図書館の風
2007年から糸島に移り住み、思いを同じくする人たちと「としょかんのたね・二丈」を始め、志摩地区の「みんなの図書館つくろう会」、二丈深江地区の「糸島くらしと図書館」の人たちと共に、糸島のより良い図書館づくりを目指して活動してきた。「糸島の図書館は今、どうなっているのか」、糸島図書館事情を発信し、市民と共に育つ糸島市の図書館を考えていきたい。糸島市の図書館のあり方と深く関わる、隣接する福岡市や県内外の図書館についても共に考えていきます。
2025年8月5日火曜日
直前のお知らせ 2つ No.141
2つのお知らせです。
1.今日8月5日、NHKーEテレで21時から22時まで、「あしたは8月6日じゃけぇね 広島原爆の日 前夜に
平和を考える」▽あーちゃんHIPPYがみんなの声を紹介」という番組があります。私のただ一人の叔母、
波田スエ子が広島で8歳の時に被爆し家族のすべてを失っていますが、NHKから取材を受けていて、番組の
中でその一部が放映されると知らされました。
2.糸島市志摩にお住いの水口瞳さんの呼びかけで、8月5日(火)から8月8日まで、「へいわって、どんなこと?
演じてみよう紙芝居」の上演があります。私は6日(水)の12時から13時の時間に参加しています。
会場は伊都文化会館の多目的ホールです。
○
2025年7月31日木曜日
新木安利さんの『松下竜一の青春』、うれしい書評 No.140
その書評のことは忘れていた。これから1年をめどに資料など諸々の片づけをと
考えていて、ようやくとりかかり始めていたら、ファイルにはさんだ一枚のコピーが
でてきた。新木さんの『松下竜一の青春』についての書評、雑誌からのコピーだった。
その書評を紹介したい。
それは『通販生活』No.237、出版は2009年11月で6年前のものだった。見出しをのぞく
本文は870字(15字×29行×2段)で、これはこの雑誌の1頁の5分の2、このあとに、2段の分量
で2冊の本の書評、そしてさいごの1段にその2冊の本の表紙の画像と書評を書いた鈴木耕氏の
プロフィールが記されている。
この頁の上段に横書きで、「本のページ 地方出版はお宝の山 最終回」とあり、本文
は縦書き、まず、その大文字の見出しから
松下竜一の生き方を、
理に走らず情に流されず、
静かに優しく辿った評伝。
解説 鈴木耕(編集者)
(以下本文より)
断言するけれど、この『松下竜一の青春』は評伝文学の傑作である。このような力と才能を持った
著者が、地方に隠れているなんて驚くしかない。私が松下竜一の古くからのファンである、という
バイアスがかかっているとしても、これほど著者と対象人物が渾然一体となって、優しくも切ない
文章に昇華されている評伝は、他に類をみない。
松下竜一は、大分県中津市に生まれその地で生涯を終えた作家である。『豆腐屋の四季』でデビュー
し、その後『風成の女たち』『五分の虫、一寸の魂』『砦に拠る』『ルイズ―父に貰いし名は』『狼
煙を見よ』などの名著を世に問い、同時に反原発、冤罪救援、憲法擁護など幅広い市民運動を展開し
た、堂々たる反骨の人であった。
著者の新木安利氏は、松下が立ち上げた『草の根通信』の手助けなどで松下の謦咳(けいがい)に接
し、その人柄に魅せられ、松下の死(2004年、67歳)まで彼の伴走をすることとなる。
新木氏は、松下のすべての著作を、どんな小さなものも見逃すことなく、それも同じものを繰り返し
読み込んでいる。その上で松下の思想の根源に迫る。白眉は「暗闇の思想」と「濫訴の幣」である。
「ランソのヘイ」とは何か。民がみだりに訴えあっては社会秩序が乱れるし、庶民が法律になじんで
は支配がうまくいかなくなる。ゆえに”みだりに訴えを起こしてはならぬ”という権力側の言葉であ
る。
松下はこれを逆手にとる。「ランソの兵」と読み替え、権力も大企業も訴えて訴えぬくことによって、
新しい庶民の世が到来すると看破した。こんな松下の生き方を、理に走らず情に流されず、著者は淡
々と静かに、しかも優しく辿っていく。
この本の特徴は、著者の文章が見事に美しいことである。対象に寄り添いすぎれば文章は甘くなり、
筆は曲がる。地方の文筆家にありがちな郷里を吹聴したいがための誇張や歪曲もない。著者は一人の
同郷人のまことに稀有な生き方を、とても静かな筆致で甦らせた。私は自分の本棚を漁って、もう一
度松下の著作を読み返してみようと思った。
(もう2冊の書評)
もう一人、稀有な生き方をした人物の本を紹介しよう。トルストイの翻訳者、研究者として有名な
ロシア文学者の北御門(きたみかど)二郎の著書『ある徴兵拒否者の歩み』である。本書は83年に刊行
されたものだが、99年に復刊された。その新版のまえがき「若い人へ」にこうある。
〈もう、今から六十年前になります。すぐる太平洋戦争の折、国をあげて戦争に熱するさなか、私はや
むにやまれぬ気持ちで戦争を「否(いや)」といい、「人を殺すくらいなら殺されるほうを選ぼう」と
徴兵を拒否しました。トルストイにめぐり逢ってのことです。きっと軍法会議にかけられて、銃殺刑か
しばり首になろうと死を覚悟していた私は、幸か不幸か、狂人として扱われ、生き長らえました。〉
狂人でなければ生きられなかった時代。時代が狂気に満ちていた時代ゆえに、正気の人は狂人として扱
われた。それが戦争というものの本質だったのだろう。
本著は戦前戦中篇と戦後篇に分かれているが、ひたすらにトルストイに寄り添い、反戦と非暴力を唱え
続け、それを自らの生き方として貫いた生涯は、まさに文学者としての凄まじい魂である。04年、91歳
で世を去った。
最後は、無名の人々の切ない眩きである。『手紙が語る戦争』は、どこにでもいた庶民たちがひそやか
に綴り、家族や恋人たちに送った手紙を集めたものだ。「女性の日記から学ぶ会」の活動の中で見出さ
れた手紙を、「家族のきずな」「兵士たちからの手紙」「遺書」の三章にまとめたもの。
ここには抵抗の叫びも、厭戦の想いも綴られていない。しかしそれだからこそ、普通の人々の心の奥が
垣間見える。書いた本人の若い写真が哀しい。父母へ送った疎開児童の幼い文字が痛ましい。叫びはな
いけれど、戦争への怒りが静かにこみ上げてくる。
●さて、この連載は次号からの誌面刷新のため、今回で終了です。志を探す旅でした。またいつかどこ
かでお会いしましょう。では・・・。
鈴木耕
1945年秋田県生まれ。1970年早稲田大学文学部文芸科卒業、出版社に入社。芸能誌、青年誌などを経て、
若者向け週刊誌の編集長、新書編集部部長などを務める。2005年ボランティア・スタッフとして、ウェ
ブマガジン「マガジン9条」の立ち上げに参加。2006年出版社を退社。現在、フリー編集者&ライター。
「マガジン9条」の活動を手伝う(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです。
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鈴木氏は短い字数のなかで、『松下竜一の青春』の核心を伝えている。
本文(287頁)は、1 青春、2 作家宣言、3 環境権、4 いのちきの思想、の4節からなり、これに続いて
「付録」(新木さんが「草の根通信」に投稿した3編1⃣松下さんが倒れた、2⃣正岡子規と松下さん、
3⃣松下さんに感謝、及び「死は涼しい」(『勁き草の根 松下竜一追悼文集』より)が掲載されている。
そして「あとがき」では、1⃣松下さんと僕、2⃣『図録 松下竜一その仕事』所収年譜のこと 松下竜一年譜
作りに携わって、3⃣『松下竜一の青春』について、4⃣「草の根通信」総目次について【この大変な労作につ
いては、図書館でリクエストをして手にした。鳥取県立図書館からのものだった)
そして、最後の最後に「松下竜一とその時代【年譜】がある。新木さんの松下竜一への想いの深さ、持続的
な取り組みに心打たれる。
なによりも『松下竜一の青春』の面白さに。他日、小さな感想を記したい。
2025年7月5日土曜日
「沖縄・ヒロシマ・長崎から」―出前の本の話・7月7日 No.139
7月と8月、ノドカフェへの風信子(ヒアシンス)文庫からの ”出前の本”は「沖縄・ヒロシマ・長崎から」です。
実はこのテーマと同じ本の出前、そして出前の本の話を2年前の2023年の7月5日に行なっています。その際、なぜこの
テーマとしたかについて、沖縄、広島、長崎がなにか一つながりのものとして感じられる。それはなぜか。どういうこ
とかを自問しながら語った、と記しています。
6月25日、トランプ大統領は6月22日に行ったイラン国内での核施設空爆に対して、「あの一撃で戦争は終わった」、
「広島の例は使いたくないし、長崎の例も使いたくないが、本質的には同じだ」と記者団に話したと報じられている。
一月後の8月6日、9日には広島、長崎に原爆が投下されて80年になる今日この時に、このような発言をアメリカの大統
領が行なうということついても、参加される方と語りあいたい。
2025年5月17日土曜日
カンタ!ティモール(うたえ!ティモール)をみる No.138
5月18日(日)、糸島市前原でドキュメンタリー映画「Canta!Timor カンタ!ティモール うたえ!ティモール」をみる
ことができた。私は東ティモールについても、またこの映画についてもまったく何も知らない状態でこのドキュメンタリー
と対面した。この映画会は5月17,18日と2日間にわたって、しかも監督の広田奈津子さんを愛知県から迎え、110分間の上
映後には広田監督のお話会(60分)、引き続き参加者との自由な対話の時間(50分)も組まれていて、主催者のこの上映の
場にかける思いが、チラシのプログラムからもうかがえるように思えた。縦21センチ、横14.8センチの小さなチラシには
大きな文字で「糸島上映会 + 広田奈津子監督お話会」と記されている。
上映会を主催した川本さんは、1年前、東京でこの映画をみたとのこと、そのあと移り住んだ糸島で2日間にわたって、しか
も監督の広田さんを呼んでという上映会の場をつくられたのだ。その企画の内容というか、思いの深さに驚かされる。
ここでは、この小さなチラシのコトバを順不同で紹介したい。
"人類はひとつの兄弟なのさ
父もひとり、母もひとり
大地の子ども
憎んじゃだめさ、叩いちゃだめ
戦争は過ちだ、大地が怒るよ。”
「舞台は南海に浮かぶ神々の島、ティモール。
ひとつの歌から始まった運命の旅が、音楽あふれるドキュメンタリー映画となった。
この島を襲った悲劇と、それを生き抜いた奇跡の人びと、その姿が、世界に希望の光をなげかける。
当時23歳だった日本人女性監督は、人びとの暮らしの中で現地語を学び、彼らの唄に隠された
本当の意味に触れてゆく。そして出会う。光をたたえるまなざし。詩のようにつむがれる言葉の数々。
それは見る者の胸をそっと貫き、決して消えない余韻となる。
日本が深く関わりながら、ほとんど報道されなかった東ティモールの闘いをとりあげた、国内初の長編。
自主映画ながらも感動は国境を越え、5カ国100カ所以上の上映会で会場が心を震わせた、愛すべきエチュード。」
”3.11以降の日本人の生き方のヒントが、この映画にはつまっている。”
監督:広田奈津子
助監督/音楽監督:小向(こむかい)サダム
監修:中川 敬 ソウル・フラワー・ユニオン
南風島(はえじま)渉 フォトジャーナリスト”いつかロロサエの森でー
東ティモール・ゼロからの出発(たびだち)”他
ドッキュメンタリー/カラー/DV/110分/4:3/ステレオ
2012年東ティモール日本/日・英・テトゥン語
字幕:日・英・仏・テトゥン語/自主制作・初監督作品
公式サイトwww.canta-timor.com
STORY 東ティモールで耳にした、ある青年の歌。日本帰国後もメロディが耳に残って離れない。
監督たちは青年を探すため島へ戻る。そして一つの旅が始まった― ̄ ̄
「ねぇ仲間たち ねぇ大人たち 僕らのあやまちを 大地は知っているよ」
歌はこう始まっていた。
直接的な言葉を歌え命に危険が及ぶ、インドネシア軍事統制下にひっそりと謳われた歌だった。
青年に連れられて、監督たちは島の奥へと入っていく。
そこに広がるのは、精霊たちと共にある暮らし。青い海、たわわに実るマンゴー、はじけるような笑顔の人々。
常夏のおおきな太陽に照らされ、深い影を落とすのは、人々の命を奪った軍事侵略。
報道にのらない地下資源ビジネス、日本の驚くべき行動。
3人に1人が命を落としながら、彼らが守り抜いたもの―
「悲しい。いつまでも悲しみは消えない。でもそれは怒りじゃない。怒りじゃないんだ。」
「人は空の星々と同じ 消えては 空をめぐり また必ず 君に会える」
弾丸が飛び交う中、人々は命をわけるように助け合い、そして笑い、歌った。
大地に生かされ、輪になって踊る、遠く懐かしい風景。
いつのまにかティモールの旅はそっと監督たちに問いかける。
愛すべきふるさと、日本の島々の姿を―
彼らのことばが、
うたが、
いつまでも
心をはなれないのは、
それがほんとうの
物語だから。
2025年5月12日月曜日
「なんでも」について No5-(2)
※お知らせ
「図書館の風」No.5とNo.58ー(2)は、「公開」の状態になっていなかったことに気が付いたのが
昨日5月11日でした。すぐに「公開」にしたところ、なぜか、No.137の次、直近の日付の箇所にな
ってしまいました。いきなり、Noが順番外のものがでてしまい、何だろうと思われたかと思います。
とばして、いただければと思います。
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「図書館の発見」 図書館私史
私は
・「さいごに」でふれた、公開質問状の第4問について。
糸島市立図書館では、リクエストされた本が図書館に所蔵していないで、他の図書館から借りる場合(「相互貸借」という)、これまでは県内の公立図書館と国立国会図書館からに限られていました。予算(切手代)がないというのがその理由でした。(国立国会図書館から借りる場合は、当然その費用がかかっていたわけですが。)
このため、ある年には県内の小郡市立図書館や久留米市立図書館の前年度の1年間に小郡市、久留米市の図書館が他府県の図書館と相互貸借した資料を入手し(その資料には、相互貸借をした図書館の名前と件数を記載)、糸島市立図書館のカウンターに持参して、県内の図書館のサービスの実態を伝えて、糸島市の図書館での実施を要望したこともありましたが、実現せず今日にまで及んでいた経緯がありました。
今回、市長に当選された月形祐二氏の公開質問状での回答(平成30年1月23日、受け取り)により、リクエストされた本は相互貸借により他府県の図書館からも(先方の図書館が貸出を認める資料は)借りることができるようになります。
ただし、これで一件落着ということではなく、なぜこれまで、他の図書館が図書館サービスの基本として行っていることが糸島市の図書館でできずにきたかを考えることは、これからのよりよい糸島市のあり方を図書館を考える上で大切なことではないかと考えます。
図書館は何をするところか 「なんでも」 リクエスト・サービスのこと
「図書館の発見」 図書館私史
私は今から46年前の1972年(昭和47)4月に千葉県の八千代市立図書館で司書として採用され、図書館員として働き始めました。(八千代市の図書館は2年で退職し、以後、福岡市民図書館1976.7~、博多駅前4丁目の財団法人の図書館1979.4~、福岡県苅田町立図書館1988.12~, 滋賀県能登川町立図書館1995.4~, 合併により東近江市立能登川図書館2006.1~2007.3 合計5つの図書館で勤務)
八千代市立図書館は旧中学校の校舎の教室4つ分(うち、1教室分は図書館の事務室)という、とても小さな図書館でしたが、移動図書館で市内の小学校や団地の集会所や昼食時間時の工場前などを巡回し、図書館で所蔵していない本のリクエストには購入や相互貸借で応えていました。
1965年(昭和40年)に1台の移動図書館から図書館を始め、順次分館を建て(7分館)、最後に中央館を建てて、その後の日本の公立図書館のあり方に決定的な影響を与えた東京都の日野市立図書館はまた、「いつでも」「どこでも」「だれでも」に「なんでも」を加えて、日本で初めてリクエスト・サービスを実施した図書館でもありました。
私が八千代市の図書館で働き始めた時は、日野市立図書館の開館から7年が経っていましたが、日野市立図書館の影響が千葉県の小さな図書館にも及んでいてリクエストは図書館として当たり前のサービスとして行われていました。
図書館の仕事で私が一番驚かされたのは、リクエストされて用意できた本を、用意できた旨、事前に電話で連絡し移動図書館の巡回先で、目当ての本を待ち受けている方に手渡すときに示されるお一人お一人の底深い感謝のお気持ちが心響くように伝わってくることでした。(ある時はお言葉で、またある時は無言の態度で。)
その人の求める資料を確実に手渡すこと、ああ、これが図書館の仕事だと体を通して知らされたのだと思います。「図書館は、だれのために、何をするところか」、広島市で生まれ、倉敷市や福岡市の3つの市で小学生の時を過ごし、成人になるまでも、ずっと身近に公立図書館がなく育った私にとっての「図書館の発見」であったと今にして思います。
人口100万人を超える福岡市で福岡市民図書館が開館したのが、日野市立図書館が開館して11年後の1976年(昭和51年、私が30歳の時です)。
旧前原市において市民による「図書館建設の援助をする会」が署名16,420人分を集めて市長に提出したのが1994年(平成6年、その市民の運動は、1990年に開館した苅田町立図書館を視察して「図書館の発見」をした、当時の一人の市議会議員の図書館との衝撃的な出会いから始まったことを、つい最近、そのご本人からお聞きする機会がありました。)
以後、市民による図書館を求める懸命な運動が積み重ねられましたが、日野市にならって1台の移動図書館で前原市の図書館サービスが始まったのは、署名提出4年後の1998年(平成10年)のことでした。日野市立図書館が開館してから実に33年後のことです。
さらにその後、紆余曲折を経て、前原市図書館(パピルス館)が開館したのが、移動図書館のサービスが始まってから7年後の2005年(平成17年)、そして二丈、志摩地区に図書館が開館したのは合併(2010年/平成22年)後の2011年(平成23年)のこと、図書館法(1950年)が制定されてから61年後のことでした。二丈、志摩地区では2世代に渡って図書館がない時が延々と続いてきたと言えます。
かつて「後進国(ある頃より後進国という言葉ではなく、発展途上国と言われてきました)の先進性」という言葉が使われていました。後進国(発展途上国)は、いろいろな点でスタートが遅れているけれども、何事かを始めるにあたっては、先に歩んでいる所の経験をしっかり学んで、ゼロから出発するのではなく、先に進んでいる所のあり方をスタート台にして歩むことができる、それだけより先に進める可能性をもっていることを示す言葉であったと思います。
このことは図書館の世界でも言えるように思います。日野市立図書館の開館から遅れて、図書館によっては数十年後にスタートした図書館でも、日野市や多摩地区の図書館や全国各地で先進的な活動を展開する図書館の活動に学び、さらに住民の強い支持を得る、底深い図書館サービスを行ってきた図書館を各地で見ることができます。
(九州では、「伊万里市民図書館」や「たらみ図書館」(現在は諫早市と合併)など)
それらの図書館に共通して見られることがあります。
1.図書館を利用する時の、もっとも一般的な方法である「貸出」(資料や情報の提供)を
図書館サービスの基本とし、住民の求める資料や情報の提供によって、すべての住民
の「知る自由」を保障することを図書館の重要な責務(役割)としていること。
「すべての国民は、いつでもその必要とする資料を入手し利用する権利を有する」
「この権利を社会的に保障することに責任を負う機関」が図書館である。
「すべてのこくみんは、図書館利用に公平な権利をもっており、人種、信条、性別、
年齢やそのおかれている条件等によっていかなる差別もあってはならない」
『図書館の自由に関する宣言 1979年改訂』
(日本図書館協会、1979年の総会で採択)
「われわれは、
由」を保障しすることを
すべての住民が「いつでも」「どこでも」「だれでも
私は
・「さいごに」でふれた、公開質問状の第4問について。
糸島市立図書館では、リクエストされた本が図書館に所蔵していないで、他の図書館から借りる場合(「相互貸借」という)、これまでは県内の公立図書館と国立国会図書館からに限られていました。予算(切手代)がないというのがその理由でした。(国立国会図書館から借りる場合は、当然その費用がかかっていたわけですが。)
このため、ある年には県内の小郡市立図書館や久留米市立図書館の前年度の1年間に小郡市、久留米市の図書館が他府県の図書館と相互貸借した資料を入手し(その資料には、相互貸借をした図書館の名前と件数を記載)、糸島市立図書館のカウンターに持参して、県内の図書館のサービスの実態を伝えて、糸島市の図書館での実施を要望したこともありましたが、実現せず今日にまで及んでいた経緯がありました。
今回、市長に当選された月形祐二氏の公開質問状での回答(平成30年1月23日、受け取り)により、リクエストされた本は相互貸借により他府県の図書館からも(先方の図書館が貸出を認める資料は)借りることができるようになります。
ただし、これで一件落着ということではなく、なぜこれまで、他の図書館が図書館サービスの基本として行っていることが糸島市の図書館でできずにきたかを考えることは、これからのよりよい糸島市のあり方を図書館を考える上で大切なことではないかと考えます。
図書館は何をするところか 「なんでも」 リクエスト・サービスのこと
「図書館の発見」 図書館私史
私は今から46年前の1972年(昭和47)4月に千葉県の八千代市立図書館で司書として採用され、図書館員として働き始めました。(八千代市の図書館は2年で退職し、以後、福岡市民図書館1976.7~、博多駅前4丁目の財団法人の図書館1979.4~、福岡県苅田町立図書館1988.12~, 滋賀県能登川町立図書館1995.4~, 合併により東近江市立能登川図書館2006.1~2007.3 合計5つの図書館で勤務)
八千代市立図書館は旧中学校の校舎の教室4つ分(うち、1教室分は図書館の事務室)という、とても小さな図書館でしたが、移動図書館で市内の小学校や団地の集会所や昼食時間時の工場前などを巡回し、図書館で所蔵していない本のリクエストには購入や相互貸借で応えていました。
1965年(昭和40年)に1台の移動図書館から図書館を始め、順次分館を建て(7分館)、最後に中央館を建てて、その後の日本の公立図書館のあり方に決定的な影響を与えた東京都の日野市立図書館はまた、「いつでも」「どこでも」「だれでも」に「なんでも」を加えて、日本で初めてリクエスト・サービスを実施した図書館でもありました。
私が八千代市の図書館で働き始めた時は、日野市立図書館の開館から7年が経っていましたが、日野市立図書館の影響が千葉県の小さな図書館にも及んでいてリクエストは図書館として当たり前のサービスとして行われていました。
図書館の仕事で私が一番驚かされたのは、リクエストされて用意できた本を、用意できた旨、事前に電話で連絡し移動図書館の巡回先で、目当ての本を待ち受けている方に手渡すときに示されるお一人お一人の底深い感謝のお気持ちが心響くように伝わってくることでした。(ある時はお言葉で、またある時は無言の態度で。)
その人の求める資料を確実に手渡すこと、ああ、これが図書館の仕事だと体を通して知らされたのだと思います。「図書館は、だれのために、何をするところか」、広島市で生まれ、倉敷市や福岡市の3つの市で小学生の時を過ごし、成人になるまでも、ずっと身近に公立図書館がなく育った私にとっての「図書館の発見」であったと今にして思います。
人口100万人を超える福岡市で福岡市民図書館が開館したのが、日野市立図書館が開館して11年後の1976年(昭和51年、私が30歳の時です)。
旧前原市において市民による「図書館建設の援助をする会」が署名16,420人分を集めて市長に提出したのが1994年(平成6年、その市民の運動は、1990年に開館した苅田町立図書館を視察して「図書館の発見」をした、当時の一人の市議会議員の図書館との衝撃的な出会いから始まったことを、つい最近、そのご本人からお聞きする機会がありました。)
以後、市民による図書館を求める懸命な運動が積み重ねられましたが、日野市にならって1台の移動図書館で前原市の図書館サービスが始まったのは、署名提出4年後の1998年(平成10年)のことでした。日野市立図書館が開館してから実に33年後のことです。
さらにその後、紆余曲折を経て、前原市図書館(パピルス館)が開館したのが、移動図書館のサービスが始まってから7年後の2005年(平成17年)、そして二丈、志摩地区に図書館が開館したのは合併(2010年/平成22年)後の2011年(平成23年)のこと、図書館法(1950年)が制定されてから61年後のことでした。二丈、志摩地区では2世代に渡って図書館がない時が延々と続いてきたと言えます。
かつて「後進国(ある頃より後進国という言葉ではなく、発展途上国と言われてきました)の先進性」という言葉が使われていました。後進国(発展途上国)は、いろいろな点でスタートが遅れているけれども、何事かを始めるにあたっては、先に歩んでいる所の経験をしっかり学んで、ゼロから出発するのではなく、先に進んでいる所のあり方をスタート台にして歩むことができる、それだけより先に進める可能性をもっていることを示す言葉であったと思います。
このことは図書館の世界でも言えるように思います。日野市立図書館の開館から遅れて、図書館によっては数十年後にスタートした図書館でも、日野市や多摩地区の図書館や全国各地で先進的な活動を展開する図書館の活動に学び、さらに住民の強い支持を得る、底深い図書館サービスを行ってきた図書館を各地で見ることができます。
(九州では、「伊万里市民図書館」や「たらみ図書館」(現在は諫早市と合併)など)
それらの図書館に共通して見られることがあります。
1.図書館を利用する時の、もっとも一般的な方法である「貸出」(資料や情報の提供)を
図書館サービスの基本とし、住民の求める資料や情報の提供によって、すべての住民
の「知る自由」を保障することを図書館の重要な責務(役割)としていること。
「すべての国民は、いつでもその必要とする資料を入手し利用する権利を有する」
「この権利を社会的に保障することに責任を負う機関」が図書館である。
「すべてのこくみんは、図書館利用に公平な権利をもっており、人種、信条、性別、
年齢やそのおかれている条件等によっていかなる差別もあってはならない」
『図書館の自由に関する宣言 1979年改訂』
(日本図書館協会、1979年の総会で採択)
「われわれは、
由」を保障しすることを
すべての住民が「いつでも」「どこでも」「だれでも
「図書館にはDNAが大事」 菅原峻さんから手渡されたもの No.58--(2)
※お知らせ
NO.58-(2)はパソコンの操作を誤り、本来のNo順をはずれて、N.137の次になってしまいました。
とばしていただければと思います。(2025.5.11)
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nbsp;図書館の主人は住民、図書館がよくなるもダメになるも住民次第
菅原峻(すがわら たかし)さんが亡くなられたのは、東日本大震災が起きた日から3ヶ月後の2011年6月24日、あれからもう8年が経つ。菅原さんに初めてお会いしたのは、たしか1988年8月のことだったと思う。30年前のことだ。
菅原さんは1926年、北海道の生まれ。戦後、八雲町の役場に勤め、教育委員会で公民館づくりに携わる。1951年(昭和26年)、役場を辞めて上京し上野にあった文部省の図書館職員養成所に通う。「新4期」とよばれた同期には前川恒雄さんがいて、「一番親しい仲だった。」何という出会いだろう。(『ず・ぼん』6「境界人、菅原峻の途中総括 助言者という選択」菅原峻・話 ポット出版 1999.12)2年後の1953年3月、養成所を卒業、同年4月から社団法人日本図書館協会に勤務。
当時、博多駅から歩いて10分、博多駅前4丁目に福岡市が1979(昭和54)年に設置した財団法人の小さな図書室(232㎡)で開館時から働いていた私は、人口100万をこえる大都市で市立図書館が1館と各区の市民センター図書室(公民館図書室、7室)と少年科学文化会館図書室しかない、図書館砂漠福岡市というほかない市に住んで年々歳々、図書館の状況が悪くなっていくという思いを強くしていた。そうして1987年に図書館への思いを同じくする人たちと`福岡の図書館を考える会`を始め、一年をかけて福岡市の図書館政策を作って市に提言した。(『2001年 われらの図書館 ── すべての福岡市民が 図書館を身近なものとするために ── 』 福岡の図書館を考える会 1988年1月24日 )
その冒頭 `図書館をもっと身近に 暮らしの中に`という見出しの頁の「はじめに」で
「今、あなたの身近に──散歩がてら、買い物がてら、気軽に立ち寄れる場所に、ある
いは働いている近くに──図書館がありますか。・・・人口118万人をこえる福岡市に
わずか9ヵ所の図書館施設、人口13万人に1館しかない現状では、市民の大半にとって
図書館がない状態ではないでしょうか。
と問いかけ、次のように続けている。
市民が歩いていける所に図書館を(人口2万人に1館を、1中学校区に1図書館を)─
私たちは、それが、市の財政を知らない夢想家の言ではなく、市の図書館政策の柱と
され、すでにそのことを実現している図書館が 他市において数多くあることを知って
います。`身近で暮らしの中`の図書館を実現できるかどうかは、まさに私たち住民
が図書館をどう考えるかによるのではないかと思います。
わたしたちは一体どうすれば そのような図書館をつくることができるのか。福岡市
の現状を調べ、他市の例に学びながら みんなで考えていきたいと思います。
わたしたちがほしいと願っている図書館とはどんな図書館か。今、福岡市の図書館は
どんな問題をかかえているのか。来るべき2001年を すべての市民のくらしの中に
図書館がある状態で迎えるためには、私たちは今 何をしなければならないか。
私たちが各地の図書館をたずね、多くの人に会って考えてきたことを ここに
『2001年われらの図書館─すべての福岡市民が図書館を身近なものとするために─』
(サーモンピンクの表紙、47頁)として提言いたします。
そして最後を次のように結んでいる。
わたしたちの提言が福岡市のこれからの図書館を共に考えていく一石となればと念じるものです。私たちの図書館への思いが波紋のように広がっていくことを願っています。
菅原峻(すがわら たかし)さんが亡くなられたのは、東日本大震災が起きた日から3ヶ月後の2011年6月24日、あれからもう8年が経つ。菅原さんに初めてお会いしたのは、たしか1988年8月のことだったと思う。30年前のことだ。
菅原さんは1926年、北海道の生まれ。戦後、八雲町の役場に勤め、教育委員会で公民館づくりに携わる。1951年(昭和26年)、役場を辞めて上京し上野にあった文部省の図書館職員養成所に通う。「新4期」とよばれた同期には前川恒雄さんがいて、「一番親しい仲だった。」何という出会いだろう。(『ず・ぼん』6「境界人、菅原峻の途中総括 助言者という選択」菅原峻・話 ポット出版 1999.12)2年後の1953年3月、養成所を卒業、同年4月から社団法人日本図書館協会に勤務。
当時、博多駅から歩いて10分、博多駅前4丁目に福岡市が1979(昭和54)年に設置した財団法人の小さな図書室(232㎡)で開館時から働いていた私は、人口100万をこえる大都市で市立図書館が1館と各区の市民センター図書室(公民館図書室、7室)と少年科学文化会館図書室しかない、図書館砂漠福岡市というほかない市に住んで年々歳々、図書館の状況が悪くなっていくという思いを強くしていた。そうして1987年に図書館への思いを同じくする人たちと`福岡の図書館を考える会`を始め、一年をかけて福岡市の図書館政策を作って市に提言した。(『2001年 われらの図書館 ── すべての福岡市民が 図書館を身近なものとするために ── 』 福岡の図書館を考える会 1988年1月24日 )
その冒頭 `図書館をもっと身近に 暮らしの中に`という見出しの頁の「はじめに」で
「今、あなたの身近に──散歩がてら、買い物がてら、気軽に立ち寄れる場所に、ある
いは働いている近くに──図書館がありますか。・・・人口118万人をこえる福岡市に
わずか9ヵ所の図書館施設、人口13万人に1館しかない現状では、市民の大半にとって
図書館がない状態ではないでしょうか。
と問いかけ、次のように続けている。
市民が歩いていける所に図書館を(人口2万人に1館を、1中学校区に1図書館を)─
私たちは、それが、市の財政を知らない夢想家の言ではなく、市の図書館政策の柱と
され、すでにそのことを実現している図書館が 他市において数多くあることを知って
います。`身近で暮らしの中`の図書館を実現できるかどうかは、まさに私たち住民
が図書館をどう考えるかによるのではないかと思います。
わたしたちは一体どうすれば そのような図書館をつくることができるのか。福岡市
の現状を調べ、他市の例に学びながら みんなで考えていきたいと思います。
わたしたちがほしいと願っている図書館とはどんな図書館か。今、福岡市の図書館は
どんな問題をかかえているのか。来るべき2001年を すべての市民のくらしの中に
図書館がある状態で迎えるためには、私たちは今 何をしなければならないか。
私たちが各地の図書館をたずね、多くの人に会って考えてきたことを ここに
『2001年われらの図書館─すべての福岡市民が図書館を身近なものとするために─』
(サーモンピンクの表紙、47頁)として提言いたします。
そして最後を次のように結んでいる。
わたしたちの提言が福岡市のこれからの図書館を共に考えていく一石となればと念じるものです。私たちの図書館への思いが波紋のように広がっていくことを願っています。
2025年5月1日木曜日
「あざみ寮・もみじ寮から・・・」(出前の本の話のご案内)No.137
”出前の本の話”、直前のご案内です。まずは葉書によるご案内です。
期日は5月19日、月曜日、午前11時から12時までの1時間です。
また5月、6月の出前の本は、「あざみ寮・もみじ寮からつながり広がる本と人の世界」です。
『歩風来』第49号 石原繁野さん追悼集 / 2024.12.9 /編集・発行/あざみ寮・もみじ寮・旧職員ポプラの会
『心のままが糸絵になった』萩野トヨ 発行人:萩野紘一 2016年2月22日
『ロビンフッドたちの冒険ーある知的障がい者施設・三〇年間の演劇実践記録』社会福祉法人 大木会 2009年10月24日
『仏教発見!』西山 厚 講談社現代新書1755 2004年11月20日
『障害をもつ人たちの憲法学習ー施設での社会科教室の試み』橋本佳博・玉村公二彦 かもがわ出版
『天界航路ー天野芳太郎とその時代』尾塩尚 筑摩書房 1984年ん9月27日
『忘却の引揚げ史ー泉靖一と二日市保養所』下川正晴 弦書房 2017年8月5日
『大陸へのロマンと慟哭の港博多 日本原郷沖縄への旅』五木寛之 講談社 2006年5月25日
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