貸し出し数が全国1になるなど全 国有数の「図書館立県」なっていますが、先ほど申し上げたように今や大変な状況になっていると 言わざるをえません。せっかく蒔いた種が芽吹き、根を下ろそうとしているのに本当にもったいな いことだと思います。 ーーー ずばり言いますと やはり 人と予算 それをきっちりしなければ前に進めない状況にあります 、、 、 。 自治体としての滋賀県は非常に厳しい財政状況にあります。しかし、こういう時だからこそ文化を 育てる図書館を、命を育てる図書館を、逆に増やさなければならないと思います。そのぐらいの覚 悟で、図書館のことを大事にしなければ、今まで30年間近く築き上げてきたものをだめにしてし まう。財政難を理由に、県立図書館は生命線の図書購入費をここ何年も1000万円単位で削減さ れています。県内のある小さな自治体では今まで年間1000万円近くあった図書購入費が100 万円確保できるかどうかというところまで追い込まれています。財政難のこういう時こそ、県が、 県教委が、それぞれの教育委員会が、県立図書館が、きっちりスクラムを組んで、県民一人ひとり を大事にし、命を大切にするために財政状態の厳しいところをきちんとフォローするという仕組み を新たに創る必要があるのではないでしょうか。このような時代だからこそ、図書館政策をきっち り見直す必要があります そうしなければだめになると思います それだけは申し上げておきます 。 。。-2- 全国から理想に燃えて集まってきた図書館長たちがこの春、定年退職します。この数年、毎年人 が変わろうとしている。そういう人の面でも、今、非常に大事な時です。精神のバトンをどうつな いでいくのかが大きな課題です。 ーーー 滋賀県でも市町村合併がどんどん進んできています。数字的には、滋賀県の図書館はトップクラ スで、いい数字を出していると思いますが、実際の中身を見極める必要があります。能登川図書館 の才津原哲弘館長からお聞きした話ですが、中学校区内の歩いて行ける範囲に図書館が必要だとい うんです。つまり、本当に必要な人に本当にきちんと本が届き、本や資料が身近な図書館にないと だめだと。その理想に向かい、50年後、100年後を見据えた図書館政策が今こそ求められてい ると思います。知事が代わってくらいで根本が変わってはならないのです。図書館作りは地域をど うつくっていくか、この国の形をどうするかにも深くかかわってくるテーマだと思います。住民自 治、民主主義の原点を考えるうえでも大切です。人は地域で生まれ、死んでいきます。素晴らしい 図書館が身近にあったらどんなにすてきなことか 子育てなど人が生きていくことに深くかかわり 。 、 住んでよかったねと言える町づくりにもつながっていくと思います。 ーーー 今、勝ち組、負け組という言葉が当たり前のように使われ、強い者、金を持っているものが何を してもいいという風潮があります。年間の自殺者が3万人を超えていることが象徴的に示している ように思います 今 大学教育を見てもグローバル化の中で競争に勝ち抜くための教育が優先され、 。 、 生きるための教養、いのちを大切にしようという基本が置き去りにされているように思えてなりま せん。そうした中で 「自殺したくなったら、図書館へ行こう」という言葉がこの滋賀県の能登川 、 図書館からから生まれました。私はそのことの意味を深くかみしたいと思います。人はそれぞれに 深い悩み、苦しみを抱きながら生きています。それでもなんとか生きていきたい。そんな願いを持 って図書館に足を運ぶ。才津原さんは図書館はそうした生死にかかわるところで懸命に生きようと している人にこそ向かい合う場ではないかと考え、いのちといのちが響きあう図書館づくりを目指 して地道な実践を重ねてきました。 ーーー 私自身も競争社会の中で生きてきましたし、心がスカスカになった時に出会ったのが図書館でし た。能登川図書館だったのです。その図書館で私自身の心が本当に癒されたというのが実感なんで す。今でも休日には通っていますが、だんだんと図書館のすごさがわかってきました。ひとつには 選書のすごさです。書棚の前に立つと、心からうきうきしてくるのです。次々と興味ある本を取り 出したくなるのです。本の選び方、並べ方まで職員の愛情を感じることができるのです 「ありが 。 とう という言葉が自然に口に出てくる場に出会えて本当に幸せだと思います 能登川図書館では 」、 心に病を得た人が「やっと居場所が見つかった」という人と出会うことができました。ある若い女 性はこの図書館と出会い、図書館司書を目指して実際に4月から滋賀県の図書館で働き始めます。 次々といのちの物語が生まれているのを実感しています。 繰り返しになりますが 今 滋賀県の図書館は大きな曲がり角を迎えています 豊かさとは何か 、 命を大切にすることとは何かを深く考えたいと思います。その意味でも図書館をこれからどうして いくのかは本当に大切なテーマだと考えています。 講演:「湖国のめざすべき図書館について」毎日新聞大阪本社(前・大津支局長)塩田敏夫 塩田さんの講演は平成19(2007)年3月15日、この月の月末で私は、開館準備(2年6カ月)を含め、 1995(平成7)年4月から12年間過ごした能登川を離れ福岡県に移り住むことになる。 このときの塩田さんの講演を聞いてのことだったのだろうか、ある日滋賀県の教育長が能登川の図書館 に一人で来館されたことがあったのを思いだす。塩田さんに能登川の図書館のことを聞いて、やってこ られたということであったと思う。塩田さんのコトバの力によるものだった。 --------------------------------------------------------------------------------- この項つづく

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