ていねいな「本」としての作り方に感心
これまで述べてきたように、ピースウォーク京都の会では、2001年12月9日、京都ノートルダム女子大学のユニソン会館で「中村哲さん講演会」を開催し、その『講演録』を翌年の5月19日に発行している。講演会当日は、会場となった「会館の前には、朝早くから長い列ができ」、講演が始まる午前十時には、「小学生からお年寄りまで様々な世代の二○○○人もの人たちが、しーんと静かな空気のなかで中村さんを待ってい」たと、「はじめに」のなかで、「ピースウォーク京都」の名前で書かれている。
そこで行われた中村さんの講演と会場での質疑応答の様子については、先の2回のブログで
ふれたが、『講演録』(ぜんぶで194頁)のうち、講演が86頁、質疑が46頁で、これに講演会当日、アンケートに寄せられた「参加者の声」10頁(熱心な書きこみが多く、その一部を掲載)の頁が続き、さらに「資料編」」(32頁)が収録されている。「参加者の声」と「資料編」で、全体の5分の1強を占めている。どんなに中村さんの講演が、会場参加者はもとより、「ピースウォーク京都」のメンバー一人ひとりに深い感銘を与えたものだったかを物語っているように思う。驚かされたのは、その本のつくり方だ。
一人ひとり参加者の肉声を伝える「参加者の声」の頁のさいごには「講演会報告とお礼」として、つぎのように書かれている。
「講演会では、会場から約二○○万円のカンパがペシャワール会「アフガンいのちの基金」に寄せられ、翌日、ペシャワール会に送金させていただきました。ご協力ありがとうございます。
この講演会は、会場を提供いただいた京都ノートルダム女子大学をはじめ、運営資金カンパを寄せられた方々、運営に力を貸していただいた方々のご協力によって成り立ちました。目に見えるもの、見えないものすべてが無償で持ち寄られたことに、心より御礼申し上げます。
※この講演録は講演会運営のために寄せられたカンパから運営実費を差し引いた残金によって作られました。当講演録の売り上げは全部ペシャワール会に寄付させていただきます。」
ここには、一人ひとりの美しい行為がある。それはまた、中村哲さんとペシャワール会の行動によって引き起こされたものだと思う。
「資料編」は「年表」「アフガンいのちの基金報告」「緑の大地計画」「中村哲氏、著作紹介」「中村哲氏、略歴」「ピースウォーク京都の井戸端図書館」「ペシャワール会連絡先」からなっている。中村さんの足跡、そしてこれからの活動を、初めての読者にも広く深く伝えるものだ。できる限り中村さんの言葉に耳を傾け、中村さんの行動に突き動かされ、その行動に寄りそおうとする一人ひとりの行いの集積ともいえる。
「年表」は「アフガニスタン、中村医師、ペシャワール会を巡る略年表」と題され、「BC4世紀 アレキサンダー大王、中央アジアを征服」から始まる。中村さんが登場するのは、1978年から。
4月「アフガニスタンに共産主義政権が誕生」のあと。
6月「中村医師、福岡登高会のティリチ・ミール遠征に参加し、初めてパキスタンの地を踏む」とある。以後、JOCS(日本キリスト教海外医療協力会)による、中村医師のペシャワールへの派遣決定後、
1983年6月には「中村医師、岡山県の国立療養所・巴久光明園でハンセン病に関する研修を受け、続いて英国のリバプール熱帯医学校で研修」。そして
同年9月、「募金活動などを通じて中村医師を日本から支援する組織として、ペシャワール会が福岡市で発足する」
1984年5月「中村医師、ペシャワール・ミッション病院に着任し、ハンセン病の治療にあたる。中村医師、このころよりハンセン病棟の改善に着手する。まず、病室の一部を改造して手術が行える区域を作った」
以後、アフガニスタンの情勢と中村さんの現地での活動が記載され
2001年9月11日「米国ニューヨークの世界貿易センタービルに民間航空機が突入する」
10月7日 「米英軍がアフガニスタンへの空爆を開始する」
PMS(ペシャワール会・メディカル・サービス)、カーブルにおいて食糧
配給を行うことを決定。「いのちの基金」が開始される。
12月22日 「アフガン暫定政権発足」
12月 PMS,「緑の大地」計画、原案を発表。
中村哲さんの歩みと京都での講演会がどんな緊迫した状況のなかで行われたものであるかがよく見えてくる年表である。
「アフガンいのちの基金」報告は、ペシャワール会ホームページより、抜粋、再構成したものを掲載していて、同じく「アフガンいのちの基金」第二期計画 原案である「緑の大地」計画(2001.12.27)を掲載し、ピースウォーク京都のメンバーによる周到な取り組みに驚かされる。
「中村哲氏 著作紹介」では、4冊の本が紹介されている。それぞれにリードの言葉でその本の概要を紹介し、それぞれの本からの引用の文章を加えている。引用に当たっては「中村氏の各著作において主流となる出来事は数行の引用ではお伝えすることができません。そのため、ここでは数行で抜き書きできるような部分だけを載せました。詳しくは著作をお読みください。」として、著書の版元である出版社、石風社の住所、電話、FAX番号を記載している。「数行で抜き書きできるような部分だけを載せた」とのことであるが、スタッフが時間をかけ、思いをこめて引用された文章がそこに収録されている。ここでは、4冊の、各リードの文章と引用文につけられた見出しのみを引用しておくことにする。
〈中村哲氏 著作紹介〉
1『ペシャワールにて』 ―癩(らい)そしてアフガン難民
石風社 1989年3月 初版発行 1992年3月 増補版発行 1800円+税
中村氏がペシャワール・ミッション病院に着任するいきさつから始まり、異文化の中で病院施設の改善、新事業の立ち上げと働いた最初の七年を描く。増補版では湾岸戦争開始までを追加。当地の歴史、風土、文化にも詳しい。(以下、抜粋)
―ペシャワールを語る
―アフガン人医師、対日中のことば
―「現地協力」の意義
2 『ダラエ・ヌールへの道』アフガン難民とともに
石風社 1993年11月 初版発行 定価2000円+税
ソ連軍撤退とそれに続く内戦の激化の中で、中村氏はアフガニスタン国内での診療所開設をめざし、調査に入っていく。JAMS(日本―アフガン医療サービス)を立ち上げ、山岳部のダラエ・ヌール渓谷に念願の診療所を開設。共産主義政権が倒れ、難民の自発的な帰還が始まる。緑がよみがえる農村に喜びが広がる。山岳部の様子や個性的な登場人物が興味をかき立てる。(以下、抜粋)
―アフガニスタン難民 自力の帰郷
―回想 一九八五年
―アフガニスタンへ 予想外の困難
―よみがえった渓谷の村
3 『医は国境を越えて』
石風社 1999年12月 初版発行 2000円+税
第一期一五年の総決算としてPMS(ペシャワール会医療サービス)病院を建設すうに至るまでの日々を描く。悪性マラリアとの闘い、ペシャワール・ミッション病院との衝突、アフガニスタン、パキスタン双方の活動を統合していく過程での軋轢(あつれき)を乗り越え、新病院が完成する。(以下、抜粋)
―難民キャンプにて
難民キャンプでは、死が日常的に隣り合っていた。弱い子供は下痢で簡単に落命し
た。戦死の報が毎日家々に届けられた。(中略)私はしばらく彼らと寝食を共にしたが、配給の小麦粉も遅れがちで、絶対的なカロリー不足のように思われた。
それでも、人々がいつも陰鬱な思いで日々を過ごしていたわけではない。人間は何にでも慣れる動物である。生活上の課題が生存できるかどうかにかかっていても、「貧すれば鈍する」とは限らない。私たちの手持ちの食糧が切れると、空腹をかかえるキャンプの住民が、乏しいパンを分かち合い、食を共にしてくれた。冷たいナンと水のようなスープも、団樂のひととき、楽しい会話が味付けになった。栄養失調の子供たちは死ぬまで明るかった。
―アフガンの奥地へ
―ワマに診療所設立
―一命をとりとめた患者との対話
4『医者 井戸を掘る』アフガン旱魃との闘い
石風社 2001年10月 初版発行 定価1800円+税
2000年、ダラエ・ヌール診療所で多発した赤痢は大旱魃が人間の生存をおびやかしていることの現れだった。PMSは井戸掘り事業に着手する。素人集団が試行錯誤で掘り続けた井戸が人々に命の水を取り戻させる。やがてPMSは難民化を阻止するために孤立するカーブルに診療所を開く。2001年までの記録。現地ワーカー、蓮岡修氏による水源確保事業の「現地活動報告」付き。(以下、抜粋)
―ひび割れた大地
―水源確保事務所 ジャララバードの食糧事情
―「人類の文化遺産」
そして「中村哲氏 略歴」が続く。そのまま引用する。(原文での数字は漢数字)
1946年、福岡市生まれ。〈西南中学校〉福岡高校、九州大学医学部卒業。
専門は神経内科(現地では内科、外科もこなす)。
ペシャワール会現地代表、PMS(ペシャワール会医療サービス)院長。
国内の診療所勤務を経て、1984年パキスタン北西辺境州の州都ペシャワールに赴任、以来17年にわたりハンセン病のコントロール計画を柱とした貧困層の診療にたずさわる。
1998年には基地病院をペシャワールに建設、パキスタン山岳部に二診療所を併せ持つ。
1986ねんからはアフガン難民のためのプロジェクトを立ち上げ、現在アフガニスタン無医地区山岳部に三診療所を設立してアフガン人の無料診療にたずさわる。また病院、診療所で患者を待つだけではなく、辺境山岳部へも定期的に移動診療を行っている。
2000年には医療活動と並行して水源確保事業も開始。
(※中村氏個人については『ドクター・サーブ』丸山直樹著・石風社に詳しい)
そうして、さらに驚かされたのは、本書の末にある「ピースウォーク京都の井戸端図書館」の頁だった。この頁の紹介の文章がつぎのように書かれている。
「中村さんの話を聞きたい、私たちの生きる世界で何が起こっているかを知りたい
―ここからスタートした私たちの思いを持続させ、広げていくことを、ほかのみなさんにも共有してもらえればと思って、手がかりとなる本の案内を講演録にくっつけることにしました。ここにあげたのは、講演会の開催にかかわった人たちが、それぞれの思いをこめて寄せた200冊以上の「推薦図書」の一部です。世界は不正義と不条理と、知られることのあまりない知恵と優しさに満ちています。そんなことを、もっと見つめていく機会が、この闇ナベのようなリストから生まれれば、とてもうれしく思います。」
そして次の注記が。
「この図書館は市場のもので、今のところ存在しておりません。貸し出しはできませんので、ご了承のほどを。」
面白いと思うのは、一冊一冊の本に、その本の推薦者のものと思われる言葉が一、二行そえられていることだ。ここでも、『講演録』という冊子を作るにあたっての、ピースウォーク京都のメンバーの方たちの、細やかでたしかなふるまいが見られる。そのいくつかを以下に引用したい。
『新世紀へようこそ』 池澤夏樹 光文社
【9・11遺稿、綴られた沖縄在住の作家の思索 報復 戦争 文化】
『ドクター・サーブ―中村哲の15年』 丸山直樹 石風社
【ルポ 中村哲の軌跡・横顔 ペシャワール会の発足から現在まで】
『生命(いのち)の風物語』 甲斐大策 石風社
【短編小説集 戦争 イスラーム 報復 聖戦士 野蛮と高貴】
『沖縄のこころ―沖縄戦と私』 太田昌秀 岩波新書
【沖縄の原体験 日本軍と沖縄住民 根こぎにされて】
『水木しげるのラバウル戦記』 水木しげる ちくま文庫
【画と文 戦争 南方 ダメ戦士 一人だけの生き残り 島の人々と文化】
『苦海浄土』 石牟礼道子 講談社文庫
【近代の裂け目 水俣病 漁民の暮らしと魂の所在 受難のうた】
『次の冬』 島田等 論楽社ブックレット ※075-711-0334
【ハンセン病を背負った島田さんの生涯ただ1冊の詩集】
『隔離―故郷を追われたハンセン病者たち』 徳永進 ゆみる出版 岩波現代文庫
【故郷から追放されたハンセン病者の思いだけは、隔離し、すててはならない。】
『ある徴兵拒否者の歩み』 北御門二郎 地の塩書房 ※0473-35-5358
【徴兵を拒否し、山に入り、土を耕し続けた88歳の日本人】
『旅をする本』 星野道夫 文春文庫
【紀行文 アラスカ 先住民と開拓者の暮らし 文明を離れて】
『アフリカを知る―15人が語るその魅力と多様性』「少年ケニヤノ友」東京支部編
スリーエーネットワーク※03-3292-5751
【様々なアフリカ 無文字社会の記憶 まちの暮らし ゴリラと内戦
『炎の鎖をつないで―南アフリカの子どもたち』ビヴァリー・ナイドゥ さくまゆみこ訳
伏原納知子挿画
【アパルヘイト 村を破壊された少女 暴力 友情】
さらに驚かされたのは
『講演録』を最初に手にした時には気がつかなかった。こんど再び『講演録』を手にし、標題紙をめくって驚いた。そこには、次のように記されていた
カバーデザイン / 尾原史和(SOUP DESIGN)
イラスト/ 伏原納知子
写真提供 /中山博喜(ペシャワール会)、ペシャワール会、石風社
本書のイラストを描いているのが伏原納知子(ふしはらのじこ)さんだった。ご本人にお聞きしてはいないが、京都市役所の近く、堺町通り御池下るにある堺町画廊をされている、絵本作家の伏原納知子さんにちがいない。いつも駆けていきたくなるすてきな催しをしているその画廊は、京都の町家を改装したものと思われ、空間としてもそこにいると何かほっとする時間をすごすことができる素敵な空間だ。何年か前のことだが、たしか京都新聞の元旦号に鶴見俊輔さんと中村哲さんの対談の記事が載ったことがあり、その対談の場所が堺町画廊であったと思う。その記事を見て、いかにもお2人の対談の場にふさわしいところだと思ったことを思いだす。「日本の希望は中村哲だけだ」と語った鶴見俊輔さんんと共にその場は私にとって大切な場となっている。
伏原さんが、『講演録』のイラストを描かれていることを知り、同書は私にとり一層大事な一冊となった。
後日、しんらん交流館で開催された「ふしはらのじこ絵本原画展・ゴリラの森 ヤクシマザルの森 きょうとの町へようこそ」(1月13日~26日)の会場で、伏原納知子さんの絵本「ふたごのゴリラ」(福音館 2015.4)を買い求め、贈ってくださった京都の知人がいる。彼女は13日、同会場であった納知子さんの夫、山際寿一さんの講演「ゴリラやサルと森の世界を覗く」を聞かれている。私は一度も山際さんのお話を聞いたことはないが、ご著書には親しんでいていつか、そのお話を聞く機会があればと思っている。
『ジンガくんいちばへいく』さく・え ふしはら のじこ 福音館 2002.7 『砂漠でみつけた一冊の絵本』(柳田邦男 岩波書店 2004.10)の中 の、「ゴリラ語の初めての絵本」で、山際寿一・文、ダヴィッド・ビシーム・絵『ゴリラと あかいぼうし』(福音館)と共に紹介している。 |
どうやって入手したのだったか、ハングルに訳された絵本もある |
柳田邦男『砂漠でみつけた一冊の絵本』岩波書店2004.10 「2.絵本がひらく新しい表現世界」の「ゴリラ語のはじめての絵本」で 『ゴリラと あかいぼうし』山際寿一/文、打ヴィッド・ビシーム/絵(福音館書店)と 『ジンガくん いちばへ 行く』ふしはらのじこ/文・絵(福音館書店)の紹介 |
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