前々回、「ピースウォーク京都」が出版した『中村哲さん講演録 平和の井戸を掘る アフガニスタンからの報告』(2002.2 以下、『講演録』という)について記したが、いくつかのことを追記しておきたい。講演録を再読して、いくつもの驚きがあった。本の作り方にあらためて、目をみはった。
前回は2001年12月9日、京都ノートルダム女子大学ユニソン会館で行われた中村哲さんの講演の内容などを紹介したが、『講演録』全体の構成がどんなものか、目次を見ていただきたい。
目次
はじめに
講演録
Ⅰ アフガニスタンというところ
Ⅱ ペシャワール会の歩み
Ⅲ 旱魃と空爆
Ⅳ 質疑応答
参加者の声
資料編
年表
「アフガンいのちの基金」報告
「緑の大地」計画
中村哲氏 著作紹介
中村哲氏 略歴
ピースウォーク京都の井戸端会議
ペシャワール会連絡先
質疑応答について
2003年、京都で初めて中村さんの講演をお聞きしたとき(論楽社とノートルダム女子大学)、深い感銘をうけたのは、講演はもとよりのことであるが、講演に続いて行われた質疑応答でのやりとりだった。中村さんの講演でも、随所に深いユーモアを感じ、思わず笑いと共に耳を傾けていたが、質疑応答の場では、会場からたびたび笑い声がきかれた。厳しいお話の内容であるにも関わらず。このようにユーモアを体現した人に私は、その時初めてお会いしていたのだと、今にして思う。
翌年の5月1日、琵琶湖の畔の町、能登川で開いた宮澤賢治学会の地方セミナーでの中村さんの対談者である井上ひさしさんは、その作品や生き方のなかで、とりわけ大切にされたのが、笑いとユーモアであったと思う。(「ひょっこりひょうたん島」・・・)そのお2人の講演と対談であったから、参加された人にとっては、心に刻まれる時空を笑いとともに手渡された場であったように思う。
その後、私が図書館を退職してからは、福岡市の西南大学や京都市のノートルダム女子大学での現地報告会、そして最後の場となってしまった昨年の糸島市での講演会などで
中村さんのお話をきく時を授かったが、いずれの時も、参加者一人ひとりの心をひらくかに思われる笑いがそこに生れていた。そして、どのような質問にも、質問した人にだけではなく、その場にいる一人ひとりの心の奥ふかくに届く言葉が語られていたことを、あらためて思い返す。
『講演録』での「質疑応答」から (2001年12月9日)
質問1 〈活動の源は〉
ただいまの講演を聞きまして、本当に感銘をうけました。私のような凡人からしますと、中村先生は、ただただ、どえらいことをやっているとしか思えません。今の日本の社会では、普通、医学部を出てお医者さんになれば気楽な生活ができるわけですが、そんな立場にありながら、アフガニスタンという気候的にも政治的のも生活のうえでも、非常に厳しいところにおいでになって、一七年以上にもわたって頑張ってこられている。いったい、その源は何なのでしょう?新年とか、信仰とか、人間に対する愛着とか、ご自身のうちで何か核になるようなものがおありなんでしょうか?
中村 〈三無主義・「縁(えにし)」について〉
わかりやすい話としては、中村哲という立派な聖人がいて固い信念を貫き通す、それにみんなが共鳴して仕事が盛り上がっていく――こんなところでしょうが、実際には、そう簡単な図式で割り切れるようなものではありません。何かをしようと思って、そのとおりに事が運ぶというのは、実はほとんどなくて、現実には、逆に、何かをしたくなくてもやらざるをえないという倍のほうが圧倒的に多いのです。私も、最初に現地に行ったのは、山登り屋としてでありました。山岳隊員としてパキスタンに逝って、その後、ふとした縁(えん)から医師としての赴任を依頼されて参ったというのが実態であります。
残念ながら、私にこれといった信念はございません(笑)。何かあるとすれば、それは、医療関係者のはしくれとして、命を大切にするということだけです。ちなみに、私の主義を申しますと――、三無主義、すなわち、無思想、無節操、無駄というものであります(笑)。
無思想というのは、我(が)を通すために特定の考えや思想に執着しないということ。
募金にしても、右翼から左翼まで、宗教も仏教、キリスト教、イスラム教、その他、いかなる宗派も問わず、いろいろな方からいただきます。これが無節操でありまして、要するに、だれからでも募金をいただくということであります(笑)。
(略)
貧しい人に愛の手を、といった惨(みじ)めったらしい募金だけはするまい、しかし、くださるという方ならだれからでも、たとえ乞食からでも、お金をいただく――これが無節操の姿勢です。
三つ目の無駄というのは、試行錯誤(しこうさくご)を恐れないということです。これまで、いろいろな大きな国際機関の活動を見てまいりましたが、ああいう機関は、現実に失敗しているのに、なかなかそれを失敗だと認めることができないんですね。面子(めんつ)を立てる、そのために失敗を飾ってしまう。しまった、これは失敗だ、次はこうしようということが素直に言えない。そのために、嘘に嘘を重ねていくということが日常化してしまっている。
私たちの場合は、過(あやま)ちは積極的に過ちとして認めて、うろうろと試行錯誤を繰り返しながら何かをやっていこう――これを常に意識において、実際の活動に取り組んでおります。
私がなぜああいう場所に行ったのかというと、これは出会いの連続でありまして、縁(えん)によって結ばれたとしか言いようがありません。
(略)
私たちがアフガニスタン、パキスタンという異国で仕事をしていることに対して、日本にも困っている場所はいくらでもある、離島があり、お年寄りの医療の問題もある、それなのになぜ外国なのか、といった質問もむけられますが、結局のところは、何kがあるから何かをする、どこかに行く、といった、論理的な話ではないのですね。要するに、私たちは、えにし、縁によって、現在、アフガニスタン、パキスタンとかかわりを持っている――そういうことです。これにあと、しいて言うならば、三無主義と命を大切にするという一致点が加わって、現地と日本が心を合わせて仕事をしているということになryでしょうか。
まあ、こういう話はだんだん宗教じみてきますから(笑)、このあたりにしておきたいと思います。
質問6 〈マスコミの報道について〉
先日のニュースで、ブッシュ大統領が「アフガニスタンを解放する戦いは終った」というふうに言っていました。現在は、他民族が参加する新しい政権を作るということで、マスコミでは、もうすべてが解決したという報道も一部にはあって、正直なところ、何が正しいのかよくわからないというのが実感です。こういったことについて、中村先生はどんなふうに感じておられるのか、お聞かせいただけますか?
中村
報道の問題については、私も言いたいことがたくさんあります。まず、現地から帰ってきて驚いたのは、日本の新聞やテレビの報道は実状と全然違う。日本じゅうが一種の報道管制のもとにあるような気がいたしまして、まあ、これが原因か結果なのかは別として、とにかく、日本では間違ったイメージの中でアフガニスタンがとらえられているということは間違いないと言っていいように思います。たとえば、今おっしゃった「解放が終わった」にしても、正しくは「一つの破壊が終わった」と言うべきでしょう。さらに言いたいのは、現地の住民たちの声はもとより、現地に行っている国連職員の声なども日本にはほとんど伝えられていないことです。
(略)
情報社会成るものについてもう少し言っておきますと、嘘八百を含めて、これだけいろいろな情報に囲まれている中では、意図的に時運の目で見ようという意識をもっていないと、何か巨大なフィクションのうちに流されていってしまうという気がしてなりません。
タリバンが居なくなったために、すべてがよくなったという印象を持つのは、明らかな錯覚です。
(略)
質問7 〈アフガニスタンの一般の人たちは、情報をどのように得、どのようにうけとめているか。”民族対立”について。〉
今のお話とも少し関連しますが、アフガニスタンの山奥や難民キャンプにいる一般の人たちは、アフガニスタンの情勢やアメリカの空爆、タリバンやアルカイダといったことに関して、どのように情報を得ているんでしょうか?そして、どんなふうに受けとめているんでしょうか?それともう一つ、パシュトゥーンー勢力であるとか、何々勢力であるという話をよく聞きますけれど、民族対立は市民レベルでも存在しているんでしょうか?
中村
これは非常にいい質問だと思います。西側先進国の報道では、「ひとにいぎりの圧政者タリバンと、何もしらされていない一般民衆」という形で、タリバンの圧政が続いてきたという観念がいつのまにか定着するに至っておりますけれども、これは真っ赤ないつわりで、一般の民衆レベルでも、西側の情報はかなり正確に把握されていたというのが実態であります。
と言いますのも、人々が最も頼りにしていたのはBBCのニュースですが、これはどんな山奥に行っても、みんな聞いている。みな、ニュースだけは一生懸命、聞いているんですね。ある意味で、それは娯楽の一つであったわけです。で、彼らが聞いていたのは、パシュトゥー語やそのほかの現地の言葉によるBBCのニュースです。国営放送で流されるニュースのほうは、普通、一般の人々は信用していない。
私自身、空爆はもちろん、ニューヨークのテロ事件も、アフガニスタンからペシャワールにかかってきた電話でしったというのが事実でした。アフガニスタンの人々は、自分たちにかかわる出来事ですから、日々、肌身で感じつつ、事態については熟知していたであろうと思います。おそらく、世界じゅうで最も公平な判断ができる立場にあったのは、アフガニスタンの民衆そのものではなかったか――私はそんなふうに感じております。
(略)
もう一つのご質問、民族対立についてでありますけれども、これも外側から意図的に持ちこまれた部分がかなりあります。(略)
そもそも、厳密に言うと、アフガニスタンの内部の対立は、部族対立であって、民族対立ではなかったのです。(略)
これは一見、些末(さまつ)な言葉上の問題であるというふうに思われるかもしれませんが、現実には、「民族対立」という外側からの規定は、きわめて危険な事態を招く可能性をはらんでいます。繰り返しますと、アフガニスタンの人々のあいだで、自分はアフガン人であるという同一性の意識は相当に確固としたものとしt確立されておりました。しかし、それが今は逆に、外国からの武力援助によって、それまで眠っていた民族的な対立を目ざめさせてしまうような、そうした趨勢(すうせい)に火をつけるような形で物事が進んでいくかもしれないという可能性が出てきた。
最悪のシナリオの一つとしては、第二のユーゴスラヴィア化が起こるかもしれないということも考えられます。タジク人――厳密にはタジク系のアフガン人であるわけですが――
タジキスタン、ロシアが武力援助する。ハザラ人をイランが武力援助する。そうなれば、民族主義に火がつくのは明らかで、結果、アフガニスタンは第二のユーゴスラヴィアと化してしまうかもしれません。これは今、私が大いに恐れていることであります。
質問9 〈日本の参戦について〉
日本の参戦に関して、おうかがいしたいと思います。おおかたの新聞やテレビなどの報道機関は、今回のアフガニスタンへの空爆を、正義の戦争だと言っています。結局はこのことで日本の参戦も可能になったと思うのですが、日本がアメリカのアフガニスタンに対する軍事行動を後方支援という形で支えるようになった結果、アフガニスタンの人にとって、日本というのは、自分たちの国を爆撃しているアメリカを支援している国という位置づけになったわけですね。そんな中で、中村さんたちの活動も、ずいぶん困難なものになるのではないかと思うのですが、そのあたりはいかがでしょうか。
私自身は、今日のお話をうかがって、アフガニスタンの人たちを支え、中村さんの活動を支えていくには、日本の参戦をストップさせること、そのための私たち市民の運動をできるだけ大きく広げていくことだと、改めて思いました。
中村
対日感情の変化という点では、日本政府が日米同盟を誇示(こじ)したこと、つまり、アメリカの武力行使を支援するという姿勢を明示したことによって、今後、急速に悪化していくであろうことは、当然、予測されるところです。実際、私たちも従来は安全保障のために日の丸をつけて活動していたのですが、それをはずさなければならないという事態が
すでに起こり始めています。
日本は、これまで少なくともイスラム世界においては友好的な感情を持たれていたのが、今回の軍事支援の結果、米国とともに、本来的ではない人々、友人である人々を敵にまわすという事態になってしまったということです。たとえば、今後、沖縄や岩国や横須賀といった米軍基地のあるところがねらわれる可能性も充分あるわけですから、今回の参戦によって、日本は不必要な敵を米国と共有することになってしまった――そういうことが言えると思います。
だいたいですね、一国の軍隊を動かすのに、たいした議論もせずに、まるでゲーム感覚で
やってしまうということ自体、国の将来を考えない国賊であると、私は言いたい(拍手)。これはきわめて重要なことでありまして、自衛隊というのは軍隊であります。ひとつの国が、自国の軍隊を出動させるというのは、参戦行為以外の何ものでもなくて、これは日本人がどう考えようが、内閣がどう言おうが、言いわけのできることではない。日本がアフガニスタンに対して参戦したというのは、動かしようのない事実であって、その尻ぬぐいは、今の内閣にやってもらいたい――そう私は思っております(拍手)。
質問9
私は環境NGOのスタッフをしております。全国で募金活動も行なっていて、まもなく
現地にも行く予定なのですが、しかし、1トンの食糧を援助しても、私たち日本人自身が100トンの食べ物を輸入しているという事実を考えると、自分の中でも大きな迷いが生まれてきます。現地に行ってボランティアをするだけでなく、ほかにも何かできるのではないか。何よりも、日本の人たちに関心をもってもらうには何をしていけばいいのか。そいったことをずっと考えているのですが、中村さんの考えをお聞かせください。
中村実際には、現地に行けない人がほとんどなわけでして、今、日本にいてできることは何かというのが、多くの人の悩みであり疑問であろうかと思います。そこで、まず私が申しあげたいのは、これだけのあふれかえる情報の中で、何が大切なのか、何が本当なのかということに対する目をとぎ澄(す)ましていくこと、これが大事ではないかということです。一見、関係のないことのように思われるkもしれませんが、よく考えると、これが基本であることがおわかりいただけると思います。(略)
これからは、新聞やテレビなどのメディア、特に国営放送的な報道機関の言うことをそのまま信じないように(笑)ということを、まず前提として考えてください。
どいう目で見るかという視点をしっかりと定めて、ただ疑いを差しはさんで文句を言うだけではなくて、積極的に真実を知ろうという姿勢で対応していく。そのうえで、自分にできることを自分で見つけていく。それ以外にはないだろうと思います。
医者は医者のできることをする。。みんなのあいだで問題提起する。お母さんは子供たちとそいうことを話し合う。学校のせんせいならば、そういうことをテーマにして生徒たちと積極的に問題意識を共有していく。やり方はいくらでも考えられます。
要は、それぞれの人が自分の置かれた立場によってできることをやっていくということですが、ただし、その前提として、何が本当なのかという、いい意味での疑いの眼差しをもってさまざまな情報に接するということを忘れないよう、そして、そのうえで、これだけは失ってはいけないものについて考えていくことです。
「これだけは失ってはいけないもの」というのは、最も基本的なところで、さまざまな人間が一致してやっていくことができるという点、すなわち、命を大切にするということであります。この命は人間だけにとどまりません。私たちは、大きな自然という環境の中でつつましく生きてく一つの生物であるというところから、動物も植物も、生きているもの全ての命を大切にする。この視点において、私たちは一致できるのではないか。
飢饉(ききん)の問題にしてもそうです。100万人の人が死ぬというのは、これはもうたいへんなことでありまして、わが子が死んでいくのに心を痛めないお母さんはいません。そういうおかあさんが100万人もいることに、私たちは人間として一致する点を見出すことができるはずです。
このように、人間としての一致点を見つけていくという視点で情報の真偽を見きわめ、そして自分のお有れた立場でできることを考える。そうであれば、ペシャワールの乞食のように金をだすもよし、自分が納得できる団体に募金するもよし、さまざまな活動に参加するもよし――と思います。
【了】
『講演録』での講演や質疑応答で語られた中村さんの言葉は、19年前のものであるが、2020年4月の今、目前で語っておられるのではないかとも思われる。
中村さんの講演を聞いたことのない人に、講演の後に必ず行われていた、「質疑応答」の場がどんなものであったかを、その一端でもお伝えしたいと思い、そのいくつかを紹介した。「講演」と、その後の、一人ひとりの問いかけに、まっすぐ向きあって応える中村さんの「質疑応答」の面白さ、奥深さを伝える本は、他にもあると思われるが、ここでは、手元にある1冊を紹介しておきたい。
【『医者よ、信念はいらない まずいのちを救え! アフガニスタンで「井戸を掘る」 医者 中村 哲』中村哲 羊土社2003年10月】
なお、『講演録』については、その本の「作り方」などについては、稿をあらためて触れたい。〈この稿つづく〉
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