2007年から糸島に移り住み、思いを同じくする人たちと「としょかんのたね・二丈」を始め、志摩地区の「みんなの図書館つくろう会」、二丈深江地区の「糸島くらしと図書館」の人たちと共に、糸島のより良い図書館づくりを目指して活動してきた。「糸島の図書館は今、どうなっているのか」、糸島図書館事情を発信し、市民と共に育つ糸島市の図書館を考えていきたい。糸島市の図書館のあり方と深く関わる、隣接する福岡市や県内外の図書館についても共に考えていきます。
2026年2月22日日曜日
「本橋成一さんを語る」ー出前の本の話・3月18日 No.148
本橋成一さんの訃報を1月5日の新聞で知った。昨年の12月20日に亡くなられたとのこと。
本橋さんに初めてお会いしたのはいつだったか。
滋賀県能登川町立図書館の開館7周年記念展示・本橋成一・写真展をしたのは2004年11月
のことだった。(11.4~11.24)11月13日には講演会を行った。21年前のことだが、
写真展の日々、そうして講演会のお話が深く心に刻まれている。(文末に当時の講演会
の取材記事を転載)
写真展案内のチラシには、『いのちを写すーベラルーシ・ブジシチェ村
そしてイラクで』として、次のように書かれている。
写真集『魚河岸ひとの町』、『老人と海』など一貫して市井の人々の生きざまを撮り続け
てきた写真家本橋成一。本橋氏は1991年チェルノブイリ原発事故で被災したベラルーシの
小さな村々を訪れ写真を撮り始める。
今回の展示では、放射能で汚染されてもなお豊かな大地と共に力強く生きるブジシ
チェ村の人々の姿を克明に写した写真集『アレクセイと泉』より24点を、また作家、
池澤夏樹氏とともに2002年10月末から約2週間、「戦争になれば、どういう人々の
上に爆弾が降るのかを知りたい」との思いからイラクの市場や農村など同国各地に
取材、撮影を行い戦争前のイラクで、生き生きとした表情を見せる市民の姿を写し
た『イラクの小さな橋を渡って』(池澤夏樹共著)より20点の写真を展示します。
本橋氏の写真は「核」に象徴される現代の物質文明が追い求めてきた豊かさが何だ
ったのか、本当の豊かさとは何か、そしてそこに生きる人々の「いのち」を鮮明に
浮き彫りにします。
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本橋さんの写真展の翌年、2005年4月半ばから、随筆家、岡部伊都子さんの写真展「古都ひとり」
を能登川図書館で開催している。(4月13日~5月15日)この写真展は岡部さんが40数年前に、初
の写真展を東京三越で開催したものを42年ぶりに開催したものだった。
そして驚いたのはこの写真展に岡部さんと旧知の本橋さんが東京から駆けつけ、展示会場で、
岡部さんと再会されたことだ。
またこの写真展の期間中の5月8日には『岡部伊都子さんを語る』の集いを開いている。福岡、鞍手
町の上野朱(あかし)さん〈『蕨の家 上野英信と晴子』海鳥社、他〉と奈良から朴才暎(パク・
チェヨン)さん〈『ふたつの故郷:津軽の空・星州の風』藤原書店、他〉、お2人の語り手、司会は
京都、論楽社の虫賀宗博さん。実は当初、朴さんの対談の相手として本橋さんを考えていたのだった
が、本橋さんのご都合とあわず、本橋さんから紹介されたのが、上野朱さんだった。
本橋さんが写真専門学校の卒業制作のため筑豊の「朽ちはてた無人の坑夫長屋を改造したばかりの
その家に」上野英信さんを訪ねたのは、1965年1月のことだった。それから4年余り「ねばりづよく
筑豊に足を運びつづけ」て、最初の写真集「炭鉱〈ヤマ〉本橋成一写真集」(1968)が出版された
のだった。この本の「まえがき」を上野英信さんが書いている。「あとがき」は重森弘淹、羽仁進。
本橋さんは幾度となく筑豊文庫の上野さんを訪ねていたと思われる。そして上野晴子さんとの出会
いも(『キジバトの記』裏山書房)
1965年、この時、上野英信さん41歳、本橋さん24歳、上野朱さんは9歳の少年だ。
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(ご案内) ”本橋成一さんを語る”> ーー出前の本の話・3月18日(水)10∼12
出前の本・3月、4月
3月と4月、ノドカフェへの出前の本は、「追悼 本橋成一さん、縁しある人と本の世界」です。
24歳の本橋さんが写真専門学校の卒業制作のための筑豊を訪れたのは1965年1月、前年10月に
東京オリンピックが開催され、まだその余韻さめやらぬ最中のことでした。初めて”炭鉱”を
目にし、それから4年余り、時間をみつけては炭鉱を歩きまわり、最初の写真集『炭鉱〈ヤマ〉』
が出版されたのは1968年のことでした。
以後、幾冊もの写真集の政策とともに「ナージャの村」、 「アレクセイと泉」、「ナミイと唄
えば」、「バオバオの記憶」、「アラヤシキの10人たち」な どの映画監督、この間、上野英信、
上野朱(あかし)、岡部伊都子、朴才暎(パク・チェヨン)、 『ふたりの画家』の丸木位里・
丸木俊、小原佐和子『神の真庭』、そして大西暢夫さんなどが浮 かんできます。
出前の本の話は、本橋さんがそうした仕事と歩みの中で出あってきた人たちについても語りたい
と思います。
★出前の本の話:日時:3月18日(水)10∼12時
☆場所:ノドカフェ(糸島市前原中央3-18-18、2階)
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(新聞記事より)しが 支局長からの手紙 〈毎日新聞 2004(平成16)年11月22日(月)
〈悼詞〉 いのちを写す
比叡山に登った時のことです。紅葉した木の葉が滝のように流れ落ちる瞬間を見たことがあ
ります。風がゴーゴーと鳴り、自然の鼓動がはっきりと聞こえてきました。声も出ないまま立
ち尽くしました。命をテーマに市井の人々を撮り続けている写真家、本橋成一さんの言葉を聴
きながr思い出した光景です。能登川町立図書館の開館7周年を記念して13日に開かれた「い
の ちを写す」でした。
本橋さんが敗戦を迎えたのは5歳の時でした。東京都中野の自宅周辺は焼け野原でした。
お父さんが廃材を集めて10坪ほどのバラックを建て、ドラム缶を拾ってきて風呂を作ってく
れました。お父さんがしょっちゅう「熱いか」と湯加減を聞き、お母さんが台所で まな板
をトントンとたたいてご飯を作っている。そうした姿が本橋さんにとっての「平 和の図」です。
高度経済成長の真っただ中に育ちました。東京オリンピックを 境に都市の姿が変わっていきま
す。新幹線が開通し、拘束道路が次々に建設され、ひとつの豊かさを手に入れると、三つ四つの
豊かさを失っていくことを実感したそうです。自身の写真のテーマをこう語りました。
「本来持っていないといけない豊かさをもういっぺん見つめること」
91年に旧ソ連のチェルノブイリ原発事故の現場を訪ね、被災して入院中の子どもたちを見舞いま
した。抗がん剤の投与で髪の毛が抜けおちた子どもたちがベッドからはい上ってにこっと笑って
くれました。その時は「おじさんたちが全部悪い。ゴメンナサイ」としか言うことがなかったそ
うです。
この後、「ナージャの村」や「アレクセイと泉」をはじめとする作品の部隊となるチェチェルス
ク地方を訪ねます。季節は5月でした。原発事故当時、風下にあり、最も深刻な被害を受けた地域
です。草木も生えない荒野を想像していましたが、リンゴの白い花がっ満開でした。ジャガイモ
植え付けで人々がいきいきと働いていました。その固形を見た瞬間、初めて写真を撮る気持ちに
なれました。大地で生きる人々を撮ることで命が写せる、チェルノブイリがはっきりと写せると
確信したといいます。
ナージャの村人は心から歓迎してくれました。テーブルいっぱいにごちそうを並べ、自家製のウオ
ツカを振る舞ってくれました。以来、三十数回この地に足を運んでいますが、ヤギの乳を直接搾っ
て飲むおばあさんをはじめ、村の人みんなが命の中で暮らしていることが見えてきました。
村人は時計を持ちません。他ねまき、収穫とも季節を感じる体内時計です。ゆったりとした時間の
流れ。ニワトリ、ブタ、トマト、キュウリ・・・・・・。生き物はそれぞれの時間を持っています
が、人間が自分の都合でいじくり回して本来の時間の流れを壊してしまっている。物質的に豊かに
なることで命がだんだん見えなくなってしまっている・・・・・・。本橋さんの言葉が心にしみこ
んできました。
本橋さんは戦争が始まる前のイラクを訪ね、笑顔のすてきな多くの子どもたちに出あいました。す
ごくかわいがられて育ったことがよくわかったそうです。戦争を起こしているのはわれわれ大人で
す。一番大切なものは命であることをかみしめたいと思います。
【大津支局長・塩田敏夫】
【毎日新聞 2026年(令和8年)3月1日(日) 朝刊の1面に
「米、イラン攻撃」 の大きな活字、ついで、
「核巡りイスラエルと」「トランプ氏「大規模作戦」
「イラン即日報復」
リード文には
「米軍とイスラエル軍は28日、イランへの軍事攻撃に踏み切った。核開発をめぐる交渉で
イラン側の対応が不十分だと判断したとみられる。いrんは即日、イスラエルや湾岸諸国
米軍基地に報復攻撃を行い、中等諸国を巻き込む形で紛争が拡大している。
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