2007年から糸島に移り住み、思いを同じくする人たちと「としょかんのたね・二丈」を始め、志摩地区の「みんなの図書館つくろう会」、二丈深江地区の「糸島くらしと図書館」の人たちと共に、糸島のより良い図書館づくりを目指して活動してきた。「糸島の図書館は今、どうなっているのか」、糸島図書館事情を発信し、市民と共に育つ糸島市の図書館を考えていきたい。糸島市の図書館のあり方と深く関わる、隣接する福岡市や県内外の図書館についても共に考えていきます。
2025年9月3日水曜日
懐かしき声に誘われて 10月 滋賀へ No.143
はじまりは18年前にさかのぼる。
福岡県の苅田(かんだ)町立図書館を退職し(1988年12月の準備室開設時から1990年5月開
館を経て1995年3月まで)滋賀県能登川町に移り住んだのは1995年3月末。
4月1日能登川町教育委員会に設置された能登川町総合文化情報センター建設準備室で図書館、
博物館の開設に取り組み、2年7カ月後の1997年11月8日に人口2万3千人の町に図書館と博
物館が開館した。
図書館の正規職員は7人(うち司書6)、博物館は2人(学芸員2)だった。
司書4名、学芸員1名は全国公募で採用【能登川町立図書館、能登川町立博物館】
それから2007年3月末に退職するまでの9年5カ月を図書館、博物館で働いた。
(1市6町の合併。最初に八日市市と五個荘町、湖東町、愛東町、永源寺町の1市4町が合併
して東近江市に。2006年1月、能登川町と蒲生町が東近江市と合併、2006年1月から町立か
ら、東近江立能登川図書館・博物館となる。東近江市には図書館が7館ある。そのうち、
八日市市、湖東町、能登川町、永源寺町は図書館開設にあたっては、それぞれ開館後は
館長となる人を他の自治体の図書館から招へい。そのことが各館で開館時、職員(司書)
の確保に大きく影響)
能登川では12年間過した。図書館、博物館を退職する前後、お別れ会を10数カ所で開いて
いただいた。
その1つが彦根の西覚寺での送る会だった。幾人かの方が核になって開いてくださった会
でしたが、どのようにしてこの方たちを選ばれたのか、能登川町内より(町内ではすでに
いくつもの会が開かれていたので、そのことも考慮されていたのか)、滋賀県内、そして
県外から多くの方が駆けつけてくださった。
驚いたのは会の主催の方が、往復葉書をだして、出席、欠席を問われていて、返信の葉書
には、出席、欠席いずれの方からも、私へのメッセージの欄に言葉が記されていた。
お一人お一人の言葉を目にすると、その人との時間が蘇ってくる。会が終わって程なくし
て、返信葉書はファイルに入れられて、写真と一緒に送って頂き、私にとってかけがえの
のないものとして私の手元にある。
今回の機会にあらためて、頂いた葉書を整理してみた。
①2007年4月1日 「才・・・を送る会」 彦根市西覚寺
・東近江市 参加 7名 欠席 5名
・滋賀県内 参加 14名 欠席 4名
〈多賀町、彦根市、近江八幡市、栗東市、大津市、湖南市)
・県外 参加 17名 欠席 9名
(島根県奥出雲町、兵庫県篠山市、京都市、京丹後市、大阪市、枚方市、東京)
合計 参加38名 欠席18名
ほんとうに驚くばかりの出来事だった!
そうしてさらに驚かされたのは、その送る会から10年経って、再び、同じ彦根西覚寺で
再開の場を開いていただいたことだ。「才津原・・と語りあう会」の集いの案内を、
10年前と同じように往復葉書で出席、参加を問われて。葉書の差しだし状には、遠方の
方への宿泊の案内まで記されていた。また、返信葉書には「・・・への10年の思いメッ
セージをお願いします」の欄があり、この度も出席、欠席のお一人お一人から心うたれ
るお言葉をいただいた。
②2017年10月8日(日) 「才・・・と語り合う会」 彦根市西覚寺
・東近江市 参加 5名 欠席 7名
・滋賀県内 参加 14名 欠席 3名
・県外 参加 13名 欠席 11名
合計 参加 32名 欠席 11名
この2つの会をよくも考え、形にして下さったと思うばかり。西覚寺の高原さんと東近江
の中野さんのお2人が核になってほんとうに実現してくださったのだが、会が終わって送
っていただいた返信葉書などを今回見返していたら、色々んことが思いだされてきた。
そういえば2回目の集いの前に、いつだったか中野さんが九州への旅の途次、糸島の私の
自宅に立ち寄って下ったことがあって、その時に準備してくださっている10月の会のこ
とをお聞きしたのだったのかなと思う。そうだあの時に、自宅の傍の自然農の田と稲の
実りのほどをみていただいたのだと思う。それは私が糸島に住んですぐに友人から「お
米を作ってみませんか」と言われて始めることになった自然農の米作りの10年目の年で
もあった。
以上が2025年10月23日に滋賀に出かけることになった前史です。
2007年4月1日とその10年後の2017年10月1日の2つの会があって、そして若き友、川本さ
んとの出会いがあってこの度の滋賀での3度目の集いの場を授かることになったと感じ
ています。10月23日の会がどうして東近江五個荘のギャラリーgenzaiで持たれることに
なったかは、川本さんが作ってくれた上段のチラシをご覧ください。
10月23日、天からの授かりもののような場に、川本さんと糸島からとんで行こうと考え
ています。
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